88.侯爵邸にやってきたお嬢様(3)
《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》
「ユリウス、私きっとヘリガに嫌われてしまいましたね」
「何を言っている?あやつが嫌うのは私だぞ」
「そうでしょうか。…でも何故ヘリガはユリウスを敵視するのでしょう」
「あやつは私がヴェローニカの傍にいるのが気に食わないのだ。あやつは自覚のなさがエーリヒに似ているからな」
「自覚のなさ…?何の話ですか…?」
護衛侍女とやらが退出してから、ヴェローニカの部屋のソファーでユリウスは二人で話をしていた。
ヴェローニカは嫌われてしまったとショックを受けている。それは勘違いであるのだが。
「やはりここへ来るのではありませんでしたね。ここにいる皆さんは、エーリヒ様が大好きなのです。エリアスさんと同じです。ヴィクターさんと同じなのです。…あの眼は…見ているのはつらいです」
「誰だ?それは」
「エリアスさんはエーリヒ様の護衛騎士だそうです。ヴィクターさんはジークヴァルト様の側近です。お二人とも、エーリヒ様とジークヴァルト様を案じているだけなのは、わかるのですが…」
「ジークヴァルト……エーリヒの主か」
「ユリウス?さすがにジークヴァルト様のことは呼び捨て厳禁です。怒りますよ」
「エーリヒの主だからか?」
「そうです」
「…私には関係ない。しかも人間だ。私よりも弱い。よって従う必要はない。私が従うのは、もう姫だけなのだ。…姫は私に、奴らに頭を下げろというのか?」
するとヴェローニカが眉を曇らせた。
「もう。…白夜のようなことを言いますね。ここは人間の街です。従う必要はないですが、礼儀は必要ですよ。ですが自分が認めた人間にしか従いたくないという気持ちは私にもわかります。私もそういう部類ですからね」
「姫が?そうなのか?」
「そうなのです。私は結構頑固ですよ。嫌なものは嫌ですからね。…我慢はしますけど」
コンコンコン
部屋の扉をノックされた。するとヴェローニカがユリウスの手を離す。ずっと魔素の供給をしながら話をしていたのだ。
この王都は魔素が薄い。それが原因だろうが、多少苛立ちも感じる。本当はずっと触れ合っていたいのだが、そういうわけにもいかない。隣にいればある程度魔素補給できるのは事実ではあるのだが。
実のところ、ただ単にユリウスがヴェローニカに触れていたいだけだったりもする。だがそうしているとすっかりと苛立ちも消えるのだから、何かしらの作用もあるはずだ。
(マリオネットだと言えば、その限りではないと思うのだがな。煩わしいな…)
「どうぞ」
ヴェローニカが返事をすると、コンラートだと名乗った。そのまま入室の許可を出す。
エーリヒの執事のコンラートは、入ってくるなり手を胸に当てて丁重に謝罪した。
「申し訳ありませんでした。ヴェローニカ様、ユリウス様。侍女達が失礼いたしました。お詫び申し上げます」
「いいえ。謝罪は必要ありません。こちらにも非はありますから」
「しかし…ユリウス様に殺気を当てられたと伺いましたが…」
「それは向こうが先だ。何度も注意したがやめないのでな」
本人はあまり表情は変えないが、コンラートが動揺した雰囲気を魔素から感じた。詳しい話を聞いていないのか。
「もう良いのです。エーリヒ様にお話しする必要もありません」
「しかし。…そういうわけには」
「もう、良いのです」
ヴェローニカは微笑んだ。それをユリウスは隣で見つめる。その愛らしい笑顔と周りの魔素の気配を眺めながら、無理をしているな。と感じる。
「姫はそれで良いと言っている、もう下がれ」
「ユリウス?そのような言い方ではまた誤解されてしまいますよ」
「…………」
ユリウスは眉をしかめたくなる。
ユリウスにはもうヴェローニカ以外に大切なものなど何も残っていない。ヴェローニカが悲しむのは見たくない。ただそれだけだ。だから問題を起こしてここにいられなくなろうが、一向にかまわない。ヴェローニカさえいれば、それで良いのだから。
むしろその方が良いのだ。
「コンラート」
「はい」
「ヘリガはエーリヒ様が大切なだけです。叱らないであげてください。同じように、ユリウスも私のことが心配なのです。先ほどのことは、そういう優しい気持ちからきたものですから」
「…………」
コンラートは黙ってヴェローニカを見つめていた。
真意を量っているのか。執事というだけあって、なかなか慎重な性格のようだ。
「他に何かありましたか?」
「…いいえ」
「では、もう下がっていいですよ」
「…それでは、必要なことがあればいつでもお呼びください。そちらを鳴らしていただければいつでも参ります」
コンラートはテーブルにある魔導具のベルを示した。これを鳴らすとコンラートに連絡がいくらしい。通信魔導具のようだ。
