67.神か悪魔か(2)
《ハインツ・クライスラー》
「やっと来てくれましたか、エーリヒ卿。昨夜の捕物でお疲れのところ申し訳ない」
ハインツが執務机から立ち上がってエーリヒを迎えた。
昨夜遅くの役所と警備兵詰所、代官邸の捜索で疲れているのはハインツも同じだったが、エーリヒは本来別任務でここにいる。
「…首尾は」
「む…?」
いつになく尖った雰囲気を感じたハインツは、エーリヒを案内した部下を見た。部下は何やら目を泳がせている。
ハインツは再びエーリヒを見た。その見目麗しいかんばせにいつもたたえられているはずの優雅な笑みが今日はない。ただそれだけで、単なる無表情がこの上なく不機嫌そうに見えた。
「…エーリヒ卿……部下が何か失礼をいたしましたか?」
すると徐ろに自分の口元をなぞり少し思案する風にしてから、エーリヒはいつものように微笑んだ。
「…いえ。何もありませんよ」
「…………」
妙な違和感を感じたものの、ハインツは部下を下がらせて本題に入ることにした。
「押収した資料を調べましたが、やはりここの代官も関わっていたようです。警備兵の一部と金のやり取りもありました」
ハインツはまとめた資料をエーリヒに手渡して説明を続けた。
「貴族の名前も数人ありました。これが裏帳簿です」
エーリヒは渡された資料をめくって目を通す。
「ですが、暗号のようなものや名前が記載されていない項目もあります。…御指摘の教会も、記載はありませんでしたね」
ペラッと紙をめくる音が続く。エーリヒは口元に手を当てつつ、帳簿を読み続けている。
「なるほど。ですが貴族の名前が出てきたのは今回が初めてですね。下位貴族のようですが。…王太子側か…」
「ええ。エーリヒ卿のお手柄ですな」
はははっとハインツは白い歯を見せて豪快に笑う。
「もう王都には連絡を?」
「ええ。記載された貴族は宮廷貴族ですので、すでに閣下に報告済みです。今頃は拘束されて、王都の邸宅も捜索されていることでしょうね。ですが今回派手に動き過ぎたので、今後は警戒されるかもしれません」
「覚悟の上ですよ。…これから流れが変わりますからね」
「流れが変わる、とは?」
「…どう変わるかは、主君次第ですが」
ハインツは資料を眺め続けるエーリヒに、やはりどこか違和感を覚えた。いつもの余裕が感じられない気がする、と。
「まだ全ての確認作業は終わっていないのでしょう?」
「はい。連れてきた部下を総動員させていますが。何せ事情聴取にも人手を取られますからね。いやぁ、本当に派手に捕まえましたね。シュタールがひっくり返りましたよ」
呵呵と笑った後、ハインツは声音を変えた。
「まさか、民を守るはずの代官と役人、さらに警備兵の大半が奴隷商会と組んで民を拉致しているとは。しかも王都も間近の直轄地で。世も末だ」
するとエーリヒは冷たく微笑んで言った。
「ええ。彼の者の時代もそろそろ終わりが近いでしょう」
と。
ハインツはその凄みに思わず怖気を感じた。武者震いだろうか。
(王を“彼の者”と呼ぶとは。確かに代官は王族だし、上がった貴族の名は王太子側の者達だが。これに王も関与していると考えているのか。…こんな風にエーリヒ卿が王権に敵意を見せるとは。なんだかわからんが、面白い。)
「ここの代官は王族の遠縁だったはずです」
「ええ。そうです。ですが、この通り証拠は押さえてありますので、さすがに逃げられないでしょう」
「では口封じも含めて気をつけてください」
「なるほど。そうですな」
コンコンコンとのノック音にハインツが返事をすると、オリーブがかった亜麻色の髪のハインツの部下が経過報告にやってきたところだった。
「エーリヒ卿、これは私の副官のルーカスです。ルーカス、こちらはエーリヒ・グリューネヴァルト卿。リーデルシュタイン伯爵閣下の護衛騎士…兼、補佐官だ。…まあ、お前はよく知っているだろうが…」
ハインツが部下を紹介すると、ハインツの副官ルーカスは姿勢を正して右手を心臓に当て、左手を背後に隠し挨拶した。
「…お噂はかねがね。よろしくお願い致します。グリューネヴァルト卿。ルーカス・コルヴィッツと申します。ルーカスとお呼びください」
「ああ、よろしく、ルーカス卿」
