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99.宴のあと(2)


 ユリウスはヴェローニカを抱き上げるとそのままスタスタと応接室を出た。

 いつもなら寝支度をするためにヘリガ達がついてくるのだが、今日は誰もついてこない。まだ応接室で話しているのだろう。先ほどの話を。



「……気にすることはないぞ、姫。…男とは、そういうものなのだ」

 なるべく平静な声でユリウスはそう言いながら、階段を上り始める。


「ふふ。気になどしていませんよ。それに……男とはそういうものだということも、すでに私は知っていますから。…私だって…それなりに男性経験はあるのですよ、ユリウス」

「ははっ。…そうか……そう、か」


 ヴェローニカが笑顔でからかうように言った言葉を笑い飛ばしたあと、ユリウスは何か独り言のように呟いた。「…それはそれで気になるところだな…」と。



 彼女の話し方には少し、その幼い外見に似合わず色気が漂っていたようにもユリウスには感じられた。

 ヴェローニカの心中は今それどころではなかったので、その呟きを聞き取ることはできなかったが。



 気にするなんて烏滸がましい。何故そんなことを私に言うのだ。こんな子供に。

 大人の恋愛など私には関係のないこと。

 こんな身体の私には。

 ヴェローニカはそう自分に言い聞かせていた。

 そう、言い聞かせる必要があったのだ。



「でも、良かったですね」

「…何がだ…?」

 その声にはまだ先ほど感じた妖艶な響きがあって、ユリウスは眉をひそめる。しかもそれが強まっている気がした。


「無理をされていないか心配だったのです。遊ぶ暇さえないほどに、忙しいのかと思っていました。…私に会えないほどに…。どうやらそれは、私の勘違いだったようです」


「…………」

 それは彼女には珍しく冷たい声だった。

 ユリウスは何も言わずに部屋に向かう。




◆◆◆◆◆◆




 いい女。美女。そんなふうに言うのなら、よほど美しい令嬢だったのね。

 いつものことなのか……

 あのエーリヒ様が待ち伏せしていた女性の手にキスをして…、その女性に抱きつかれて、嫌がる素振りもなくて…、だから今夜は戻らない。


 宴の帰りにそんなことがあるなんて、貴族の恋愛はなんだかロマンチックね。



 職務中は断るというエーリヒ様の性格をきちんと知っていて、その女性は外で待っていたんだ。

 彼に対する彼女の理解と配慮。

 それに対して彼の対応が手慣れているのは、彼が女性慣れしていて、二人は、今夜が初めてじゃないからか。



 いい女なら、誘われたら、行くものなんだ。…それが男という生き物か。

 プロイセで断ったのはきっと、領主の館だったからなのかもしれない。それに王太子の派閥だとも言っていた。

 …そうね。親がいる所ではさすがに手は出しづらいか。逃げられなくなるからね。



 意外に…エーリヒ様はちゃんと遊んでいるのね…

 いや、それは価値観が違うのか。

 彼も据え膳食わぬは何とやら、なのかしら。

 …気持ち悪い言葉だと嫌悪してたけど…それは私が女だからそう思うのね、きっと。


 でも……本当に男ってそうなのね。

 理知的な彼でさえそうなのなら、私も男に生まれていたら、そうだったのかもしれない。

 だから安易にその行為を否定はできない。



 私がもし男だったら……

 私は愛する人を一人に決めたい。

 愛する女性を守りたい。

 優しくしたい。

 笑顔が見たい。

 泣かせたくない。

 身も心も彼女に捧げたい。

 ずっと傍にいて欲しい。

 自分だけを、見ていて欲しい…

 それしかいらない。



 けれど、それは私が今、女だからなのかもしれない。



 あんなにかっこよく生まれたら女性達は放っておかないだろう。それを一人ひとり断るのは、やはり現実的ではない。


 人は、ないものを欲しがる。

 自分にはない柔らかな身体。

 男とは違う甘い香り。


 綺麗で優しく愛らしい女性が、好きだと縋りついてきたなら……確かに触れたくなるのかもしれないな。

 人間は経験を積まないと成長しない生き物だから。



 “愛する人は、一人だけ”


 現実を生きていれば、初めから間違いなく()()を引くなんて、()()でも()()でもなく、ただ()()だっただけだ。


 トライアルアンドエラーをするべきだったと今なら私にもわかる。

 そうしないと男女間だってわからないことも多いもの。

 私も未だによくわからないもの。

 そのためには貞操観念なんて役に立たない。

 いや、今思えば邪魔だった。


 貞操観念に凝り固まって、唯一無二と愛した男が、あれじゃあね。


 ううん、違う。そうじゃない。きっと……

 彼は私を好きだと、愛していると言っていた…と。

 彼の言動の矛盾に気づかないフリをして、彼の全てを肯定することが愛なのだと、初心な私はどんどん深みにはまっていく。


 初心。

 つまり、男を知らなかったから。


 尽くすことが、捧げることが、自己犠牲が愛なのだと盲信して。

 世界は優しく美しくあるべきだと信奉して。

 現実の残酷さや穢れには目をつむって。

 それは“愛”ではなく“泥濘”なのだとも気づかずに。



 私は、浅はかだった。

 そして、盲目だった。



 そう思えばこれは悪いことじゃない。

 互いを知ろうとした結果なのだから。

 彼らの関係は無理強いしてもいないし、騙してもいない。

 誰も傷ついてなんかない。



 ああ、そうだった。

 私が嫌悪するのは“騙す”ことであって、“節操がない”ことではないんだわ。

 “おまえが好き”

