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85.侯爵邸にやってきたお嬢様(2)

《ヘリガ・ドレヴェス》




(あのエーリヒ様が声を上げてお笑いになった。)

 使用人達の間でその話題は一気に広がった。


 エーリヒといえば、常にかすかな微笑みをその端整な容貌にたたえていて、貴族然とした雰囲気を崩さないため、腹の底では何を考えているのかわからない恐ろしさを秘めている。それは高位貴族の中で培ってきたスキルなのだ。


 それができる、うちの若様はこれからも高位貴族として安泰。だとは思っていたが、それは誰にも心を明かさないということでもある。

 せめて愛する女性を見つけて、その方にだけでも心を開いてくれれば、若様を唯一癒やすことのできる女主人に全力で仕えていこうと。

 そうヘリガは思っていた。




「ヘリガ・ドレヴェスと申します。これからヴェローニカ様にお仕えします、護衛侍女です」

 同じく護衛侍女の、リオニーとウルリカが挨拶をする。


 ヴェローニカの部屋の寝室にはエーリヒの寝室とのコネクティングドアがあり、扉続きの部屋となっている。だがおそらく彼女はまだ知らないだろう。

 そう、ここは主人の未来の奥方の部屋なのだ。

 どういうつもりでエーリヒがここを指定したのかはわからないが、それだけ大切な方だというのは使用人達もすでに把握している。



 この方が何歳であろうと関係などない。主人の大切な女性を守るのが私達の仕事だ。

 だが……

(この男は誰だ。)


 先ほどから未来の奥方のこの部屋に居座り、ヴェローニカの隣に悪びれもなく座っているこの、紫髪紫眼の女のような風貌の男は。



「そう殺気を立てるな。私はヴェローニカの騎士だ。姫を守るのはそなた達と一緒だが、私が第一の騎士だぞ」

 ユリウスとかいう紫髪の女顔の貴族が余裕そうに足を組み直しながらそう言った。馴れ馴れしくもヴェローニカに寄り添うような近さだ。


「…貴様、何を言っている…」

 そのような軽薄な風貌で騎士を名乗るか。そして騎士と言いながら主人の隣に座するのか。

「ヘリガ!」

 リオニーが止めに入る。ウルリカは「私もそう思うけど…」などと言っている。同じく多少の反感があるようだ。



「貴様、か。怒るとエーリヒそっくりだ」

「エーリヒ様を呼び捨てにするな!」

「今度はユリアンと同じことを言う。よほどそなたらは主人が好きなのだな」

「…………」

 急にわけのわからないことを言われて感情が乱れてしまった。怒るべきなのか喜ぶべきなのかわからない。



「ヘリガさん、ごめんなさい。ユリウスに悪気はないのです。ユリウスの主は私なので、何かあったら私に言ってください」

 ヴェローニカが謝ってきたことに少し動揺した。

「ヴェローニカ様は私達の女主人です。謝る必要などありません。それに私のことはヘリガと」

 ヘリガは胸に手を当て敬意の礼をとる。


「ではヘリガと呼ばせてもらいますね。ヘリガ。謝る必要がない人などいませんよ。非があるのなら皆、謝るものです。それは大人だろうが子供だろうが、貴族であろうが平民であろうが、皆一緒です」

「…………」

 また、混乱してしまう。その間に彼女はユリウスを窘め始めた。

「ユリウスももう少し波風立てない話し方を考えてくださいね」

「うーむ……だがな…」



「あの…ヴェローニカ様。私達は護衛侍女としてヴェローニカ様をお守りするよう、エーリヒ様より仰せつかっているのですが……その者は、何者なのですか」

「ユリウスですか?」

 ユリウスに向かって説教をしていた彼女はこちらを向いて、「うーん」とうなる。


「それについてはそなたらの主人から聞け。どこまで話すかはエーリヒが決めるだろう。私としてはなんでもかまわないが。結局話して困るのはやつだろうからな」


「どうして?」

「ん?私のことを話して受け入れられずに追い出されたら、姫も出ていくだろ?」

「…そうですね」

「では困るのはエーリヒだ」



(なんだかはわからないが、何か若様の弱みでも握っているのか。やはりこの男は気に食わない。)


「さっきから言ってるだろ。殺気を飛ばすな。……不愉快だ」


 瞬間、急に怖気が走って三人とも反射的に後ろへ飛び退いた。全身に鳥肌が立っている。

「ユリウス」

「悪いのはこいつらだ。私は魔素が視えるのだぞ。威圧ではないが、敵意が視え視えで不愉快だ。売られた喧嘩は買うだろ、姫」

「それは、そうですが。…相手は敵というわけではないのですよ。誰彼構わずという訳にはいきません」



 買うのか。深窓の貴族令嬢がそこは否定しないのか。

 いやその前に、なんだ今の殺気は。一瞬だったが、まるで凶暴な魔獣に対峙したときのような感覚だった。あのような殺気を人から感じたことなどない。これは魔力量の差なのか?

 …この男は、人間なのか…?