ルーカスはエーリヒに声をかけられて口元が緩んだ。オリーブ色の瞳も嬉しそうに細められている。
彼がエーリヒに憧れを持っているのをハインツは知っている。どうやら貴族学院にいた頃からエーリヒに憧れていたらしい。
「ルーカス、エーリヒ卿は仕事ができる人間を好むぞ。報告を」
「はっ」
ルーカスの報告は、事情聴取についてであった。
犯人達は、貴族が絡むからか誰もが口が重く、想定していた通りなかなか供述が得られないでいるようだ。
それについてはもう少し様子を見るとして、ただ他に不審な点がある、とのこと。
突然昨晩深夜に就寝中の犯罪者達が苦しみ出したのでルーカスらは毒殺や自害などを疑ったのだが、起こそうとしても誰一人覚醒せず、ただ苦しむばかりで見張りの兵達も困惑していた。ところが今朝目が覚めると彼らは異常に何かを恐れ、また眠るのが怖いと怯えているという。
「眠るのが怖いとはなんだ?」
「はい。何か……眠ると夢にうなされるらしいです」
「夢だと?」
ハインツは意外な返答に素っ頓狂な声を出す。
「…どんな夢を見るのですか?」
「それが……人によって色々あるようなのですが、だいたいは殴られたり殺されたり…」
エーリヒの質問に答えたルーカスはそこで言い淀んだ。
「なんだ?」
上官のハインツに促され、また口を開く。
「実は……自分が女や子供になった夢を見ると。それで男達に暴行され、強姦され、殺される。それが自分が起きるまで延々と続く悪夢を見ると」
「……?なんだそれは」
「さ、さあ…」
聞かれたルーカスもさっぱりという顔をして苦笑を浮かべる。
「自分が行ってきた罪を夢の中で被害者として追体験するということですね」
「は、はい。そういうことになるようですね」
ルーカスは自分でも理解し難い荒唐無稽な説明を聞いて、冷やかしもせずに的確に理解を示したエーリヒに少し驚いて返事をする。
「たかが悪夢を見るくらいで大げさな反応だな。捕まって精神的に追い詰められたのか?…ああ、薬物か。薬物反応は調べたのか?」
「ええ。洞窟には確かに麻薬もありました。使っていた者もいたようですね。ですが、全員ではありませんでした。程度も個人差があり、警備兵などは勤務があるからか重度の依存傾向は見られませんでしたが」
「やっぱりな。そんなもの、大方薬物だろうと思ったぞ。それで?何人ぐらいがそんな夢を見るって言ってるんだ?」
「…全員です」
「は?」
「あの洞窟で捕まった、全員です」
「…………」
ハインツは理解できないといった風に眉をしかめた。
「他はどうなのですか?あとで詰所で捕まった者達や代官は」
理解が追いつかないハインツを置いて、エーリヒは質問を続けていく。そんなエーリヒを不思議な顔でハインツは見つめる。
「そちらはなんともありません」
「はっ。なんだそれは?洞窟で呪いでも受けたのか?」
「呪い…」
冗談まじりにハインツが言うと、エーリヒはそのハインツの言葉を復唱した。
「いや……冗談ですよ、エーリヒ卿……」
「他に何か言っていませんでしたか?」
質問しながらもエーリヒは顎を掴んで考え込んでいる。
「何か、とは?…あ、えーっと。おかしな話なのですが、何か白い光に包まれた小さな女の子の悪魔が出てくるとも言ってはいましたが…」
「それは……その子は何のために出てくるのですか?」
「え?……すみません。重要ではないと思い、よく聞きませんでした」
予期せぬエーリヒの真剣な問いかけにルーカスは面食らう。
「それを今すぐに聞いてきてください。…いや、私が聞きに行きます」
突然エーリヒは席を立つ。
「え?エーリヒ卿がですか?」
ハインツも驚いて後を追うように席を立った。
ルーカスに案内され、捕まった犯罪者達が拘禁されている留置場にハインツとエーリヒの二人は訪れた。
捕り物が大人数に及んだため、ひとつの牢に複数人が収容されている。
「こちらの牢に収容されている者達は洞窟で捕まった者達です」
牢の中を見ると皆憔悴した顔つきで、大の大人が蹲って大きな体を抱えている。震えている者や何かをブツブツと呟いている者、怯えるように辺りを気にする者や泣いている者もいるようで、それを見たハインツは絶句した。
(なんだ、これは…。薬物の症状か?それともたかが悪夢にこれだけ怯えているのか?)
