第十三話『あとは腐り落ちるのを待つばかり』
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義勇軍は快進撃を続ける。
ユダリアが死んでも、その士気が衰えることはなかった。
なぜならユダリアの裏切りは公にされなかったからだ。
私はユダリアの裏切りを知らしめるべきだと主張したが、エルドがそれを退けた。
女方の顔役であったユダリアの裏切りが露見すれば、当然士気は下がるだろう。エルドはそれを懸念して、彼女の死を隠蔽するべきだと言った。
けれど私は、それよりも懸念すべきは同じような裏切り者の出現だと思った。義勇軍はいまでは国王軍の倍近い数に膨れ上がっている。けれど数だけあっても、長年訓練された兵士、組織された軍隊を相手取ることはできない。勢いづいた義勇軍に集った人びとは、しょせん烏合の衆だ。ただ集まっているだけで、そこに確固たる統率はない。だからこそユダリアの死をきちんと見せしめにしなければならない。
裏切り者には制裁が下る。
我々はただの暴徒ではなく正義のために勇気をもって立ち上がった人間なのだ。
生半可な覚悟では革命など果しえない。
そう示すためにも、ユダリアの裏切りは共有されて然るべきだった。
けれどそんな私の考えはエルドとバルディの賛同を得ることはなかった。
話は平行線のまま決着がつかず、ついにユダリアの不在が騒がれるようになって、私が折れなければならなかった。
ユダリアの裏切りは伏せられることになった。
あの女の死は国王軍による暗殺とされた。無念の死として人びとを勢いづける燃料に使われた。
この嘘は私が折れる代わりに出した条件だった。エルドとバルディははじめ、ユダリアの死を不運な事故として片付けようとしたが、私はそれではもったいない、と言った。
「ただの事故じゃ本当に士気が下がってしまう。ただでさえあの女は義勇軍に損害をもたらしたんだから、貴族への憎悪を煽る燃料くらいにはなってもらわないと」
私たちはこのやりとりを密書を通して行っていたが、エルドからの返答は、ごく短いものだった。
「君の言う通り、ユダリアの死は敵方の暗殺によるものとしよう。――――それにしても、君はずいぶん変わってしまったな」
エルドの字は、どこか悲し気に震えていた。
残酷だという自覚はある。いまの私には血も涙もない。
でもそれでいいのだ。
実際、いまのところすべては順調に進んでいる。
革命の成功まであと一歩のところまできた。王都以外の都市は義勇軍に占拠され、すでに国外へ逃亡した貴族も多い。
国王は近隣諸国へ応援を求めたが、相手にされなかった。
なぜなら世界は『天使の涙』による大混乱に陥っていたからだ。
諸外国では『悪魔の血』と呼ばれる茶葉は、やりなおす前の世界でそうだったように、世界中をその毒牙にかけていた。諸外国は連合を組み、茶葉の取引を禁ずる条約を締結した。茶葉の産出国はこれに反発し、非合法のルートを用いてなおも輸出を続けた。再三の勧告を無視する産出国に対し、連合は強硬手段を決意した。連合軍が組織され、産出国への侵攻は秒読みのところまできていた。
そんな折に、内乱鎮圧の要請を受ける国はない。どの国も自国に撒かれた茶葉を掃除するのに手いっぱいで、他国の火事に首をつっこんでいる余裕はない。
国王は窮地に立たされていた。
諸侯のほとんどは『天使の涙』漬けでまるで使い物にならない。彼らは目の前に迫る危機より、遠くの戦火に気を取られていた。
――――茶葉の産出国が侵攻にあったら、『天使の涙』はどうなるのか。
彼らの頭にあるのはそれだけだった。
「なにも心配いりませんわ」
そう言って、私は怯える中毒者たちを優しくなだめてやった。
