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第十四話『隣の家も燃えている』




王都に残るすべての貴族が『天使の涙』に毒されているわけではない。聡い者たちは早々に国を捨て、国外へ逃亡したが、中には事情があって国外への逃亡が叶わず、やむなく王都に残っている者もあった。

彼らは躍起になっていた。逃げ遅れたからには、ここで戦い勝つしかない。

死に物狂いの彼らが支えとなり、玉座は盤石なままだった。

国王は大した実績のない老人だったが、その支えあって、国王であるという自負だけは人一倍強かった。老王は決して『天使の涙』を口にしなかった。貴族さえも見下す老王は、下々の者と同じ快楽に溺れることを嫌悪していたのだ。

厄介な相手だった。伯爵位の夫では接見すら難しく、後ろ盾である大公の働きかけがあってもほとんど相手にされることがなかった。しかし義勇軍が差し迫り、さすがに余裕がなくなったのか、国王は王都に残る貴族であれば爵位に関わらず謁見を許すようになっていた。

はっきりとは言わなかったが、なにか策があるならば上奏せよ、ということらしい。

この絶好の機会を、私はもちろん逃さなかった。


(謁見さえ叶えばこちらのものだ)


老王の人となりは社交界の噂話で聞き及んでいた。高慢で居丈高だが、単純で乗せられやすい。有能な宰相のとりなしがあって大事にはならなかったが、周囲に乗せられるまま信じられないような失策を犯したことが何度もあった。いまもその宰相がいれば、老王が私の口車に乗ることはなかっただろう。しかし有能かつ保身傾向の強かった宰相は、情勢を読んでいち早く国外への逃亡してしまった。老王に冷や水をかける者はもう誰もいない。故に私の、あまりにも都合がいい知らせを、老王は疑いもせず飲み込んでしまうことになる。

それが王都から逃がさないための弛緩剤だとも気づかずに、まるで勝利の美酒のごとく煽ることになる。


「朗報です。隣国の辺境伯が援軍要請に応えました」


私は王の御前で、膝をついてそう嘯いた。

隣国へはすでに王自身何度も援軍要請を出している。しかし相手は自国内の『天使の涙』中毒患者に対する始末でそれどころではなかった。

茶葉がいち早く出回ったのは我が国だが、その影響で隣国も他国よりはやく茶葉が流行した。結果として、中毒患者と社会的影響はわが国に並び世界的に見ても群を抜いて深刻だった。

当然、隣国の内乱になど関わっている余裕はない。

余裕があれば、むしろもっと早い段階で、積極的に武力介入をしただろう。内乱に乗じて我が国に攻め入ったのかもしれない。

私はそれを見越して、隣国にも『天使の涙』が出回るようはやくから画策していた。いや、画策と呼べるほど特別なことはしていない。なるべくしてなった、という方が正しいだろう。

隣国とは交易が盛んで、貴族同士の交流も深い。片方で何かが流行れば、もう片方にも当然流れていく。そのため諸外国で『悪魔の血』と呼ばれる茶葉が、隣国では我が国と同じ『天使の涙』で通っている。

敵は自国の王侯貴族だけではない。革命を成功させるためには、諸外国を押さえつけるか、味方にしなければならない。

『天使の涙』の混乱のおかげで、この問題に私はさほど悩まなかった。

あふれかえる中毒患者の対処に追われる諸外国は、経済破綻しかかった弱小国の革命に手を出す余裕など持っていない。

援助は得られないが、敵にならないことがわかっていたので、私は諸外国に対してなにか特別な働きかけをすることはなかった。

もし本当に隣国の辺境伯が指揮する国境警備隊の助力を得られるのならば、私は王派の貴族ではなく、革命派の貴族として話を持ち込んだだろう。

けれど辺境伯はわが国に力を貸す気など毛頭なかった。

その辺境伯というのは、エリナの元夫、つまり我が国の大公に金を貸していた貴族のひとつだった。

私は大公の代わりに借金を返す傍ら、その侯爵家にも『天使の涙』を流していた。







我が国と隣国との国境を治める辺境の候。向上心の強い当主の男は、前々から我が国への侵略の機会を伺っていた。隣国と我が国は表向きは和平を結んでいたが、国力に大きな差があり、我が国が顔色伺いを欠かさず貿易の便宜を図ることでどうにか対等関係を装っている、というのが実態だった。

