何も生み出せやしないんだ
大人になっていけばいくほどに、何もできなくなっていく僕ら。
宿題に追われていたあの頃が、どれほど満ち足りていたか。
時間に追われる今が、どれほど窮屈か。
子供だってできないし、誰かを養う金もない。
それを大人たちが不幸と呼ぶように。
あれほど忌み嫌っていた現代社会に、僕もまた同調せざるを得なかった。
何も生み出せないなら死んでしまえと、他でもない自分自身が一番に声を荒げる。
払えない年金に、納付猶予の申請をする自分の姿を想像してどれほど惨めに思ったか。
あの頃の僕が書きたかった物語は、こんなものじゃなかったはずなのに。
――――大人になっていけばいくほどに、現実を知り、自由な創作力を奪われていく。
たまの休日は、rpgの育成を気が済むまでやり込んで。
待ち合わせ時間の曖昧な友人と、たまにふらっとショッピングモールに行った。
フードコートで友人と食べたローストビーフは、なんだか大人の味がして、少し背伸びをしているだけの自分たちがいつもよりも偉く感じた。
あの頃は、ただそれだけのことでも、満ち足りていたんだ。
中身の無い世間話とは相容れぬような、好きなゲームの話なんかで何時間でも話していられた。
先生に敬語が使えるだけで、自分をすごく優秀な生徒だと思い込めた。
テストの点が平均点でも、親に叱られやしないから、それでもいいって思えたんだ。
だって僕には、【これ】があるからって。
学生の頃は、憧憬と妄想に全てを捧げた。
勉強なんかしなくたって、僕には才能があるからって。
書きなぐった初めてのライトノベルは、新人賞の第一選考で落ちた。
それがなんだという。
見る目がない奴らだと根拠もなくそう思った。
自らの未熟さを認めることも、他者の批評に納得することもできず。
これくらいの事で諦められるはずもないと思った。
あの頃はまだ、時間がたくさんあったから。
僕は学業すらも投げ出して、同級生たちが高校を受験する為に勉強する中、好きな事ばかりに時間を費やした。
――――その結果、僕は中卒という最終学歴をひっそりと片手で掲げるだけの、ただのフリーターになった。
ただ明確に、歩むべき道を見つけた僕は、みんなよりもずっと早く大人になれたのだと思っていたけれど。
本当の意味で、大人になるということを知ったときにはもう何もかもが手遅れだった。
きちんと大人の階段を上っていたのは僕じゃなく、あの時ずっとバカにしていた君達の方で。
僕は結局、この劣等感を他者を蔑むことでしかごまかせなかった。
僕はお前達とは違うのだ、と。
その違いが、自らが劣っているが故の違いであると。
そんなことにも、気づくことが出来なかった。
ずっとこの世界があざ笑っていたのは、ただその自らの惨めさにさえ気づけなかった、幼稚な僕の方だったのに。
あのとき置いてけぼりにされていたのは、ただ【頑張っている】と、そう錯覚していただけの、僕の方だったんだ。
16の夏。
夏休みのない初めての夏。
平日のバイトの時間は、いやに虚しかった。
だから楽しいことを無理矢理に考えて、時間を潰した。
休憩時間には、いつだって歯の浮くような妄想がはかどった。
現実の女の子と良い感じになったことすらない癖に、この世の誰よりも魅力的と思う空想の女性像を追い求めて、中身の無い恋愛話を何十万文字と書き綴った。
それはまるで、自分の分身と彼女たちが、本当に愛し合っていたかのように。
純粋だったあの頃は、それを現実と錯覚できた。
それを、僕はこの世の何よりも素晴らしいものだと思っていたんだ。
僕には才能がある。
だから、それを誰かに伝えたい。
――――全て、僕の勘違いだった。
僕の全力は、どこまでも独りよがりなものでしかなく。
こんな稚拙なだけの自己満足は、決して他人と共有できるものではないのだと。
そう言った文字の一つ一つが、僕に現実を見せつけた。
時が経つと共に色褪せたのは、そこに確かに存在していたものだけではなく。
