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第十七話『ふたりの天使』




それからまる一日、私は眠り続けた。

牢の中ではろくに眠れていなかったから、疲れが出たのだろう。

私はその一日をかけて、とても長い夢を見た。

幼少期を過ごした侯爵邸で、バルディとエルドとエリナと、四人でお茶をする夢だ。

私は三人に、これまでの秘密をすべて打ち明ける。三人はそれをすべて受け止め、大変だったね、と、よくがんばったねと労ってくれる。

花咲き乱れる庭園、穏やかな午後。『天使の涙』とは正反対の、さわやかなハーブティ。修道院で教わったという素朴なクッキーをエリナが焼いてくれる。それをお茶受けに、私たちは尽きないおしゃべりをする。真面目なエルドは国の今後について熱心に語り、聞いているのかうたた寝をしているのか、バルディは目を閉じたままときおり首肯する。私はエリナと視線を交わし、くすくすと笑い合う。

私たちはすっかり子供に戻ったようになって、時を過ごしていた。

なんの憂いもなかったあの頃に帰って、まるで革命なんてなかったかのように。




夢に見たのは、たぶん、私の心の奥底にあった願いだった。

革命が果たされ、悲劇は退けられた。

それでも人の欲望は尽きることがない。

私は新しく願っていた。

また昔の四人に戻りたい、と。

なんの隠し事も、後ろめたいこともない関係に戻りたい、と。

そして勝利の熱に浮かされる私は、それがとても簡単なことだと思っていた。

神に願うまでもない。四人が揃えば、すぐにでも叶う、ほんのささやかな望みだと。


けれど次に目覚めたとき、私はまた牢の中に戻されていた。

わたしは気づいていなかった。気づこうとしていなかった。

もとに戻るには、私の身体は汚れすぎているということに。

なにもかも、すでに取り返しのつかないところにきていたということに。







「ヴェロニカ」


目を覚ました私の傍には、エリナが立っていた。


「エリナ……?どうしてここに?」


「怪我人の看護をしにきたの。それ以外にも……いまここには助けを必要としている人がたくさんいるから、手助けをしているのよ」


聞くと、エリナだけではなく、各地の修道女たちが支援のため王都に集っているという。


「まだ残党がいるかもしれない。危ないわよ」


「もう戦いは終わったわ。ヴェロニカ、貴方はまず自分の心配をしてちょうだい」


久々の再会だというのに、エリナの表情は暗い。それに、どうしてヴェロニカなんて他人行儀な呼び方をするんだろう。

いつも通りヴェラと呼んで。私がそう口にするよりも先に、エリナは言った。


「あなたにいくつか聞きたいことがあるの」


「なあに?」


「……あなたが『天使』なの?」


私は息を飲んだ。

どうして、エリナがその名を知っている?

私が答えるまでもなく、私の顔色を見て察したのだろう、エリナは悲壮に瞳を揺らし、俯いた。


「本当だったのね」


私はなにも答えなかった。エリナはすべてを知っているのだ。そして彼女が知っているということは、おそらくすでに、エルドとバルディもすべてを知ったのだろう。


(いつかはくるとわかっていたことだ)


いまさら取り繕うつもりはない。できれば自分の口で伝えたかったが、知られてしまったなら、正直に認めるだけだ。

それにもう革命は終わった。これ以上彼女たちに嘘をつくのはうんざりだった。




私は今日まで、『天使の涙』を売りさばいていることを、エルドたち三人には明かしていなかった。

革命の原動力が民の怒りであったならば、潤滑油は人を堕落させる『天使の涙』だった。しかし貴族社会を腐敗させることで革命を円滑に進めるという私の考えは、彼らの正義に反するものだ。

私がどれだけ説いたところで、彼らは『天使の涙』の必要性を認めなかっただろう。

だから私は彼らに黙って『天使の涙』を広めることにした。

しかし『天使の涙』を売買するうえで、私自身が表に立つことはほとんどなかった。あくまでも夫である伯爵を傀儡とし、暗躍に努めた。それでも噂は立つもので、いつしか私は社交界の一部で『天使』という異名で囁かれるようになった。

よほどの上客か、高位の貴族だけが存在を知る『天使』。

皮肉だがふさわしいとも思っていた。神の力を借りて革命を果たそうとする私は、まさしく天の使いといえる。

その『天使』が人びとにもたらすのは、祝福ではなく破滅であったわけだが。


捕えられた貴族たちはそれぞれ裁判のための尋問にかけられているらしい。その中で、『天使』の正体が私だと暴露されたのだ。夫だけではなく、大公や、上客であった貴族たちが軒並み揃えて私を売ったらしい。

