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71.夢の中の女の子

《ラウラ》




 その女の子に会った時、ラウラにはすぐにわかった。あの、夢の中で会った白い女の子だと。




 あの日ラウラは家路を急いでいた。

 最近は突然子供がいなくなる事件が増えているから、ひとりにはならないように、暗くなる前に早めに帰ってきなさいと両親に毎日口うるさく言われていたからだ。


「もう、何度も何度もうるさいな」


 そんなことはもう十歳になったラウラにはわかっている。ラウラはもう近所の子達の中ではお姉さんなのだから。



 そのときは本当に油断していたのだ。

 だって、子犬がたくさん産まれて貰い手に困っているから見に来てほしいと頼まれたのだから。

 確かに知らないおじさんだった。だから一度は断った。でもそのおじさんは、「お父さんとお母さんに帰ったら相談してほしいから、とりあえずどんなに可愛らしい子犬達がいるかだけでも見に来て欲しい」のだと言う。君が気に入った子を優先的に譲るからと。


 犬を飼うなんて多分無理だろう。でも、産まれたての子犬なんて、きっと可愛らしいに違いない。見てみたい。そして皆に自慢したい。



 ラウラはわくわくしながら、子犬を見に行った。街の外れの方まで来て、人気の無さになんだか急に怖くなってきて、「やっぱり帰ります」と振り返った時には、もう遅かったのだ。

 廃屋の影から数人の大人達が現れて、近づいて来ていた。すでに囲まれている。

 そしてラウラは口を塞がれ、男達に捕まった。

 少しもがいたけれど顔を殴られた。


 殴られた頬が痛い。殴られた拍子に転んで擦りむいた膝が痛い。

 そんなことは生まれて初めてで、痛くて怖くて震えてしまって、体に力が入らなくなって、あとはもう声も出せなかった。

 ただ殴られた頬が、ジンジンと熱くて痛くて、心の底から怖くて、涙がこぼれた。


 どうしてこんな目にあうの?

 どうしてラウラばっかり。

 ラウラが悪い子だから?

 ラウラがいけないの?




 連れてこられた洞窟の奥には木でできた格子状の柵があって、檻のようになった部屋があった。

 真っ暗でじめじめした洞窟に明かりは蝋燭だけ。薄暗くて初めはわからなかったけれど、目が慣れるとラウラよりも小さな子や大人のお姉さんもいた。

 皆泣いていた。お姉さんは殴られたのか、口元が切れている人もいるし、服が破れていたりして乱れている。そして何よりも怖かったのが、ラウラよりもずっと大人のはずのお姉さんが、絶望的な泣き顔をしていたからだ。



 洞窟の中は大人の男達の酒盛りの声が反響していた。距離があったので何を話しているかはわからなかったし、聞きたくもなかった。

 笑い声が怖かった。お父さん達とは全然違う。

 時折お姉さん達が連れて行かれて、叫び声と笑い声が聞こえてくる。

 怖くて怖くて仕方がなかった。涙と体の震えが止まらなかった。怖くて、寒くて、それなのにお腹が空いて、眠ることなんてできなかった。



「明日出荷する人数を聞いてこい。お前はどれにするか選んでおけ」

 柵の前で松明を持った誰かが指示を出している。



 嫌だ。もうお母さんにも、お父さんにも、会えなくなるの?嫌だ!

 お父さん、お母さん、ごめんなさい!

 これからはちゃんと言うことを聞きます!

 もう、ラウラは悪いことはしません!

 ちゃんといい子になるから!

 だから、どうか、どうか助けに来て!!



 ラウラはその日ずっと祈っていた。

 そして、それからどれくらい祈っていただろう。あまりにも疲れて眠気が襲ってきた頃だった。洞窟の中に今までで一番大きな、大人達の怒鳴り声と叫び声が響き渡って目が覚めた。

 そして洞窟の外からはそれまで聞いたこともない轟音が聞こえてきたのだ。


 洞窟が震えている。空気も響いている。何かが怒っている。とてつもなく大きな何かが。

 もしかしたら大きな魔獣が来たのかもしれない。このまま食べられてしまうのかもしれない。

 初めて聞く耳を塞ぎたくなるほどの轟音に、ラウラは咄嗟にそう感じたのを憶えている。



 恐怖に堪えかね、耳と目を塞いでいるうちに柵の前に大人達がなだれ込んできて、何事かと皆が身構えたけれど、鍵がかかっていた扉を開けてくれて、助けに来てくれたのだと知って、それまで張り詰めていた皆はまた泣きだしてしまった。とにかく皆が大声で泣いていた。それしかできなかった。

