77.ミーナと白雪姫(1)
《ミーナ》
「ねぇ。今日は街に出てみない?」
いつものように庭に行こうとしたら、ヴェローニカがそう言って微笑んだ。
彼女のあどけない笑顔はいつ見ても、こちらまで嬉しくなって笑顔になる。
とても綺麗な銀色の髪の小さな女の子。それなのに、この子は綺麗なだけじゃないの。
「でも、ニカ…あたし達だけで…行くのは…」
眉を寄せて弱々しい声で言ったのは、最近友達になったラウラだ。
ラウラの気持ちはミーナにもよくわかる。自分と妹も乱暴な男達に、ついこないださらわれたばかりなのだから。
ミーナとリーナは今日も代官屋敷を訪れた。
毎朝屋敷の護衛である傭兵のおじさんが、交代で家まで迎えに来てくれるのだ。
しかもその際、ヴェローニカは自分の髪留めを身分証代わりに迎えの傭兵達に毎回持たせている。その髪留めはただのリボンなんかじゃなくて、キラキラの綺麗な琥珀色の魔晶石とかいう宝石が付いた細工の美しい立派なものだから、誰かが所属を偽ることなどできない。
姉妹だけで外へ出すことを心配していた両親も見慣れたその豪華な髪留めを見ると、すっかり安心してミーナとリーナを傭兵に預けて仕事へと向かうのだった。
その配慮は両親が頼んだことではないらしい。こういうこともヴェローニカが考えつくのだろうか。
彼女は出会った頃からとても大人びていて、ミーナよりも随分と小さいのにあまりにもしっかりしていて、どうしても心のどこかで頼ってしまっている。自分もリーナの姉として、しっかりしないとと思うのだが、どうしてもヴェローニカといることで安心感を得ている自分に気づく。
彼女は以前名前はなくて、つけてもらった新しい名前は“ニカ”だとミーナとリーナには名乗ったけれど、それが省略した愛称なのはミーナも知っている。屋敷の人間がよく「ヴェローニカ様」と呼びかけているから。
そして野原に咲く美しいスミレ色の瞳と髪のユリウスという人も、彼女を「姫」と呼ぶのをよく聞く。
やはりヴェローニカはお姫様なのだ。
「大丈夫だよ、ラウラ。ユリウスも一緒だから」
ヴェローニカはソファーにいたユリウスを振り返った。彼は呼びかけに気づいてこちらを見て、ヴェローニカに柔らかく微笑んだ。
ユリウスは本当に綺麗な男の人だ。そしてこの人がこんな風に優しく微笑むのは、ヴェローニカにだけ。
こんなに美しい大人の男の人をミーナはそれまで見たことがなかった。当然街にはいない。
ヴェローニカは彼を大切な人だと言っていたが、一体どういう関係なのだろう。
侍女のマリエルに読んでもらった、王都で流行りだという騎士とお姫様の恋物語を思い浮かべる。お姫様に跪く騎士の挿絵が素敵な本だ。でもそれにはあまりにも二人の年齢が合わなかった。
「ユリウス様は、やっぱり強いのか?」
ラウラと一緒に来ているカイが目を輝かせる。
男の子は傭兵とか、騎士とか、そういった話題が大好きなのだ。ミーナの近所に住む子達もそうだった。
「ああ。当然だ」
「フォルカーおじさんより?」
「フォルカー?…話にならんだろ」
ふふっと軽く鼻で笑うような態度だった。そこに本人がいるというのに。
「はは。そうですね…」
ユリウスとは対照的にフォルカーの笑みは引きつり気味だ。そしてカイに「俺はおじさんじゃない」とまた注意している。
フォルカーはラウラとカイと一緒にここまで通っている。ラウラを安心させるために叔父のフォルカーはよく実家に泊まるようだ。だが今日のフォルカーは少し酒臭かった。
「姫、本当に外出するのか?身体は大丈夫なのか?」
「もう。何度も言いましたよ?本当に大丈夫です」
「ふむ…」
「ユリウス。これはラウラの練習でもあるんですよ。だから許可してください。私達がいるうちの方がきっと安全に外出できますから」
ヴェローニカはあまり家から出たがらないラウラの心配をしているようだ。
「そうか。なるほどな。…フォルカー。この子達の外出を許すなら誰か暇な奴を護衛につけろ。お前でもいいし」