「ヘリガ、リオニー、ウルリカ。何故ユリウスに敵意を向けるのですか?」

「そ、それは…」

「ユリウスの態度が悪いのは謝ります。でも、先に敵意を向けたのはそちらです。違いますか?」

「…………」

 そのとおりだ。主人の客人に対して、いくら正体不明の輩だとしても。返す言葉もない。


「あなた達が心配しているのはエーリヒ様のことなのだと私もわかっています。今日いきなりここへ来て、こんな子供に主人づらされるのが不愉快だということも」


「「ち、違います!」」

 リオニーとウルリカは即座に否定した。だがヘリガは考えてしまった。もしかしたら、私が苛立っていたのは、そこなのか、と。

 いや、違う!違うはずだ。

「違います、ヴェローニカ様。…そのように思わせてしまって、申し訳ございません」

 ヘリガは跪いたまま、服従の礼をとる。



「いいえ。良いのです。私もそう思うのですから」

「ヴェローニカ…」

 ユリウスがヴェローニカを慰めるように肩を抱いている。


「私も皆さんのようにエーリヒ様が心配です。無理はしてほしくないのです…。そして同じようにユリウスのことも大切なのです。ですから、ユリウスに敵意を向けるのはやめてくださいませんか。ユリウスが悪いことをしたときは私に教えてください。主として注意しますから。そして私のことも。何かあれば教えてください」



 そして彼女はまっすぐと私達を見てソファーを立ち上がり、綺麗に腰を折ってお辞儀をした。


「皆さん、よろしくお願いいたします」


 それは見たこともない作法だったが、誠意がこもっていて心を打たれるとても美しい所作だった。




◆◆◆◆◆◆


《コンラート・ネーフェ》




「一体何をしているのだ、お前達は」


 ヴェローニカの護衛侍女の着任の挨拶に彼女らだけで行かせたら、何やら事件が起きていた。

 今は執務室に三人を呼び出しての反省会だ。まだエーリヒが王城から戻っていないことが幸いである。…報告は免れないが。



「申し訳ありません、コンラート」

 ヘリガは平謝りで、

「ヘリガが先に喧嘩を売ったんだ」

 ウルリカは自分じゃないと言いたげだし、

「ウルリカだってそう思うって言ってたじゃん。私だけでしょ、さっき止めたの」

 リオニーも大差ない反応だった。


 コンラートはこめかみを押さえ、ちゃんと自分がついていけば良かったと後悔する。

 いや、これから護衛侍女としてあの方達の傍につくことになるのに、それではだめではないか。



「それで?何が原因なんだ?」

「…………」

「コンラート、あいつは何だ?殺気がヤバいんだが」

「殺気?…ユリウス様か?」

 ウルリカが思い出したように腕をさすりながら話す。

「あれは本当に人間か?エーリヒ様より殺気がヤバい」

「いや、比較するな。エーリヒ様が本気でお前達に殺気を当てるわけがないだろ」

「それもそうか」


「ユリウス様は紫眼だから高位貴族のようだし、私達とは魔力差があるんだろう。というか、殺気を当てられるって、一体何をしたんだ」

 まさか敵対行動をしたのか。やはりこのあと謝罪しにお部屋に伺わなくては。



「私、ヴェローニカ様と仲良くなりたかったのにー。ヘリガのばかぁ。もう嫌われちゃったじゃん」

 可愛いもの好きのリオニーが愚痴を言う。

「ご、ごめん、リオニー」

 見たところ、一番しこりがあるのはヘリガのようだ。


「ヘリガ、任務外れるか?リオニーとウルリカの二人でもかまわないだろう。ユリウス様もいらっしゃるし。侍女が足りなければ他にメイドをあてればいい」

「え?」

「ウルリカはヴェローニカ様に仕えるのに何か異論はあるのか?」

「異論?別にないが。あの方は案外話のわかる方だったよ。小さいのに不思議な方だ。…ユリウス様とはちょっと戦ってみたいかな」

「…穏便にな」

 ウルリカはこの中で、意外に武闘派の部類だ。



「リオニーは?」

「私はヴェローニカ様に仕えたい!お着替えさせたい!あの髪に触りたい!お世話焼きたい!他のみんなもそう言ってるよ!」

「ん。わかった、わかった。じゃ、ヘリガは?」

「私は……やります」

「本当か?」

 ヘリガが黙り込んだ。自信がないのか。

「無理をすることはない」

「無理なんか…」


「そうじゃない。エーリヒ様の今日の様子を見て、お前もわかるだろ」

「え?」

「中途半端な気持ちで仕えてヴェローニカ様に何かあれば、お前、どうなると思う?」



 ヘリガの顔が固まった。リオニーとウルリカもそうだった。

「ご、ごめんなさい、コンラート。私が間違っていました」

「そうだろう」

 リオニーは「こわいよー」と泣きそうになり、ウルリカは「や、ヤバい…」と息を整えている。どうやら意識改革は成功したようだ。


「何が不安なのかは知らないが、エーリヒ様が選んだお方だ、私達はついていけばいいのだ」

「そ、そうですね、コンラート」

 納得はしたようだが、しばらくヘリガのことは様子を見ておこうとコンラートは思った。




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