第十二話『報い』
「私の村に税の取り立てに来ていたのは、彼の率いる部隊でした」
ユダリアは淡々と、けれど地の底から響くような低い声で語った。
「彼らはすべてを奪っていきました。家の中に押し入り、今日食べる分の小麦まで根こそぎ奪っていきました。それでも足りないと住民を捕え、労働力として連行していきました。おかしいですよね。かつて貴族の手先として農民を虐げていた男が、いまは革命の最前線で英雄として称賛されているなんて」
「筋違いよ」
私は思わず口を挟む。
「バルディは命令されてやっていた。略奪は彼の本意ではなかった。それに彼はそれをしていた自分を恥じているからこそ、いま最も危険な最前線に立ち続けている」
「じゃあ私は誰を恨むべきだったんですか?」
「彼に命令した貴族を恨みなさい。貴族の横暴を容認する王を憎みなさい。貴方が相手にすべきはこの歪んだ社会そのものよ!」
私の激昂をユダリアはものともせず、ただ薄く笑うだけだった。
「そんな抽象的なものを相手にしろと言われても困ります。事実として私の弟に手縄をかけたのはバルドリックです。革命運動に参加するようになって、彼の人となりは十分理解しました。とても真面目で親切な人。情に厚くて、人のためにわが身を粉にすることを厭わない人。英傑とは彼のような人のことを言うのでしょう」
「それを知ってなおも憎んだというの?」
「それを知ったからなお憎んだんですよ」
どうしてもっと早く行動してくれなかったのかと、ユダリアは言った。
バルディがもっと早く軍に見切りをつけていれば。革命運動がもっとはやく始められていたら。自分の家族が離散するようなことにはならなかったのに。ユダリアは革命運動に従事しながら、その思いを膨らませていったという。
「革命が成功しても、私の家族はもうもとには戻りません。私の身体が名前も知らないたくさんの男に犯されたことも、なかったことにはならない。私だけがいつまでも不幸なままなんて、それこそ理不尽です」
ユダリアの憎悪に揺れる瞳から、大粒の涙が一滴こぼれる。
それは頬を伝うこともなく、冷たい床に落ちる。
びちゃっ。
一粒の涙が落ちたにしては大きすぎる音が響く。床にできた染みも大きく、まるで血のように黒々としている。
「情報を売ったのは金のためじゃありません。革命を失敗させるためです」
私は懐から短剣を取り出す。
ユダリアはすべてを受け入れたかのように、その場に跪く。
「神が見放したのは私だけじゃありません。神はこの世界すべてを見放しています。そうでなければこんな理不尽が平然とまかり通るはずありません」
「神は世界を見放してなどいない」
ユダリアは笑う。バルディによく向けていた、あの朗らかな笑みで。
「こんな世界滅んでしまえばいいんです」
私は勢いをつけ、ユダリアの胸をひと突きする。
血が噴き出す。熱い。私はたまらずユダリアを突き飛ばす。その拍子に胸から剣が抜け、ますます血があふれ出す。
暗い聖堂に、黒い染みが広がっていく。いくつかの窓から月の明りが差し込んでいるが、私たちの立つ場所は暗闇に沈んでいる。
「神様が見放したのは貴方だけよ」
私はユダリアの誤りを訂正する。
「なぜなら神様は世界を救うために、私をここに立たせているのだから」
ユダリアは喘鳴を繰り返しながら、私を睨む。
私は床に落ちた剣を拾い上げ、スカートのすそで、刃に付着した血を拭いとる。
「それからもうひとつ。貴方は貴族や王を抽象的な存在だと言ったわね。姿形が見えないから、命令を下したそいつらではなく、命令を実行したバルディを恨んだ、と。でもそれなら、今日から恨むのはバルディじゃなくて私にしなさい」
私はユダリアを睥睨する。
笑ってやろうとしたが、しかし口角はうまくあがらず、泣き顔のように歪むだけだった。
「貴族たちが税の取り立てに躍起になったのは、『天使の涙』に溺れたから。そしてその『天使の涙』を貴族社会に蔓延させたのは――――この私よ」
