81.王都への帰還(1)
シュタールを立つ日の朝。昨日のうちにフォルカーも家族との別れを済ませていて、そのまま王都へと向かうはずだったのだが、ハインツがそこに同行することになったため、シュタールの街はにわかに賑わいだした。
騎乗するハインツら王都警備兵達を見て、シュタールの住民達はまるで戦争英雄の凱旋パレードのような騒ぎになった。メイン通りから街の出口まで人混みが続いている。
「クライスラー卿!ありがとう!」
「ハインツ様ー!」
炎のように赤い髪が柔らかな春風に靡いて、結わえた長髪が流れる。体格のいい黒馬に乗ったハインツは歓声をあげるシュタールの民達に軽く腕を上げて、その声援に応えている。
その様子は手慣れたものである。軍人だからだろうか。
そして王都警備兵達と私達の馬車がその後ろに続いた。
「はは。すごいな、これは。ハインツは人気者だ」
ユリウスが馬車の中から通りに集まった観衆を見渡し、陽気な声をあげた。
代官屋敷には空き部屋がたくさんあったので、警備兵詰所で寝泊まりしていたハインツもよく泊まりに来ていた。
そのときにユリウスとハインツは顔を合わせたのだが、やはり呼び捨てしようとするユリウスをエーリヒはさすがに窘めた。だが、エーリヒのことを呼び捨てにするのに自分が敬称をつけて呼ばれるのはと、ハインツは言う。
そして魔剣を帯剣するユリウスを見て、自分と手合わせをしてその勝敗で決めようと。
その結果、ユリウスはハインツに剣術試合で、見事勝ちを収めたのだ。
無論、ハインツの強みは自身の属性である炎の魔剣である大剣を使った戦い方なのだが、今回は刃引きをした訓練用の剣での試合だった。だから実戦ではどうなるかはわからないと皆は言っていた。
だがユリウスの方は、自身の体はマリオネットなので、本気を出したら人間の体捌きのスピードを超えられることはもちろん、通常の関節の動き以上の身のこなしができるようで、やはり自分の圧勝だと私とエーリヒの前では言っていた。不自然に思われないように手加減したと。
うん、確かに。それは強いだろうな。
だが対戦相手が急に異様な方向に関節を曲げだしたらと想像すると、強いというよりホラーかもしれないね……
しかしその一戦でハインツはユリウスの剣の実力を大いに認めて、互いに呼び捨てで呼び合うようになった。二人は性格が合うらしい。
早く言えばエーリヒとは違って、どちらかと言えば二人は脳筋タイプだ。直感と反射で大脳皮質を通さず行動するタイプ。
そして何度もハインツに飲みに誘われていたのだが。
ごめんね、ユリウス。
そのうち飲食できるようになろうね。
ユリウスは体がなまっているからと詰所にも通うようになり、暇さえあれば兵達と手合わせをしていたようだ。
――ここだけの話、だからユリウスにバレずに屋敷を抜け出すことができたのだ。そして最近は用事がなければ夜も眠るらしい。――
見た目はどう考えてもハインツが十近くは上なので、上官を呼び捨てするユリウスに警備兵達は戸惑っているようだったが。ユリウスは美麗な容姿の上に珍しい紫眼だったので、お忍びの高位貴族ということにしておいた。
実際の年齢はユリウスの方が遥かに年上なのだが。おそらく百七十歳ほどだろうか……
「密かに出立するというのは、ハインツ卿には難しい要求だったようだ」
エーリヒも少し苦笑している。まあ、想定はしていたが。と。
街の人達に手を振りながらゆっくりと進むハインツの先導で、馬車の進みもゆっくりしたものになっていた。
サービス精神旺盛である。
でもこれで、傷ついたシュタールの民心が慰められるのならば、良いことだ。
「「ニカー!」」
呼びかけられた方を見ると、シュタールで仲良くなった人達が手を振っているのが見えた。ミーナとリーナ、ラウラとカイが家族と一緒に見送りに来ている。彼らも今回の苦難を乗り越えて家族ぐるみで仲良くなったようだ。
私もそちらに手を振った。
あんなに憔悴していたフォルカーの兄も、奥さんもラウラと手を繋いで幸せそうだ。そしてラウラの隣でカイも嬉しそうに笑っていた。
第一印象のせいかカイは最初、私を警戒していたようだけれど、ミーナとリーナとともにラウラが私にべったりなのでどうやら嫉妬していたようだ。
ラウラはこうしてカイと一緒に外にも出られるようになって、少しずつ以前のように過ごせるようになっている。もう心配はなさそうだ。
皆の笑顔を守れて良かった。心からそう思った。
◆◆◆◆◆◆
王都ヴァイデンに着くのに要したのはほんの二、三時間くらい。午前中のうちに着いてしまい、一行は王都の西門から入る。
王都には正門である南の大門と西門、東門がある。他にも流通用や貴族用の小さな門が幾つかあり、通行許可のある王都取引商人や高位貴族などはそこを通れる。一般検問とは分けることによって長い待ち時間が軽減され、物流が滞らないという利便性に優れる仕様だ。さらに北門があるのだが、そちらは王族専用の門らしく、一般人は通れない。
先導がハインツだからか王都門での検問もスムーズに通過した。
ハインツはそのまま兵達と王都門詰所に残り、馬車は王都内を走行し始めた。
「お嬢様。私はここでお別れですが、またお会いできることを楽しみにしておりますからね」
子爵邸に着いてマリエルが少し寂しそうに言った。
「え?」
「彼女はハインツ卿の使用人だ。だがまたここへ来ればいつでも会える。心配しなくていい」
「ここへ来ればって…?あ、今から孤児院に行くんですね。はい、わかりました」
そう言えばそうだった。養子縁組を承諾していないのだから、今の私はどこにも行き場所がない。結局、どうしても養子縁組などできないと昨夜も心に決めたんだった。また子爵邸にいられるつもりでいたな。
するとエーリヒの顔から表情が抜け落ちた。
え……?
