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84.侯爵邸にやってきたお嬢様(1)

《コンラート・ネーフェ》




 エーリヒ様が女性とその護衛騎士を連れて王都へお戻りになる。と旅に同行していた補佐官のユリアンからは聞いていた。その女性はまだ幼いが、もしかしたら我らの主になるかもしれない大切なお方だから、丁重に抜かりなく準備をするようにと。



 幼い女性?我らの主とは?

 どういうことかと思っていたが、エーリヒが連れてきたのはデビュタントも迎えていないどころか学院にさえ通う年齢でもないような、本当に幼い少女だった。だが、とても美しい。見たこともない輝く銀髪に清らかな青銀の瞳。そして主のエーリヒがとても大切そうに扱い、時折愛おしそうに見つめる。

 養子縁組をするとも聞いていたが、それは今は保留中で、とにかくエーリヒはなんとかしてこの少女を傍に置きたいようだ。



 エーリヒは女性に淡白だとは感じていたが、全く受け付けないという訳ではなかった。ただ、執着するのは見たことがない。

 にもかかわらず、先ほどヴェローニカにこそこそと耳打ちされた時の我が主の顔といったら。


 幼い少女に興味が?いやそれとも父性愛?

 確かに愛らしい少女ではある。

 まあどちらにせよ、誰かに興味を持ってくれたなら、そのうち好きな女性もできて結婚も考えてくれるかもしれない。

 現在のエーリヒは三男であることをいいことに婚姻、婚約など必要ないと公言して憚らないのだから。




 彼女、ヴェローニカは、領地でも珍しい高級品であるコーヒーなる飲み物についてとても詳しく語った。

 どこのお嬢様なのだろうか。

 幼いその年齢で毒物や薬物にも見識があるようだった。説明の一つひとつが詳しくわかりやすい。知識がなければああはいかないだろう。

 エーリヒも子供の言うことと悪し様にはせずに彼女の説明に熱心に耳を傾ける。

 使用人にも丁寧に接するし、不思議なお方だ。



 そしていきなり始まった紅茶の淹れ方講習。

 改めて淹れてもらった紅茶は、紅茶という呼び名に相応しく、美しく透き通った紅色だった。

 喉越しが爽やかだ。鼻を抜ける香りも素晴らしい。

 そう言えば先ほどコーヒーを語るときも、香りが素晴らしいと彼女は語っていた。なるほど、香りが大切なのだな。




「これならこのまま砂糖やミルクを入れずに飲めそうですね」

「はい。ストレートは食後に飲むのも甘くなくてさっぱりしますよ」

 コンラートの呟きにヴェローニカが微笑んだ。

 使用人の呟きにこのように笑顔で答えてくれるとは。



 ヴェローニカの護衛だというユリウスにも椅子を勧めたのだが、彼は今もヴェローニカの後ろに彼女を守るように立っている。

 彼も不思議な存在だ。紫の髪も瞳も珍しい上に、男性にしてはあまりにも美しい外見をしている。仕立ての良い衣装に立派な魔剣を帯剣していて、高位貴族には違いないのに、従順に少女に付き従っている。



「でも体のためにはこのままストレートで飲むよりも、ミルクを入れたり、レモンを搾ったりして飲むのをおすすめします」

「それは何故だ」

 エーリヒが紅茶を飲みながら質問する。

「少し難しい話になるのですが、紅茶にはシュウ酸という物質が入っていて、ストレートで飲み続けると体内で反応して石を作ってしまうのです」

「石…?」


「少しなら平気なのですが、長期になると石が体内で大きく育ってお腹や背中が痛くなるのです。腎臓という尿を作る臓器で石ができて、それが尿を排出する管のどこかでつまるのです。ですので痛む場所も人によって違うのですが、それはもう泣き叫んで転がりまわるほどの最上級の痛みだと言いますよ」

 エーリヒとユリウスが目を見張っている。コンラートには主のその反応の方が新鮮だった。



 だが、そのような症状になった貴族がいるとも聞いたことがある。しかもそれは確か、血尿が出て男性器が死ぬほど痛むという話ではなかったか。神聖魔法も効かないという恐ろしい話だったはずだ。それは濃い紅茶が原因だったのか。


 今の話のように石が詰まったのが痛みの原因だとすれば、石を取り除かなければ、神聖魔法で痛みは一時的に回復してもいつまでたっても症状は残るのだろう。たかが小さな石一つで……とは、思うが。



 神聖魔法は肉体の損傷、炎症、欠損、毒などの状態異常しか治らない。外傷の治療回復が主で、病気にはほとんど効果がないことも多い。きっと体内にできた石を消すことなどできないからなのだろう。


 痛みの理由がわかった今なら、最終的には……石ごと切り落として再生させるしかないということか。…だがその欠損の再生も満足にできる高位の神聖魔術師となると限られてくるだろうし、何より……切り落とすのは……


