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63.まだお前は……(2)

《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》




「大気の魔素を操れる姫には結界石など関係ないのだろう。結界石のあるプロイセの外郭すら飛び越えられるのだからな。雷雲を呼ぶことや雷を落とすことも、姫の魔力の昂りによってはできないこともないと思うぞ。だが……魔術具の指輪をまだそのときは持っていなかったのだろ?あれが魔力操作に関係する魔術具なのだとすると……そのような特殊な魔力操作が無意識で可能なものなのか」


「それもあるが、何より古代文字の入った魔法陣と落雷後に奴隷商側の人間が全て消えたことも異常な現象だった。ヴェローニカの罪人に対する断罪の気持ちに沿うものではあるが。あまりに規模が大き過ぎる魔法だ。あれが本当に古代魔法だとして、ヴェローニカに何かのきっかけはあろうが……それだけで発動したとも思えない。ならば今までにだって発動する機会はあっただろうからな」


「そうだな。…つまりその夜は発動条件が揃ったということか…?」

「それにその頃はまだ白夜もヴェローニカの位置を捕捉できていなかった。つまり白夜の力でもない」

 マリエルが紅茶を持ってきたのが見えた。



「はは。お手上げだな」

 ユリウスは話を切り上げた。さすがにエーリヒの魔法でも範囲内に人が入れば操作が難しいはず。


「…ではこれはどうだ?」

「なんだ」

 ユリウスはマリエルがテーブルから下がったのを見計らって話し出す。

「白夜以外にも、神獣が存在する」

「…………」

 落ち着き払ったエーリヒの眼を見るに、それは想定していたことのようだ。



「あれほどの神格と魔力を持つ獣だ。白夜ならそれくらいのことはできるだろう。白夜はプロイセのことも傀儡にも詳しかった。あらゆる魔術に精通しているような口ぶりだった。ならば古代魔法にも通じていても不思議とは思わない。だがそれが白夜じゃないというなら、他にも同じような神獣がいて、それがヴェローニカに手を貸した、とか」


「…ないとは言い切れん。だが、その後音沙汰がないのは不自然ではないか?」




 視界の端でヴェローニカがもぞもぞと起き出して、マリエルが近寄っていったのが見えた。ヴェローニカは眠そうに目を瞬かせながら小さな手で目元を擦り、こちらを見て、少し目を丸くしてから微笑んだ。

 胸があたたかくなる。周りの魔素がふんわりと和んだ。


「ユリウス」

 咎めるように声をかけられて、エーリヒを横目で見る。

「…聞いている」

 注意したエーリヒもヴェローニカの方に目を向けて、何とはなしに眺めている。



 確かに傍目には成人男性と少女だ。大人同士でこの年の差ならだが、今のこの状態で恋情を抱くなど普通はあり得ないし、もしあり得ても世間に認められるわけがない。

 それは確実に奇異な目で見られるだろうし、面白可笑しく蔑まれることだろう。

 だから無意識に感情を否定しているのだろうが。


 でも二人は知っている。ヴェローニカの魂は見た目通りの少女ではないと。

 その心と魂は明哲で、楚々として、慈しみ深く、なのに苛烈であり強かで、それは何者にも代え難い。

 そして魔素から伝わる優しい感情は、こんなにも心地良いとユリウスならわかる。



(まだお前は……人ではないか。人であるお前が、何を躊躇うことがあるというのだ。)



 ユリウスは自分の手のひらを眺めた。

 美しく精巧に作られた、マリオネットの完璧な造形。


 ヴェローニカの血と魔力でこの体に馴染んでいけば、より魔素金属は強靭に進化し、より見た目や質感、感覚器、機能性は人間に近づき、その性能は人間を超えると白夜は言った。


 だがそれは…



(人になれるわけじゃないだろ。)



「確かに、不自然ではあるが……気まぐれなのではないのか?神格の持ち主とは、得てしてそういうものだろうよ」




◆◆◆




「今日は王都手前のシュタールを経由して、王都ヴァイデンに着きますよ」

 侍女のマリエルが隣に座るヴェローニカに話しかけているのを、ユリウスは向かいの席で眺めていた。

 案の定、今日の馬車内ではエーリヒの指示で彼女を抱きかかえて乗ることができない。



 ヴェローニカはどうやら朝起きたときにユリウスとエーリヒが部屋で話し合いをしていたのを見て、何やら仲が深まったと認識し、目が合うたびにニコニコと微笑む。

 それは誤解ではあるのだが、それを言うのもヴェローニカの笑顔を崩す気がして、とりあえず流しているのだが、それはエーリヒも一緒のようだ。



「姫…」

 少し息苦しさを感じてユリウスが手を伸ばすと、きょとんとした目をこちらに向けてから、「あっ」と小さく漏らして手を伸ばしてくる。そしてユリウスの伸ばした手を小さな手がきゅっと握り返してくれたことにほっと安堵した。

