case1.凶函現象
『いい?コウ。大きな箱みたいにいろんな人を受け入れてあげられる人になりなさい?』
『コウ、たくさんの考えを引き出せる大きな箱のような人間になるんだ。』
『『生きなさい。』』
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「……お母さん……お父さん……。」
また、あの日の夢を見た。五木 匣は、災害孤児だ。三年たってもまだ慣れることのない部屋で今日も目を覚ます。
三年前のあの日、人類、ひいては地球上のすべての生物は未曽有の大災害に見舞われた。後に「凶函現象」と呼ばれることになるその災害は、地球上の人口の半分以上を容易に奪い去った。当時11歳だったコウは、この災害によって両親を失った。それから間もなく、国が設置した災害孤児用の孤児院に引き取られることとなる。コウは、特に被害と範囲が大きかった五つの「禁函区域」のうちの一つから生還した数少ない生き残りだった。
そして、その災害が箱状である未知の何かが出現したことによって発生したことを知るのは、孤児院に引き取られてから約2ヶ月後のことだった。
匣を名に冠するコウにとって、それは何よりも残酷な事実だった。その日から、両親から残された唯一の祝福だったそれは一瞬で呪いと化した。幸い、奇跡的なことにコウが引き取られた孤児院には、それを理由に冷遇するような人間はいなかった。だが、それはここでだけであることはコウも幼いなりに理解していた。それからというもの、コウは名前の漢字をおいそれと他人に教えることはなくなった。
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サイトJ エリアAi 地獄門東地区国営孤児院
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コウが住む国営の孤児院では、三食が無償で提供されている。その時間は、朝7時、昼12時、夜18時。前日に申請した回の食事が提供されることになっている。ちなみに、昼食のみ、弁当に変更することも可能だ。
朝7時前、コウは着替えを済ませ自分の部屋から出て一階へ向かう。
「おはようございます……。」
「ああ、五木さん、おはようございます。」
孤児院のスタッフと朝の挨拶を交わし、食卓に着く。ここのスタッフと入居者は、いわば教師と生徒のような距離感だ。つまり、そこまで密接でなくかといって親身になってくれないわけでもない。コウはそれが、ありがたいと感じていた。
それにしても今日はやけに人が少ない。どうやら今日は早出の人が多いようだった。だがそれも、特に気にすることではない。ここの人は出自が出自であるため、入居者同士のコミュニティは狭く深くか、または全くないという場合が多い。コウは後者のパターンだった。三年前から塞ぎ込んでいたコウは、趣味に打ち込めるような元気もなかったため、それも一つの理由になっている。
そんなコウにとって、最近になって楽しみと思えることは、毎日の食事メニューだった。今日の朝食メニューはトーストと目玉焼き、それからカレー風味のコンソメスープだ。他はどうか知らないが、ここの孤児院は時たま少しマイナーなメニューが出ることもある。それがコウの楽しみにしている理由だ。
「……いただきます。」
三年間も規則正しい生活を送らされていれば慣れるもので、早寝早起きが習慣になってはいるが決してコウは朝に強いほうではない。ぼんやりとした頭のままで朝食を済ますと、共有の洗面台に向かい歯磨きを済ませて、出掛ける準備をし出発する。
コウは、心に傷を負った災害孤児を支援する制度のある通信制中学校に通っている。そこには生徒たちのトラウマを刺激しないよう、歴史の授業、特に凶函現象についての授業を延期することのできる制度がある。故にコウは今日が初めての凶函現象について教えられる授業だった。
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「今日は凶函現象についての授業ですが、途中で気分が悪くなってしまったらすぐに教えてください。その時は退出していただいて大丈夫です。」
教室に入り、出欠をとったあと、担当の先生はそう言った。今日は、学習指導要領において必修になっている凶函現象についての授業だが、精神上の理由で延期を申し込んでいる生徒たちの中で受講を決めた人のための授業であったため、先生の配慮もひとしおである。
「では、授業を始めます。起立……礼。」
「お願いします。」
「それでは、教科書の215ページを開いてください。」
それから、途中退室者がでることもなく、授業は続いた。三年前に起きた災害がどんなものだったかに始まり、災害の原因や災害区域と居住区域を分ける防護壁のことなどの説明が続いた。
まず、凶函現象は全世界の四か所に禁函が現れたことから始まる。禁函が現れ、超常的な災害が発生した地域は禁函区域と呼ばれた。それぞれ差異はありながらも多くの人命を奪った災害は、しかしその決まった範囲からは逸脱することはなかった。
そこまで聞いてコウは覚悟していたとはいえ、両親のことを思い出し、少し苦しくなった。もう少し範囲がずれていれば。そう思わずにはいられない。ただ、今日授業を受けると決めたのは自分だ。そう自分に言い聞かせた。
その後、同時多発的に全世界各地に禁函ほど大きくないものの、中規模の災害を発生させる函が出現し、多くの国がその被害によって壊滅。その災害から半年後、残った国家は国連会議の先導の元禁函対策世界連合、PWUを結成し、全世界の地域を「サイト」という地区に分類して地球全体の結束を図った。
それからさらに半年後に禁函、函による災害がある範囲から逸脱しないことを突き止めたPWUは、その境目に禁函区域を優先しながら防護壁を築くことを決定した。しかし、防護壁の建築や行方不明者の捜索と救助は難航し、誤って侵入してしまう者や取り残されている者は依然として残ったままだった。
