95.第二王子アレクシオスの宴(1)
《エーリヒ・グリューネヴァルト》
今夜王城のツェルナー宮では、第二王子アレクシオスが主催する宴が開かれている。
先日、王太子の派閥であった下位貴族が数人拘禁されたというスキャンダル後の今回の宴は、王太子勢力に対する当てつけでもあるのだろう。
シュタールは王家直轄地である。
現国王コンスタンティンとその後継者である王太子ジルヴェスターにとって、先日のシュタールでの事件は勢力を弱める事態となった。何せ王太子側の下位貴族に加え、王族の遠縁であるシュタール代官までもが捕まったのである。そしてそれを任じたのは王だ。言うまでもなく貴族からは任命責任が問われている。そして王と王太子もグルだったのではないかと。
それは期待していた世論の動きではあったが、それが第二王子アレクシオスを勢いづける結果ともなっていた。
そんな中での本日の宴である。
第二側妃の子アレクシオスの子飼いの貴族達は、王妃の実家の公爵家など高位貴族が多い王太子派閥とは違い、新興貴族が多いことで知られていた。それだけ勢いがあるのは確かだが、その分旧来の格式を重んじる貴族が少なく、マナーが悪い傾向にあるようだ。
今もジークヴァルトにまとわりつくように腕にしがみつきながら、かの伯爵令嬢が猫なで声で話しかけている。見るに堪えないし聞くに堪えない。
「ジークヴァルト様、ようやくお会いできましたね。私、今夜の宴を楽しみにしておりましたの。いつ執務室にお伺いしても、そちらの護衛官に追い返されるのですよ。せっかく一流シェフやパティシエの作った差し入れなどもご用意してお伺いしていますのに。それすら受け取っていただけないのです。本当にひどいですわ。ずっとお会いしたかったのに。私、悲しいです…」
鼻にかかった甘えた声でジークヴァルトの体に触れ、寄り添う。
確かフランツェスカとかいうフューゲル伯爵の令嬢だった。学院を卒業し、貴族令嬢の社交界デビューの場、デビュタントを昨年終えたばかりだったはずだ。成人し、歳は十六、七あたりか。
こちらは伯爵であり、公爵令息であるのに、毎回身分が上の者の許しもなしに話しかけてきては、ベタベタとまとわりつくこの図々しさよ。
「フューゲル嬢。身分をお考えください。これ以上はフューゲル伯爵に抗議させていただきますよ」
「まあ、エーリヒ卿は冷たいですわ。他のご令嬢方もおっしゃっていましてよ。卿とお話したいのにいつお声がけしてもつれないって。エーリヒ卿はもう少し女心をご理解なさった方がよろしいですわ」
可愛く拗ねた風に上目遣いでこちらを見る。
勝手にファーストネームを呼ぶな。と思いつつ、エーリヒはにこやかに対応する。
「それはとても残念ですね。ですが私は護衛騎士です。任務を優先させなければなりませんので」
「ですからお仕事だからと拒否なさらずに、レディのお誘いは受けるべきですわ。皆様このような宴の時を待っていらっしゃるのですよ?…想いを寄せるお方に美しく着飾った姿をお見せしたいのです…」
そう言ってうっとりとジークヴァルトを見上げている。
話にならない。エーリヒはジークヴァルトの護衛騎士としてこの宴に参加しているのだから、主君を守るのが仕事だ。この身分を弁えない愚かな恋愛脳な女は、即刻排除したいのが本音だ。
「フューゲル嬢」
「ジークヴァルト様?私のことはフランツェスカとお呼びくださいと何度も…」
「いい加減にしてくれないか。君は私を怒らせたいのかな」
珍しくジークヴァルトが体裁をとらずに率直に表現した。もちろん声は穏やかではある。だが、そこに笑顔はなかった。いや、口元はかすかに微笑んでいる。だが、美しいアイスブルーの瞳は彼の持つ主属性魔法のように冷ややかだった。
フューゲル伯爵令嬢はジークヴァルトのいつになく冷たい視線に狼狽え始めた。
「そ、そんな……怒らせたいだなんて、違いますわ、ジークヴァルト様。私はただ…」
「君にそう呼ばれる覚えもないのだが…。君はもう少し礼儀作法を学ぶべきではないかな」
「…ジークヴァルト様…」
「ジーク。来ていたのか。…ああ、すまない、取り込み中だったのかな?」
リュディガーが爽やかな笑顔で割って入ってきた。すぐ後ろに護衛騎士のレオンハルトを伴っている。
レオンハルトは主であるリュディガーの側にあるために魔術師団にも籍を置いているが、あくまでリュディガーの筆頭護衛騎士である。常に主の後ろに控えていて、その赤みがかった朱色の瞳が今も油断なく辺りを警戒している。
エーリヒは仕事に対する彼の姿勢を買っていた。
「いや、問題ない。行こう、リュディガー」
ジークヴァルトはそのままリュディガーをつれてその場を離れる。
やっと失礼な女から離れられた。時間と気分の大いなる損失だった。
「助かった、リュディガー」
小声でジークヴァルトが言うと、
「だと思った」
リュディガーは笑う。
「苛つくなんて珍しいね。だいぶ忙しそうだよね」
「ああ。やることが多すぎてな。こんなくだらない宴に顔を出している場合じゃない」
