8.覚悟(2)
今回の『』の会話は、魔力を含んだセリフとなります。
『』は、魔力を帯びた声、もしくは体内の魔力回路を通した声(魔導具、魔術具を使用した会話)、念話などです。
会話の中の《》は、前世の言葉(日本語)です。
『あっはははは…』
ああ、これ、私の笑い声か。何かすごく可笑しくて笑いが止まらなかったや。
『あはは…ふふ…ふっ…』
ああ……一度、冷静になろう。
必要なのは、覚悟なんだ。
罪を犯す、覚悟。
こいつらは、その覚悟もなく罪を犯している。
それがどれだけ罪深いことなのか。
何も、わかっていない。
『はぁ……なんてふてぶてしい奴らだ』
ひとしきり笑い尽くして、ため息が出た。そしてあまりにも低い声が出た。こいつらが、憎たらしくて。
自分は覚悟を決めるのに、あんなに年月がかかったのに。
それでもできれば、親なんて殴りたくはなかった。
「なんだ、お前…」
いつの間にかアンスガーが私の髪を離していて、その大柄な身体を若干引いていた。私を見る顔が引きつっている。
こいつは父じゃないけれど。あれを思い起こすほどには似たような横暴さだ。
おめでとう。お前で試すことにするよ。
この世界を生きていく、自分の覚悟を。
父、か……
ああ……気持ち悪い……
『“お前は犬畜生とおんなじで、殴らないとわからない”…ってずっとね、言われてたんだ』
ずっとそう言われて殴られ続けた。
「は?」
『犬にもさ、失礼だと思わない?まあ、私は猫が好きなんだけどね』
犬はリーダーシップを求めている。優秀な群れの長に従いたい本能がある。それがまるで父に従う自分や家族を見るようで、同族嫌悪のような感情を覚えてしまうのだ。
その点、猫はいい。自由気ままでしなやかだ。自分には決して真似できなかった生き方だ。
父は独善的な人だった。
いつでも自分が正しくて、それが全て。誰の意見も聞く気はない。なんでもかんでも命令して、怒鳴って相手を威嚇し、そして手が出る。格闘技をやっていたからだと本人は言うが。
いや、それは単なる短慮な性格ゆえでしょ。
そして毎晩飲んでるから翌日は覚えていないことも多い。昨夜大した理由もなく怒気を帯びたその顔で殴っておいて、翌朝機嫌がいいと笑顔で話しかけてきたりして、本当に意味がわからなかった。
横暴で、暴力的で、偏見に塗れ、独善的。
怒鳴れば、殴れば、皆が従うというのは、そんなに心地いいか。そんなに優越感に浸れるか。
お前らのような生き物は皆、罪悪感など感じないものなのか?相手の痛みは感じないものなのか?それが不思議でならない。
いや、そもそもそれが罪だなどとは思ってもいないのかも。被害者はいつまでも覚えていても、加害者は全く覚えてなどいない。加害とすら思ってはいない。
はは…
理解しようとしても無駄なことだったな。
人間同士、言葉は通じても、相容れないことなど容易にある。だから私は歯向かうんだ。絶対にお前らには従わない。それで殴られたとしても。
「ああ?一体何の話だ?恐怖で頭がおかしくなったのか?」
『お前らはさ、子供を殴れば従うと思ってるよね?でも違うよ?親だと思うから従うのさ。それがどんなクズでもね。ほんと、子供って健気だよね。涙ぐましいよ……たまたまそいつが生物学上の親だっただけなのに…』
もう、覚悟は決まった。
アンスガーを見据え、ゆっくりと立ち上がる。
蹴られたお腹と擦り傷が少し痛むけれど、今はもうそんなことはどうだっていい。
そしてゆっくり一歩二歩と歩み寄って、しゃがんだままのアンスガーの傍に同じくしゃがみ込む。左手で頬杖をついて、そいつを眺める。
『大人が勝手に産んだから、子供を支配する権利があるとでも思ってるの?でもさ、子供にだって感情があるんだよ。ムカついてるんだよ、あんたらに』
「てめぇ…いい加減にしろよ。何をぐだぐだと言ってやがる。大人を舐めんのも大概にしろ…」