(二次災害、か……。)
コウは、自分のような苦しみを今も生み出し続けているという話を聞いて、めまいがするようだった。
それからしばらく経つと、いくつかの災害区域内の災害が収束していることが判明、その原因は災害範囲内にある函の”蓋”が閉じられたことだった。函の蓋を閉じた人物をPWUの職員が尋ねると不可思議な事実が発覚する。それは、その地域で発生していた災害の特色に応じた”特殊能力”を得ている、ということだった。
彼らは函を再び開けることによって能力を制御することができ、PWUはその能力者たちにボックスキャスターと名付けた。それから一年間、函への研究が進む。その中で台頭してきた研究団体が「凶函学会」である。PWUは凶函学会への支援を決定し、協力して研究を進めていくことになる。
コウは、少し心に雲がかかるのを感じた。その特殊能力とやらが、人々に恩恵を与えていること。それは、受け入れがたいことに感じた。
しかし、協力研究体制ができてから一年、突如唯一禁函の影響がなかった凶函学会の本拠地がある南米に禁函が出現。生き延びて避難に成功した数人の研究者による研究成果のみを残して凶函学会は事実上の解体となる。PWUは南米にも防護壁を築くことを決定した。
南米を含む禁函区域周囲の優先されていた防護壁の建築は終了したものの、現在でもその他函による災害区域での行方不明者捜索活動と防護壁の建築は続けられている。
それで、授業は終わりだった。コウは、事態が改善どころか悪化していることに言いしれない悔しさと悲しさを感じ、重い足取りで帰路に就いた。
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「はっ、はっ、はっ、はっ……。」
夕暮れ時。路地裏に、高校生くらいの少女の息切れが響く。その後ろから、いくつかの足音と声が聞こえてきていた。
「待て!どこ行った!?」
「投降しろ!」
どうやらそ彼女は追われているようだった。しかし、後ろから声が聞こえてきてもその表情は真顔のまま変わらない。やがて走ること数分、薄暗い路地裏の先に光が差し込んできた。そのまま路地裏を抜けると、ちょうど帰宅ラッシュの人混みに飛び込むこととなった。
「どいてっ……!」
少女はその人混みをかき分けると、逃走を続ける。そのあとから続いて路地裏から出てきた数人の男は「警察だ!道を開けろ!」と叫ぶと、割れた人波を通って追跡を再開した。
男たちの背中にはAIPDと、その下に小さくBCと書かれており、禁函区域が近いこの都市でその意味を知らない者はほとんどいなかった。
「ボックスキャスター部隊……?」
偶然その場に居合わせたコウは、不思議に思った。ついさっき詳しく習ったばかりの、ボックスキャスター部隊をこの目で見ていることに戸惑いを隠せない。ボックスキャスター部隊は、その名の通りボックスキャスターで構成された組織だ。地域ごとの警察の一部隊という言い方はされているもののその実態は各サイト直属の組織である。禁函区域やその他函による災害区域の捜索や犯罪を犯したボックスキャスターの対応がほとんどの組織で、普段あまり街中で見かけることはないはずだった。
当然、そんなボックスキャスター部隊に追われている者が気になったコウが少女のほうを見ると、信じられない光景を見ることになった。
「っ!?そっちは……!」
禁函区域と居住区域を隔てる防護壁には、探索と行方不明者の捜索のためにボックスキャスター部隊が出入りするためのゲートが設置されている。当然普段は締め切られていて、開くはずはないのだが、どういうわけか逃走している少女はそのゲートに向かって一直線に走っていたのだ。
入れるはずがない。そう思うほどに、なぜか不安さがこみあげてくる。コウは凶函現象によって禁函区域の中で両親を亡くした。それゆえに、禁函区域に入ろうとしているようにしか見えない彼女の行動は、禁函区域の中を想像させトラウマを呼び起こさせるのには十分だった。
足が震え、その場から動けない。だが、目をそらすこともできなかった。ただ固唾を飲んでその少女の行く末を見守るしかなかった。彼女は、背負っていた鞄から走りながら箱状に見える何かを取り出すと、それを振り上げ閂めがけて振り下ろした。
禁函区域への入り口は、ハッキング対策としてアナログな閂と鍵によって施錠されている。そのため、物理的な開錠方法、例えば閂を切断するなどにめっぽう弱かった。とはいえ簡単に切断されるようにはできていない。はずだった。
少女の持つ何かが一瞬強い光を放ったかと思うと、ゲートの閂はいとも簡単に溶断されてしまった。そのままの勢いで扉に体当たりし、押し開いて禁函区域に入ってしまう。彼女を追っていたボックスキャスター部隊も、事前準備や装備なしで禁函区域に入るようなことはしない。溶断され、人ひとり分くらいの隙間が開いたゲートの前で立ち尽くすしかなかった。
(あの人にも、帰りを待ってる人がいるのかな……。)
コウはふと、そんなことを考えてしまう。ついさっきまで、亡くなった両親のことを考えてしまっていたがゆえに、それは当然のことだった。コウにとって、彼女は全く見ず知らずの人。このまま孤児院に帰れば何も変わることのない明日がきっと続いていく。ボックスキャスターですらない自分が禁函区域に入っても死ぬだけだ。今は亡き両親に繋がれたこの命を無駄にするようなものだ。
だが。
それでも、目の前で死を見送ることになる。そんな気がして。何も変わらない明日など、迎えられるような気はしなくなっていた。
気づけば、動かなかった足は徐々に前へ前へと進みだしている。
「……通してっ……くださいっ……!」
人混みを抜け、ゲートめがけて走る。
「すみませんっ!」
そう誰にともなく謝りながら、ゲートの前で立ち尽くすボックスキャスター部隊の間をすり抜け。
「あっ!お前!」
そんな驚くような怒るような声を背中に、死地へと駆け込んでいった。
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