報告を聞いていた印象と実際に見たのとではあまりにも様子が違い、それが異様過ぎて、ハインツの思考が追いつかない。
「お前達は今、神の裁きを受けている」
エーリヒが牢に向かってそう言うと、中にいた者達が一斉にエーリヒを見上げた。そしてそれはハインツとルーカスも同じだ。
「お前達が今まで行ってきた罪を、彼女は断罪しているのだ」
「それは……どういうことだ?」
「彼女って、あの、白い子供のことか?」
「あれは神なんかじゃない、悪魔だ!眠るとあいつが出てきて何度も夢の中で殺される。殴られたり、犯されたり、刺されたり、餓死したり……それをいつも近くで見てるんだ。起きたらもう終わりだと思ったのに、ずっとあれが頭の中で何か言ってるんだ!今も聞こえるんだ!」
牢の中がエーリヒの言葉でパニックになる。ある者は頭を抱えて叫び出し、ある者は柵に掴まってガチャガチャと暴れ出して、まるで恐慌状態だ。
「エ、エーリヒ卿…?」
ハインツとルーカスは牢の中の状況に困惑した。
「あんたはあの子を知っているのか?あの子はなんだ?神か?悪魔か?」
「彼女は今、悪逆無道な罪を犯したお前達に憤っている。“加害者であり続ければ、被害者にはならない”と思っているお前達に。愚かにも犯してきた自らの罪の何たるかを知らしめるために、その罪と同じだけの罰を与えているのだ。…同害報復ということだろう」
「ど、同害……?」
「なんだと!ふざけるな!」
「俺が何したっていうんだよ!」
「皆やってるだろうが!俺だけじゃない!」
ギャアギャアと喚き散らす牢内の犯罪者達を、そしてそれを身震いするほど酷薄な目で見つめるエーリヒを、ハインツとルーカスはただ黙って呆然と見ている。
あまりの騒ぎを聞きつけて、他の場所にいた警備兵達も集まってきていた。
「愚かな……そのような考え方ではいつまでたってもお許しにはならないだろう。覚悟を決めて眠りにつくのだな。…次は目覚めぬかもしれんぞ」
エーリヒは冷笑した。無情な言葉を放たれ、さっきまでとは打って変わって牢の中がしんと静まり返る。
「…………」
「なんだって…」
「ど、どうすればいいんだ……どうしたら許してもらえるんだ。…本当に夢とは思えないほど鮮明なんだ。本当に痛みがあるんだ。夢の中では俺は本当に女になる。疑問にも思わない。本当に怖くて、苦しくて、辛くて。犯され続けた上に最後は殺されるんだよ!死んだらまた初めから繰り返すんだ。やっと終わったと思ったのに……本当にもう、次眠ったら俺は……死ぬかもしれない…」
「…………」
牢内の者達は皆、エーリヒが次の言葉を発するのを固唾を呑んで見つめている。
「どうすれば許されるのか。それを考えることもお前達への罰だろう」
「そんな…!」
「馬鹿なこと言うなよ、あんた!他人事だと思って!」
「そうだ!何様なんだ、てめぇはよぉっ!」
「では誰かに言われてそれをすれば、本当に彼女に許されると思うのか?彼女の怒りはそんなに甘いものだと?」
「そんなこと…言われたってよ…」
エーリヒの言葉におろおろとしだす。
「夢の中の彼女はお前に何を言っていた」
「わ、わからない。ほんとに、何を言っているのか、わからないんだ!」
「そうだ!今も何かが聞こえる!でも何を言っているのかなんてわからねぇ」