――――『天使の涙』には十分な在庫がある。侵攻にあっても、茶畑がすべて焼き払われるわけではない。連合国は茶葉の廃絶を訴えているが、本当は茶葉を独占しようとしているだけだ。そして私は彼らの中にもパイプがあるので、なにがあろうとも『天使の涙』の供給が途絶えることはありえない、と。
すべてでまかせだった。やりなおす前の世界でそうだったように、産出国は滅ぼされ、同時に茶葉も根絶される。闇のルートで取引されることはあれど、ごく少量で値段も桁違いになるはずだ。
貴族たちは私の嘘を、根拠のないその甘言を鵜呑みにして、『天使の涙』をすすった。
王政が転覆寸前であることにも、己の地位が風前の灯であることにも、屋敷がいままさに襲撃されていることにも気づかずに、ただ天使がもたらす瞬きの快楽に耽り続ける。
革命の成就は目前だった。
私はもうすぐ、悲願を叶えることができる。
四人で、生きて革命を果たすという悲願を。
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勢いがあるのは義勇軍だが、未だに国王軍との実力は拮抗していた。
義勇軍と正義軍は王都の城壁を挟んでにらみ合いにある状態が続いていた。散発的な衝突はすべて義勇軍の撤退に終わっている。小手調べの衝突ではあったが、地の利がある国王軍を前に義勇軍は手をこまねくばかりだった。
無理に押し入ることもできるが、城壁突破で消耗したあとで国王軍の本隊との衝突するのはあまりにも分が悪い。
――――突破口にかける。
――――決定打がほしい。
頭を悩ませたエルドとバルディは、兵糧攻めはどうかと考えた。現在城門前に一極集中させている兵力を分散させて城壁を囲み、補給路を断ち、王が降伏するのを待つという作戦だ。
考えはわかるが、そんなにうまくいくはずがない。
私は強く反対した。
義勇軍はしょせん烏合の衆だ。熱しやすく冷めやすい。勢いづくと歯止めが利かなくなる。
やり直す前の世界で、義勇軍は、一度は勝利を収めたものの勢いあまって追撃し、返り討ちにあうということが何度もあった。暴徒と化した人びとが守るべきはずの村に火をつけ、強姦、暴行を繰り返したという事例さえあった。
頭をきちんと押さえておかなければ、民衆は暴走する。バルドとエルディはそれがわからず、やりなおす前の世界で、兵の消耗、分断を許してしまった。
同じ轍は踏ませない。
義勇軍の強みは群であることだ。国王軍に勝るのは数だけだ。それをふいにするような作戦は受け入れられない。
それに王都側はすでに籠城戦を余儀なくされている。王都以外の都市を占拠されている状態で、外国からの支援も見込めないとなると、そもそも彼らはどこに救援を求めることもできないのだ。物資の補給さえ困難な現状は、すでに兵糧攻めの状態にあるといって過言ではない。
なにか特別な作戦を立てる必要はない。
このままにらみ合いを続け、相手を消耗させることが、最も確実な勝利への道だ。
むしろなにか下手な行動を起こせば、一気に形成は逆転してしまう。臆病な王侯貴族の命により、国王軍は攻勢に出られずにいるが、彼らが本気で義勇軍を攻撃にかかれば、しょせん烏合の衆である義勇軍は瞬く間に瓦解してしまうだろう。なにか熱狂にかられていればまた結果は異なるかもしれないが、例えば夜半、多くの人が寝入っている時間に大攻勢を受ければ、ふいをつかれた人びとは動転し、武器も志も放り出して逃げ惑ってしまうだろう。
座して待つ。
それが唯一絶対の確実な勝利への道だった。
エルドとバルディはそんな私の見解を概ね受け入れたが、拭いきれない懸念を抱えていた。
――――本当に外国からの支援はないのか?
――――義勇軍の及ばぬ城壁のどこかから、王侯貴族は逃げ出すのではないのか?
――――王都を捨て別の場所で体制を立て直されてしまうのではないか?
