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62.まだお前は……(1)

《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》




『起きろ』

 怒気を含んだ頭に響くような不快な声でユリウスは目覚めた。最悪な寝起きだ。


 どこまで人間のような仕組みを想定したのか、発声するにも魔術回路が組んであるこの体を得る以前はユリウスもやっていた、白夜のような思念による会話のようだが、この不機嫌な声には覚えがある。

(また気配を消して入ってきたか。)



 微睡みながら目を開けると、目の前の腕の中には愛しい銀色の髪の娘が横たわって穏やかな寝息をたてている。その小さな身体は呼吸の度にわずかに上下して、彼女が生きているということに胸が温かくなり喜びを感じる。

 冷たい人形の体でも、この身に宿る感情はまだ人間らしいようだ。


『エーリヒ……まだヴェローニカは眠っている。起きてしまうだろう…?』

 ユリウスも念話を使ってぼやく。

『貴様にしかこの声は届いていない』

(貴様…か。不器用な奴め。…面倒だ。ここは従っておくか。)



 ユリウスはヴェローニカの乱れた銀髪をゆるゆると梳いた。くすぐったかったのか、「ん…」と彼女は少し身動きする。そのまま可愛らしい狭い額やつむった瞼に口づけしたい気持ちを抑えてぼんやりとしながらも体を起こし、部屋内に視線を向けた。


 無表情でソファーに深く腰掛けて、横柄に脚を組んでいるエーリヒがいる。その周りの魔素の様子を眺めながら、自分の気持ちには不器用でも、魔法の扱いは器用な男だとユリウスは感心する。

 ヴェローニカを起こすまいと気配も物音も魔法で制御しているようだ。その辺の細やかさは信用しているので、今も愛らしく眠るヴェローニカから起こさないよう慎重に離れたあとは、物音に気を使わずにベッドから這い出ていってエーリヒの向かいのソファーに座った。

 何か話があるのだろうと。どうせ面倒なことだろうが。



「百五十年ぶりの眠りだったのに、最悪の目覚めだぞ、エーリヒ」

 ため息をついて脚を組み、ソファーの背もたれに肘をかけて不服を漏らす。

「嘘をつけ」


(嘘?……百五十年ぶりの眠りが?まあ確かに私にとっては睡眠はあってもなくても問題はないから、昔も気分次第でとってはいたが。いや、最悪の目覚めのところか。)


「嘘とはなんだ」

「ヴェローニカを見てにやけていた」


(そんなわけあるか。マリオネットだぞ。)

 さすがに呆れてくる。

 とりあえず面倒事は早く終わらせよう。




「…で?何用だ」

 エーリヒは本題に入ったとわかると、逸らしていた視線をこちらに定めた。

「いつまでそれは必要なのだ。これから王都に着いても同じ部屋に泊まれるとでも?」

「…無理なのか?」

「無理に決まっている。貴族の常識としてわかるだろう。それとも長い年月を廃城で過ごして忘れたか」


 ユリウスはひとつため息をついた。挑発されたのはわかるが、彼の周りの魔素を視ていると何か不憫な気もしないでもない。

(素直になればいいものを。)


「ならば私はマリオネットだからと言えば良いだろ。本当のことなんだからな。傀儡使いの姫が自分の傀儡を抱きしめて眠るのに何の問題がある」



「…ふざけるなよ…」



 声音と魔素が怒りに染まる。

(本当のことだろうが。…傀儡の主も傀儡使いだろ。)


「正直に言うと、今はまだこの体に馴染んでいない。契約者であるヴェローニカの魔力を感じるほど傍にいないと弾かれる。このままではいざというときに全く役に立たぬ」


「お前が役に立たぬことなどこちらの知ったことではない」


「そなたはそれでいいかもしれぬが、ヴェローニカは悲しむぞ。それにヴェローニカから私を離すなら、その分やはり血は必要だ。でなければこの状態を保てない。…だから血を飲む代わりに姫の周りに集まる良質な魔素で補っているのだ」