「え?…ユリウス様がご一緒なんじゃ…」
「私はあくまで姫の護衛だ。他まで気が回らんかもしれん。子供はうろちょろするものだからな」
「はあ。そうですね」
そうして私達は代官屋敷を出て、シュタールの繁華街へと出かけた。
ラウラはカイと手を繋いで歩きながら、たまにキョロキョロと背後を気にしている。物音や気配が気になるようだ。そういう素振りをよく見かける。それを心配そうにカイは見ている。
二人は初め、ちょっとした諍いがあったけれど、今はカイもラウラに優しく接していて問題はなさそうだ。きっとカイがいれば、そのうちラウラももとの生活に戻れるに違いない。
でもカイとケヴィンを叱ったあの時のヴェローニカもすごいなと思った。あんなことで怒る人は正直見たことがなかった。
彼女は今だに男性陣が何か女性に失礼なことを言ったりすると、すかさず言葉巧みに注意をするのだ。
彼女曰く、“男尊女卑”というのをする人が許せないらしい。
この間など自分の嫁を軽んじた傭兵の一人の発言を聞きつけて、「あなたは誰に産んでもらったのですか?女性は一年近くもかけて自分の身体の中でその身を削って栄養を与え、人間を一人創造するのです。産んだ後も夜も昼も関係なく授乳しなければならないというのに。それをあなたは手伝ったりできるのですか?そんな女性を侮辱することは、あなたの生まれを侮辱することと同じですよ」と言っていた。
大人に対しても彼女は物怖じなんてしない。
彼女曰く、「空気を読むことも大事ですが、読まないこともまた大事なのです。遠慮して黙っていると、それでいいのだ、当然なのだと思われてしまいますからね。誰かが我慢することが当然なことなどないのです」とのこと。
そんな事を日々聞いているからか、カイは他の男の子達よりも優しい気がする。
最近母親を馬鹿にした父親に彼女のように意見をしたら、父親は面食らい、母親には大層褒められたのだそうだ。
あの夜もそうだった。妹とさらわれ、馬車の中で皆がすすり泣いて、絶望を身体中で感じていた。どうにか妹を励まそうと震える手で抱きしめるしかできなかったあの時、ヴェローニカだけが希望を失わずに微笑んでいた。
彼女は最後までとても凛々しかった。
「あ、本屋さんがありますね」
隣を歩いていたヴェローニカが呟いた。
フードを目深に被って、あの美しい白銀の髪を隠している。今ここであれを晒してしまったらきっと大騒ぎになることだろうなと、その秘密を知っているミーナは少しくすぐったい気持ちになった。
「ねぇ、ミーナ。皆で好きな本を買わない?それで文字を覚えるの」
ヴェローニカがミーナを振り返って微笑む。
「え?本を?…でも、本は高いし……それに文字なんて、覚えられるかな」
本は庶民には高い買い物だ。だがシュタールは王都に近いからか、本屋がある。代官が王族だったからもあるだろう。顧客となるのは文字の読める役人達や商人、富豪くらいだ。
「だから好きな本を買うのよ?皆興味のある本を選ぶの。お小遣いはちゃんとあるからお金なら大丈夫」
「でも…」
文字も読めないのに本なんて高いもの、買ってもらう訳には……
ミーナはそう思ったが。
「じゃあリーナはこないだマリエルさんが読んでくれたようなお姫様と騎士のお話がいい!」
ミーナとヴェローニカの二人と両の手を繋いで間を歩いていたリーナが元気よく笑った。
「そうね。だったらこないだとは違うお話の方がいいね。お店の人におすすめを聞いてみよう?」
「ほんと?やったぁ!」
断ろうと思ったのに、リーナが手を離して嬉しそうにヴェローニカに抱きついた。
「あ…」
二人とユリウスが先に本屋に入っていく。
「お金なら気にするな。ニカがいいなら大丈夫だぞ」
後ろを歩いていたフォルカーが声をかけてくる。
「そうそう。気にすんな。グリューネヴァルト卿はすんげー金持ちだから」
一緒についてきたケヴィンもそう言うが、気にしない訳にもいかない。今はそれでよくても、ヴェローニカはいずれ王都に帰ってしまうのだから。




