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97.第二王子アレクシオスの宴(3)

《エーリヒ・グリューネヴァルト》




 ジークヴァルトがダンスを終えて戻ってきた。

 アドルフィーナは一曲では満足できないと訴えたようだが、早々に切り上げてきたようだ。いつもならばもう少しアドルフィーナの我儘につき合って機嫌取りをしなければならないところではあるが、今日は強気に出られるようだ。


 確かに自ら一曲とは言ったが、まさか本当に一曲のみで袖にされるとは思ってもみなかったのだろう。当てが外れて不満げな顔のアドルフィーナが広間の中央に佇んでいるのが見える。

 もしかしたらこのとばっちりはジークヴァルトではなく、かの伯爵令嬢にいくのかもしれない。

 離れて待っていたアドルフィーナの側近達が彼女に近づいていった。



「アレクシオス殿下。エーリヒと話し込んでいたようですが、終わりましたか?そろそろお暇をと思うのですが…」

 ジークヴァルトが胸に手を当て畏まってアレクシオスに辞去の許可をとろうとする。アレクシオスはそんな謹んだ態度のジークヴァルトを眉を寄せて眺めていたが。


「……良い」

「では。今宵はお招きいただきありがとうございました。良い夜を」

 慇懃に敬礼をしてジークヴァルトは踵を返した。エーリヒも一度アレクシオスを見つめてから礼をとり、主君に従う。

 リュディガーもアレクシオスに挨拶をして帰るようだ。




 宴の会場を出ると、廊下で控えていた他の側近達が見えた。

 ジークヴァルトの側近である護衛騎士ギルベルト。そしてエーリヒの護衛騎士のリーンハルトとディーターだ。アレクシオスの宴ということで念のため護衛騎士を多めに連れてきていた。リュディガーの側近達も一緒にいたようだ。エリアスはハイデルバッハから帰還後の休暇中である。



 ジークヴァルト達一行は渡り廊下を歩き、マントを靡かせながら執務室へと向かっていた。そこへ突如美しい女の声が聞こえてくる。


「エーリヒ卿」

 穏やかな春の夜に、鈴を転がすような声と表現してもいいほど澄んだ声が響いた。一行は足を止め、護衛騎士達は辺りを警戒をする。

 柱の影から一人の美しい女が現れた。青いドレスを身にまとった淑女である。

 エーリヒは探知魔法でその気配を事前に知っていたが、そこにいるのは一人のみで魔力も弱いために脅威ではないと判断していた。辺りに潜んでいる者は他にいない。女も至って普通のようだ。



挿絵(By みてみん)



「…………」

 声をかけてきた女はそこから動こうとはしない。

 こちらから来いと言うのか。面倒な。

「行きましょうか、主君」

「…良いのか?」

「用があるならあちらから来れば良いのです」

「…全くお前は」

 ジークヴァルトが薄く笑う。


「お噂通り、エーリヒ卿はつれないのですね」

 すうっと手の甲を向けてこちらへ伸ばした白くか細い腕は、夜の闇とドレスの青さに際立って見えた。“こちらへ来てこの手をとれ”という態度だ。

 だがエーリヒの強化した視界には女の白く細い指の中に、何か紙のようなものが握られているのが見えた。他の者達にはただの権高な振る舞いと見えるだろう。エーリヒだけには見えると知っている、ということか。


 何を持っている?……誰かからの伝言か?



「少々お待ちいただけますか、主君」

「ああ」

 エーリヒは柱の側に立つ女のもとへ歩いていく。そして折り目正しくその手を取った。女は手にしていた紙を黒い革手袋をしたエーリヒの手のひらの上に置くが、離さない。

「キスを、してはくださらないの?…手に触れるだけではおかしいですわ」

 最後はとても小さな声で囁いた。


 エーリヒは目を細めて女を見つめた。

 王城の庭園を照らす魔導灯の明かりに照らされたその女はとても美しく、そして何より女性らしい体つきが色欲をそそる。

 首周りが大胆に開いたドレスのデザインは、女の美しいデコルテをより強調している。男ならその華奢な手首を引き寄せて抱きしめたくなるようないい女だった。

 以前のエーリヒならその誘いに乗ってもいいかと思わせるほどに。



「…………」

 エーリヒは言われるまま屈み込んで左腕を背後に隠し、恭しく女の手の甲にキスをするフリをしたが、まだ手の中の紙は離さない。仕方なくそのままキスを落とすと、女はようやく手の中にあった紙を離した。それを手の中に受け取ったが、今度はその手を握られて離さない。


 ここまで徹底するのは背後の誰かの指示があるからか。


「今夜はこのままついていらして、エーリヒ卿。いいでしょう?……あなたの知りたいことを教えてあげる」

 首を傾げ、再び女は艶めいて囁く。話す内容によって女が声の抑揚を変えるので、話の内容の全てはあちらには届いてはいないだろうが、誘われているということはわかっているだろう。



 エーリヒは少し思案する。

 相手はエーリヒのことをよく知っているようだ。ならば知りたいことというのは、おそらく今しがた聞いたアレクシオスの話の続きだろう。やはりまだ話し足りないことがあったか。つまりこの女はアレクシオスの差し金。

 確かに興味はある。先刻のエルツベルガーとクラインベック両侯爵の話も気になるところだ。知りたいことというのは、それも入るのか…?一体何の情報を持っている…?