エリナからそれを聞いた私は思わず嗤ってしまった。『天使の涙』が破滅させたのは貴族社会だけだ。我が国は他国と違い、今日にいたるまで一般民衆へ『天使の涙』はほとんど浸透しなかった。厳密な輸入統制を敷き、民衆向けの安価な茶葉の流通は防いでいた。貴族たちが犯してきた過ち、税の中抜きや領民への仕打ちを考えれば、売るに安すぎる情報だ。


「どうして笑うの?」


しかしエリナはそうは考えていないようだった。


「あれのせいで、大勢の人が亡くなったのよ……!」


エリナが涙ながらに語ったのは、私が城壁内に入ってからの義勇軍の惨状だった。

――――ほどなく首都は破裂する。城門は内側から開かれるだろう。

首都に入る前、私はそう記した短い密書をエルドたちに送っていた。私の存在を知る数少ない古参兵、中でも最も信頼がおける、元侯爵家使用人の一人に託したその書は、きちんとエルドたちのもとに届けられていたらしい。

エルドとバルディはしかし私の指示を鵜呑みにすることができなかった。

私は密書がエルドたち以外の手に渡る可能性があることから、最低限のことしか書かず、また署名もしなかった。エルドたちはその密書が一目で私の筆跡であることを見て取ったが、かといって首都の自壊を簡単に信じることはできなかった。

根拠は?

なぜそう義勇軍に都合よくことが運ぶ?

ヴェラはいったい、なにをした?

それでもこの切迫した状況で私が不確実な情報を流すはずがないと、二人は猛る義勇軍をどうにか押さえつけ、膠着状態を長引かせようとしてくれた。

進軍は二人の意志ではなかった。

暴発したのは、農民兵だった。

そして農民兵を暴発させたのは、中流階級の新参兵たちが横流しした『天使の涙』だった。


新参兵はもともと首都や地方都市に居をかまえていた商人や豪農で、戦局を読み革命の終盤になって義勇軍に参加するようになった。中には貴族と差し変わりない生活を送っていたものも多く、義勇軍の中では浮いた存在、古参兵からはひどく軽んじられていたという。

それでも数は数。彼らは義勇軍にゴマをするように物資の提供を行い、城壁を囲う軍の一部となることを買って出た。兵糧攻めは時間と物資、多くの兵が必要となる。ギリギリのところでどうにか首都を包囲していた義勇軍は、彼らを受け入れざるを得なかった。

しかし彼らが義勇軍に持ち込んだ物資の中には、『天使の涙』が紛れ込んでいた。

相当な量があったらしい。中流階級とはいえ、貴族でない彼らが本来手にするはずのできない代物だが、彼らは独自のルートで、私が国王軍を腐敗させるために流通させたものを手に入れたらしかった。

義勇軍内での地位をあげるため、彼らはそれを指揮官であるエルドとバルディに献上しようとした。当然二人はそれを断り、茶葉を即座に処分するよう命じたが、彼らは従わなかった。これまで自分たちでも手が届かないほど高値で取引されていた茶葉を簡単に捨てることはできなかったのだ。

まずは自分たちで嗜み、すっかり気分のよくなった彼らはそれを最前線の農民兵にばらまいた。『天使の涙』はどんな酒よりも兵士たちを鼓舞する気付け薬となった。あらゆる不安を忘れた彼らは、エルドたちの命令を無視し、首都へ突撃した。


――――なにを待つことがある。

――――勝利は目前だ。

――――奪われたものを取り返す。壊された分だけ壊す。これまでの恨みを果たせ。家族の、友の、仇をとるのだ!