 エーリヒは冷たい視線を決して外さない。

「ヴェローニカの血と魔力は絶対に必要なのか。自分の魔力だけではだめなのか」

「私にもまだよくわからないが……私の魔力だけではこの魔法を弾く魔素金属でできた体から弾かれると白夜は言っていた。だからヴェローニカの魔力とともに私の霊体をこれに馴染ませるために彼女の魔力を含んだ血が必要だと。血は魔力の結晶だからな。それでこその眷属化だ」


「そもそも何故ヴェローニカに触れると魔素が補給できる」

「ああ……そうだな。人間は大気の魔素は感じられないのか。人間だったのがあまりに昔過ぎて…」

 顎をさすりつつ、ユリウスは生前の遠い記憶を呼び覚まそうとする。



「魔獣や魔物は魔素に敏感なのだ。私も百五十年ほどはゴーストだったからな。ここのように結界石のある場所は魔素が乱れているからあまり居たくはない。内側はまだましだがな。だが濃ければ良いというわけでもない。心地の良い魔素溜まりもあれば逆もある。おそらく質……魔素の属性の種類の違いと自分の属性との相性か」

 エーリヒは口を挟まず軽く頷いて先を促す。


「ヴェローニカの周りには良質な魔素が集まっている。お前には視えないのだろうが、濃い魔素に包まれているんだ。虹色の魔素だ。まるで彼女を守るようにな。…何故かはよくわからないが……そしてそれを操れるようだ」



 エーリヒにもそれには覚えがあった。ヴェローニカが歌うと魔素が大量に集まって発光するのも、大気の魔素を操って雨を降らすのも、その効果のひとつだ。おそらく空を飛ぶのも魔素操作の為せる技なのだろう。

 そして昨夜眠らされたのも。

 そのせいでユリウスがここに泊まるのをエーリヒは阻止できなかった。



「ヴェローニカが祈るとさらに魔素が増すようだ。それがまた心地良い…」

「つまりヴェローニカは魔素溜まりだと言いたいのか」

「その言い方は……あれだが。心地の良い魔素溜まりの人間ということにはなるか」

「だがそうなると、ヴェローニカには危険な魔獣が寄ってくるのではないのか」

「それは問題ない」

「何故だ」

「白夜の気配がある。加護というべきか。強者の気配に下手な魔獣は敬遠するだろう。マーキングのようなものか」

「なるほど。…気に食わんが…今までヴェローニカが魔獣に遭遇しなかったのは、そういうカラクリだったか」


 エーリヒが顔をしかめたのを見て、ユリウスは思わず忍び笑いをした。

 どうやらエーリヒは白夜にも嫉妬しているらしい。


「だがそれは魔獣には効いても、魔素に鈍感な人間には効かないから、白夜も私をヴェローニカの傍に置きたいのだ。おそらくそういった打算はあっただろう」

「だとは思っていた。あれは狡猾そうだからな」

 そこは二人とも共通する認識だった。



「となると……お前の体がいつ安定するか、しかないのか」

 エーリヒは腕を組んで軽く息を吐いた。

「そうだ。私だってヴェローニカを傷つけたくはない。魔素だけで済むならそれに越したことはない。だが姫の血を飲まないと魔素金属の成長効率が悪いようだ。この体はいつまで経っても進化しないし、霊体も弾かれやすい。魔素だけでは現状維持が精一杯のようだ。…姫の血は魔力が豊富だった…味覚のないはずの私にも感じられるほど甘く、極上の甘露…」


 ユリウスはその味を思い出し、微笑んだ。百五十年ぶりに感じた無上の佳味だったのだから無理もない。

 だがエーリヒの周りの魔素がまた怒りに染まったのを感じる。

(見た目は表情に乏しくて冷静そうなのに、本当に激しやすいな…)




