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74.カイの焦燥(1)


 あれれー?

 …いつの間に寝てたの?私…


 眩しい朝日に目覚めると、昨日も寝ていた代官屋敷の寝室のベッドの中だった。

 昨夜のことがよく思い出せない。

 確か、暗視だの蛇だのサメだのと、女の子としてはいただけない会話をエーリヒとしていたはず。

 …あれは夢だったかな。


「…………」

 ベッドの上で起き上がって、もう一度よく考え直してみる。

 ……違うな……



 あまりにもエーリヒの色気に当てられすぎて、なんだか迷走して話題のチョイスを間違えた気がする。


 だってまさかの風呂上がりガウン姿。しかも絹のような高級な質感の黒いガウンで襟元に細かな刺繍が入っていてそれが超似合うし、緩く開いた前合わせからは普段は隠れた美しい首筋と鎖骨、引き締まった胸筋が見えてしまっている。

 暗がりでもわかる少し濡れた亜麻色の髪からは、香油か何かのいい香り。

 抱きしめられるとよくわかる、女性とは違う硬くがっちりとした筋肉質な逞しい腕と胸板。

 その上、近くから聞こえる低音イケボ。

 石鹸とフェロモンとワインの香りと、そして庭園の薔薇の香りで酔ってしまったようだ。

 やはり自分は匂いフェチなんだな。あ、あと声もね。

 もう全般的に攻撃力が高すぎて、あんなの抗えない。



「やばい…」

 また想像してしまい、声を漏らしながら両手で顔を覆い蹲った。


 いいや、これはきっと推しへの感情だ。

 そう言えばそんなのあったね。あのダンスしながら歌いだしたらペンライトを振るやつね。あれに違いないわ。

 つまり、あれはファンミなのね。ファンミのファンサなのね。(もう何を言ってるのかわからない。)

 そうだ。そうに違いない。あれはもう一種のアイドルなのだ。

 これが偶像崇拝か。なんて恐ろしいの。そりゃ禁止もされます。(ちょっと違う。)


 抗えないのなら、せめて邪念は祓わなきゃ。

 そうよ、よく考えて。私、エーリヒ様よりも年上だったじゃない!



「そうだったー!!…………」



 …はい。切り替え完了。もう大丈夫です。



 そう言えばエーリヒ様。結婚も婚約も否定してたけれど。

 …恋人の存在は否定しなかったな…



 そりゃ、いるよ。あんなの。

 ふぅ。危ない危ない。道を外すところだったわ。


 催淫効果の香水か。

 きっとあんな感じなんだろうな。しかも魅了させるための魔法がかかってるとか、匂いフェチにはもう不可避じゃん。

 怖いな、貴族社会。気をつけよう。




◆◆◆◆◆◆


《カイ》




 最近、カイの家の近所に住むラウラがさらわれて大騒ぎになった。

 ここのところこの街では、子供がさらわれるという噂があった。話には聞いていたけれど、まさか、ラウラがそんな目に合うなんて。

 近所総出で懸命に探したのに全然見つからなくて、探し始めてから三日目にはもう皆が絶望的な雰囲気になっていた。


 ラウラのお母さんが泣いている声が聞こえる。ラウラのお父さんは目の下に隈を作った悲壮な顔つきで、一体いつ寝てるんだと言いたくなるほど毎日必死で探して、うちの親父も手伝ってはいたけれど、もう皆がいろんな意味で限界だった。



 そこに「フォルカーが街の食堂に来ている」と聞いたラウラのお父さんは、家を飛び出していった。

 まだ走る元気があったんだ。


「親父、フォルカーって誰?」

「フォルカーはラウラの叔父だ。あいつの弟で、王都じゃ有名な傭兵なんだ」

 傭兵か。強いってことか。

 でも強いからって、ラウラが見つかる訳じゃない。



 ところが夕方になると親父がまた手伝いに出ていった。何か大人達の雰囲気が今までとは違って緊迫した様子だ。もうほとんど諦めかけていた空気が変わった気がする。

 気になって仕方なかったけれど、子供の自分には何も詳しく教えてもらえない。いつだって子供は、大事な事はあとから知らされるんだ。

 今夜は帰れないかもしれないから、ちゃんと戸締まりしていろとだけ母さんに告げて、慌ただしく親父は出ていった。




 人生で初めて雷というとんでもない爆音現象に出くわしたその夜遅くに帰ってきた親父を出迎えると、まだ起きてたのかと少々小言は言われたが、無事にラウラが見つかったと親父は嬉しそうに笑って、母さんも泣いて喜んだ。

 信じられない事に、ラウラの叔父フォルカーの雇い主の貴族が先頭に立ってラウラを探してくれて、しかも他のさらわれた街の子供達や女達まで助け出してくれて、王都警備兵まで呼んでくれたという。