辺境伯はしかし我が国を完全に隷属させたいと考えていた。隣国と我が国とで戦争が始まれば、結果は目に見えている。そして勝ち戦の先頭に立つのは国境を守る辺境伯だ。

彼は武功を立て、いま以上の地位と権力を手に入れようとしていた。大公に金を貸していたのもそのためだ。我が国を侵略するための口実作りの一環だったのだ。

私はそんな辺境伯の野心に付け込んだ。


「どうして伯爵家である我が家が親類でもない大公の借金を肩代わりしているのか、疑問でしょう」


返済は大公家から行われていたが、金の出所が我が家であることを、辺境伯はつかんでいた。

当然だろう。それまで火の車だった大公家の羽振りが、急によくなるわけはないのだから。


「私どもにとってこれは投資なのです。より大きな利益を生むための」


私は借金の肩代わりをはじめた早い段階で辺境伯と密会の席を設け、そこで誘いをかけた。

共に『天使の涙』で一儲けしようではないか、と。

辺境伯はすぐに乗ってこなかった。彼が求めているのは金ではなく名誉だ。得体のしれない茶葉の独占権などまるで関心を示さなかった。


「よくお考えになってください」


私はあきらめず、時間をかけて辺境伯を口説いた。


「大陸を見回してください。そこら中で協定と同盟が組み交わされ、各国が協調政策に走っている。閣下は戦争による立身をお望みかもしれませんが、それは昨今の世界情勢をみれば果たされぬ願いでしょう。下手に戦争を起こせば他国の顰蹙を買います。我が国のような小国を相手に勝利を収めるのは易いかもしれませんが、結果として国際連盟の足並みを乱す厄介者のレッテルを張られてしまうでしょう。国際連盟がますます強くなるいま、列強諸国に目を付けられることはお国としても避けたいはず」


いま無理に我が国に攻め入れば、侯爵は自国の王によって粛清を受けるだろう。私は遠回しに、いま冠を頂くために必要なものは、武功ではなく商才だ、と伝えた。

国家間の結びつきが強まり、自由貿易も活発化している。やりなおす前の世界でも、『天使の涙』の産出国の粛清を除いて、国家間の戦争というものはまったく起こる気配がなかった。

各国の競争の形は、暴力的な戦争から経済的な戦争へと移行しつつある。列強諸国ではすでに貴族より商家の方が力を持っている。


「時代は目まぐるしく変わります。使えるものはなんでも使って、うまく乗りこなさなければ」


小娘の戯言だと、はじめは馬鹿にしていた辺境伯も、説得の数を重ねるごとに私の話に耳を傾けるようになった。私はやりなおす前の世界を知っている。そしてやりなおしたあとの世界では、『天使の涙』の取引を通じて、国際情勢をよく読むようになっていた。少なくとも貿易に関して、私は辺境伯を圧倒する知識と情報を備えていた。加えて、実際に『天使の涙』をいちはやくつかみ、独占販売することで膨大な収益をあげていた。

口説き落とすのにそう長い時間はかからなかった。

私は辺境伯に流通ルートの一部を無償で受け渡した。


「『天使の涙』はやがて世界を席巻するでしょう。そのとき、我々の国が流通の実権を握っていれば、国際情勢をひっくり返すことができる。列強諸国のひとつとして名を連ねることも夢ではありません。もちろんそうなれば第一人者となる閣下の国内での立場は、国王にも引けをとらないものになるはずです」


