83.王都への帰還(3)
コンラートに尋ねたのだが、返してくれたのはエーリヒだ。
「侯爵領は王国の南、海側になる。ここより随分暖かい土地だ。そしてカレンベルクはその海の向こうの国だ」
温暖な気候で海がある領地なのか。素敵。しかもそれならコーヒーの可能性が高いな。
「もしかして侯爵領でもコーヒー豆が栽培できるのですか?」
「…どうなのだ?コンラート」
私の勢いにコンラートは少し困惑気味のようだ。
「それは…私にはなんとも。条件が合えばできるのかもしれませんが。ただ、その黒い飲み物は入荷したばかりでまだあまり領地民に…浸透していなくて。価格も輸送コストがかかるために高級品ですし」
「コーヒーの苦味の良さがまだわからないのですね。ええ。そうでしょうね。コーヒーは品種や焙煎の仕方、焙煎時間でだいぶ味が変わります。浅煎りが良いのか、深煎りが好みなのか。人によっても異なるでしょうし。私は少し酸味があるのが好きですが……飲みやすいものを研究し、いくつかブランド分けすれば大衆の嗜好にも適うものがきっとできますよ。何しろコーヒーは香りが素晴らしい。焙煎するときの香りを皆さんに嗅がせればイチコロです。ああ、早くあの香りを嗅ぎたいです」
胸の前で手を組んで祈るようにつらつらと語るとコンラートの困惑が深まっていくのがわかったが、私は構うことはない。
「大丈夫です。コーヒーに含まれるカフェインが、紅茶のようにきっと皆さんを中毒にさせていきますから」
私は自信を持ってそう言う。もう、握りこぶしである。
「毒なのか?」
「…ええと。カフェインは毒と言われれば確かに毒の一種ですが、それは量によります。過剰に摂取すればなんでも毒となりますから。そういう意味では薬も厳密に言えば毒なのです。毒でありながら薬ともなるものは多いですよ?それに、このように濃い目に淹れればコーヒーよりも紅茶の方がはるかにカフェイン量は多いはずです」
「そうか…つまり飲み過ぎると何か支障があるのか?」
「これだけ濃い紅茶を好むようですと、カフェイン摂取量が多くなって、副作用が出てきます」
「副作用?」
「カフェインは主に覚醒作用があります。目が覚めて活動的になるということですね。仕事が捗ったり」
「なるほど」
エーリヒは頷いて聞き入っている。模範的な生徒である。
「他にも解熱鎮痛作用もあったはずです。偏頭痛にも効きます」
カフェインは頭痛薬とか風邪薬とかに入っていたはず。無水カフェインが。
「偏…頭痛」
私の言う言葉をオウム返しにするところがなんとも可愛らしくて微笑ましい。
「あとは利尿作用もありますし。飲みすぎると、目眩や頭痛、吐き気、不眠などの症状が出ます」
「頭痛には効くのではなかったのか」
「そのとおりです。カフェインは血管の拡張を抑えるので、脳の血管が拡張して起きる偏頭痛に効くのですが、なんでも適量を過ぎれば毒となるのです」
「ふむ。確かに紅茶を夜飲むと眠れないような気もするな。…他にも原因はあろうが」
「それはきっとストレスですね」
「ストレス…」
「ストレスとは外からの精神的、肉体的刺激のことで、それにより心や体に表れる反応のことですよ。エーリヒ様はきっと精神的刺激で心がお疲れなんです」
やっぱり不眠症気味なのかな。
「…………」
エーリヒが複雑そうな顔で私を見つめている。
あれ、まさかその原因って。
「あう。…ごめんなさい…私のせいですね」
うう。ブーメランだった。
隣でふっと軽く吹いた気配がした。
そうだよね。ここのところ迷惑をたくさんかけ過ぎていて、心当たりがあり過ぎます。
えーっと。では…
「お詫びというか…もし良かったら、私が美味しいと思う紅茶の淹れ方をお教えしましょうか」
一階の食堂に場所を移して使用人の皆さんにお披露目も兼ねたお茶会をすることになった。
と、いうより、私が飲みたい紅茶の淹れ方をレクチャーすることになった。
ここで受け入れられるかどうかはわからないが、私は普通の濃さの紅茶が飲みたいし、元の世界ではこれが良い紅茶の淹れ方だと言われていたのだから、きっと大丈夫。なはず。
「エーリヒ様。時間を計るものが何かありませんか?砂時計でも良いのです」
「砂時計…?それはなんだ」
私は口頭で簡単に説明したが、エーリヒが紙とペンを持ってこさせたので図を描いてみる。
「硝子細工で……瓢箪型で……木枠があって…」
あまりうまくはないが、とりあえず描いてみた。羽根ペンは使いづらい。ゲルボールペンが欲しい。せめて硝子ペン…万年筆…。ペン先だけでも…と思いながらいろんなペン先もついでに絵に描いてみる。
「なんだ?それは」
