86.主従(1)
《アルブレヒト・エルメンライヒ》
「ふむ。…ようやく戻ったか、エーリヒ」
ジークヴァルトは執務の手を止め、机に両肘をつき手を組んだ。王城にあるジークヴァルトの執務室には数人の側近達が裁可待ちの書類を携えて側に控えている。
「今回は思ったよりも長かったな」
「左様ですね。私も往復一週間から十日と思っていたのですが……その倍以上かかりましたね」
「お前の手土産のお陰でこちらもなかなかに忙しい。帰って早々だが、しっかり働いてもらうぞ。仕事を増やした本人なのだからな」
「おや。主君もなかなか人使いが荒いですね。やはり私がいないと仕事が捗りませんか」
ジークヴァルトとエーリヒはお互いに綺麗な笑顔を浮かべて皮肉の応酬をしている。そしてそれを周りの側近達は少し引きつり気味で話を聞いている。
この主従は相変わらずだ。
ジークヴァルトの脇に置かれた自分の執務机で仕事をしながら、目の前で貴族らしい笑みを浮かべて対峙する二人をアルブレヒトは眺める。
ここのところ何かエーリヒの雰囲気に変化が生じたような気がしていたが、通信機越しであったからだろうか。アルブレヒトの気のせいだったのかもしれない。
「アルブレヒト」
「なんですか、エーリヒ」
「主君の手が…空くことはないかもしれませんが、きりの良いところで呼んでいただけますか。話があります」
「なんだ?…ああ、面白い話があるのだったな」
再び書類にサインをしながらジークヴァルトがこちらの会話に加わってくる。
「…面白いなどとは一言も申し上げてはおりませんよ」
「ふふっ。そうだったか。…それも寄こせ。これは終わりだ。…それはあとでやる。置いておけ」
指示出しをしながら側近達に終わった書類を預けると、彼らを帰した。
「さて。とりあえずいいだろう。お前達は下がれ」
残っていた他の側近達も帰して、執務室には三人となった。
「私も下がりましょうか、エーリヒ?」
「いいえ。アルブレヒトはいてください。…主君一人では荷が重いでしょうから」
「ほほう。…言うな、エーリヒ」
ジークヴァルトが皮肉げに微笑むと、エーリヒは笑みを消した。そのことにジークヴァルトも異変を感じたようだ。
エーリヒの様子から何やら重要な話のようだと察してアルブレヒトも席を立ち、ジークヴァルトの側に控えた。
「まずは…、そうですね。主君が待っていた土産話からにしましょうか」
盗聴防止の魔導具を作動させて始まったのは、まずはプロイセでの夜、ヴェローニカが領主の館のバルコニーから飛び去って、プロイセの古城に向かったときの話からだった。
プロイセの廃城には、百五十年も前にプロイセ城が陥落した戦争で亡くなった亡霊が棲み着いていて、魔物化していた。それが墓守の役目を果たし、城にやってくる魔獣や盗賊達を掃討していたという。
ヴェローニカは空を飛んでその魔物の気配を感じ、プロイセ城で亡霊と出会った。
「亡霊か。ゴーストやファントムと言われる魔物だな。人死にが多く出た現場には魔素が溜まり、妄執に囚われた魂がその魔素で魔物化するというあれか。珍しいな。そんな昔からいたのであれば地元では有名だったのではないのか?」
「そうですね。そういった噂や城の惨状から元々地元民は近寄らない場所ではあったようです」
「それで?今頃話すということは問題はなかったのだろう?低位の魔物だったのか?」
ジークヴァルトが先を促すと。
「それが。ヴェローニカはその亡霊を不憫に感じて、成仏……生まれ変わりを勧めたそうです」
「変わった娘だな。恐れなかったのか?」
「ひとりで寂しそうだったと言っていました」
そして未練を無くして生まれ変わるという新しい人生を勧めたのだが、その亡霊は納得しないどころか彼女に感銘し執着してしまい、従者となったという。
「なんだと?」
「従者とは……その亡霊が、ですか?」
アルブレヒトが問うと、エーリヒは答えた。
「ヴェローニカは白夜を呼んで相談し、その亡霊の願いを聞いてマリオネットに宿らせました」