 エーリヒは考えを巡らせながら、少し指を滑らせて折りたたまれた手の中の小さな紙を開こうとすると、まだその手を重ねていた女がそれを止めた。


「それはまだだめ」

「それでは判断ができない」

 すると女はにこりと微笑んだ。そしてまるで猫のようにするりと胸元に飛び込んできて、背中に腕を回す。ふわりと漂う甘ったるい香りが鼻をつく。

 また媚薬の香水か…

 以前ユリウスも言っていたが、おそらく幻惑、幻覚の類の魔力が込められているのだろう。



 魔力は純度が高いと甘く香り高くなると言われている。それ故精製して香水や媚薬としても転用されるのだ。効果を高めるために物によっては違法薬物も調合されたりするようで、そこまでいけば立派な禁制品だ。だが一方的に魔法で魅了しようとしている時点で、すでに毒薬並みに害があると思うのだが。


 正直この類の甘い香りは学院時代から嗅ぎ慣れているが、鼻をつく甘ったるい匂いが重だるくて、どこがいいのかエーリヒにはさっぱりわからなかった。


 そしてふと思い至った。

 そうか、魔力の純度。魔力差か。

「ふ…」

 効かないはずだ。




「エーリヒ、我らは先に行っている」

 ジークヴァルトの声が聞こえた。

 まだ情報が足りていない。

「……リーンハルト、ディーター。主君を頼む」

「「は」」

 主の命に従ったエーリヒの護衛騎士達は、ジークヴァルト達と共に去っていった。



 エーリヒは女を胸にしがみつかせたまま、やっと女が離した手元の紙をかさかさと開く。

「もう……せっかちね」

「これは、どういう意味だ?」

「本当にもう。失礼しちゃうわ」

 折りたたまれた小さな紙には、『教会 子供 プロイセ』とだけ書いてある。

「ここでは話せないと言っているでしょ?知りたいなら私についてきて」

 怒っているようでいて拗ねたような甘えた声だ。


「…………」

 エーリヒは紙を眺めながら、指を口元に当てて考える。

「……そして殿下は、私に君を抱けと?」

「そうよ」

「それは何故だ?」

「当たり前でしょ?その方があなたが堕ちると思っているからよ」

「堕ちる……ふっ」

 思わず笑いが漏れた。



 こういったことは以前にもあったな。あいつはどうしても私を屈服させたいようだ。

 何か不快な気分だった。苛立ちのような、胸のもやつきを感じる。

 この香りのせいか。アレクシオスのせいもあるな。あいつは昔からしつこくて何かと面倒な奴だ。


 …あれが弟とは。奴が知ったらなおさら突っかかってきそうだな。




「あなたの望みは何?お金?お酒?女?権力?地位?名声?あとは……賭博、麻薬……男が溺れる物なんてこれくらいかしら?…殿下はなんでもあなたにあげるって。あなた、殿下に評価されてるのね」

 …評価…

「殿下は麻薬を扱っているのか?」

「…それはあなたの望みを聞いただけよ」

「ふうん…」

 さすがに簡単には口を割らないか。


「あなたの本当に欲しいものはなぁに?」

 本当に、欲しいもの……

 ふと何かが思い起こされる。だがそんな気がしただけで、思うように思考がそこへ届かない。どこか、もどかしい気分になった。



「今、何を考えたの?」

「…………」

「もしかして、女のこと?」


 胸にしがみつきながら、女は妖艶に微笑む。

 愛嬌のある話し方、甘え方、拗ね方、微笑み方。男の反応を見て手玉にとることに慣れている様子だ。

 また何かがふと頭をよぎった。それを無意識に手繰り寄せようとして、再び我に返る。

 この状態で呆けている場合か。


「とりあえず、離れてくれないか」

「いやよ。だめ」

 女は眉根を寄せ、口を尖らせて余計にひっついてきた。

「…………」


 この女はどこまで情報を持っているのか。そんなに口が堅いとは思えない。そんな女に命がかかるような重要な情報をアレクシオスが話すだろうか。



「お前は何者だ?お前が情報を持っているのか?それとも別の者が来るのか?」

「もう、本当に失礼しちゃう。私これでもお店では一番の高級娼婦なのよ?一見はお断りなの。本当はこんな風に簡単には会えないんだからね」

 やはりそうか。どうりで。


「なぁに?商売女は抱かない主義?」

「……そんなことはない」

「そうなの?うふふ。…私も今夜のお相手があなたなら…嬉しいわ…」

 女は一気に機嫌を良くしたようだ。嬉しそうに微笑みを向けて抱きついてきた。また香りが強くなる。


「だが気が乗らない。君を抱かずに情報をもらえないだろうか」

「…もう。そんなの信用できるわけないでしょ?」

 埋めていた顔を上げて拗ねたように上目遣いをする。

「抱いたところで信用など生まれない」

「……ほんとにつれないのね……殿下の仰る通りだわ」

 ぷうっと頬を膨らませて見上げている。

 その様子は傍から見れば可愛らしいのだろうが、アレクシオスの名が出ると、なおさら萎えるな。



 合理的に考えればついていくべきか。だがこの女は恐らく情報源ではない。であれば果たしてこの女を抱く意味はあるのだろうか。まんまとアレクシオスの手のひらの上で踊らされるのも癪に障る。

 とにかく、プロイセに何か見落としていることがある。それだけはわかったか。




◆追記◆


画像は庭園の見える回廊

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