第十八話『すべて必要なことだった』
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王城の客間の一室に、私は一週間軟禁された。
『天使』であることが知れている私は、本来他の貴族たち同様、尋問まで投獄されてもおかしくはない。個室が与えられたのは、おそらくエルドとバルディの配慮だろう。
しかし豪華な客間は与えられたものの、私には一切の自由がなかった。
王城の隅に造られたこの部屋は、窓が高く外の様子は天候しか伺うことができない。
周囲の部屋は使用されていないのか、あるいは人払いがされているのか、なんの音も聞こえない。一日に二度、食事が届けられる他は誰も訪れない。食事を届けるのは無口な老人だった。城仕えをしていたのか、振る舞いこそ礼儀正しいものだったが、私とは一切口を聞いてくれなかった。
私は部屋を出ることも、誰かと話をすることも許されず、ただ孤独に一週間を過ごした。
私は知らなかった。
知ろうともしなかった。
私を取り巻く状況は、この一週間で、もはや取り返しのつかないものになっているということを。
あるいは私がただ大人しく沈黙するのではなく、なんらかの行動を起こしていれば、状況はまた変わっていたかもしれない。エルドとバルディに嘆願し、とにかくまず私の話を聞いてくれと願えば、彼らの私に対する心象を少しは変えられたかもしれない。
けれど私は、なにもしなかった。
私はなにもせず、ただ待っていた。
私は疲れ果てていた。この五年間、やりなおす前の世界と合わせれば十年、私は革命の中で生き続けていたのだ。心も身体もすり減って、腹には大きな穴が開いている。舌は何枚にも割け、表情は硬く強張り、全身の血が抜けてしまったかのように青ざめている。
『天使の涙』の副作用もあるだろう。私はこの五年、『天使の涙』を少量ながら摂取し続けた。付き合いのため、そしてある厄介な問題を解決するために、避けては通ることができなかったのだ。
快楽に溺れることこそなかったが、私の身体は『天使の涙』に芯まで浸っている。副作用による自律神経の乱れ、頭痛、めまい、動機など、身体の不調は絶えなかった。革命軍に捕らえられてからの二週間は、『天使の涙』を口にする機会もなくなっていたため、副作用は悪化の一途だった。
『天使の涙』が身体から抜けきるのには、十年単位の時間がかかる。また十年、私は苦痛に耐えなければならない。そう考えると気が重くなったが、しかし革命を果たした代償と思えば、ずいぶん軽いものだろう。
この世界で、三人は絞首台に登ることがなかった。
それだけで、私はなにもかも受け入れることができた。
これから先の未来に、どんな不安もなかった。
自分の置かれた状況がどうであれ、きっと三人が守ってくれるだろうと、信じていた。
「――――ヴェロニカ。君は『悪魔』だ」
だからエルドにそう告げられたとき、私は彼がなにを言っているのか、すぐに理解することができなかった。
「君がなにをしたかったのか、僕には理解ができない」
エルドもまた、私を理解できないと言った。
その瞳ははっきりとした怒りに燃えていた。
「君を同志だと思っていた。民の救済を誓った言葉は嘘だったのか?平和で豊かな社会を本気で目指していたわけではなかったのか?どうして僕たちを裏切るような真似をしたんだ!?」
エルドは私の両肩を強くつかみ、揺さぶりをかける。
私は唖然として、されるがままになってしまう。
「――――やめろ」
エルドを止めたのはバルディだった。
エルドははっと我に返ったようになって、私の肩から手を離す。
代わりに、バルディが、私の肩に手を置いた。
しかし私の肩をつかむ彼の力もまた、エルドに劣らず強いものだった。
「おれたちは城に残っていたすべての者を尋問にかけていた。……ヴェロニカ、君が最後の一人だ」
ヴェロニカ。
他人行儀なその呼び名に、心臓が押しつぶされたような心地になる。
「多くの貴族が、君を告発した」
強張った彼の声に、私は先ほどよりずっと強く、全身を揺さぶられる心地になる。
「ヴェロニカ、君は『天使の涙』をこの国に持ち込み、夫である伯爵を傀儡として、莫大な利権を獲得した『天使』で間違いないな?」
「……そうよ」
「なぜそんなことをしたんだ」
「革命のために必要だったからよ」
バルディは頭を抱えた。
「なぜおれたちに黙っていた?」