 ユリウスには大気の魔素が視える。

 人の周りにも当然魔素は漂っている。その感情に影響して接している魔素がわずかに染まったり、騒いだりするのだ。

 エーリヒの場合、周囲の魔素は一見落ち着いているように視えるが、その内側の魔素が激しく変化する。


 一方、ヴェローニカを包んでいる魔素は人よりも濃くて厚みがあり、さらに人とは違って華やかな虹色だ。そして不思議なことにヴェローニカの周りには彼女の感情が乗った魔素と、それを気づかうような、見守るような魔素も視える。まるで魔素自体に感情があるかのように。




「…………」

「わかったわかった。そう苛立つな。事実を述べただけだ」

 ユリウスは手でどうどうと抑えるジェスチャーをしてみせた。

「…仮に血を補給すればしばらくは魔素を求めなくてもいいのか」

「そうかもしれないな。姫の血液の中には良質な魔力があるから」


「ヴェローニカ以外でも?」

「それは……どうだろうな。傀儡の契約に影響があるのかは白夜に確認しないとわからんが。進化すればゆくゆくは食事からも魔素や魔力は摂れるようになると言っていたから可能なのかもな。…だがヴェローニカのものとは明らかに質が違うだろう。魔力が濃くなきゃ意味もないだろうし、あれが他の人間の血で事足りるとは思えんが…」



「では私のを飲めば良い」



 ユリウスは真顔でエーリヒを見つめ返した。

「おい。…冗談なのか?」

「嫌なのは私も同じだ。安心しろ」


 綺麗な笑顔を浮かべるエーリヒに対し、ユリウスは苦虫を噛み潰したような気持ちになる。今から味を想像してしまい、喉が絡みつくような錯覚を覚えた。



「確かにエーリヒは魔力が高そうだが……適性属性なども違うだろう。白夜は純度の高い魔力を含んだ血が必要だとは言っていたが。一応この体でも、何故か血の香りや風味はわかるんだ。多分血の味というより魔力の風味なんだろうが。あまり……男の血は飲みたくないのだが…」

「贅沢を言うな」

 エーリヒは足を組み直してわずかに物憂げな様子で肘掛けに頬杖をつき、ユリウスの方は居心地悪そうに腕を組んでソファーに深くかけ直した。

「「………」」




「そうだ。護衛の者に聞いたのだが、ヴェローニカに雷が当たったとか」

「……フォルカーか」

 エーリヒの声が少し低くなった。


「そう怒るな。それ以上はエーリヒに確認しろと言われた。私が知っても問題はないだろう?」

「何故そのような話に?」

「この旅の目的とか、ヴェローニカとの出会いとかをな。どこまで話すべきかわからないと躊躇っていたが、白夜からはある程度聞いていたし、私には良かろう。白夜のような存在だからと言っておいた。責めたりするなよ」

「…わかった」



「…捨て子だったとか、虐待されていたとか、奴隷にされたとか……姫はこの世界に生まれてから災難だったのだな」


 ユリウスは昨日ヴェローニカの語っていた話を思い出して胸が苦しくなる。二度とあのような思いなどさせるものかと。



「まるで世界が姫を疎んでいるようだ」



 エーリヒはそんな風に考えたことはなかったが、そう言われればそのように考えることもできるほどにヴェローニカの生い立ちは過酷だった。

 また不遇な輪廻を繰り返すレーニの話を思い出す。だが……


「今までは、だ。これからは違う」

「そうだな」

 エーリヒとユリウスは視線を交わした。そこも共通の認識を得た二人だった。




◆◆◆◆◆◆


《マリエル・リュール》




 マリエルがヴェローニカの部屋に朝の用意のために訪れると、今朝も護衛が待機していた。それでも昨日はヴェローニカが部屋にいなかったので、まだ少し不安に思いながら護衛に声をかける。すると中にはヴェローニカとユリウス、さらにエーリヒまで来ているという。