「これが砂時計で、こっちはついでに描いたペンです。ちょっと描きづらかったので。…これは砂が落ちる時間を利用して、一定時間を計る用途で使います。硝子細工の中に入れる砂の量を調整して、砂が落ちる時間を変えれば、用途別に作れます。中の砂は、粒の揃ったものを使います。玉の粉や貝殻など、色のついた砂だと美しいですね」
「何に使うのだ?」
「今回はこれで紅茶を蒸らす時間を計りたかったのですが…」
エーリヒがコンラートを見るが、「そのような物は存知あげません」と困惑している。
だとすると、どうしようかな。
「時計ではだめなのか?」
「あるのですか?」
エーリヒが胸元から何かを出した。装飾の美しい懐中時計だった。やはり懐中時計はあるらしい。
「わぁ…綺麗ですね」
パカッと中を開けると短針、長針、秒針がしっかりついていて美しい細工物だ。小さな宝石も輝いている。
「手回しですか?」
「……?…魔石だ」
「ああ。なるほど」
そうだった。なんでも動力は魔石の世界だった。
「手回しでも動力となるのか」
「ぜんまい式というのが昔はありました」
「昔…?今はどうなっているのだ?」
「えーとそれは…この間お話した…」
私はこそっと話そうと口元に手を当ててエーリヒに近寄ると、それを見たエーリヒが近づいてきて屈み、耳を寄せる。「電気ですよ。魔石のように電池というものに電気の素を詰めておくのです」と小声で囁く。
「ああ。…そうだったな。確かにまるで魔石と同じだな」
納得したのか、彼は頷いた。近くで見るエーリヒは表情が柔らかくてとてもいい笑顔だ。
ふぁ…推しの笑顔が尊い。
「…それはまた今度お話しましょう、エーリヒ様」
私はコソコソとエーリヒとの内緒話を切り上げた。
「何が始まるのだ?姫」
ユリウスが隣にやってくる。
「紅茶を淹れるのですよ」
そういうと少し首を傾げたユリウスはちらりとエーリヒを見た。そして何やら苦笑した。
不思議に思ってエーリヒを見たけれど、ただいつものように微笑んでいるだけである。
目の前には紅茶を淹れるための道具一式が用意された。そして補助してくれるメイドの方達が紅茶のお湯を沸かしてくれていた。水は味見をしたら、飲みやすい柔らかい味で、軟水のようである。お湯を沸かす簡易コンロのようなものは魔導具のようだ。興味深いな。
私は踏み台の上に上がって監督する。
一通りの流れをメイドに伝えた。それと一緒に茶葉の品質が落ちないように、直射日光や湿気を避けて密閉容器に保存するように伝えておく。
人数が多いからか結構大きめなポットが用意されている。どれくらいお湯を入れるかはカップで汲んで人数分を量ってみた。予めポットにお湯を入れて温めておかなければらないからちょうどよい。
「ポットとカップを全部事前に温めるのは面倒ですけれど、季節によってはこれをするしないで大きく紅茶の温度が変わります。沸騰したお湯じゃないとしっかり茶葉が開いて風味を出してくれませんので、味が変わってしまうんです。だからこのひと手間が必要なんですよ。せっかくの茶葉が勿体ないですからね」
これで全てのカップとポットがお湯で温まった。スプーンで人数分の茶葉をポットに入れる。
どうやら今まで茶葉はお湯を沸かすときに一緒に多目に入れて煮立たせていたようだ。牛乳で煮ていたらチャイ風だね。でも量らない。適当に濃い目で惜しみ無くが高級なようだ。そこにはどうせ高級品の砂糖とミルクを入れますからという意識がある。
それでは紅茶を淹れるメイドのさじ加減によって毎回味が変わるだろう。だからこそ砂糖とミルクという高級品が誤魔化してくれるのだ。
用意された茶葉は細かくて味がしっかりしていた。だからスプーンに気持ち少なめにと。
「茶葉が細かいときはスプーンに少なめに。茶葉が大きいときはスプーンに多めによそってください。その茶葉の美味しい適度な量がわかったら、いつも定量で淹れないと味が変わります」
ところどころ注意点を説明しながら進めていく。
本当は計量したいけれど、そんな細かい分量を量る量りはなさそうだった。
そして沸騰したお湯を高い位置から入れる。お湯が跳ねない程度に勢いよく。茶葉がポットの中で踊って開くように。決めた分量まで。
そして蓋をして懐中時計を見ながら二分待つ。ティーコジーがないのでポットを布で包む。もちろんちゃんと説明もしながらやってもらう。
時間になったらポットを揺らして中を撹拌させて、ティーストレーナーで茶葉を除けながら温めておいた人数分のカップに少しずつ回し入れる。初めと終わりの味が変わらないように。
ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。