アンスガーが胸ぐらを掴んで引き寄せてきた。
これであんたの懐に入れた。あとは手を伸ばせば、もう届く。
どうしようもなくクズなあんたらでも、見習うべき点が一つだけある。
それは、罪悪感がないことだ。
罪悪感は迷いを生む。身体を萎縮させる。
だから今だけは、いらない。いらないんだ。
私は、“悪い子”だから。
『大人?あんたらみたいなのは大人じゃないんだよ。…図体のでかいただの子供だ。弱い者を怒鳴って、殴って、虐げて…。そんなことでしか優越感を得られない、カワイソーな奴らなんだよ』
「てめぇ…殴られねぇと思っていい気になってんじゃ――」
アンスガーが怒りに拳を振り上げるよりも先に、右手に握っていた砂利を顔に投げつける。
「なん!?てめぇ、この、クソガキがぁ!!」
口汚く罵倒しながら、殴ろうとしていた手で反射的に砂利を遮った。拘束が緩んだ隙にずっと狙っていた腰元に佩いていた短剣を逆手で掴みあげる。
慌てたようにアンスガーは目をこする仕草をしながら、適当に空いた腕を振り回してきた。ちょうど短剣を掴むために屈んでいたためにそれは幸いにも空振りになる。
本当は頸動脈を斬り裂きたかったが腕が邪魔だ。だが寝込みの襲撃だったからか軽装だ。問題はない。
ありったけの力と憎しみを込めて、両手で握った短剣ですぐ目の前の胸をドンッと刺し貫いた。
「がっ!」
ドクン…ドクン……
鼓動が高鳴っている。
時間の流れがスローモーションのようにも感じられる。
全身に心臓があるみたいに血管が拍動して、その心地良い血液の流れにこのまま目を閉じて思いを馳せたいくらいに陶酔しそうだ。
まるで自分の身体じゃないみたいな不思議な感覚。
体は興奮してガソリンが回った車みたいに全速力で走り回れそうなほど活動的なのに、どこか頭は冷えていて、他人事みたいに冷静に自分の行為を眺めている。
いつかの自分みたいに。
時間がゆっくり、ゆっくりと流れている。
善い事と、悪い事を、同時に行っているような、酔いが回ったような高揚感。
『はは!さすが悪党の短剣だ。よく切れる。…ナマクラじゃなくて良かった!』
アンスガーは驚愕の表情でよろめきながら刺された胸を押さえようとしている。
だがそのままにはしない。
出血を誘うために、刺し込んだ短剣を両手に力を入れて引き抜いた。
月明かりに鮮血が勢いよく飛び散る。血飛沫が自分の体にかかって、辺りにムワッと生臭い血の香りが漂う。反射的に吐き気を催した。
だめだ、怯むな。
『《天網恢恢疎にして漏らさず》』
この悪を討ち果たすのは天の意思だと。自分を奮い立たせ、両手に握った短剣を握りしめ直して、非情な気持ちで一気に振り下ろした。
首の真正面、鎖骨の間へ。
ドンッ
鋭い刃が鎖骨上窩に入り込み、その勢いでアンスガーは後ろへ倒れた。
「ゴフッ…がっ…ひゅー…ゴボッ」
気道を破ったらしい。首から口から真っ赤な血が溢れ、水音と空気が漏れる音がして泡を吹く。
恐怖の表情を浮かべている。自分の死を悟った顔だ。
今まで散々他人の命を、未来を安易に奪ってきただろうに。自分の死は、怖いのか。
ふざけるな。こいつらがしてきた罪に対して、こんなあっさりした死なんて。許せない。
『お前の罪はこんなものでは赦されない。知っているか?罪人が堕ちる地獄というものがあるらしいぞ。生前の罪業をはかり罰を受ける場所だ。まさにお前に相応しい。お前が奪った命の数だけ、そこで未来永劫苦しみ抜け!』
恐怖に歪むその顔に、呪いの言葉を吐いた。
はぁ、はぁ…
息が切れていた。今まで短剣を握っていた血だらけの手が震えている。そんなことにも気づかないなんて、だいぶ興奮していたようだ。
殺した。私は人を殺した……
後悔などない。覚悟もしていた。でも、涙が溢れて止まらない。
まだ、足りなかった。まだ、甘かった。