「入らないほうがいいのでしょうか…」

 おろおろしていると、中から「かまわん、入れ」とエーリヒの声が聞こえた。こちらの声が聞こえたのかとびくっとしたが、マリエルは指示に従った。




 マリエルが中に入ると、テーブルを挟んでソファーの両側には、貴族ではありふれた亜麻色の髪のエーリヒと珍しい紫色の髪のユリウスが向かい合い、互いに腕や脚を組んで気怠げに座っている。

 その様子は何やら少し不穏な空気も感じるが……


 それにしても高位貴族とは本当に美しい容姿だ。男性にしてはあまりにも二人が美しすぎて、所詮は平民身分の準男爵家だったマリエルには気後れしてしまう。



 ベッドを見るとヴェローニカはまだ眠っているようだ。


 どうやら二人で話をしていたようだが。

 それはおそらく今後の話などをしていたのだろうが、何かマリエルには彼らが二人で彼女、ヴェローニカを巡って争っているように見受けられてしまった。

 侍女としてその想像は不謹慎極まりない。とは思うのだが、昨夜この部屋にまだ出会ったばかりのユリウスを置いたまま出ていってしまったのは、やはりまずかったのだろうか。



 ヴェローニカとユリウスが二人で話しているところを何度か見たが、とても仲睦まじくて、ヴェローニカが言った通り本当に歳の離れた兄妹のようにマリエルには見えた。

 何やら契約などとも言ってはいたが、本当に二人は初対面なのかと思ったくらいだ。


 だがエーリヒが自室にヴェローニカを抱いて戻ったところも見ている。



 昨日マリエルがヴェローニカの部屋から下がった後でエーリヒに二人の様子を報告すると、彼らがまだ二人で部屋にいると知ったエーリヒはすぐさま出ていった。

 その行動に少し唖然としたマリエルだったが、彼の補佐官であるユリアンは特に驚いてはいないように見えた。

 貴人に仕える侍女としてマリエルもユリアンを見習い、気持ちを改めた。



 この旅でずっと二人と同じ馬車に同乗していたマリエルは、エーリヒの行動がヴェローニカを大事に想うが故のものだとは感じていた。

 確かに彼の態度は他の者達への接し方とは明らかに違ってはいたが、それはヴェローニカが幼いから、という理由からでもあるだろう。傍から見れば、それは不自然なことでは全くないはずだ。



 エーリヒのことはリーデルシュタイン伯爵の有能な部下であることくらいは知っていたが、マリエル自身その為人については多くを知らない。

 それでも噂に聞き及んでいたエーリヒ・グリューネヴァルトという人間にとって、彼女の幼さや愛らしさなどというその程度のことは、特別視するに値しない些末なことのようにも思う。


 そうなるとエーリヒが彼女に目をかけるのは、リーデルシュタイン伯爵がヴェローニカを重視しているからとも言えるし、ヴェローニカが天使のように愛らしい見た目に反して、普段の慎ましさの割には時に言動が大胆であり、年に似合わず聡明であるからとも言えよう。

 そしてその全てが彼女自身の愛らしさも相まって、彼女を愛さずにはいられない要因なのだとマリエルも日々実感している一人ではあるのだが。


 やはりどうしても余計な想像をしてしまう。


 

 マリエルは思い出す。

 エーリヒとの出会いを、“一生に一度限りの出会い”とヴェローニカが表現した時の、エーリヒの反応を。

 ヴェローニカが領主の館からいなくなったと知った時の隠し切れない彼の焦燥を。




「ヴェローニカはまだ眠っている。起きる前に紅茶でも淹れてくれ」

「はい」

「あ、マリエル。私はいらないぞ」

「え?…はい」


 言われた通りにエーリヒの分だけ紅茶を淹れる準備をしていると、二人は再び会話を始めたようなのだが、声がよく聞こえなくなってしまった。小声で話しているわけでもなさそうだ。音声遮断の魔導具だろうか。

 これではますます気になってしまう。

 マリエルは密かに胸を高鳴らせるのだった。




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