「違いますよ、お嬢様!」
マリエルはエーリヒを見て慌てている。
何が違うんだろう。ユリウスは何も言わないが、なんだか楽しそうにニヤニヤしている。
あれ?そうだ。ユリウスがいたんだ。私はもうひとりじゃないんだった。
「そうでしたね、私にはユリウスがいました。…えと…じゃあ…あれ…?」
ユリウスと一緒に孤児院てのは、おかしいね。
「そうじゃありません、グリューネヴァルト卿のお屋敷です。お嬢様はグリューネヴァルト侯爵家の王都の別邸に行くんですよ」
そんなやり取りのあとマリエルやフォルカーら護衛達と別れてしばらく進むと、王都の中にまた隔壁と門がある。門の側には高い鐘塔。これは時の鐘らしい。馬車はその門、通称貴族門を潜って行った。
すると街並みが変わった。今までの細々した雑多な街並みとは打って変わって、大きく区画された立派な邸宅と庭が並ぶ高級住宅街だ。邸宅も庭園も大きくて、一つひとつの敷地が大きすぎる。
「貴族街か」
マリエルが座っていた私の隣の席にユリウスが移動してきて、一緒に窓の外を見て呟いた。その声が少し神妙に聞こえて気になった。
「どうしたの?」
「ん?…正直言うと、ここまでとは思わなくて」
ユリウスが街並みを見ながら眉根を寄せている。
「何が?」
ユリウスはエーリヒを見た。それにつられるように私もそちらを見たら、一見無表情だが少し不機嫌そうに見える。
「……全く」
ユリウスが何か悪態をついた。
「エーリヒ」
「…なんだ」
「ここはどういうわけか魔素が恐ろしく薄いぞ。はっきり言って困る」
「…………」
エーリヒはしばらく黙っていたが、何か思いついたようにぱちりと瞬いた。腕組みを解いて口元に当て、視線を遠くする。
「そうか。…ああ。あれかもしれない」
「なんだ。何か原因があるのか?」
エーリヒは馬車の外に目を向けた。私とユリウスが見ていた方向とは逆の窓だ。
「あそこに神殿がある。あれのせいだろう」
「なんだ、あれは…」
ユリウスが愕然として呟いた。私もユリウスの大きな体を避けて窓の外を見ると、王都で見た中では一番高い塔が見えた。電波塔のようにそれだけが高くそびえ立っている。
その塔のてっぺんに何か虹のような、土星の環のような虹色スペクトルの光の輪が水平に浮いて見える。その環の真ん中の、通常なら鐘楼の鐘があるような塔の最上階には、大きな宝石のように黒く煌めく石が設置されていた。
太陽光に照らされたそれは、玉虫色のような輝きを放っている。
綺麗だけれど……虫があまり好きではないからか、なんだか印象的に気持ち悪い。
「あれは“吸魔石”だ。お前の時代にはなかったのか」
「なんなんだあれは。空から魔素を吸い取っているぞ」
「お前には魔素が見えるんだったな。そんな風に見えるのか」
「どうりで王都の魔素が薄いわけだ。奥に行くほどどんどん薄くなる」
「あれが王城の塔にもあるからな」
“吸魔”というからには、あれは魔力や魔素を吸う魔導具なのだろう。そう言えば確か道中で、“結界石”の他にも大都市には“吸魔石”が設置されていると聞いたような……あれか。
私はユリウスの手を握って魔素を与えるように祈った。すると私を見たユリウスの表情が和らいで見えた。
「なんであんな物がある」
「魔力を集めるためだ。魔導具、魔術具。魔石、魔法石。何を動かすにも魔力は必要だからだ。便利なものを作る度に魔力が必要になる。貴族の魔力も有限だからな。王都は魔力なしでは維持できない」
「それは、そうだろうが…」
「神殿の奴らが言うには、あの光は龍神を表すとかなんとか」
「龍神?……ああ、アプトか」
え?龍神様?アプト?
王国が信仰しているのは、初代王なんじゃなかったっけ。
王都の神殿で集める魔力は主に、信者達に与えたり、治療や浄化などの措置を施すためで、王城のものは王城で暮らす王族や働く宮廷貴族や使用人が使用する生活に必要な物から、国防に関する重要な魔導具などに使うために魔力を集めているらしい。
「こんなに魔素が薄くて……大丈夫だろうか…」
ユリウスは不安そうに呟いている。
「ユリウス…王都にいない方がいい?」
ユリウスとエーリヒが私を見た。
「待て。…ちょっと…待て、ヴェローニカ…」
エーリヒは目元を押さえて目を閉じた。
「まあ…もうちょっと、様子を見よう、姫」
ユリウスは私を安心させるように握っていた手を優しく握り返した。
そして、馬車が減速を始め、とある敷地内に入る。