『《祓へ給へ……っ、清め給へ……》』
震える真っ赤な手のひらを見下ろしながら、心を落ち着かせるように深く深呼吸をした。また無意識に前世の言語を使っていた。
縋りたかった。
この世界にはいないであろうが。私にとってはここの神様よりも馴染み深いから。
「アンスガーさん!」
「こいつ、殺しやがった!」
後ろから声が聞こえて、それまで取り巻き達のことをすっかり忘れていた。
身構えようと振り返ると、お腹に痛みが走って不意に体が硬直した。緊張が途切れて体が痛みを思い出したか。
まずい、反応が遅れた。
「ぐあ!だ、誰だ、お前ら…」
「うぅ…」
一瞬遅れて振り返ると、取り巻き達が誰かに斬られて倒れていく。手に持っていた荷物が落ちて、中身が壊れる派手な音を立てる。荷物が多くて反撃などできなかったようだ。なんとも業が深い最期だ。
男達が倒れた地面には、転がり落ちた松明の火に照らされて、みるみる血溜まりができていくのが見えた。
そして、その奥には二人の人影が佇んでいた。
誰?襲撃者が来た?時間をかけ過ぎてしまった。
私は新たにやって来た二人を警戒しながら、取り巻き達が取り落とした武器に視線を走らせる。
「待て!…大丈夫だ。お前らに危害を加えたりしない」
一人が手のひらを広げて、私の動きを制止しようとする。そしてそのまま一歩、踏み出してきた。
『動くな!大人なんて信用できない!』
私の言葉を聞いて、彼らはぴたりと動きを止めた。薄暗い中、ぼんやりと松明に照らされた顔が何故か強張っているように見える。何かに恐れている表情だ。
よくわからないが、動かないでいてくれるならまあいい。
『子供達をこのまま逃がして。私達は奴隷なんかじゃない。不当にさらわれたのだから。誰にも従う気なんてない…』
譲らない。誰にもこの子達の自由を侵させない。
ゴゴゴゴゴゴ…
突如遠くから地鳴りのような、身体に響く重低音が聞こえた。それに張り詰めていた気が逸れる。
ゴロゴロゴロゴロ…
目の前の二人は空を仰ぎ見た。いつのまにか夜空が真っ暗な雲で覆われている。それまで青墨色の空を鮮やかに彩っていた星々は、分厚い雲ですっかりその姿を隠していた。
遠雷だ。どうやら雷が近づいてきている。轟き渡る雷鳴が、辺り一帯に地を這うように低く鳴り響いた。
先ほどまで夜空は雲一つなく晴れていたのに、何故突然…
「なんだ?王都の近くで、こんな…」
「稲光がこっちに近づいてます。近くに落ちるかもしれない、避難しましょう!」
二人は慌てだした。
雷?避雷針があるわけじゃないし、こんな場所では確かに危ない。
はっとして馬車を振り返る。中には子供達がたくさんいる。車なら平気だけど、あんな木の馬車じゃ絶縁なんてされない。雷が落ちたら、感電して燃えてしまうのではないだろうか。
ゴロゴロゴロゴロ…
得体の知れない獣の唸り声のような不気味な雷鳴が更に近くで轟く。急激に近づいてきている。
「おいおい!なんなんだ?おかしいだろ?ここはもう王直轄地なんだぞ!結界石はどうしたんだよ!なんで魔素が拡散されないんだ?こんなの、おかしいだろ!」
結界石?魔素?何それ?
いや、それどころじゃない!でも一体どこに隠れたらいいの?馬車もダメ、木陰も木に落ちるからダメ。広場?広場で身を低くして…でも走って逃げるのも空気が乱れて危ない気がする。
ピシャッ!
その瞬間、世界が真っ白に染まった。
余りにも眩しすぎる強い光。そして見惚れるほどに美しい青みがかった真っ白な世界。目の前を走る網膜が焼けるほどの一際強い光の帯。
終わったと思った。また死んだと。
そしてそのまま私は意識を手放した。
気を失う前に最後に見たのは、眩い光の中、一筋の光の帯が倒れていたアンスガーに刺さったままの短剣の柄に伸びていった光景だった。
《第1章「発現」了。 第2章「命名」へ続く》
口が悪くてごめんなさい。