 ようやく絶望から解放されたラウラも泣いていたら、「ラウラ!ラウラ!どこだ!」と何度も必死に名前を呼んでいる人がいて、近づいたらそれは数年前に会ったことのあるフォルカーおじさんで。おじさんもラウラを見て泣いていた。そして「良かった…良かった…」ってラウラを抱きしめてまた泣いていた。



 洞窟から出たら外も真っ暗で、あれからどれくらい経ったのかもよくわからなかったけれど、お父さんとお母さんの顔を見たらひどく安心して、たくさん泣いたあと眠ってしまった。


 そして、ラウラは夢を見た。




「もう大丈夫だよ。何も心配いらないからね」

 白い女の子はそう言って微笑んでいた。

 顔はよく見えなかった。ただ眩しい光に包まれていて、その光はなんだか温かくて、声も知らない子だったけれど怖くはなかった。


 朝起きたら心が温かくなっていて、それに甘くてお花のようないい匂いもしていた。あちこち痛くて怠かった身体も何故かすっきりしているような気がする。

 目を開けると、お父さんとお母さんが隣で「おはよう、ラウラ」と微笑んでいて、とても幸せな気持ちになった。

 やっと帰ってこれたんだと思った。




 でも、またふとした瞬間に思い出す。男達に捕まったときの恐怖を。殴られた痛みを。洞窟での絶望感を。悲鳴とあの笑い声を。喉の渇きと空腹感を。寒くて心細くて震えていることしかできなかった無力感を。


 後ろに誰かの気配があると怖くなって振り返る。お父さんがびっくりした顔をして、「どうしたんだ、ラウラ」って心配そうな顔をして抱きしめる。


 もう外に出るのが怖い。

 暗くなると心細くてたまらない。

 一人で眠るのが怖い。

 ラウラが悪い子だから、あんな目にあったんだ。




 でも、泣きながら眠りにつくとまた夢を見る。

「大丈夫。あなたは何も悪くない。悪いのは、あいつらだから。だから自分を責めないで」

 ラウラよりも小さな白い女の子が、そう言って手を繋いでくれる。

 確かに繋いだ感触があった。いつも彼女は温かくて、甘い香りがする。

 そしてまた朝が始まる。




 時に励まされ、少しお説教もされたりして、それが何日か続いて、白い女の子の夢を見ることをお父さんとお母さんに話したら、今街で噂になっている白い女の子の神様の話を教えてくれた。

 ラウラはあれから家から出ずにいて、誰にも会ってはいなかったから、知らなかったのだ。


 あの日、雷なんか鳴らないはずのシュタールの街に雷鳴が轟いて、神様の子が天から降りてきた。

 ラウラ達を捕まえて奴隷として売ろうとしていた犯罪者達が皆捕まって、今はその女の子に夢の中で懲らしめられているんだと。

 きっとその子はラウラを心配して、夢の中にやって来るんだねと。



 少しは怖くなくなってきた頃、女の子の夢を見なくなった。

 ラウラは少し寂しかったけれど、「もう、大丈夫だよ」ってその日起きたら言ってみたの。その女の子が言っていたみたいに。




 その日はフォルカーおじさんに連れられて、お父さんとお母さんと代官屋敷まで行くことになった。

 代官屋敷には今、フォルカーおじさんの雇い主である旅の途中の貴族が住んでいる。

 外に出るのはまだ少し怖かったけれど、ラウラを助けてくれたのは、フォルカーおじさんとその雇い主の貴族様だと聞いていた。そしてそこの小さな女の子が、ラウラ達が捕まっていた洞窟の場所を見つける手助けをしてくれたんだと教えられたからだ。

 その子はずっと熱を出して寝込んでいたけれど、ようやく目を覚ましたから、会いに行こうと。



 会った瞬間にわかったの。

 ああ、あの女の子だって。



 夢の中では光に包まれてぼんやりとしていたけれど、ラウラにはわかった。

 その子を包む優しい空気が、清らかな雰囲気が、あの夢と一緒なのだ。

 それはとても綺麗な、銀色の髪の女の子。ラウラよりも小さな可愛らしい女の子。

 お母さんが話してくれるおとぎ話に出てくるお姫様というのは、きっとこういう子なんだと思ったくらい。



 ラウラは目を見開いた。

 そして彼女と目が合った。

 彼女は優しく微笑んで、口元に小さな指を立てて見せた。

 ラウラはコクンと、頷いた。

 でも、ちゃんとお礼を言わなきゃと思ったから。


 ラウラはベッドの上で体を起こしているその女の子に駆け寄って、泣きついた。

「…ありがとう…」

 うまく言えたかわからなかったけれど、とにかく泣きながら必死にお礼を言った。

 周りの皆はびっくりしていたようだけれど、その子だけは、優しくラウラの頭を撫でてくれて、

「おかえり、ラウラ」

 そう言ってくれた。“もう、大丈夫”だと言ったでしょ?と。




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