「なんて言っているのか、言ってみろ」
犯罪者達は顔を見合わせる。
「…《メニハ、…ハニハ》…」
「《メニハメヲ、ハニハハヲ》…か?」
エーリヒは冷たい瞳で牢の中の者達に問いかけた。
「そ、そうだ、それだ!あんた、なんで知ってんだ!?」
「これは神の世界の言葉だ。…彼女が言ったのはそれだけか」
「他にもなんか言ってるが……とにかくそれが耳に残るんだ。ずっと繰り返してる!ざわざわざわざわ、小さな声で……頭がおかしくなりそうだ!」
(《メニハメヲ、ハニハハヲ》?神の世界の言葉だと?エーリヒ卿は何を知っているんだ。一体それにどんな意味が…)
エーリヒの放つ雰囲気に圧倒されながら、ハインツは口を挟まずに黙ってただそれを見守る。
「…では、許されるにはどうすればいいと思う?お前はどう考える?」
「わ、わからねえ。謝ればいいのか?でも、どうやって?眠って会いに行くなんてごめんだ!」
「何故だ?夢の中で行われることは、それぞれが今まで行ってきたことだぞ。覚えていないのか?自分がしたことを。お前が傷つけた者達の顔を」
「…っ…」
何を思い出したのか牢の中の男達の顔が引き攣り、恐怖に歪む。思い出したのは被害者達の顔か、それとも被害者側として初めて見た加害者……自分達の顔か。そして、自分がしてきた行いのために、また夢の中で延々と繰り返される惨劇か。
「彼女は言っていた。お前達は覚悟もなく罪を犯すと。害悪以外の何者でもないと。だから生かしておいてはならないのだと。…罪悪感などまるでない。だから安易に罪を繰り返す。それでは彼女も、許さんだろうな…」
「…………」
(彼女は言っていた…?誰のことだ?)
「お前達が今までに傷つけた者達はなんて言っていた?よく思い出せ。お前に謝ったか?許しを請うたか?命乞いをしたか?…それでお前は、彼らに何をした?やめてやったのか?その願いを聞いてやったのか?」
「…そ、それは…」
「なら何故お前だけがやめてもらえると思っている。一度もやめてやったことなどないお前に」
「…………」
留置場に再び沈黙が降りた。あまりにも空気が重苦しい。
「…じゃあ、このまま死ねって言うのか」
誰かの涙声が聞こえた。
「…悔い改めろ。まずはそれからだ」
エーリヒは冷たい声でそう言って牢の中を見渡し、踵を返した。
「おい、待ってくれ!あんた!」
牢屋からは泣き叫ぶ声が聞こえてくる。だがエーリヒが歩みを止めることはない。
ハインツとルーカスは慌てて後に続いた。
見物していた王都兵達の人混みが綺麗に左右に分かれ、エーリヒが通る道を作った。
「ルーカス卿、取り調べを行ってください。口を割るかもしれません」
「は、はい」
ルーカスが返事をして、留置場に戻って行った。
その後取り調べを行った結果、洞窟で拘束された者達は大方の犯罪への関与を素直に認めた。
代官やアードラー商会についても拉致の指示や違法奴隷の売買、強盗、強姦、暴行、違法薬物の取引などを供述した。これではもうどれだけ強い後ろ盾があってもアードラー商会はお終いだろう。
だが、“教会”については暗号だと思っており、ただ指定場所へ子供達を運んでいただけだと訴えるだけで、取引相手が実際に教会、神殿関係者であるかどうかなどの黒幕を期待するような供述を得ることはできなかった。




