case2.禁函区域
いくら禁函区域の中だとはいっても、入ってすぐの外周区域は比較的安全である。災害発生直後はそうでもなかったが、ここの禁函区域の特性上被害が禁函周囲に近づくほど大きくなるのだ。
(あのっ、化け物たちはっ、この辺にはっ、今っ、いないのかっ……。)
息切れしながらコウはそう思う。そろそろ、全力疾走はできなくなりペースを落とす。禁函にはそれぞれ特色がある、それが今日知った知識だった。そして、コウが嫌になるほど知っているこの禁函区域に発生した災害は、『悍ましい怪物が現れる』というものだ。その怪物は見境なく周りの生物を襲い、ある者は潰され、ある者は引きちぎられ、またある者は食われた。
コウは、両親がどのように死んだのかは知らない。知りたくもない。ただ、逃げるコウの背後で、怪物たちに殺されたことだけを知っている。コウが逃げ切ることができたのはまだ体が小さく、崩れた建物の間をすり抜け、怪物から身を隠し、そしてなにより逃げる方向や怪物の動きがコウにとって幸運に働いたからである。
そんなことを思い出しながら所々が崩れ落ちた街並みを横目に、前のほうでかすかに見える少女の背中を追うことしばらく。相手も追われていることに気づいているようだが、特に撒かれることもなくついていけている。ふと、少女はその足を止めたのに気づく。とくに運動が得意なわけでも鍛えているわけでもないコウは、助かったとばかりに走るのをやめて歩きにシフトした。
(……どう、声をかけよう……。)
衝動で飛び出したはいいものの、コウはその先を考えていなかった。そして、今さら思い出したことだが彼女は警察に、それもボックスキャスター部隊に追われていたのだ。下手に刺激するわけにはいかない、と思った。とにかく、ここから出るように言わなければ。そう思った時だった。彼女に動きがあった。鞄から再び何かを取り出した。今度は先ほどの箱状の何かとは違い、武骨なスマホのようなものと、USBのようなものだった。それらを繋いだのが見えたとたん、違和感。
「なっ……!」
突然視界にノイズが走り、地に足がつく感覚がなくなる。あまりに急な異常現象に、コウは気を失った。
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「うっ……うん……?」
意識が回復し、徐々に頭が回るようになってくる。
(……あのゲートをくぐって……ここはその中……。)
(……その中……その中!?)
はっと気づく。ここが禁函区域であることを思い出したコウは、背筋が冷たくなるのを感じた。それから、恐る恐る周りを見渡そうとしてここが瓦礫の山の中であることに気がついた。鉄骨やらいろいろなものが積み重なっていてその隙間から申し訳程度に光が差し込んでいる。
硬いところで気を失っていたせいで身体中が少し痛むが、それ以外に目立った痛みはなかった。そのことにほっと胸を撫で下ろす。
(あの人は……どうなったんだろう……。)
ひとまずここが安全だろうと判断したコウは、ここに来ることとなった原因について考えていた。自分よりいくつか歳上に見えたあの少女が取り出した何かしらの装置によって何かが起こったと考えるのが妥当だろう。そうコウは結論づけた。
(あれはあの人の持ち物だったわけだし……危険なことにはなってはないはず……だよね?)
彼女の持つあの装置が何を起こしたのかは分からないが、警察からあれだけ必死に――少なくともコウからすればそうだった――逃げていたのにここまで来てわざわざ自らを危険に晒すような行為はしないだろうと思われた。
(結構近づけてたし、まだ今も近くにいるかもしれない……。探してみようかな……。)
そう思って狭い瓦礫の隙間から出ようとしたとき、ある音が聞こえてきた。
何か柔らかいものが押しつぶされるような、どちゃ、という音。それに続く、何かを引きずるような音。
それは、瓦礫のような固いものだらけのこの場所ではありえない音。そして、明らかに生物的な音。コウは反射的に息をひそめ、恐る恐る音のする方の様子を瓦礫の隙間から伺った。
はっきり言ってそれは異形だった。辛うじて四足歩行であることがわかるものの、前肢は肥大し、後肢は退化して引きずられている。頭のような部分はなく、胸元には縦に裂けたような口がついていてびっしりと鋭い歯が生えそろっていた。そして指のない肥大した二本の前肢にはいたるところに眼球がついており、ぎょろぎょろと何かを探すように動いている。何より、それは肉塊どうしを無理やりつなげたような不自然な体がより不気味さを生んでいた。
しかし、コウにとってそれは決して馴染みのない怪物ではない。似たような化け物なら嫌になるほど見てきた。奴は、あの日あの時街を襲った怪物たちと同じような特徴、つまりは肉の塊としか言えないような体を持っていた。だが、コウが抱いたのは怒りや憎しみなどではない、純粋な恐怖だった。絶対的な抗いようのない力の前に、怒りや憎しみなどかき消されてしまった。