辺境伯は私が差し出した特別ブレンドの『天使の涙』と一緒に、この甘言を飲み干した。

もちろんそんな未来は起こりえない。

『天使の涙』は確かに世を席巻するが、それはほんの一時のことで、すぐさま粛清の対象となる。産出国はもちろん、それを取り扱っていた貿易商の多くも厳罰を受けるほどの徹底した浄化が行われる。

隣国がその国際的な粛清の対象となれば、それは願ってもない話だった。

隣国が犠牲になれば、私たちは私たちの革命に集中できる。

この先、『天使の涙』蔓延による世界的な混乱があるとはいえ、周辺諸国への警戒を怠るわけにはいかない。内乱に乗じて攻め入られたら、義勇軍はひとたまりもない。私はそれを防ぐため、最も脅威である隣国を抑えこむ必要があった。飢えた辺境の狼の狙いを別のところに向けさせる必要があった。

だからこそ侯爵家を通し、『天使の涙』をいち早く隣国に蔓延させた。


愚かな辺境伯は、自分がまず一番はじめに『天使の涙』に溺れてしまった。

『天使の涙』なしでは生きられなくなってしまったことが、その仕事に拍車をかけたのだろう。辺境伯は国中に『天使の涙』を広め、いつの間にか私が作った流通ルートをはるかに凌ぐ巨大な販路を築き上げた。その名は天使の王として、国内外で広く知られるようになった。

侯爵は願いを叶えた。貿易により膨大な利益を獲得し、国内での影響力は国王に比肩するほどとなっていた。

しかし、しょせんは泡沫の夢だ。

上り詰めるのが一瞬であったように、転落もまた瞬き一つの間だった。


『天使の涙』の中毒性が国際社会で問題視されるようになると、産出国はもちろん、仲介貿易によって多くの利益を獲得していた隣国も周辺諸国から睨まれるようになった。隣国は慌てて『天使の涙』から一切の手を引こうとしたが、すでに国の中枢まで染みこんだ茶を完全に漂白することはできず、苛烈な経済制裁を与えられてしまう。

責任を問われた辺境伯は爵位と財産のすべてを没収され、市井に身を落とした。代わりに領地の運営と国境の警備を任された若い男爵は、爵位こそ低かったが、天使に狂わされた国でわずかに残っていた良心のひとつだった。正義感あふれる堅物な青年は、流行に惑わされることなく、堕落を招く悪魔の誘惑だと『天使の涙』を遠ざけていた。

貴族としての義務を果たさんとする彼を、まるでエルドのようだ、と私は思った。

もし彼がこちらの国に生まれていたら、きっと私たちと共に革命のために立ち上がってくれただろう。

しかし正義感と能力は必ずしも比例するわけではない。彼は突然任された広大な領地、それも役人から農民まで『天使の涙』に漬かっているような場所の立て直しに追われた。加えて国境の警備もある。隣国の内乱に目を向ける余裕はとてもない。

状況は互いに好都合だった。私たちは互いの混乱を知っているからこそ、互いの存在を無視できた。こちらにかまっている暇はないだろう、と。


すべてが私の思い通りに運んでいた。それはときに恐ろしいほどに。

神は私にやりなおしの機会を与えてくださったが、のみならず、私のやりなおしに助力してくれているのではないかと思えてならなかった。

一方で、代償が伴うのではないか、とも怯えていた。

私は恐れていた。なにもかも順調に進む中で、神を疑ってしまっていた。

私はこれだけの奇跡の代償に、いったいなにを支払わなければならないのだろう、と。


しかし神は最期まで私を裏切ることはなかった。

最期まで、私に奇跡を与えてくれた。

どれだけの感謝をしても足りない。神を疑ってしまった自分が、恥ずかしくてならない。


だって、すべてが終わったそのときに私が払った代償といえば、ほんの、とるに足らないものだったのだから。

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