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70.シュタールの奇跡


 会議の内容は、魔術具のバングルを通して、シュタールの宿ではユリアンに繋いでユリウス、マリエルと、ハイデルバッハではリーンハルトに繋いでエリアス、ディーターに共有させていた。

 会議傍聴の際には、周囲への盗聴対策も魔導具を使用させるなどして徹底することをエーリヒは指示していた。

 なお、マリエルに聞かせるかどうかはハインツの判断を仰いでいる。



 ヴェローニカがいつ意識を取り戻すかわからないため、一行は警備兵詰所にも近い代官屋敷へと移動した。

 家宅捜索についてはすでに終わったため、ハインツから勧められたのだ。

 もちろんエーリヒにきちんと詰所に通ってもらうためでもある。



 ヴェローニカが眠る間にも捜査は進み、役人達の余罪などについても調べられ、今回の騒動は逮捕者が多数に及ぶ大事件となった。

 そのためシュタールの街は連日騒がしかったが、治安は今後良くなるだろうとの見通しがあったため、住民達の暴動などは特に起こることはなかった。

 今回の逮捕劇に関わったのが、旅の途中の貴族の一行で、それがシュタールでも名高いクライスラー子爵の縁故の者達と噂が流れていたことも一役買っていた。


 さらわれた家族が帰ってきたと喜び、感謝した住民達も大勢いたが、もっと早く来てくれていたらと悲しむ者達も中には存在したのもまた事実であった。



 一方フォルカーの家族やミーナ、リーナの家族、ハインツなどがヴェローニカの見舞いに訪れたが、依然としてヴェローニカが意識を取り戻すことはなかった。

 その間も当然のことながら犯罪者達は牢の中で苦しみ泣き叫んで、初めは悪態や泣き言ばかりを喚いていたが、徐々にだがようやく反省を訴える者が出るようになってきた頃、悪夢を見なくなった者が現れ始めた。

 それに気づいて見習う者が多くなり、ついにその数日後には悪夢にうなされる者が一人もいなくなったその日、ようやくヴェローニカは目覚める。



 白い少女の話は、王都の警備兵達から街の住民達に広く話されて、神の子、シュタールの奇跡として囁かれ始めていた。

 雷が鳴らないはずのシュタールの地で、雷雲が巻き起こり雷鳴が轟いたのは、罪人達を罰するために神の子が天から降りてきたのだと、街角に住民達が集まる度にあちらこちらでまことしやかに語られた。


 空を覆う不気味なほど真っ黒な雷雲と慷慨するように時折光る稲光、街中に響き渡る腹の底に響く地鳴りのような雷鳴の轟音は、シュタールの民の心胆を寒からしむるには十分だった。

 それまで雷など経験したこともなかった住民達には、明らかに神の怒りと映ったのは自明の理である。


 さらには、悪事を働くと白い少女が夢に現れて、反省するまで悪夢を見せて許さないと、親達が子供達に言い聞かせるようになるのは自然の成り行きだった。



 古都プロイセでは白い少女、光の妖精が満月の晩になると美しい歌声で歌いながら飛び回るという噂が流れていて、プロイセからやってきた旅人がシュタールでその話をしたために、二つの話が混同されていくようになる。




◆◆◆◆◆◆




 初めに気づいたのはユリウスだった。


 睡眠を必要としないユリウスは、ずっとヴェローニカを包んでいる淡い魔素を見守り続けていた。彼女に変化があれば、それは魔素が教えてくれる。

 あるときふいにヴェローニカの気配が、彼女を取り巻く魔素の気配が、落ち着きを取り戻して濃くなっていくのを感じた。

 そのままひとりで見守ろうかとも思ったが、今まで彼女を心配していたのは皆一緒だ。



「エーリヒ!マリエル!ユリアン!ヴェローニカが、姫が目覚めそうだ!」



 それは早朝だった。まだ薄暗い時間に、広い部屋内に突如ユリウスの嬉々とした声が響いて、エーリヒは浅い眠りから覚醒した。

 何か、温かな光に包まれて、優しい夢を見ていたような気がするが、目覚めた途端何だったかは急激に思い出せなくなっていく。


 夢から醒めるとただ幸せな感覚だけが胸に残っていた。それが消えていくことを惜しく思う。

 そして漂う甘い香り。香水とは違う、縋りつきたくなるような惹かれる残り香だ。

 それを嗅いでいると何か、思い出せそうなのだが……

 誰かが頬に触れたような。柔らかで優しい触れ方だった。


 名残惜しさはあったが、思い出せないのであれば仕方ない。それよりもヴェローニカのもとへいかなければと、連日の捜査と心労で気怠く重いはずの体をソファーから起こそうとすると、意外なほどすんなりと身体が動いた。ふと不思議には思ったが、そのまま霞がかった意識をベッドの方へと向ける。



 この部屋は代官屋敷の一番広い主寝室で、皆が寝泊まりできるように大きな長椅子やソファーが置かれていた。部屋はたくさんあるため、個室のベッドで熟睡することもあるが、今日のようにこの部屋でソファーなどの簡易ベッドで眠ることもあった。



 エーリヒがベッドに向かうと、ユリウスがヴェローニカの小さな手を握って声をかけているところだった。


「ヴェローニカ。戻ってこい。もう十分だ。奴らは皆反省している。だからもう帰ってくるんだ」

 すると、瞼がぴくぴくと動いたのがわかった。


「ヴェローニカ!」

 エーリヒが彼女の枕元に手をついて名前を呼ぶと、ゆっくりと瞼が開いた。ゆっくり瞬きを繰り返す青銀の瞳がまだぼんやりとしている。


 小さな口をかすかに開いたが、声は聞こえない。ヴェローニカが苦しそうにこくんとつばを飲み込んだ。

 エーリヒは慌ててサイドテーブルに置かれていたコップに魔法で水を入れて、ヴェローニカの背中に手を差し入れて上体を起こしてやり、口元にコップを当ててやると、それを素直にコクっと飲み込んでくれた。



「…エーリヒ、さま。…ユリウス…」

 それはかすれた声ではあったが、ようやく、ヴェローニカの声が聞けた。

 その途端やっとエーリヒの胸に安堵が広がっていって、自然とため息が漏れた。

 この時をどれだけ待ちわびたことだろう。


「ヴェローニカ。良かった!」

 隣でユリウスも喜んでいると、ベッドの傍にマリエルとユリアンも近づいてきて、それぞれに喜びを表した。


「やっと起きたか、ヴェローニカ。全く寝ぼすけ過ぎるぞ。マリエルに精のつくものを作ってもらおうな、姫」

「いいえユリウス様。まずは消化の良いものからですよ」



 朝日が上り、カーテンの隙間から射し込む太陽の光が、今日はいい日になりそうだと予感させるほどに目映い。窓の外では鳥達が新たな朝を告げる歌をうたう。

 皆がほっとした表情で明るく笑い、その日シュタールに来てから初めて、心安らかな朝を迎えた。




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