一部の兵が攻勢に移ったことにより、城壁の包囲網は崩れてしまった。こうなれば兵糧攻めを続けることもできない。義勇軍はなし崩し的に攻勢にでなければならなかった。

そして首都は大惨事に見舞われた。

統率を失った兵はほとんど暴動的な攻撃を行った。

兵士や貴族のみならず、首都に留まることを選んだ市民も容赦なく虐殺した。

血で血を洗う凄惨な戦いが繰り広げられ、首都は壊滅状態に陥った。

双方の兵力は互角だったが、エルドとバルディが機転を利かし、精鋭部隊を率いて城に侵入した。本隊と離れていたため、彼らの侵入は目立たなかった。もともと城勤めをしていた二人にとって城内の攻略は容易く、数ではるかに勝る護衛を一掃し、いちはやく王の身柄を確保、勝利を宣言した。

城下の戦いは一進一退であったが、この宣言を受け、たちまち国王軍は瓦解した。もともと義勇軍に比べて戦意が低く、『天使の涙』の中毒者も多い集団だ。義勇軍の勝利宣言を受けてなお、抗おうとする者はいなかった。


そうして、どうにか革命に決着はつけられた。

義勇軍は喜びに沸いたが、大きすぎる勝利の代償に悲嘆する者も多かった。

特に都市在住の市民たちは義勇軍を糾弾した。


――――自分たちは無実だ。それなのになぜ、貴族たちと同じ目に合わなければならない?自分たちも虐げられてきた。重税に苦しみ、貧しい暮らしを余儀なくされていた。首都に義勇軍が迫っていると知っても離れなかったのは、ここが自分たちにとって故郷だからだ。首都は貴族のための場所ではなかった。民衆のための革命を謳いながら、どうして首都の市民のことは顧みようとしなかったのか?


エルドとバルディは彼らの嘆きに、どうにか誠意を示そうとした。釈明のための事実確認を行い、そこで義勇軍暴走のきっかけが『天使の涙』にあることを知った。

二人は激怒したが、『天使の涙』を持ち込んだ中流階級の人間を罰することはできなかった。

まだ戦いが終わって日が浅すぎた。死傷者の対処はもちろん、首都の復興、国として新体制の確立を急がなければならない。ほとんどすべての貴族が力を失ったいま、有力者であり、学も人脈もある彼らは、国の再建に欠かせない存在だ。安易に排斥することはできない。

しかしこのままでは市民の怒りの矛先は義勇軍に向けられてしまう。市民も中流階級の者たち同様、復興に欠かせない存在だ。なによりこれは民衆のための革命だった。彼らの怒りを無視しては、なんのための革命だったのかわからなくなってしまう。

憎むべきは誰か?

憎ませるべきは何者か?

諸悪の根源。この国の腐敗を加速させ、義勇軍の暴発を引き起こしたもの。


『天使の涙』


悲劇がここまで膨れ上がったのは、『天使の涙』のせいだ。

エルドとバルディがそう結論付けるには、さほど時間はかからなかった。

二人は怒れる市民たちに『天使の涙』の罪を説いた。そして約束した。特に『天使の涙』の売買に関わっていた貴族は厳罰に処す、と。


二人はこのときまだ知らなかった。

『天使の涙』をこの国にもたらしたのが自分たちの幼馴染だということに。


優しい二人のことだ。もし知っていたら、きっと『天使の涙』から民衆の目を逸らすよう誘導したことだろう。いや、私と知っても真相を白日の下に晒したかもしれない。どこまでも正しい二人のことだ。私の行いは革命のために必要な過ちだったといって、共に責任をとってくれたかもしれない。


貴族たちへの尋問が始まり、ほどなく二人は『天使』の正体を知った。

けれどそのときにはもう遅かった。『天使の涙』は諸悪の根源として認知され、それをもたらした『天使』は国王に次ぐ民衆の敵となってしまった。

一度矛先の定められた怒りを逸らすことはできない。

私は理解した。

自分が窮地に追いやられていることを。

そしてエリナが、私の行いを看過できないものだと考えていることを。




「『天使の涙』がなければ革命は為しえなかった」


悲しむエリナに、私は断言する。


「他に道はなかった」


私は革命の果たされなかった世界を知っている。

正しさを追い求め、悲惨な末路を迎えた世界を。

正攻法ではなにも為しえないのだ。相手より卑劣でなければ、残酷でなければならなかったのだ。


「どうして私たちに言ってくれなかったの?」


「反対したでしょう」


「当然よ!こんな……井戸に毒をまくような真似……」


「うまく付き合えば薬にもなった。溺れた者たちに自制心がなかっただけよ」


「もっと平和に解決することだってできたはずよ」


「できなかったからこうしたのよ」


「やってもいないのに、わからないじゃない。どうしてそう決めつけてしまうの?……ヴェロニカ、貴方は、いつからかなにもかも一人で決めてしまうようになったわね……」


問いかけるような眼差しから、私は目を逸らすことしかできなかった。

私はなにもかもうまくいかなかった世界を知っている。私はずっと役立たずで、貴方たちは残酷に殺されてしまった世界を。でも神様の奇跡で、革命をやりなおす機会をもらえた。だから今度は間違えないようにした。貴方たちと革命を成功させるために、できることを全部やった。