神様も、バルディも、誰かに恨まれることなんてあってはならない。
この女は憎しみの矛先を誤った。
だから神に見捨てられ、私にその罪を裁かれることとなった。
ただ死ぬだけでは済まさない。
この女にどんな事情があろうとも、義勇軍を裏切ったことには変わりない。
やりなおす前の世界だって、こいつの裏切りがなければ、三人が処刑されるような事態は防げたかもしれない。
許してはならないのだ。
三人がそうだったように、私がそうだったように、この女は絶望の中で死ななければならなのだ。
「私は革命を成功させるために『天使の涙』を蔓延させたの。その中で犠牲が出ることはもちろん承知の上で」
「あ……なた……が……」
ユダリアは私に手を伸ばす。
私はそれを力の限り踏みつける。
ユダリアは声にならない悲鳴をあげる。
「愚かな女。義勇軍の情報を売って、革命を頓挫させようだなんて。危うく家族の死が無駄になるところだったわよ」
「……っ」
ユダリアはもはや声をあげることもできない。
でもユダリアがなにを言おうとしているのかはなんとなくわかる。
――――私の家族が受けた仕打ちは革命のための犠牲だったと?ふざけるな!そんなこと、受け入れられるはずがない!
口が利けたなら、ユダリアはきっとそう喚いていただろう。
ふと、私は背後を振り返る。
天井から吊るされた十字架は、窓から差し込む月明かりを受けて鈍く光っている。
もし、あの日の私のように、ユダリアがやりなおしを願ったら、神様はそれを叶えるだろうか。
ユダリアはやりなおした世界でなにをするだろうか。
それはきっと、私の願いとは相反する世界だ。
私は倒れ伏すユダリアに視線を戻す。虫の息のユダリアは、それでも鋭い眼光を失っていない。
彼女の目線は私に向けられているが、彼女が見ているのは私ではない。
私の後方に吊るされた十字架だ。
(まずい)
私は短剣を振りかざす。
ふいに、光が差す。
「――――なにをやっているんだ!?」
開け放たれた聖堂の扉。
そこには、エルドとエリナ、そしてバルディの三人が立っていた。
「ユダリア!」
エリナは悲鳴をあげてその場に崩れ落ちる。
バルディはユダリアを抱きかかえる。
エルドは私の手から短剣を奪い取る。
「ヴェラ……!?君がやったのか!?いったいどうしてこんな……!」
私は何も言わず、ユダリアを抱きかかえるバルディを見つめる。
バルディが私を見る目は、驚きと恐怖に見開かれている。
それもそうだろう。月明かりのもと露わになった私の姿は、全身ユダリアの血に染まっていたから。
ユダリアの血は、思ったよりもずっと鮮やかな赤色をしていた。暗闇の中では、ただの黒い染みにしか見えなかったのに。
「――――てん、し」
ユダリアは喉の奥で血をゴロゴロと鳴らしながらつぶやいた。
「ぜんぶ、この女が……」
ユダリアは震える指で私を指さす。
三人の視線が、一斉に私に向けられる。
「ぜんぶ、この女が、仕組んだ……」
「もう喋るな!」
バルディはユダリアの胸を必死で押さえつける。
出血量を考えれば、もう救いようがないことは明らかだ。
それなのに、バルディはユダリアに縋りつく。
ユダリアはしかしそんなバルディに目もくれない。
ただ私見開かれた瞳を、いまにも飛び出しそうな眼球を、まっすぐ私に向けている。
「許さない。お前は……お前の方が、裏切り者だ……」
ユダリアは絶命する。
その瞳は、死後もなお憎悪に燃えていた。
そして私を捉えて離さないままだった。
「いったいどういうことなんだ!?」
エルドが私の肩をつかみ、大きく揺さぶる。
「君がやったのか!?なぜユダリアを――――」
「義勇軍を裏切ったからよ」
すでにエリナから聞き及んでいたのだろう。
ユダリアの裏切りを聞いても、エルドはさほど動揺しなかった。彼はむしろ、なぜ私が彼女を殺したのか、それが理解できないようだった。
