66.神か悪魔か(1)
《エーリヒ・グリューネヴァルト》
シュタールの警備兵はあてにならない。よってエーリヒは通信魔術具でアルブレヒトとハインツに連絡し、王都警備兵を呼んだ。
到着までには数時間がかかり、待つ間に外はすっかり闇に包まれたが、それまで犯人達を洞窟に拘束し、他にも仲間が来ないか待ち伏せたところ、あと数人のシュタール警備兵が捕まった。夜になるとここで酒盛りなどをしていたようだ。先刻の突然の夕立に驚いて、仕事終わりに奴らは洞窟へ立ち寄ったのだ。
すでに雷雨は去り、街中に轟き渡った雷鳴の割に降った雨は少量だったので、足元にぬかるみなどもできず、捕縛作業には支障は出なかった。
王都警備兵がシュタールに到着するなり、すぐさまシュタール警備兵と役人達は全員一時拘束、証拠集めと取り調べが始まった。
その際シュタールの代官も責任を問う名目で連行される。代官は抵抗し容疑を否認したが、責任者がハインツでありエーリヒであったために抗議は黙殺され、代官の館も強制捜索が行われた。
王都警備兵が到着してようやく安全が確保されると、洞窟に囚われていた子供や女達も家へ帰された。後日事情聴取で召喚されることになっている。
これで一応の事件処理は終わった。後の事後処理は王都警備兵と事務方にお任せである。
王都警備兵と一緒にハインツまで来たのは想定外だったが。しかもハインツはメインの捕り物は既に終わってしまったと知って落胆していた。
だがせっかく来たなら十分に働いてもらおう。
エーリヒは事後処理をハインツに任せて、今夜取った宿に着きヴェローニカの部屋へ訪れた。
あのあと彼女は気を失って、ユリウスが宿へと連れ帰っていた。
「おう、帰ったか」
ユリウスとマリエルが遅くまでヴェローニカの世話をしていたようだ。
「ずっと眠ったままか」
「ああ」
「先ほどまで熱が高かったのですが、少し下がったようです。呼吸が落ち着きました」
「そうか」
マリエルは他にも、街の人達が感謝していただとか、ヴェローニカの見舞いに来ていたなどの報告をして、彼女の額の濡れタオルを替えて水桶を持ち、一度部屋から出ていった。
エーリヒは服の首元を寛げて、ベッドで眠るヴェローニカを覗く。普段の彼女よりも頬が火照っているように見える。
「エーリヒ、これを見ろ」
「なんだ」
ユリウスが寝具からヴェローニカの右手を出した。中指の指輪の魔晶石が淡く虹色に輝いている。
「光り方はだいぶ収まったが、あれからずっとこうなんだ」
「ヴェローニカの魔力が活性化しているということか」
「多分な」
「魔力のせいで熱が出ていると?」
「それはわからんが…、何か関係はありそうだな」
感情の発露により魔力が暴走しているのだとすれば、気を失っている今これは、いつになれば収まるのか。
「だいぶ大気の魔素が荒れていた。前に言っていた雷とはあれか」
「…………」
雷魔法と一言で言っても、あれは魔術師の放つ規模じゃない。あれではもう、災害だ。
「あのまま放っておいたら落ちていた。どんな被害になったことか。凄まじい魔素量だったぞ。あんなに濃い魔素は、今まで見たことがない。…あれだけの魔素を操れるとなると、確かに結界石など意味はないな」
「…ヴェローニカは…中の状況に気づいたのか」
エーリヒの口調は重い。
「…おそらくな。女の悲鳴が聞こえた。そのあとヴェローニカの瞳が虹色に輝いて、ああなった」
「何か…過去に…」
「…………」
エーリヒは一度言葉を呑み込んだ。ユリウスも神妙そうだった。
「あまりにも反応が過剰過ぎないか」
「……でも、女にとってはそういうものだろ。男にはわからない。城でもそうだった。敵に攻められて、凌辱されまいと女達は自死した。死してさえ守りたいのだ」