「はい。ありがとうございます」
コンラートは、「では、失礼いたします」と退室していった。
「大丈夫か?」
ユリウスはヴェローニカの頬に触れた。顔を上げて、青銀の瞳がこちらを見つめる。
「大丈夫です」
そのようには見えないが…。微笑んではいるが、なんだか泣きそうな顔に見える。取り巻く魔素も弱々しい。まるで日照り雨だ。
そんなに傷ついたのか。こちらも少し牽制しすぎたか。
「そんなに心配しないでください。本当に大丈夫です」
「心配は…するさ」
胸の辺りがぎゅっとする。傀儡の体で滑稽なものだ。
ヴェローニカを見ていると、よく胸が締めつけられるような思いがする。いろんな感情を押し殺しているように感じるからか。そうやって今までずっと生きてきたのだと感じるから。
あの日、ヴェローニカはシュタールの路地裏の影に蹲る浮浪者を見て、意外にもあっさりと「自分には何もできない」と言った。
このお金はエーリヒの物だし、今ここで気まぐれにあの人達に一時の施しをすれば、恐らく迷惑をかけることになってしまうと。せめて救貧院のような施設があれば、それを作ることができればと。
彼女の気性からして、それは本当の望みとは違うのだろう。だが結局、あの日ヴェローニカは自分の無力を嘆くだけで、彼らに何をしてやることもできなかった。
ユリウスが生前接してきた、生まれたときから何不自由なく育ち、家も裕福で美しく着飾るのが当然で、親の愛情を一身に受けた令嬢達とは、彼女は考え方の何もかもが違う。
あの時代。今思うとプロイセはどこよりも豊かで、富と栄光に溢れ、城では夜な夜な綺羅びやかで夢のような舞踏会が開かれていた。
プロイセ城には毎夜、美しい花々が咲き誇る。優雅な振る舞いや微笑みのひとつをとっても、そこには何の憂いもなく、一点の曇りもなく、嵐など知らずに育った温室の花達。確かに彼女達は淑やかで麗しく、自尊心の高さから時に大胆で、心惹かれたものだ。
向こうもユリウスの生まれながらの地位と豊かな財、そして見目の良い容姿に惹かれて群がってきた。
公爵家当主の弟であり、末席とは言え王位継承権までも所持していた自分の置かれた立場としては、それが当然で、日常だった。疑問にも思わなかった。
そんな贅沢を日夜享受する貴族の陰では、あのような者達もいるというのに。
きっと華やかな令嬢らはそんな暗部など知りもせず、知ったとて、顧みることもしないだろう。それを当然として、生きてきたからだ。ユリウス自身も含めて。
ヴェローニカとは大違いだ。
彼女の優しさや他人の痛みを我が身のことのように感じる心根は素晴らしい。
だとしても。
それは彼女が心を痛めて苦心することではない。
そのようなことはその街を治める人間が、この王国の王が考えるべきことだ。
それなのに。
このような顔をさせたい訳ではないのだ。
甘やかしてやりたい。
わがままを言わせてみたい。
心からの安らぎを感じさせてやれるようになりたい。
せっかく生まれ変わって、今は子供の姿なのだから、もう一度幼少期をやり直すこともできるはずだ。つらい記憶を塗り替えてやることもできるはずだ。
愛されて、子供らしく甘えて、駄々をこねるような彼女を見てみたい。
(それくらい、私を受け入れて欲しい。)
「あ。…ユリウス?では、お願いがあります」
「なんだ?」
◆◆◆◆◆◆
《コンラート・ネーフェ》
コンラートはヴェローニカの言葉を思い出していた。
あのような幼い少女があれほど思慮深いことに驚いた。
実は部屋に入る前、ヴェローニカとユリウスが話しているのが少し聞こえてしまった。
ヘリガに嫌われてしまったと悩んだり、ヘリガが嫌うのはユリウスでヴェローニカではないと慰めていたり。
エリアスともこのようなことがあったようだ。だがコンラートにはそれが容易に思い浮かんだ。
エリアスは確かにエーリヒに対して執着が過ぎる傾向にある。
伯爵の部下とも何かあるようだから、ヴェローニカは伯爵にも目をかけられているのだろう。主人が魅力的だと、配下の過度な嫉妬や心配が大変そうだ。
恐らくユリウスもヴェローニカに対してそうなのだろう。
ヴェローニカを巡って、今後エーリヒと争う姿が想像できる…
コンラートは階段を下りながらこめかみを押さえた。
ここに来たことを後悔しているようなことも言っていた。それは非常に困る。
コンラートはヴェローニカを見つめるエーリヒの眼差しを思い出す。
(このままでは皆、お咎めを受けるだろう。…なんとかしなければ。)
それに他にも気になることを言っていた。人間の街がどうとか。人間に従いたくないだとか。どういう意味なのだろうか。
ウルリカは言っていなかっただろうか。あれは、本当に人間なのか、と。