 呼吸など、必要ないはずなのだが。


 このまま引き寄せたいが、そうするとまた隣の男がうるさいので、彼女が目を閉じるのをそのまま見つめていると、手のひらがふんわり温かくなり、光り輝いてきた。

 光るほどに魔素が集まれば、これだけでもだいぶ魔素が補給できる。



「何度見ても不思議ですね」

 マリエルがほうっと息をついて呟く。

「これをするとユリウス様が楽になるのですね。まるでお嬢様は神官のようですね」

「神官?」

 魔素を供給しながら、ヴェローニカはマリエルを見上げた。

「街の教会や大都市の神殿の神官は、神聖魔法を使うのですよ。回復や浄化を民に施すのです」



 本当に聖職者に神聖魔法など使われたら、まずいことにはならないだろうか、とユリウスは苦笑した。何せ自分は霊体なのだ。神聖魔法で浄化されてしまう可能性は否めない。

 いや、魔素金属が神聖魔法すら跳ね返すことを祈ろう。


「わかっているとは思うが、他言は無用だ」

 エーリヒがマリエルに告げると、「はい」と身を引き締めた。

 この男のことだ。言うまでもなく、ユリウスのためではない。




 ユリウスがプロイセ城を離れたのは、およそ百五十年ぶりだ。

 まだこの胸にはあの古城に対する郷愁は残るが、今はこの姫と新たな土地へ向かう期待の方が大きい。


 あれだけあの場所に囚われていたというのに。

 あの悲惨な戦争で心の時間は止まってしまったと思っていた。

 いや、実際、止まっていた。





 仲間達の死、斬り刻まれる領民達の悲鳴。容赦なく浴びせられる攻撃魔法の轟音と振動に、燃え盛る街並みと城内。迫りくる敵に、その身を奪われまいと死に急ぐ女達。

 焦げた匂いとあちこちから聞こえてくる断末魔が心を焦らせ、籠城した謁見の間の大扉がついに破城槌で打ち付けられる。

 魔法を弾くはずの魔素金属でできた厚みのある大扉が、何度も何度も轟音と衝撃とともに打ち付けられて、徐々に扉は軋み、歪み、破壊されていく。


 その音を聞きながら、命の終わりを覚悟する。

 あとはもう、魔剣を握りしめながら己の無力を嘆き、呪い、ここにいる残った皆の命が、刻一刻と脅かされる恐怖に喘ぐ。



 何度も反逆の意思はないと王家に訴えた。だが全てつっぱねられた。話し合いの余地など、初めからなかったのだ。この国の王はこのプロイセの輝かしい伝統と名誉を失墜させ、ことごとく滅ぼすつもりなのだから。


 「どうか、生き延びてくれ」と懇願したが、従ってはくれなかった。

 せめて自分は盾になって、後ろに控える領主を…



 ……このプロイセ城の主である、兄上を……



「ここを離れて一体どこへ落ち延びろと言うのだ、ユリウス。私もそなたと共に戦うぞ、我が弟よ」





「ユリウス?」


 突然ヴェローニカに声をかけられて、我に返る。

 どうやらまた過去に囚われていたようだ。


「大丈夫?」

「ああ……大丈夫だ」


 彼女が心配そうにこちらを窺う。深呼吸をしながら、無意識に空いている手で顔をさすった。


 先ほどまで地獄のような記憶の中にいたのに、自分を思ってくれるたったひとつのこの眼差しが、こんなにも心地良いとは。




 ふとした時に、何度もあの光景が蘇る。

 目覚めたらそこは、仲間達の死体の山だった。いや、死体というのは正しくない。それはただの腐敗した肉塊だった。


 すでにあれから時が経っていて、仲間達の亡骸は魔獣に食い荒らされていた。目ぼしい武器や鎧、装身具や宝飾品は略奪されたのか見当たらず、どれももう誰とは見分けはつかなくて、自分の体も、兄の遺体もわからなくなっていた。