「マリオネット?」
ジークヴァルトが驚くのも無理はない。
「本人が霊体のまま従者となるよりも、体を望んだ結果だったようです。今も侯爵邸でヴェローニカとともにいます」
「マリオネットに宿らせたとは、どういうことなのだ?…人形に魂を入れたということか?そのようなことが可能なのか」
「今ではもう稀ですが傀儡師が扱う傀儡人形、マリオネットに宿らせたのです。等身大の精巧なマリオネットで、素材は魔素金属でできており、見た目は人間そのものです。不自然さを隠すための幻術の魔法陣や魔術回路が随所に施されているようで、本当に人間と変わりありません。人形のくせに人間と同じように自然に話し、笑い、怒る。髪と瞳は人間との差異をつけるためか、紫色なのですが」
「魔素金属製の、人間と変わらない人形だと?そんなものが一体どこにあったのだ」
「プロイセ城に、遺されていたようです」
「遺産というわけか。あそこは宝は全て王家に持ち去られ、今はほとんど朽ちた古城だと聞いていたが…」
「それもやつが守っていたのでしょう。名前はユリウスというのですが、調べたところどうやら旧プロイセの領主一族のようです。最後の当主の弟に同じ名前の者がいました」
「なるほどな。プロイセの亡霊か。領主一族であればそれは怨念も残ろうな。王家への怒り、恨みはいかばかりか。あそこは由緒正しい有力公爵家だったのだからな…」
ジークヴァルトは息をついた。
自らの家門も公爵家であるのだから、思う所があるのだろう。例えば、九年前の、政変……
「昔は王都から北は全てプロイセの地だったというし。それが王家に濡れ衣を着せられ、断絶した。今やプロイセと呼ぶのはあの都一帯だけだ。その地を治めるのもプロイセとは何の関わりもなかった国王派の貴族になった。……そうか。プロイセの遺産、幻の宝物庫がまだあるとは。見てみたいものだが。…お前は見たのか?」
「いえ。やつが素直に私を案内するとは思えませんから」
「…そうか。それは残念だな…」
エーリヒが“やつ”と表現していることから、あまり良好な関係を築けていないのかとアルブレヒトは推測する。
「それと本人が言うには、王都は魔素が薄く、マリオネットといっても中身は霊体なので、存在を維持しづらいようです。…ヴェローニカの周りには良質な魔素が溜まるので、なおのこと離れたくないと」
「ヴェローニカは魔素を操れると言っていたな」
「そうです。あの状態を維持するために魔素が大量に必要なようですね」
信じがたい話ではあるが、ヴェローニカに関してはもう十分にジークヴァルトもアルブレヒトも免疫ができている。
「とんでもないな…」
ジークヴァルトはため息交じりに呟いた。
アルブレヒトが様子を見て紅茶を淹れる。
「エーリヒもいかがですか?」
「いえ。私は結構です」と言いながら、何故か優しげに微笑んだ。そのエーリヒの穏やかな笑顔に少し面食らう。
「どうかしましたか?」
「いえ。先刻のことを思い出しまして」
アルブレヒトが気になって聞いてみると、ヴェローニカが侯爵邸に来て早々、紅茶の美味しい淹れ方講座を使用人達の前で披露したのだそうだ。それは今までとは全く違う紅茶の味で、これからはそうやって飲もうと思うとエーリヒは言う。
「では今度私にも教えてください。できれば本人に淹れ方を教わりたいですね」
「言っておきます。ついでに体に良い飲み方も教わるといいですよ」
そう言ってエーリヒは相好を崩す。そんなエーリヒの穏やかさにアルブレヒトは目を奪われた。
「…………」
「エルーシアの聖女とは神なのか?魔物を従え、空を飛んで、紅茶の淹れ方を教えて。…なんでも有りだな。…ああ…神獣もいたか」
紅茶を飲みながら愚痴るようにジークヴァルトが呟いているのを見て、アルブレヒトはかすかに笑いが漏れた。
「…………」
エーリヒを見るとまた笑顔が消えている。いつもの彼らしい余裕の笑みが見当たらない。
そう言えば、他にも話があるような口ぶりだった。そしてそれがエーリヒの緊張のもとなのだろう。