「…はは。よっぽどたまってるね」
取り繕う気もないジークヴァルトにリュディガーも苦笑いを隠せない。
「リュディガー、神殿、教会の信用できる知り合いを融通してくれ。情報が欲しい」
ジークヴァルトは笑顔のまま抑えた声で会話を続ける。
この間もエーリヒは風魔法で二人の会話が他に聞こえないように操作している。
周囲はジークヴァルトとリュディガーという社交界の華である貴公子二人を遠巻きにうっとりとした瞳で見つめている令嬢ばかりだ。
そして正確にはそこにエーリヒも含まれているのだが、当の本人には興味も関心もない。
令嬢達はその場のあまりの美しさに、そわそわとこちらを窺ってはいるものの、声をかける度胸はないのだろう。先ほどの失礼な女にも見習って欲しいものだ。
「魔術師団繋がりでいないこともないけど…、内容にもよると思うよ?何の話?」
「…教会が奴隷を大量に買っている可能性がある」
「…………」
リュディガーの顔から笑みが消えた。
「目的がわからない。なかなか闇が深そうだ。しかも王族も絡んでいる気がする。あまりに証拠がないからな」
「ちょっと待って……大丈夫なの?」
「大丈夫なことなんてあるのか?」
「……こんなところで話すことじゃないね」
周囲を気にしてか、リュディガーは取り繕った笑顔を見せた。
「問題ありませんよ。ちゃんと盗聴対策はしていますから」
エーリヒがリュディガーに微笑む。
ちなみにエーリヒは読唇術対策にもわずかに幻術をかけている。二人は知らないことだが。
「…ああ。さすがエーリヒ卿だね。魔術師団にも欲しいよ」
「やらんぞ」
ははっとリュディガーはジークヴァルトに対してあどけなく破顔した。
きゃあとかすかに周りで令嬢達の声が上がったのがエーリヒには聞こえた。いつものことである。当然こちらの声が聞こえた訳ではない。
アルコールの入ったグラスを傾けながら、しばらくジークヴァルトとリュディガーの会話は続いた。
エーリヒは風魔法と幻覚魔法を駆使しながらも、周りの気配にも注意を怠らない。
話しかけたそうにしている令嬢達や、第二王子側の貴族達を警戒する。それはレオンハルトも同じようだった。
向こうで話しているのはエルツベルガーとクラインベックか…何の話か聞いてみたいところだが。
エルツベルガーは第二側妃の家門だ。アレクシオスの実母である第二側妃の父親。つまりアレクシオスの外祖父である。
そしてクラインベックはアレクシオスの妃の実家。アレクシオスの義父だ。
彼ら二つの侯爵家門は完全なるアレクシオスの双剣。その二人が一体何の話をしているのか。それはエーリヒの興味を引くところだ。
「そちらはいかがかな」
「…殿下の情報通りでした。せっかく尻尾を掴めそうですのに、あれでは近づくこともできませんでしたよ」
「そうか。…今は、見つからなかっただけでもよしとするか。口惜しいことだが…」
「魔術師団も厄介なものを開発したものです」
「何か手立てを考える他あるまい」
「今この機会に畳み掛けたいところではありますが…」
だがそこでエーリヒの気の逸れる話題が耳に届いた。
「ところでエーリヒ卿がいるってことは、ニカちゃんはおうちに帰れたの?」
「ヴェローニカか」
「そう。あの可愛い子。シルバーフォックスには会えた?」
「あれは神獣だったらしいぞ、リュディガー。驚くことはそれだけじゃないんだがな…」
「え?神獣?…誰が言ったの?」
「本人だ」
リュディガーは「本人?」と不思議そうな顔をする。
「神獣本人だよ。しゃべるそうだ。なかなか面白いだろ?」
リュディガーが目を見張って驚いている。そしてエーリヒを見た。リュディガーはエーリヒがヴェローニカに同行したのを知っている。
「実に不敵な狐でしたよ」
エーリヒがそう言ったとき、遠くでざわめきが聞こえてきて、今度はそこに集中した。
「主君、アドルフィーナです」
それまでリュディガーとくだけた会話を楽しんでいたジークヴァルトは、エーリヒの言葉に眉をひそめた。
「何故こんなところに?アレクシオスとは別に親しくなんてないだろ」
「主君がここにいると聞いたのでしょうね」
「…………」
ジークヴァルトは視線を落とし、かすかに息を吐いた。
「何かアレクシオスと揉めていますね」
「今のうちに帰るってのはどうだ?」
「あははっ。本気?ジーク」
「ではあちらから出ますか?」
エーリヒが扉の一つを示すと、リュディガーが少し驚いたようだ。
ジークヴァルトが従妹でもあるアドルフィーナを毛嫌いしているのは認識していたが、婚姻する気がないのもその手段についてもう微塵にも考慮しなくていいのも再確認済みだ。
「そうはしたいが、主催者に挨拶もなしに帰るのはな…」
「では覚悟を決めるしかありませんね」
「…知ってて言っただろう」
留まるしかないと知っていて途中退出しようと言っただろうという非難である。
「私は主君の意見に同調してみただけですよ」
二人の軽妙な掛け合いに、またリュディガーは苦笑するしかない。
◆追記◆
画像はリュディガーのイメージ