 コンラートはその想像にゴクリとつばを呑み込んだ。そして風味を確かめるためにストレートで飲んでいた紅茶にすかさずミルクを入れてスプーンで撹拌した。そしてぐるぐるぐるぐると撹拌し、ミルクの白と混ざっていくカップの中の紅茶を見下ろしながら考える。

 何故そのようなことをこの方は知っているのか。と。




「ですからストレートはたまににして、普段はミルクやレモンを入れると良いですよ」

「そ、それは……いったい、ど、どういう仕組みなのだ」

 後ろに控えていたユリウスがどもりながら更に質問する。おそらく局所の痛みを想像して噛んでしまったのだろう。同じ男としてよくわかる。



「仕組み、ですか?」

「いや、その、体の中で石を作らないために、何故紅茶にミルクを入れれば回避できるのだ」

「ああ。この中で先に反応させているのですよ。紅茶のシュウ酸をミルクのカルシウムと先に反応させるのです。そうすればシュウ酸として体内に吸収することはないので、腎臓で石になることはないのですよ。もう先に反応が終わっていますから」


 「ちなみにコーヒーや他にもアクの強い食べ物にはシュウ酸が含まれていますから、気をつけてくださいね」とニコリと微笑んで紅茶を美味しそうに飲む少女を、コンラートは不思議な気持ちで見つめた。




◆◆◆◆◆◆




 その後、会話をしているうちにお昼になったのでそのまま食堂で昼食をとり、午後になるとエーリヒが王城に行くというので見送りに出た。

 ここは別館の離れ部分だったらしい。本館はここより大きくて、侯爵夫妻と嫡男が王都に来たときに使う場所になっているようだ。

 ちなみに本館の向こうにもう一棟あって、そちらは次男の別館らしい。エーリヒは三男。これが王都のタウンハウスとは。王国南部にあるという領地の館はもっと広いのだろう。高位貴族、侯爵家。本当にすごいな。




 エントランス前に用意された馬車は、今まで乗ってきた飾り気のない馬車とは違って家紋付きの立派な二頭立て馬車だった。

 その前で使用人の皆さんと一緒にエーリヒを見送る。

 だが、なかなか馬車に乗ろうとはせずに何故か私を見ている。なんとなく憂いを帯びた瞳にも見えた。


 これはあれかな。長期休暇明けで学校に行きたくありません症候群かな。

 なんだかんだと一週間〜十日ほどで帰れるはずだった旅が、私の体調不良や逮捕劇など諸事情のせいで延びてしまってひと月近くかかってしまった。出立前はまだ肌寒さもあったのに、もうすっかり春めいて、庭の花々も鮮やかに彩っている。

 でも立派な大人のエーリヒに限ってそれはないか。



 使用人達は誰も口を挟まずに主人を見ている。

 ここは私がちょっとした子供らしさを見せてあげよう。


「エーリヒ様…」

 私はエーリヒに向けて両手を挙げ、抱っこをねだるポーズをしてみた。もちろん、少し恥ずかしい。だがお世話になっているエーリヒが気持ちよく出勤できるならばやむを得まい。


 するとエーリヒがピタッと固まった。


「…………」

 あれ?違ったのかな。


「…皆、後ろを向け」

 エーリヒが使用人達に命じた。一斉に後ろで身動きをした気配がする。今こちらを向いているのは私と少し後ろにいたユリウスくらいのようだ。

 「え?」と思って振り返ろうとすると、「お前は見たいのか」とユリウスが声をかけられて「ああ、はいはい」とそれには気にせず腕組みをしている。



 想像していたのと何か違う。

 家族がいってらっしゃいのハグをするつもりでああしたのに。なんだかとても恥ずかしい状況に。



「やめてしまったのか?」

 エーリヒが少しからかうような笑みを向けて首を傾げて見下ろしている。

「私は……家族を見送るつもりだったのです」

「ああ、そうだな」

 エーリヒは私のもとに屈み込んで優しくハグをした。


「…また何か間違えましたか?」

「いいや。何も間違えてはいない」

 エーリヒはひと息ついて、私の背中を抱き寄せて優しくなでた。

「…仕事に行くのが嫌なのですか?」

「…そういうわけではないが……そう、なのかもしれないな」

「お休みが長すぎたのですね」


「ふっ…あはははっ」

 エーリヒは声を上げて笑った。



 そう言えばエーリヒはシュタールでも警備兵詰所に出勤していた。

 毎日の私の面倒もジークヴァルトからの任務だった。そうだった。


「ごめんなさい、エーリヒ様は毎日お仕事をしてました」

「ははは……ふっ…。いや……そうだな。今までが休みだったのか。ふふっ…そうか。……そうかもな」

 可笑しそうにひとしきり笑い終わったエーリヒは、なんだかすっきりした顔になっていた。


「ではそろそろ本腰を入れてやらねばならないな」

 そう言って柔らかく微笑んで、私の頬を撫でてから立ち上がると、「いってくる」とエーリヒは馬車に乗り込んでいった。




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