「…………」
一般的にということか。それだけだろうか。そうであれば、良いのだが。
やはり現場になど連れて行くのではなかった。下衆のやることなど想定できたはずだ。
「最後にヴェローニカはなんて言っていたんだ」
「…わからない」
「エーリヒでも聞き取れなかったのか」
「そうではない」
エーリヒは枕元にゆっくり腰掛けた。そしてヴェローニカの額に載せてあるタオルに触れた。その表面に少し氷が張る。
「《メニハメヲ、ハニハハヲ》と言っていた。恐らくこちらの言葉ではない。…以前の落雷でも何か呪文のようなあちらの言葉を言ったようだ。罪人を捕らえて裁くような、天罰を意味する言葉だ。今回もそうなのかもしれない」
「そうなのか。となると前世の言葉が発動条件なのか?」
「どうだろうな。…ヴェローニカはそのつもりで言っているわけではないようだが」
「そうか。だがやはり姫の怒りで大気が乱れたと見ていいだろう。…許せないと言っていた。どうして人間はこんなに醜いのかと」
「…………」
罪を許せない気持ちは理解できるが、どうしてそこまでともエーリヒは思う。
ヴェローニカの部屋にユリアンが訪れて、遅い食事をとりながら報告を受ける。
リーンハルト達の調査の経過報告や王都にいる他の補佐官達からの報告、侯爵家に関するものなど様々だ。
主君の首席補佐官アルブレヒトからも連絡があったようだ。王都到着の予定は今日だったはずなのだが、明日以降になった事についてだ。
ハインツが動くことになった事件処理があり、エーリヒも明日からそれに駆り出される。そしてヴェローニカの体調のこともある。
「エーリヒ様、もうお休みになっては。ここはマリエルに任せても大丈夫でしょう。…心配ではありましょうが…」
「ああ。わかっている」
ユリアンはテーブルに紅茶を出した。ユリウスの分も淹れたようだ。
もう夜も更けた。だがユリウスも部屋を下がる気はないようだ。こんな時ばかりは睡眠の不要な傀儡の体が羨ましい。
「今日はここで寝る。ユリアンももう下がっていい」
「え…。では、先にお部屋で湯浴みを」
「いい」
エーリヒはソファーに横になって、腕で目元を覆った。それを見たユリアンは一度退出したが、すぐにまた部屋に戻ってきた。その手にはブランケットを持っている。
「ヴェローニカ様は……よほどショックだったのでしょうね…」
持ってきたブランケットをソファーに横たわるエーリヒに掛けながら、ユリアンは呟いた。エーリヒは目元を隠していた腕を外してユリアンを見上げる。
「“この悲鳴があいつらには聞こえないの?”と。“自分さえ良ければそれでいいの?加害者であり続ければ、被害者にはならないとでも?”と、仰っていました」
「…ヴェローニカが?」
「ええ。…全くその通りだと思いました。とても英明で情の厚いお方です」
そしてユリアンは心配そうにしながらも部屋を下がっていった。
「お前の従者はいいやつだな」
「…ああ」
「マリエルも下がっていいぞ。あとは私がやる」
「……はい。…それでは」
ユリウスの言葉に心配そうにはしたもののマリエルも下がっていった。
だが、深夜になるとヴェローニカの熱は再び上がりだし、翌朝になってもヴェローニカが目を覚ますことはなかった。
◆◆◆◆◆◆
《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》
「どうしてお嬢様は目を覚まさないのでしょうか。医者に処方された解熱剤も切れればまた熱が上がります。グリューネヴァルト卿の治癒魔法もあまり効果はないと言うし、もう、どうしたらいいのでしょう…」
マリエルが額に載せる濡れタオルを絞りながら弱音をこぼした。
