第十五話『夢を見るには早すぎた』
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「隣国の辺境伯が援軍を申し出ました」
私がそう国王に進言したのは、首都の城壁を境に、義勇軍と国王軍がにらみ合いを続けて半月ほど経ったときのことだった。
私が持ち込んだ隣国の辺境伯からの親書と、連れ立った使者の言葉を、国王はまんまと信じこんだ。
もちろん援軍など来るはずがない。
親書はこれまで辺境伯との間で交わしてきた書簡を頼りに、サインまで正確に偽装したもので、使者は実際に辺境伯に仕えていた侍従を金と『天使の涙』で従わせた偽物だった。
当の辺境伯はすでに爵位を喪失している。新しく辺境伯として立たされた青年と私は面識すら持っていない。調べればすぐにわかることだったが、籠城状態にある国王と臣下に辺境伯交代の情報は渡っておらず、親書と使者が本物であるか確かめる術はなかった。
いや、たとえ術があったとしても、窮地に立たされていた国王はわざわざ手間暇をかけて裏どりをするようなことはなかっただろう。
降ってわいた援軍に国王は飛びつき、二つ返事でこれを受け入れた。
籠城を続けるか、国外へ逃亡するか。
選択を迫られていた国王は、隣国からの援軍を聞いて、玉座に留まる道を選んだ。
傲慢でプライドの高い国王は、玉座を投げ出し他国に縋るよりも、最後まで国王であり続けようとした。
まったく滑稽なことだ。国際社会から見捨てられ、民衆の統率を失った国の玉座など、もはやなんの価値もないというのに。
しかしそんな王の在り方に、わずかに残った臣下たちは感銘を受けたようだった。
『天使の涙』に芯まで漬かった頭で、王とはこうあるものだ、と、我らも王と共に最後まで暴徒たちと戦うぞ、と奮起した。
本当に、すべてが私の思う通りに進んでいった。
要職たちが逃げ出してしまえば、首都を制圧したところで、国の主権は宙に浮いてしまうことになる。
国王も要職も、この場で必ず処刑されなければならない。
愚かな国王は、しがみ付いた玉座で、存在しない援軍を待ち続ける。自分のもとに迫るのが、あの日エルドたち三人を立たせたものと同じ、絞首台だとも気づかずに。
(勝った)
首都は義勇軍によって完全に包囲されている。籠城を余儀なくされた国王軍は、粗悪な『天使の涙』の蔓延による腐敗が日に日に深刻化している。国王はそんな現状に気づこうともせず、悠々と援軍の到着を待ち構えている。
(勝った)
私は勝利を確信していた。
(あとはただ、待つだけだ)
首都はやがて物資の不足で自壊するだろう。食料も『天使の涙』もすでに底をつきかけている。餓死者が出れば、首都に留まる民衆も義勇軍へと寝返るだろう。いや、『天使の涙』が切れた兵士たちが暴動を起こす方が早いかもしれない。いずれにしても、首都は近いうちに機能不全に陥る。
義勇軍が攻勢に出ずとも、首都は自ら城壁を開くだろう。そのとき、我々は堂々と進軍を始めればいい。
ふやけた兵士を一掃し、民衆を抑え、城に火を放つ。
義勇軍は一切の犠牲を払うことなく、革命を果たすことができる。
私はあてがわられた城内の一室で、泰然とその時を待っていた。
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義勇軍にも国王軍にも通じる私は、両者の睨み合いが続く首都城壁をさほど苦労なく越えることができた。しかし表向きには国王側の人間である私が、エルドたち義勇軍幹部と連絡をとることは難しくなっていた。
最後に彼らと連絡をとったのは、偽の使者と親書を伴って首都に潜り込んだ際だった。顔を合わせることはできず、古参兵の一人に密書を託すことしかできなかった。
密書には今後予想される首都内の動きを記しておいた。存在しない援軍を仕立て上げたこと。それを聞いた国王はおそらく玉座を離れないこと。時を待てば、首都は侵攻するまでもなく陥落するだろうということ。
――――扉が内側から開かれるまで、決して動いてはならない。
私はエルドたちにそう指示を残し、城内へ入った。
以降、私は城内に留まり、国王やわずかに残った側近たちと共に、存在しない援軍を待ち続けている。
城内にはエリナの元夫である大公や、私の夫である伯爵も滞在を許されている。
逃げ遅れた、あるいは国外にツテを持たない貴族たちは、国王のもとに寄り集まって惨禍をやり過ごそうとしている。
(肥え太り、芯まで腐った身体では、逃げ出すこともかなわないのね)
痛快だった。現状をエルドたちに報告できないことが惜しくてならなかった。
革命の最期の贄が、この国の腐敗の諸悪の根源が、一堂に介している。目前まで迫る裁きに気づこうともせず。
いくら両軍と繋がりがあるとはいえ、一度城壁内に入ってしまったからには、外へ出ることはもちろん、外の人間と連絡をとることも難しかった。しかし私はなんの不安も抱いてはいなかった。エルドたちは私を信頼している。私の指示通り、首都が破裂するのを辛抱強く待ってくれているはずだ。
(やっと終わる)
私は混乱する王城を、誰に咎められることもなく歩き回りながら感慨に耽った。
(でもやりなおしてからの五年より、やりなおす前の五年の方がずっと長く感じるな)