「本題に入りますか、エーリヒ」
エーリヒがアルブレヒトを見つめた。
「そうですね…」
ジークヴァルトもその空気を察してエーリヒを見つめる。
「では、主君。伺いたいことがあります」
「…………」
その硬い声から、彼の緊張が伝わってきた。
「どの勢力につくかはお決めになりましたか」
「…なんだ。その話か」
ジークヴァルトが大仰にため息をついた。
「何故今その話が必要なのだ?」
ジークヴァルトは低い声でエーリヒを問い質す。どうやら不機嫌なようだ。
「第一に王太子ジルヴェスター。第二に第二王子アレクシオス。第三、第一王女アドルフィーナ。そして第三王子シュテファン、第二王女ベアトリクス…と、王位継承権を持った現在の王の子供達がいるわけですが…」
エーリヒは王族に敬称も付けずに話している。ジークヴァルトの不機嫌も素知らぬ顔で話し続ける厚かましさには困ったものだ。
「その中ではどうです?」
「ふん。…とりあえず、ないな」
「第一王女の王配になるつもりはありますか?」
「…………」
ジークヴァルトにそのつもりがないことはアルブレヒトにはわかっている。だが、他の王子達を選ぶなら、一番マシな選択なのがこれだ。
第一王女アドルフィーナと婚姻し、アドルフィーナを王位に就け、ジークヴァルトが王配となる。そして宮廷を実質的に動かす。
政治に明るくなく、ジークヴァルトに執心のアドルフィーナ姫と婚姻すれば、おそらくそれは叶うだろう。
だがそれはジークヴァルトの心を殺すだろう。この期に及んで甘いことを言うと思われるのだろうが、乳兄弟としては、あまり勧めたくはない選択肢だ。
それに、アドルフィーナ本人は我儘を通してジークヴァルトを振り回すくらいだろうが、その側近達は堂々と政に介入してくるに違いない。
ジークヴァルトは心を殺した上で、我儘と無能共をのさばらせる結果になるのは目に見えている。
無能な味方ほど厄介なものはない。味方に取り込んで排除すらできないのであれば、敵のままで無能を晒していてくれた方がありがたい。
結局、ジークヴァルトに取れる選択肢に、ろくなものなどない。
あとは、第三王子シュテファンと第二王女ベアトリクスに可能性をかけるしかないのだが。
シュテファンは病弱で王位どころではないし、母親の後ろ盾も弱い。それではまた側近達も期待できないだろう。
まあそれはこちらで人材を集めればよいが、問題は後ろ盾が弱いままだと、他の勢力に食われやすくなることだ。いくら奇跡的にシュテファンを王位に就けられたとしても、他の王子王女やその後ろ盾の家門が全て滅ぶ訳ではないのだ。
そうなるとやはり誰を選ぼうとも、まずは障害となる邪魔者を少しずつ排除していく方針しかない。
ベアトリクスはまだ幼い。ヴェローニカと同じくらいの年齢だったはずだ。だがヴェローニカを基準に考えてはいけない。彼女は聖女という特別な存在なのだから。あまりベアトリクスの聡明さは期待できない。
さらに末姫であるために王から甘やかされて育っていると聞く。このままいけば第二のアドルフィーナができあがるだろう。
「エーリヒ、お前は私に、あれと婚姻しろと?」
ジークヴァルトの蒼穹を思わせる瞳が、今は冬の暗く淀んだ空のような陰気さを含んで冷たく光る。口元には皮肉げに歪んだ笑みを浮かべていた。
「いいえ。そのつもりがないことを再確認したかったのですよ」
「…何が言いたい」
「では最後にもうひとつお伺いした――」
「おい!エーリヒ!」
ジークヴァルトが執務机をバンッと激しく叩き、声を荒げた。憤怒の形相でエーリヒを睨めつける。
彼がこれほど感情を表すのはとても珍しいことだった。きっとそれだけ彼の中でも、これに関して長い間燻っている思いがあるのだ。それはアルブレヒトも同じだ。
己の心を殺して、覇権を握るべきなのか。
その価値が本当にあるのか。
やるせない、無力感……
「主君ご自身が王となることを、考えたことはありますか」
ジークヴァルトの怒りをよそに、エーリヒは飄々と言い放った。