なにより長期戦になれば、こちらにも不利が生じる。義勇軍とて物資は限られている。本来土に振るうべき鍬を王都へ向けているのだ。国内の生産力は革命運動が本格化した半年足らずで激減した。早期に決着をつけなければ、革命を果たせたとしても、国としての体制を保つことができなくなってしまう。
滅亡か。
他国に隷属するか。
そうなれば本末転倒だ。
二人の懸念は真っ当だが、私はそれらをすべてありえないことだと確信していた。
エルドとバルディは知らないのだ。
王侯貴族たちがいかに『天使の涙』に蝕まれているか。
そして私がすでにあらゆる可能性を潰しているということを。
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『天使の涙』が規制される外国に貴族たちは決して向かわない。エルドとバルディが想像しているより、『天使の涙』依存はずっと深刻だ。彼らはもはや『天使の涙』なしには生きていけない。『天使の涙』さえあればあとはどうなろうとかまわないと思っている。というより、正確には、考えられなくなっている。
『天使の涙』は想像力を奪う。中毒者たちはみな、目先の快楽を追い求めることしかできない。
彼らは王都の邸宅で、義勇軍に追い詰められたいまもなお、放蕩に耽っている。かつてなく中毒者が増えているのは、単に危機的な状況にあるからというだけでなく、私が他に取引相手のいなくなった茶葉を産出国から安く買いあげ、破格の値段でたたき売りしているからだった。
『天使の涙』の市場価値は下落したが、しかし革命の終盤にあって、茶葉にもはや価値は必要なかった。これまで私は、民衆の手に茶葉が届くことのないよう、厳密な価格調整を行ってきた。民衆の手の届かない高級品であれば、庶民に茶葉が出回ることはない。重税と圧制の中で、『天使の涙』というまやかしの快楽を求めていたのは、むしろ民衆の方だっただろう。だからこそ私は『天使の涙』を徹底管理した。『天使の涙』はおそらく、革命運動よりもずっと民衆の心を虜にし、離さなかっただろうから。
しかし革命が目前に迫った今、民衆の熱が最高潮に達している今なら、『天使の涙』もさほどの広まりを見せない。私はそう考え、身分に問わず売れるものにはすべて『天使の涙』を売りさばくよう夫に指示した。
夫は説明を求めた。『天使の涙』に全身侵された身であっても、さすがにこの急な方針転換には疑念を抱いたようだった。私は逃亡資金を集めるためだ、と夫にうそぶいた。
「外国に『天使の涙』を持ち出すことはできない。だから在庫をすべて売り払って、少しでも身銭を増やすのよ」
しかし夫はこれを拒否した。『天使の涙』に毒されている夫は、他の多くの貴族と同じように、『天使の涙』の禁止される外国への逃亡を嫌がった。
私は夫を説得した。外国で非合法に嗜めばいい。表向きは廃絶を謳っているが、その実、裏での取引は変わらず続けられている。難民として外国に受け入れられるためには潔白でなければならないが、外国に落ち着いたあとでなら、いくらでもまた楽しむことができる。
そんな私の言い分を、夫はほどなく飲み込んだ。
「わかった。すべて君の言う通りにしよう」
夫は私を信頼しきっていた。
「これまでも君の言う通りにして間違いだったことはない。今回もきっとそうなんだろう」
夫は私に指示された通り、茶葉を売りさばいた。
貴族に、兵士に、商人に、農民に。ときにはただ同然でばら撒くこともあった。
今では王都のどこを歩いても、『天使の涙』特有の甘い香りが漂ってくる。さすがに規律ある国王軍にはなかなか浸透しなかったが、しかし徐々に腐敗は進んでいる。敵とにらみ合いを続ける緊張状態は、そう長く保てるものではない。疲弊した心身に、『天使の涙』はよく染み渡る。激励という名目で献上された大量の茶葉を前に、心を惑わされない兵士はいない。
軍の瓦解は間もなくだと、私は確信していた。だからこそエルドたちの反対を押しきって、義勇軍に待ったをかけたのだ。
そして私は同時に、王都側にも待ったをかけていた。
『天使の涙』が国王軍を完全に侵食するまで、攻勢に転じさせるわけにはいかない。
私は少しでも時間を稼ぐため、存在しない援軍の存在を王に仄めかした。