「きっと反対したでしょう」
「『天使の涙』のせいでこの国はめちゃくちゃになった。あれがなければ革命はここまで悲惨にならなかったはずだ」
「けれど『天使の涙』がなければ革命が成功することもなかった」
「本気で言っているのか?」
「ええ」
「『天使の涙』が義勇軍になにをもたらしたと?!」
一度は収めた怒りを再び燃え上がらせ、エルドが怒鳴る。
「あらゆる不幸をまき散らし、最も肝心な時に秩序を崩壊させた、まさに悪魔の代物じゃないか!」
「それだけじゃない」
私は震えを堪え、弁明を試みた。
真っ向から国王軍を相手にして義勇軍に勝ち目はなかった。だから内側から腐敗させる必要があった。軍だけじゃない。貴族社会を根底から、取り返しのつかないところまで腐らせることでしか、この革命はなしえなかった。
けれどどれだけ言葉を尽くしても、エルドは納得してくれなかった。
「悪いが、信じられない」
彼らはそう言って私を突き放すばかりだった。
「いつから君はそんなふうになったんだ?昔はなんでも僕らに相談してくれたのに、こんな大事なことを、一人で決めてしまって……。力を合わせれば正攻法でもきっとうまくいった。それなのに君は……僕らを信じてくれなかったんだな」
「信じていなかったわけじゃない。私は――――」
「もういいよ」
エルドは対話を打ち切った、
いや、そもそもはじめから、彼は私に対して聞く耳なんて持っていなかったのだ。
このとき彼はすでに、私のやったことを、すべて知っていたのだから。
「仮に君の言うことが本当だとして、君は『天使の涙』で得た利益をどこへやったんだ?」
心臓に、ぴたりと、刃物が這わされたような感覚がする。
「君が本当に革命のために動いていたなら、『天使の涙』によって貴族社会を内側から腐敗させるだけではなく、そこで獲得した利益を義勇軍へ流してもよかったはずだ。それなのに君が僕らに対して行った金銭的な援助はごく限られたものだった。一介の伯爵夫人が動かせる額と考えれば妥当だったが、『天使の涙』の利権を牛耳っている『天使』様にしては、少なすぎる。君はその儲けをいったいなにに費やしていた?」
少額しか援助しなかったのは、あまりに大金を動かすと、革命運動を貴族たちにはやくから察知されてしまうからだ。それにエルドたちも、私の羽振りの良さを不審に思っただろう。私の資金源が『天使の涙』と知れば、彼らは黙っていなかったはずだ。特に革命初期の、理想に燃えていた彼らであればなおのこと。
受け取りを拒否されてはたまらない。だから金銭的な援助は抑制していた。
けれどそんな言い逃れが通用しないことを、私はもう悟っていた。
「なぜ大公の借金を肩代わりした?」
容赦なく突き付けられた断罪の剣を前に、私はただ力なく項垂れることしかできない。
「必要だったからよ」
「なぜエリナと離縁させた?」
「……エリナのためよ」
「濡れ衣を着せることが!?地位も名誉も夫も奪うことがエリナのためだと!?」
「そうよ」
彼女を戦場に送らないことが最優先だった。そのためなら彼女をどれだけ貶めようともかまわないと思っていた。
「エリナを守るためには、ああするしかなかった」
「嘘だ」
「本当よ」
「エリナには修道院がお似合いだと、君は大公に言ったそうじゃないか」
「大公を納得させるための方便よ」
「本心だったんじゃないのか。君は、本当は、エリナのことを――――」
「信じて」
私はそう言うことしかできなかった。
「お願い、エルド。神に誓っていい。私はエリナを貶めようとしたわけじゃない。血みどろの革命から遠ざけたかっただけなの」
「革命が血みどろになったのは君のせいだろう」
心臓にぴたりと這っていた刃が、向きを変え、私の心臓に切り傷をつける。
噴き出した血には体温がない。色も臭いもない。涙のように透明だ。
「ヴェロニカ。最後に一つだけ聞かせてくれ」
今度はバルディが、私の心臓に刃を押し込む。
冷たいその感触に、私は覚えがあった。
そう、私の心臓に突き立てられたこの刃は、私が教会であの女に突き立てたものと同じだ。
「ユダリアは本当に裏切り者だったのか?」
あの女と同じように、私の心臓は貫かれる。
「信じて」
けれど私はあの女のように、憎悪に顔を歪めることも、神に祈ることもしない。
「私はみんなと一緒に戦っていた」
私はまだ、三人に信じてもらえると、信じていた。