そうして恐怖に耐え、息をひそめること数分。短いはずのその時間はコウにとって永遠にも感じられた。どうやら、あの化け物はこちらに気づくことなくどこかに行ったようだ。しかし、その脳裏に焼き付く恐怖はいまだ消えない。ただ、こうなるだろうことなど想定内だ。それを覚悟であの少女の背を追ったのだ、そう自分に言い聞かせたコウは意を決して瓦礫の軽い部分を押しのけ、外に出る。
……今、彼の頭から『どうやって帰るか』『そもそも彼女を見つけてどうするのか』などという極めて理性的な思考は抜け落ちている。ただ、あの女性を死なせてはならない。そんな本能的な直感からの行動であった。そんな本能的な行動の最中において、脅威を無意識に避けようとするのはなんら不自然なことでない。それゆえ化け物の進行方向でなく、それとは真逆、化け物が現れた方に向かって歩を進めるというのは極めて自然なことだった。
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女は、何でもないように見えてかなり焦っていた。目標物を奪取する、ここまでは予定通り。セキュリティを欺ききれず『窃盗』が発覚、これは予定外なまでも想定通り。そして、女の知る中でも数少ないあの”ゲート”を力技で突破できる自分の力――否、自分の持つ函の力で禁函区域に入る、これもまあ最終手段とは言え凡そ想定通りといっていいだろう。最善からは程遠いものの、それでも自分が制御できる状況ではあった。
では、何が彼女を焦らせているのか。それは自分より数個は年下であろう少年のせいである。どういうわけか彼は、自分の後を追って禁函区域に入ってきた。重要なのは自分の後を追って、という点である。怖いもの見たさで禁函区域に入ってきた、とかならば――それでも十分理解しがたいが――まだよかった。だがどうやら、禁函区域に入ってしばらくたった後も、必死に自分の後をついてきていた。これで、残念ながら全面的にあの少年のせいにするというわけにもいかない。
そして何より、この件における関係者が増えるというのは如何とも受け入れ難い。
女は、国家権力に追い回されるほどの物を窃盗することになるくらい落ちぶれてはいるが、自分のせいな部分もある他人への危険に罪悪感を抱かないほど落ちてはいない。故に、焦って本来『本部』へ帰還する為に使うはずだった、短時間連続使用できない装置を咄嗟にあてずっぽうな座標へ向かって使用してしまった。
この装置はぶっちゃけてしまえば、というか簡単に言ってしまえば転移装置である。座標指定用のディスプレイデバイスに、起動用の端子を差し込むことでその本質を発揮する。ディスプレイに映った世界地図で行先をタップすれば、どんな場所でもひとっ飛びというなかなかにぶっ飛んだ代物である。
しかしこの装置、某どこにでも行くことのできるドアのような行き過ぎた利便性があるわけではない。まず、先ほどの通り連続使用はできない。どこでもひょいひょい連続で移動できるわけではないのだ。それから、装置の周囲20m四方の生物は問答無用で転移させられること。無関係の人や動物を巻き込む可能性があるのだ。そして、転移先の安全性は担保されていない。地中や水中、ありえない高高度に飛ばされることこそないものの、その先がたとえ閉じられていない函の影響下であろうが、危険なスラム街であろうが問答無用で転移できてしまうのだ。
そんな便利そうで不便なところもある大切な装置の操作をなぜ誤ってしまったのか。それは、あの少年が想像以上に近づいていたからだ。入ってすぐのあそこはまだ禁函の外周部だった。
(ここで転移してしまえば、なぜか私を追ってきてるあの子も諦めて引き返すはず。)
そう思って転移装置を起動しようとしたのだが、鞄の奥底から装置を取り出そうとしている間に、少年が圏内に入ろうとしていた。だからのっそりとした装置の起動時間にいら立ち、画面を連打してしまってこのざまである。しかも、最後に見た感じ、あの少年も巻き込まれてしまったようだった。
「この装置、履歴見れないし……。ここ、どこなのよ……。」
どこ、とは口に出しているものの、ここがまだ禁函区域の中であることはわかっていた。先ほど異形の化け物に遭遇したからだ。
(私が入ったのは【禁函・地獄門】の災害区域。その特徴と化け物に今さっき遭遇したことを合わせて考えれば、そんなに遠くに飛んだわけじゃなさそうね……。化け物もそんなに頻繁に遭うわけじゃないしそこまで大きくもない。まだ外周部なはず。)
そして、女は方位磁針を取り出す。こういう不慮の事態に陥った時、自分がどの方向に向かっているのかわからなくなるのは致命的なので、用意してあるのだ。
(私が入ったのは東からだから、東方向に……。こっちね。)
ふと、そこまで考えて、一度立ち止まる。
(……いえ。あの子のこと、ただ見捨てるのはいや。もう死んでるかもだけど、それがわかれば少なくとも……。)
「……ちょっと周りを捜索しよう。」
奇しくも、二人が動き出したのはほぼ同時であった。
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