case3.台風の目
コウの心には、後悔という錘がぶら下がっていた。『無関係なのに』『死にたくない』。消しきれず、目をつぶるには大きすぎるその錘を必死に見ないふりをしてコウは歩を進める。恐怖はなにも悪いことばかりではない。それは、自らの力を超えるものから自分を守ってくれるからだ。
(……ッ!来るっ!)
そう直感で感じるが早いか、近くの物陰に隠れ、恐怖のせいか冷たくなった空気を吸い込まないようにして化け物をやり過ごす。そうやって少しずつではあるが歩を進めていくのだ。見えないゴールに揺らぎそうになる己の心と戦いながら。
(こんなに化け物だらけなんじゃ、あの人も動けてないかも……。)
「……よし、建物の中も探してみよう。」
もはや、次なる行動を口に出し、自分に言い聞かせる必要があるほどコウは憔悴しきっていた。
「まずは……、あそこだ。一番目立ってるしそんなに崩落してない。隠れやすいんじゃなっ……!」
そんな独り言も、化け物が現れれば止めざるを得ない。そうやって何度も死ぬ気で隠れながらあの日を逃げ延びたし、今日だって同じことだ。ただあの日と違うのは、守りたいのが自分ではなく誰かの命という点だった。もちろん、自分の命だって失いたくはないが。
(ふぅ……、ふぅ。よし、今ならっ。)
周りに化け物がいないことを確認してコウは音を立てないよう細心の注意を払いつつ、小走りで目を付けたショッピングモールだったであろう建物に転がり込む。そして、なるべく狭い場所を選んで彼女を探す。
往日の商業施設だけあってその広さはかなりのものだし、崩落が少ないとは言っても柱などが所々崩れ落ちていて見通しはお世辞にもいいとは言えない。そんな場所での人探しは難航するだろうと容易に想像できた。
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女は、やはり焦っていた。またもや自分の想定外の事象が起こってしまったからだ。まず第一に、少年が一向に見つからない。直近の死の痕跡もない。周りには崩れたが瓦礫ばかりで、人がいそうな場所はない。転移装置の説明を受けたとき、地形の中に埋め込まれることはないと言われていたので、どこか瓦礫の山の中にいる可能性もなかった。
そして第二に、ここは肌寒い。だから何だという話かもしれないが、今は春の終わりがけ。つまり夏前の、暑さが始まろうとしている時分。現に、サイトJの気温はそれなりに暖かかった。
それが急にこの肌寒さ、いくら日が落ちかけだといってもそれを理由にできる程度ではない。はじめは、雨でも降るのかと空を見上げた。しかしそこには雲一つない。故に、女はある一つの最悪な結論にたどり着いた。
別のサイトに移動している。
だが依然化け物には遭遇する。つまり、ここが禁函区域の中であるにも関わらずどの方角に一番近い出口があるのかもわからず、そもそもここが外周部である保証もないのだ。ここで取れる選択肢は一つしかない。
それ即ち、装置のクールタイムが明けるまで化け物から生き延び、その装置を以って帰還するという選択肢だ。生還の難易度は跳ね上がったが、やってできないこともない。
(私、戦闘力皆無ってわけでもないし。)
そして、当初の行動目的も変える予定はなかった。あの少年を探すというのは続行するつもりだ。とはいえ、その目的はもっぱら死を見届ける、というものだった。戦闘力もないであろうあの少年が生き残れるはずはない。
外周部であれば化け物に遭遇しないという可能性もあったが、どことも知れないこの場所ではそれも厳しいだろう。それでも探すのは、自分の中でけじめをつけるために他ならなかった。
(いくらなんでもここがどういうところなのかは知っているはず。なら、きっとどこかに隠れる。崩れてるところなんかには入れないだろうし……、きっとあそこね。)
そうして女は、ショッピングモールであったらしき建物を目指して歩を進める。もし別の方向に移動していたら、もし路上で殺されていたりしたら、見つけるのは困難を極めるだろう。女は、自分ができそうなことの範囲をよくわきまえていた。
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そして話はコウに戻る。コウは、今いる建物の周囲にあれだけ多かった化け物たちがショッピングモールの中にはあまり多くないことを不思議に思っていた。
「何でここまで少ないんだろう……。」
確かに、物は散乱しているし、何かが引きずられたような跡も多くさらに言えば何かがぶつかって折れたような柱も多い。壁や天井が抜けているところもある。
それなのに、まるで家主が出掛けた後の家のように静まり返っていた。
こうしてしばらく捜索を続け、残されたのは食料品コーナーと中央のホール部分だけとなった。コウは頭の中で食料品コーナーは除外する。この元商業施設の中ではあまり化け物に遭遇しない。つまり、隠れる場所はあまり限定されていない。
要するに、そんな状態であんな異臭のするような場所にわざわざ隠れるはずがない。他の場所で異臭がしないというわけではないが、あそこは突出していた。故に消去法で吹き抜けになっている中央ホール部分ということになるのだが、そこも可能性は低かった。
それでも、食料品コーナーを調べるよりかはマシだし、特に見たくない理由もないので一応確認しておくことにする。壁やら柱やらなんやらで隠れていた中央ホールに何とか瓦礫をよけつつ向かったコウは、そこで息をのむことになった。
「あれ……は……。」