 そして触れることさえ不可能で、弔うことさえできなかった。



 ただただ、嘆いた。

 嘆くことしかできなかった。

 どれだけの年月をそうやって過ごしたのか、わからないくらいに。


 何故、私だけがここにいるのか。

 何故、私だけが残ってしまったのか。

 一体いつまで、ひとり彷徨えばいいのか。



 魂にまで刻まれた憤怒の炎が、この意識を灼き尽くすまでか。

 忌まわしいこの王国を呪い尽くせるようになるほど、魔物の力を蓄えるまでか。



 満月の夜は月の光が明るくて、父が座り、兄が座っていた玉座がよく見える。

 彼らの後ろのステンドグラスに月明かりが差し込み、彩り鮮やかな光が良く映える。


 遠い昔、かつては小国だったプロイセ。歴代の王達が坐した場所。

 それを我らの代で、滅ぼしてしまうことになろうとは…



 謁見の間の片隅でぼんやりと、またいつものように、在りし日の栄光を眺めていた時だった。


 満月の光を浴びて、朽ちた謁見の間に突如ふわりと現れ、空から降り立ったその少女は、虹色の優しい魔素の光に包まれていて、そして銀色の髪が月明かりに輝いて、妖精か精霊か何か神霊の類なのかと思った。



挿絵(By みてみん)



 満月の夜の奇跡なのかと。

 泡沫の春の夜の夢なのかと。


 ようやく自分を、迎えに来てくれたのかと。



――どんなに大切でもいつかは全て壊れるし、朽ちるの。立派だったこのお城だって。…あなたの愛した人達は、悲しいけれどもうここにはいないの。だから、大丈夫だよ、もう生まれ変わっても。皆、来世であなたを待ってる。



 ヴェローニカのその言葉に、呪いをかけていたのは自分だったのだと、ユリウスはやっと気づいた。



 あの日の悪夢に取り憑かれ、終わりの見えない孤独な日々だった。

 あの冷たく静かで、朽ちてゆくばかりの古城で、栄華の時も人の命も全て奪われ去った廃城で、ただひたすらに城内に侵入する魔獣や盗賊達を狩る日々の中で、たったひとり妄執に囚われる自分を見つけてくれた女性(ひと)


 これ以上に、この心を、この命を捧げる理由があろうか。


(人は感情を割り切ることなんてできないと姫は言うが、私は迷わない。)


 永遠とも思われる年月を彷徨い続けて、ユリウスはやっと見つけたのだ。





 走行する馬車の窓から、プロイセ城がある丘をユリウスは眺める。

(すまないな、皆。私はここを離れる。そう決めたのだ。)


 ユリウスは不安そうに見つめてくる自分の小さな主君を安心させようと微笑もうとした。



「隠しても無駄ですよ。私にはわかるのです」



 そして間を置いてから小さく、「主ですからね」と呟いた。


 あまりに可愛らしくて、「ふはっ」と吹いてしまったのは仕方ない。

「もう、笑わないでください」

「すまない。笑うつもりはなかった」


 今の自分には必要はないのに、顔がにやけるのを隠そうと、握られていない方の手で無意識に口元を覆った。

 皮膚のような薄く柔らかな質感の下は硬い魔素金属の唇をなぞる。

 これが、人間のように、なるのだろうか。確かに口は開くが。


 目の前に座る小さな白銀色の姫君は、顔をほのかに赤らめて少し唇を尖らせている。


(なんて愛らしい姫君だ。)

 ふっと息を漏らすように笑みがこぼれた。



(ああ。全く。面倒臭いな。そろそろいいか。)

 ユリウスは隣から険のある気配を感じて、ヴェローニカの手を離した。


「もういいのですか?」

「ああ」

 良くはないが、仕方ない。

「また頼む」

 そうお願いすると、「はい」と微笑んだ。


 どうやら自分が献身することを喜んでいる気配がある。健気ではあるが、あまりいただけないな。これでは利用され、搾取される未来が視える。

 幼少期に愛情が満たされなかったがゆえの自己犠牲と承認欲求か。

 本当に困った姫様だ。自分の価値に気づいていない。


(悪いやつに付け込まれそうだ。)

 ユリウスは隣のエーリヒを流し見た。

 向こうも同じような目をして、こちらを見ていた。




◆追記◆

画像は……もう月の精ですね。

ユリウスにはこう視えたと。

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