 親父は上機嫌で近所のおじさん達と飲み明かした。ラウラの家族はお父さんだけお礼の挨拶に来て、あとはラウラと家に帰ったらしくて会えなかったが、明日になったらまたラウラに会えるだろう。

 そう思っていたのだが。



 あれから全くラウラが家から出てこない。

 ラウラのお母さんの話だと、家から出るのを怖がっているようだ。

 どれだけ怖い思いをしたんだろうか。

 会いに行きたかったけれど、母さんには止められていた。そっとしておいてあげなさいと。



 でもしばらく経ったある日、ようやくラウラはどこかへ家族と出かけたらしい。

 夜帰ってきた母さんに尋ねると、一人では怖くてまだ外出できないが、翌日も母親と一緒に代官屋敷へ出かけると聞いた。


 代官屋敷?代官は今回捕まったと聞いている。

 詳しく聞くと、ラウラを助けてくれた貴族の一行が滞在しているらしい。そこにラウラを助け出してくれた叔父もいるようだ。

 じゃあ、叔父に会いに行っているのか?

 傭兵か。強いのかな。だから家の外に出ても安心なんだろう。




 代官屋敷はとても立派な佇まいだった。王族の遠縁だかが住んでいた大きな邸宅で、ここシュタールで一番の高級住宅だ。

 高い塀に囲まれていて、潜り込めそうにはない。生け垣だったらこっそり入ろうと思っていたのに。


 大きな門構えの向こうの玄関先で剣の稽古をしている大人達が見えた。

 あれが貴族に雇われている傭兵達だろうか。

 あの中にラウラの叔父がいるのか?いや、ラウラはもう屋敷の中に入ってるはずだから、叔父も屋敷の中にいるのかな。




「おお、どうした?坊主。何か用か?」

 顔に傷がある傭兵が門の内側から、代官屋敷の様子を窺っていたカイに声をかけてきた。

「え?…いや。…ちょっと、見てただけで」

「なんだ?興味あるのか?」

「おじさん達は、傭兵なんですか?」

「まあな」

「強いの?」

「はは。…まあ、それなりだな」

「…フォルカー…さんて、強いの?」

「フォルカー?なんだ、お前フォルカーの知り合いか?…ああ、あいつここの出身だったな」


 傭兵は顎に手を当て呟いている。

 頬の大きな傷が目立っていて痛々しい。傭兵の仕事でできたんだろうか。



「フォルカーに用事なのか?」

「そういう…訳じゃ…」

「ふーん。そうか」


 用事だと言えば中に入れるのだろうか。

 しかし肝心のフォルカーという人にはカイは会ったこともない。そこにはラウラもいるだろうが、突然行ったらラウラが怖がるかもしれない。

 怖がられたら、嫌だな。


「あの……ラウラは、元気でしたか?」

「ラウラ?」

「ラウラが、さっきここに来たと思うんですけど」

「ああ、嬢ちゃんの友達のことか」

 嬢ちゃん?友達?

「そのラウラって子の友達なのか、坊主」

「…ラウラは近所の子で…でも、あれから全然家から出てこないから…」

 カイは視線を落とす。腕組みしながらそれを見ていた傭兵は、うーんと唸った。

「なるほどな。…とりあえず入れ、坊主。会えるか聞いてやるから」

「え?いいの?」

「聞いてみてはやるが、会えるかはわかんねえぞ。…まあ、あんな目に合ったんだしな。わかってやれ」

「…………」




 敷地内に入れてもらい、ケヴィンという傭兵が席を外している間、カイは傭兵達の訓練を眺めて待っていた。

 剣を持たせてもらったらものすごく重くて、あんなふうに持ち上げたり振ったりはできそうにない。大人になったらできるようになるのだろうか?それともやはり訓練しないと無理なのか。



 それにしても貴族の屋敷とは本当に広い。こんなに剣を振り回して訓練できるような場所が玄関前にあるなんて。しかも建物もでかいし、この裏にはもっと大きな庭もあるらしい。ラウラ達はそこにいるようだ。


 ここにはラウラよりも小さな貴族の少女がいて、その子に会いにラウラの他にも街の子供が遊びに来ているとのこと。

 遊び相手を頼まれたんだろうか?貴族と庶民の子供が遊ぶなんて、そんなことあるのか?



「おう。坊主。許可が出たぞ。良かったな」

 ケヴィンは見た目と違って気さくで優しい傭兵だった。




 建物の外を回りこんで庭園へ案内される。

 奥へ進んでいくと少女達の楽しそうな笑い声が聞こえてきて、少し緊張してきた。

 建物の角を曲がる。

 花壇には名前も知らない優雅な春の花々が咲いている。それらが柔らかい風に揺れているその先に、ラグを敷いて少女達が座ったり寝転んだりして笑顔で話しているのが見えた時、スッと大きな影がカイの視界を遮った。




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