汚れてはいるものの、不自然なほど破壊の痕跡がない中央ホールの中心に、”それ”はあった。抜けた天井から光が差し込み、スポットライトのような神秘的ともいえる光に照らし出された”それ”。神秘的な光と対照的にあまりにも不気味な”それ”は、この世の物であるようには到底見えなかった。
コウは”それ”に対応するであろう存在を一つしか知らない。今日受けた授業を思い出す。まさに”それ”こそが【禁函】だと、直感が、本能が、理性が、自分のすべてが主張していた。
教師は、そして教科書は言った。
『【函】の蓋を閉じることで、人類はこの未曽有の災害を鎮圧してきました。そしてそれは、【禁函】であっても変わらないのではないかと言われています。』
「閉じないと。」
瞬間、コウの中に亡くなった父や母、そして今も行方不明者リストに名を連ねる古き級友を思い出す。それは、単なる回顧かもしれなかったし、あるいは走馬灯なのかもしれなかった。
「終わりに、しないと。」
それは、責任のような義務のような、権利のような資格のような、そして何よりコウの強い意思だった。
止まっていた心は、動き出す。止まっていた時は、動き出す。止まっていた足は、動き出す。
足がもつれそうになりながら、転びそうになりながら。不格好なその走り姿は、今までのコウの人生や、その心を映しているようだった。
それは、あっけなかった。
コウからあらゆるものを奪い、壊した現象は、あっけなく終わりを告げた。きっと。
蓋は、閉じられた。
(これで……終わり……。)
ふっと、全身から力が抜けていくのが分かった。
あまりにもあっけない終わりに、様々な感情が渦巻く。喜び、怒り、悲しみ、困惑、動揺、疑念。それらを処理できずにしゃがんで蓋を閉じた姿勢のままぼーっとしているときだった。
「それを……渡しなさい。」
誰もいないはずのこの場所で、他に誰もいないからこそよく通ったその声。反射的に振り向いたコウの目に映ったのは……。
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女は、衝撃的な場面に遭遇した。あたりを付けた元ショッピングモール。結果としてそれは当たりだった。そして、驚くべきことに少年は生きていた。
ただ、そんなことはどうでもよくなるようなことが起こっていた。女が目にした一番衝撃的なもの。
(【禁……函】!?!?)
ありえない。ありえないはずだった。ここは間違いなく禁函区域。その中でここまで存在感を放っている箱状のものが、【禁函】でなくて何なのか。
聞いた話では、一つの災害区域には一つの【函】しか存在しないと言われているらしい。この理論こそが、先の推定の根拠だ。
しかし、人類がその社会性とそれに基づく団結力を以てしても到達することができなかった、【禁函】のありかに、こんなに簡単にたどり着くことができるなど常識的に考えておかしい。
しかし今の状況はその”ありえない”を否定している。どうしても、それは【禁函】にしか見えなかった。
そして彼女は、どうしてもそれを手に入れる必要があるのだ。
女は知っている。一度、一心同体となった【函】とボックスキャスターは、その組み合わせを変えることはないと。
ただそれも、何度か聞かされた程度であり、これほど急な展開において思い出せるほど身に染みた知識ではない。
彼女にとって【禁函】を見過ごすことは――そういわれたことはないけれど――命がかかっていることと言えるのだ。
どうしても手に入れる必要があった。だから言った。
「それを……渡しなさい。」
自分でも、その先を考えていたわけではない。ただ口をついて出た言葉だったが、それと同じくらい早く体も動いた。
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振り返ったコウの目に映ったのは、探していた少女だった。しかし、その邂逅は最悪に最も近い形で訪れることとなった。
というのも、少女は、険しい顔でこちらを見ていた。少なくとも、コウとしてはこちらに敵意を向けているようにしか見えない。
そして、彼女は何かを渡せと言っている。突然のことだったので、何をだろう、と一瞬困惑する。だが、今自分が持っているものなど通学用に背負っている鞄か、この手に持つ禍々しい箱のみ。
当然急にこんな場所で通学鞄を奪おうとするはずもないので、この箱のことだろうと思い至る。
どうしても、渡す気にはなれない。コウにとってこれはすべての元凶で、人生全部の仇のようなものだ。決着は、自分でつけたかった。それに、こんなものを必死に欲しがる理由にいいものがあるとは思わなかったからだ。
「……どうして、ですか?」
「どうしても、よ。」
「…………渡せません。」
もはや、交渉は決裂した。少女は慎重に、だが確実にこちらに近づいてくる。コウが逃げるために立ち上がろうとしたとき。
地響きのようなにぶい音が少しずつ近づいてくるのが分かった。少女も、歩を止めてあたりを警戒するように見回す。だが、コウの持つものが優先だと判断したようで、こちらに走り出した。
そんな一連の動きの間に、音はどんどん大きくなっている。
すると突然、何かが壊されるけたたましい音とともに、土煙が視界を覆った。それも一瞬のことで、何か大きなものが落下した音とともに突風が吹き、土煙を払う。
驚いて耳を覆い目を閉じていたコウが顔を上げると、先ほど少女がいた場所に、あの化け物がいた。
少女が思った通り、ここは禁函区域外周部ではない。化け物が少なかった理由。それは、誰も知らないことだ。ここは、禁函区域の中心、いわゆる台風の目のような場所である。
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