僕が生み出してきた空想の世界の住人達は、みんなただのダッチワイフのようだと、そんな嫌な思考ばかりが脳裏に過ぎる様になっていった。
いくら目を反らそうとしても、反らすことなど出来ようはずもなく。
彼女達は今も僕の試金石となり、誰よりも僕に確かな現実を突きつけてきた。
愛していた彼女たちを、平気で貶す者達がいるということを、僕は知った。
頭ではわかっていても、認めたくなかった。
だけど、僕はずっと広い世界の中で知ってしまったんだ。
赤の他人にとって、僕の生み出してきたものは、そのすべからくがあたりまえのように無価値なものだと知ってしまった。
僕の好きなものを形にしただけのそれを、人は何かを生み出したとは言わないのだと。
そこで初めて気が付いた。
そんな幻想を追い求め続けていた僕の生き方は、どこまでも、どこまでも無意味なものだったのだと。
あの頃は、ただ、それでも幸せだったのに。
何の根拠も、意味もなく、それで間違いなどないと、自分は正しいのだと盲目的に信じられたのに。
それが、何よりも幸せな事だったのに。
日に日に減っていく預金通帳の残高に、僕はただ、顔を青ざめさせるばかりだった。
大人になっていけばいくほどに、何もできなくなっていく僕ら。
宿題に追われていたあの頃が、どれほど満ち足りていたか。
時間に追われる今が、どれほど窮屈か。
現実を知らなければ、大人にならなければ、金を稼げない。
子供のころ、何気ない日常を宝物のように思えていたのは、僕自身が金を稼いでいなかったからなのだとようやく気が付いた。
僕には誰かを養う金もない。
それを大人たちが不幸と呼ぶように。
あれほど忌み嫌っていた現代社会に、僕もまた同調せざるを得なかった。
ただ、昔は現実主義者だなんて冷たいだけだと。
生産性のない生き方を忌み嫌う、そんな大人にだけはなりたくなかった。
だけど僕には、現実から目を背けられるほどの能力はなくて。
現実を知らなければ、凡人の武器は手に入らないのに。
ただ、自らを天才なのだと言い繕い、自分を騙すことに意味などないのだと。
もっと、もっと早く気づいていれば。
そう悔やんでも、もう遅い。
時間の流れというものは、どうしてこんなにも残酷なものなのだろうか?
現実を知れば知るほどに、空想の中の自由すらも手に入らなくなっていく。
楽しいことが変わっていく。
悲しいことが変わっていく。
そんな当たり前のことに、創作する者達は苦しめられる。
気づけば少年の主人公を書くことが苦手になっていって。
売れない純文学ばかり書くようになっていって。
あの頃の僕が本気で恋したヒロインを、他でもない自分自身が黒く、黒く、その原型も思い出せぬほどに塗りつぶしてしまう。
自己満足では、何も生み出せやしないのだと。
誰かに影響を与えて初めて、何かを生み出したと言えるのだと。
大人になった僕が答えを出したその時に、僕は夢を描くのを辞めた。
僕は凡人だから、矛盾を覆せるほどの力が無かったのだと。
そう、自分にひたすらに言い聞かせて。
自己満足の欠片もないなら、そもそも自分の書きたいものにこだわる理由もないのだから。
自分の作品を愛せないことほどつらいことはないというのに、自分が好きなものは、一つとして生産性のあるものではなくて。
僕は見事に、生産性のないものを忌み嫌う、つまらない大人になった。
そんな僕は、もう何も生み出せやしないんだ。
生み出せないなら死んでしまえと、他でもない自分自身が一番に声を荒げる。
払えない年金に、納付猶予の申請をする自分の姿を想像してどれほど惨めに思ったか。
自分も、人も、僕から生み出すことを取り上げて。
みんな、揃ってこう言うのだ。
それが、大人になるということなのだと。
その瞬間、あれほど憧れていた大人という存在に、僕は強い憎しみを抱いた。
そして、今の僕がいる。
大層、皮肉な話だが。
子供だったあの頃は、幻想の中の楽しいを描き、それを仕事にするのが僕の夢だった。
大人になった今の僕は、現実の中の憎しみを描く、しがないプロの小説家だ。