 “俺だけを見て”

 “おまえは俺のもの”

と束縛しておきながら、他の女にも同じように平気で愛を語り、罪悪感もなく嘘をつく二枚舌な男が嫌なのであって、

 “君だけ”

と定めなければ別にそれでいいの。

 “あなたも私も自由”

なら、それは対等な関係なのだから。



 そうか。対等なら、私はいいんだ。



 だって、私だけを愛してくれるなんて、どうしても思えないから。

 誰かの中のうちの一人なら、あり得るでしょうけれど。

 だからきっと前世でも、彼の浮気を何度も許してしまったのね。



 私にはその価値がないと一番思っていたのは、私自身だった。

 あなたの愛を独り占めなんて、私にはどうせできないのだと。



 やはり“誠実で一途な理想の男性”も、“惹かれ合う運命の人”も、物語の中だけ。

 実際は求められたら、拒まないよね。

 あれだけ美しい人なのだから、誘いは常に数多あるはず。

 今までも。これからも。



 ああ、そうか。

 その人が以前言っていた、今の恋人なのか。ただ部下達は把握していないだけで。



 いい女か……

 どんな人なのかな。あの人が好きになる人は。

 ディーターも羨ましがっていたし、外見は華やかな大人の女性なんだろう。

 身体つきも女らしくて、エーリヒ様と並んでも見劣りしないほど美しいはず…

 こんなに小さな身体なんかじゃなくて…



 …ふふ。おかしいの。いっちょ前になんだか胸が苦しいみたい。

 そういう関係なら、いつかここへ連れて来て、紹介されるのかもしれないわ。

 彼の、大事な女性として。

 その日はいつか必ず来る。


 じゃあ私の居場所は、ここでいいのかな。


 …っ…苦しい……痛い……おかしいな…

 また、息苦しくなって…



――私から離れるな。もうどこにも行くな、ヴェローニカ。傍にいてくれ。――



 …私、どこにも行くなと言われてる。

 でもそれは、対等じゃないんじゃないの?エーリヒ様。

 ああ、でも。私だけとは言われてないわ。

 好きだとすら言われていない。

 だからまだ騙されてはいない。

 でももしも、いつか誰かにそう言われたとしても大丈夫。

 私はもう知ってるの。それは()なんだって。

 “あなたが自由なら、私も自由”

 それでいいんだよね。

 そういう、ことだよね。




◆◆◆◆◆◆




 部屋に戻っても侍女達は誰も来ない。

「あやつら、何をしている」

 ヴェローニカを下ろして、少し苛立たしげにユリウスは言った。

「大丈夫です。自分でできますよ、ユリウス」

 もう先ほどの冷たい声ではなかった。いつもの彼女の優しい声だ。でも何かが違う。


「私が着替えさせようか?ヴェローニカ」

 からかうようにユリウスが微笑む。

「ふふふっ」

 ユリウスが優しくするので、ヴェローニカはなんだかくすぐったく思う。

「ん?どうした?」

「それはこちらのセリフです。どうしてそんなにユリウスが気を遣うのですか?」

 また、どこか彼女の雰囲気にユリウスは妖しさを感じた。



「…………」

 ユリウスはしゃがみ込んで目線を同じくし、じっとヴェローニカを見つめた。何か、思いつめたような瞳で。とても綺麗なアメジストの瞳がヴェローニカを見つめる。

 するりと頬をなでる。

「何故、笑う」

「……?」

「魔素が乱れているぞ」

「……ふふっ。冗談がうまいですね」



 面白いことを言う。感情が乱れているのは、ユリウスの方なのに。と、ヴェローニカはどこか他人事のような、何か別の視点から自分を見ているような気持ちになっていた。


 何かが乖離していくような、そしてそれによってそれまで常に感じていた足場のない不安定さや、落ち着かずに波立っていた心が穏やかになるような。頭が冷えていくような。熱が引いていくような。



「冗談では…」

「私はエーリヒ様が好きですよ」


 ヴェローニカは心の中の想いを認めた。これは覚えのある感情だったから。

 でもそれは、自分も大人だったなら、だ。

 だから、認めたとしても、踏み出してはいけないの。


「…………」


「でも、ユリウスのことも好きです。白夜のことも大好き。大好きな人には皆、幸せになって欲しい。本当に心から、そう思っているのです」


 ヴェローニカは大きく息を吸った。そして、静かに吐く。



 心が、凪いでいく。

 風が止み、細波が収まれば、深く沈んでいる澱も決して動き出さない。

 そこはきっと、居心地のいい穏やかな世界。

 いらないものはそこから全て排除すればいい。

 醜い感情も全て。

 こう、すれば良かったんだ。そうか……



「ただ、それだけです」



 ヴェローニカはユリウスに微笑む。年に似合わず妖しいほどに美しく。

 ユリウスはその笑顔に目を奪われて、それ以上の追及をやめた。




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