やりなおす前の私は、革命運動の五年間、なにもできずにただ懊悩とした日々を送っていた。
世間から隔絶された修道院で一人、後悔に苛まれる日々を送っていた。
あのときこうしていれば、私にもっと勇気があればと、取り返しのつかない過去を振り返ってばかりいた。
(あのときだって、本当は、やろうと思えばなんでもできたんだ)
ついに革命が頓挫し、三人が処刑されるまで、私は動かずにいた。なにもかも取り返しがつかなくなってからようやく、泣いているだけではなにも変えられないことを悟った。
(これからは、後悔のないように生きたい)
これから先の未来は、私の知らない世界だ。
いや、やりなおした時点で、私が行動を変えたそのときから、世界はもう私の知らない運命を辿っている。それでも世界情勢や気候などの大局は変わらなかった。革命中、世界が『天使の涙』で大混乱に陥ることを私は知っていたし、それを利用したから革命をこれほどまで優位に進められた。そして『天使の涙』の蔓延がある限り、この国が近隣諸国から狙われることはないと安心していられた。
この五年間は、大きな災害に見舞われることなく、第三勢力が現れるようなこともなく、革命にだけ集中して取り組めることを知っていた。
だから脇目をふらず、革命に邁進できた。
けれど革命が終わったそのあとの世界がどうなのかはわからない。他国から侵攻を受けるかもしれない。未曽有の災害に襲われるかもしれない。疫病の蔓延や、世界的な恐慌が起こるかもしれない。
予想のつかない未来は、恐ろしい。
革命を成し遂げて、それで終わりではない。また民が虐げられることがあるかもしれない。理不尽と暴力が蔓延する世の中になってしまうかもしれない。三人の命が危ぶまれることがあるかもしれない。
(そのときも、きっと私は戦おう)
革命を起こしておわりではない。きっと本当に大変なのはこれからだ。
これ以上先の未来を知らない私は、いままでよりは三人の役には立てないだろう。
それでも、二度と、やりなおす前のように後悔することのないように。
(今度は神様に縋ることもしない)
(どんな苦境に追い込まれても、絶対に諦めたり投げ出したりしないでいよう)
考えに耽るうちに、私は気づけば、庭園に降りていた。
城内の混乱が嘘のように、静まり返った庭園。こんなときでも庭師は手入れを怠っていないらしく、中央の東屋まで続く石畳には落ち葉のひとつ落ちていない。
冬も峠を越えたとはいえ、まだ花の時期には早いのだろう。広大な庭園はよく整備されているが、冬枯れした植物が多く、どことなくもの寂しい。
目につく花といえば、東屋を囲うようにして植えられた百合だけだ。
(でもこんな時期に?)
近づいてみると、それはどうも百合とはちがうようだった。白い花弁は小ぶりで、日をたっぷりと浴びているにも関わらず、頭をたれるように俯いている。
私は花弁をそっと撫でる。柔らかいが、張りがある。葉の色も明るく、元気がないわけではないようだ。
(バルディなら、きっと名前を知っているだろうな)
私は東屋の周りをぐるりと一周回った。
石造りの東屋は広々としている。庭園に咲き誇る花々の邪魔にならないように、という配慮だろうか、意匠はいたってシンプルで、柱と屋根の内側に、控えめな飾り模様があるだけだった。
(全部終わったら、ここで一息つこう)
ふと、思い立った。
(机と椅子を持ってきて、エリナにお菓子を焼いてもらって、お茶は私が淹れよう)
皮肉なことに、私は『天使の涙』を布教させているうちに、お茶入れの腕が鍛えられていた。いまでは一流の執事にも引けをとらない自信がある。その日の気温や提供する場所に合わせて、最適なお茶を出すことができる。
(みんな驚くだろうな)
想像すると、自然に笑みがこぼれた。
革命が終わっても戦いは続く。
でも、革命がおわったら、ひとまず慰労の会を開いてもいいんじゃないだろうか。
昔みたいに、みんなでお茶を囲んで、ゆっくり話したい。これまでのこと。これからのこと。冗談を交えながら、お菓子や花の話なんかもしながら。時間を忘れて、つきないおしゃべりに興じたい。
なにごともなかったかのように、とはいかないだろう。
でも、開いてしまった距離を、縮めることはできるはずだ。
全部が終われば、ゆっくり事情を説明できれば、みんなきっとわかってくれる。
エリナを貶めなければならなかったことも、ユダリアを殺したことも、強引に革命を進めなければならなかったことも。
全部が終われば、結果が、私の正しさを証明してくれる。
(そしたらきっと、みんな、私を認めてくれる)
(がんばったねって、褒めてくれる)
(ヴェラのおかげだって、ありがとうって、また前みたいに……)
三人の運命を変えられれば、それで十分だったはずなのに、私は贅沢にも望んでしまった。
感謝されることを。
労われることを。
そしてそれを心に描いた次の瞬間、遠くから雷鳴が響き渡った。
私は驚いて空を見上げた。
雲一つない快晴。澄んだ冬の青空。
雷が起こりうるはずもない。それでは、いまの音は?
私は急ぎ城内へ戻った。
そしてすぐに、雷鳴の正体を知った。
「義勇軍が攻勢に出たぞ!」
甘い夢は終わる。
かすかな慢心の罰だろうか。順調だったはずの革命は、あと一歩のところまできていた無血開城の未来は、轟音をたてながら崩れ去っていった。