「なぜまず僕たちに知らせなかったんだ!?」
「内密に処理するつもりだったの。内通者がいたなんて知れたら、義勇軍の指揮に関わるでしょうから」
「内密にするにしても、僕らには相談するべきだろう」
「でも貴方たちじゃきっとこの女を殺せなかったわ」
私の言葉に、エルドははっきりとした不快感を示す。
「どういう意味だ?僕たちがそんな意気地なしだとでも?」
「そんなことは思ってない。でも私は、この女が内通者であるという確かな証拠を持っていない。エルドは私の情報だけを頼りに、この女を殺す決断ができた?きっと無理よね?貴方は誰よりも正しい人だから。私の証言だけではきっとこの女を殺せなかった」
エルドはしばらく考えて、そうだな、と頷いた。
「確たる証拠もないのに、仲間を裁くことはできない。それこそ指揮に関わることだ。しかしいきなり殺さなくても、他にできることはいくらでもあった。君の一言で誰かを処刑することはできないが、君が言うなら僕は彼女を容疑者として扱ったよ。ユダリアを戦線から外すか、どこかへ軟禁するという処置をとったよ。それなのに……」
エルドは頭を抱えた。
消え入りそうな声で、彼女は本当に裏切っていたのか?と呻いた。
「確かよ」
「……わかった」
エルドはそれ以上なにも訊かなかった。
代わりに私が訊いた。
「二人はどうしてここに?」
「妙だと思ったんだ。ユダリアは野営地を離れる前、僕たちに許可をとりにきた。事情が事情なだけに、すぐに行けと背を押したが、しかし改めてエリナから送られてきたという手紙を読むと、弟が見つかったからすぐに来てほしい、というだけで、その他の詳細はなにも書かれていない。エリナなら、どこでどのように見つけたのか、元気でいるのか、そういう詳細を書くはずだ」
けれどその手紙はいやに簡素だった。弟が見つかったことを喜ぶ言葉や、ユダリアに対する励ましの言葉ひとつ書かれていない。エリナの手紙にしてはあまりにも素気がなかった。
当然だろう。すべてが嘘なのだから。
そしてエリナはなによりも嘘をつくことが不得手なのだから。
「筆跡は間違いなくエリナのものだったから、もしかしたらユダリアの弟になにかあったんじゃないかと思って……」
エルドは歯切れ悪く続ける。
「ユダリアは義勇軍の中でも顔役だ。皆に慕われている、バルディと並ぶ精神的支柱だった。彼女には酷だが、例え弟の身になにがあろうとも、いま戦線を離れさせるわけにはいかなかった。だから……」
「無理にでも連れ戻そうとした、というわけね」
エルドは目を見開いたまま動かないユダリアから目を逸らし、首肯する。
「でもいくら精神的支柱といったって、裏切り者を連れ帰るわけにはいかないでしょう?その女は義勇軍を売ったのよ。雀の涙みたいなはした金のために――――」
「やめてくれ!」
叫んだのはバルディだった。
彼はユダリアの骸を抱きかかえたまま、唸るように言った。
「もうわかった。もうわかったから、それ以上なにも言わないでくれ……!」
「……そう」
私は言われた通り閉口した。
誰もなにも言わなかった。
エルドは拳を握って俯き、バルディは見開かれたままだったユダリアの瞼をそっと伏せてやり、エリナは呆然と座り込んだままだった。
誰もなにも言わなかったし、誰も私を見なかった。
でもそれでよかった、と思う。
ついさっきまで鮮やかな赤色をしていた血は、今ではすっかり乾いて、褪せた錆色に変色している。
鏡を見ずともわかる。錆にまみれたいまの私はとても醜い。だから三人が私に目を向けなくてよかった、と思う。
よかったと、と思うのに、しかしなぜか、ひどく胸が痛んだ。
私は誤って自分の心臓も刺してしまったのだろうか?
胸に傷はない。私はそれでも痛みに耐えきれず、音もなく落涙する。
ユダリアの死を悼む三人は、やはり私に目を向けない。
当然、私の涙にも、気づくことはない。