そう説明して、エリナは納得しただろうか?優しく信心深い彼女のことだ。もしかしたら信じてくれたかもしれない。それでもなお彼女は私を非難しただろう。きっと他の道があった。もっと早く打ち明けてくれたら、ちがう道を選ぶことができた、と。

けれど私にはそれができなかった。

やりなおす前の世界の、最後まで役立たずだった自分のことを話したくなかった。

凄惨な拷問を受け、大衆の野次を受けながら死んでいった三人の最期など、口にしたくなかった。


「貴方は裁判を受けることになるわ」


エリナは悲しみをたたえた表情のまま、それでも私の両手を優しく包んでくれた。


「エルドとバルディはいま、捕らえた貴族たちをひとりひとり尋問にかけているの。そのうち貴方にも話を聞きにくると思う。裁判は公平に行われるから……他の貴族の証言がある限り、貴方は罰を避けられない」


「私は殺されるの?」


自分でも驚くほど、子供のように震える声が出た。


「そんなことにはさせない!」


エリナは私を抱きしめた。痛いほど、強く。


「貴方のやり方は間違っていたと思う。けれどぜんぶ革命のためだったんでしょう?虐げられる民のためだったんでしょう?」


「……うん」


「それなら他の貴族たちと同等に扱われることは決してないわ!確かに罰は受けるかもしれない。けれど極刑なんて……そんなことには、私が絶対させないわ!」


私は涙を堪えて、エリナを抱き返した。

エリナはこのやりなおした世界で、一度も戦場に立たなかった。愛しい私の姉。悲惨な戦場から遠ざけるためとはいえ、私はエリナの人生をめちゃくちゃにしたというのに。革命の最中は、何度も突き放すような冷たいことを言ったというのに。

彼女はいつまでも。私に優しいままでいてくれる。


「私は落ち着いたらまた修道院に戻るつもりなの。革命が成功しても、まだまだ民の生活は苦しいでしょうし、心の整理がつかない人もたくさんいる。そういうときにこそ、みんな神様を必要とするわ。私は神様と民の橋渡しを――――いえ、そんな立派なものにはなれないわね。せいぜい私にできるのは、みんなが落ち着いて祈れる場所を作ってあげることだけ。でもそんな小さな救いの積み重ねが、きっと大きな幸せにつながると信じているから」


「だからエリナは、修道女を続けるのね」


「うん」


「でも……貴方こそ罪を着せられて修道院にはいったのだから、これからはもう自由のはずよ」


エリナの元夫である大公は捕えられている。エリナの件も含め、多くの余罪を抱えている彼もまた、重刑は免れないだろう。

エリナを陥れた張本人である私も、革命が終わった今、エリナを修道院に留めておこうとは思わない。むしろ自由に羽ばたいてほしいと思っている。新しい自由な世界で、夫を持ち、子供を作り、その優しさに見合うだけの幸福をつかんでほしいと思っている。


「自分でも驚いているんだけどね、私、修道女として生きることが性に合ってたみたいなのよ。自由の身だからこそ、私はこのまま修道女であり続けることを選ぶわ」


ほほ笑むエリナの表情は、絵画に描かれる天使のようだった。無垢で、純粋で、愛らしい。

『天使』の称号は彼女にこそ相応しい、と思った。

私のような紛いものではない、一心に民を想い、神に仕える彼女こそ、本当の『天使』だ。


「……エリナ」


「なあに?ヴェラ」


「ううん……なんでもない」


これは彼女に願うべきではない、そう思って、私は口を閉ざした。

私には重刑が課せられるだろう。一生を牢で終えるか、国外に追放されるかもしれない。

でも叶うなら、エリナと同じ修道院に入りたい、と思った。

やりなおす前の世界で、無力に苛まれたあの場所。苦い思い出ばかりのあの場所も、しかしエリナと一緒なら、安息の地に変わることだろう。

エリナと一緒に、神に仕えて一生を終える。

やりなおしの機会をもらった私にふさわしい生涯だ。

エルドとバルディは、私のこの願いを聞き入れてくれるだろうか。


それは私が、最後に見た希望だった。

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