水桶の中には先ほどエーリヒが様子を見に来た際に作った氷がたくさん入った冷えた水が張ってある。
「神官の神聖魔法では…どうでしょうか…」
マリエルがまたその話を持ち出した。
「だめだ」
「何故ですか?」
マリエルは納得がいかない表情でユリウスを見ている。
「そなたも聞いただろう?教会が子供の拉致に絡んでいる可能性がある。神官をここに呼んでみろ。ヴェローニカは目をつけられる」
「でも…そんな……人を助ける神官さえ、頼れないのなら、どうしたらいいのですか?神聖魔法なら治るかもしれないのに…」
「それはどうかな」
「どういう意味ですか?」
涙目で訴えてくるマリエルになんと説明すべきか弱り果ててしまう。
「これはそういう類のものじゃない気がする。そもそもエーリヒの魔法が効かないのなら、神官だって無理だ」
「…………」
ユリウスにはわかっている。エーリヒの使う治癒魔法とは水魔法から派生する水癒と呼ばれる簡易的な回復魔法ではない。あれは神聖魔法だ。しかも上位の。
ユリウスにはエーリヒの魔力が人とは違うことをなんとなく初めて会った時からわかっていた。
人の適性属性とは通常一種類だ。だがエーリヒは、洞窟で風魔法を使ってみせ、ヴェローニカの看病には氷を出し、そして神聖魔法を使う。本来それはあり得ない。
それでも紫眼という特殊な才能を持った者はその原則からは外れる。だとしてもエーリヒは紫眼ではない。
洞窟でも怒りに唇を噛み締めていたヴェローニカの切れた唇を神聖魔法で治していた。
プロイセ城でも手首の切り傷を治したのはエーリヒだ。
稀に風と氷の二属性を持っていたとしても、あれが神聖魔法であることは絶対だ。何故なら生前、ユリウスの身近にも神聖魔術師がいたのだから。そしてあの都には他にも神聖魔術師がそれなりにいた。だから彼らがもっと違う瞳の色をしていることも知っている。
全ての原則が、エーリヒには当てはまらない。
白夜は『お前の国盗り』とエーリヒに言っていた。
それは王家を滅ぼして、エーリヒ自らが王となるということ。
だがエーリヒにそこまで野心があるとも思えない。
では何故エーリヒは王座を狙うのか。
何故神獣である白夜がそれを『是』とするのか。
エーリヒにはその『資格』があると言うのか。
この王国を統べる、『王の資格』が。
『王の資格』すなわち『王位継承権』。
それは生前のユリウスにとっても、身近な言葉だった。
「とりあえず落ち着け。風邪を引いたものだと思って、な。まだ寝込んでから丸一日も経っていないんだ。そんなに取り乱すとそなたの方が倒れるぞ。少し休んでこい」
どうにかマリエルを下がらせると、ユリウスはベッドで眠るヴェローニカに視線を移した。
ヴェローニカを取り巻く魔素がざわめいているのがわかる。心配している、そう表現してもいいくらいだ。魔素に意思があるのであれば、だが。
「姫、一体何をしているのだ」
ユリウスはヴェローニカの手をとり、両手で包んだ。口元に当てて、祈る。
エーリヒはまた昨日の事件の処理に警備兵詰所に呼ばれて行った。
だいぶ行くのを渋っていたが。
どうやら王都警備兵の責任者の子爵本人までシュタールに駆けつけたらしい。ならば自分は必要ないではないかと迎えに来た王都警備兵を先刻困らせていた。
朝になればまたすぐに来てくれるものと向こうは思っていたらしいが、なかなかエーリヒが詰所に顔を出さないので、迎えが来たのだ。
エーリヒの気持ちもわかるが、命令で宿まで迎えに来ている王都の警備兵が少し不憫に思えたので、「お前がいても役には立たない」といつかのエーリヒの言葉を贈ってやったら、大いに眉をしかめた。
そして嫌味混じりの氷魔法で水桶を氷でいっぱいにして、ようやくエーリヒは詰所に向かった。




