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60.アレキサンドライト


「少しは落ち着いたか」

 湯浴みと着替えを終えてひと息ついていると、ユリウスが部屋に入ってきて、私が座っているソファーのすぐ隣に当たり前のように座った。

「ユリウスはまだ足りないですか?」

「そうだな……足りないと言えば足りないが…」

 マリエルが不思議そうにこちらを見ている。初めて会ったはずなのに、やけに親しげに見えるのだろう。

「マリエルさん、心配しないでください。ユリウスはなんというか……親戚?…兄…?のようなもので、えっと…」


「マリエルと言ったか」

「は、はい」

「私はユリウスだ。ヴェローニカは我が姫、我が主となった。故に身命を賭してその身を護ると誓った。そなたが案ずることは何もない」

「は、はあ…」

「それから契約でヴェローニカの側からは離れない。と、先に伝えておく。だからそう不審に思うな」

「契約……ですか?」



 そして「そう言っておいた方が良かろう?まだまだ魔素が足りない。姫の側にいなければ」と耳元でこそっと話す。

 なんだかくすぐったい。


「白夜が成体にならないと人化できないみたいに?」

 小声で問うてみると、

「そうだ」

とのユリウスの答えに、こくんと頷いた。




 マリエルが紅茶を出してくれて、それに礼を言う。ユリウスにも紅茶は出されたが、それを彼が飲むことはない。それでもいつかは一緒に食事を楽しむことができるようだから、それまで私は血と魔素をユリウスに与えて楽しみに待とう。


 紫の髪、紫の瞳、白い肌、整った目鼻立ち……一応男性ではあるが、女性のような中性的な美しさもあり、色気もある。本当に芸術的な造形美だ。

 確かに綺麗すぎて人形のようだと表現したくはなるが、こんなふうに自然に動いているし、時折瞬きをするその瞳も、影を作る長いまつげも、本当に人形だとは思えない。

 これは初期仕様の幻術のおかげなのだろうか。それとも魔力が馴染んで人間らしくなってきているのだろうか。

 あれ…?



 外はもう暗くなったので、部屋の中にはこの旅で見慣れた魔導灯と、テーブルには蝋燭の灯りが灯っている。その炎の揺らぎに呼応するように、ユリウスの瞳の色が変化したように見えた。


「どうした」

「ユリウス…」

「ん?」

 こちらを見つめたユリウスをしばらく見つめ返して確認した私は、座っていたソファーを立ち上がり、ユリウスの耳元に両手をつけて内緒話をした。「ユリウスの瞳が赤く変化したようです」と。


「ああ…」

 するとぱちぱちと目を瞬かせてから、ユリウスは微笑んだ。だが、どこか悲しそうに見えるのは何故だろう。

「そうなのか。では気をつけねばならないな。私は…」

 そこで言葉を止め、チラリとマリエルを見た。今はマリエルが聞いている。



 マリオネットだから?人間ではないから?

 やっぱり人形の体で生きるよりも、あの時もっと時間をかけて話し合って、説得して、成仏したほうが良かったのではないのか、とまた心を過ぎった。


「…後悔、していますか」

 するとユリウスはっとして、

「いや、そうではない」

 首を振りながらも複雑そうな声音だった。

 私は綺麗な瞳だと思ったけれど、本人にとってはそういうことではない。デリカシーがなさすぎだった。

 いくら体が欲しかったからとはいっても、この体は人間ではない。人形なのだ。それに今も魔素が足りないからとこうやって私にくっついているくらいだ。不便で不自由だろう。

 彼はこれからずっと、こうなのだ。



「ヴェローニカ、そうではない」

 ユリウスが焦ったように私の手に触れた。

「マリエル、下がれ」

「はい」

 マリエルは胸に手を当て部屋を出ていき、部屋内に沈黙が訪れる。


 マリエルが部屋から立ち去り、ユリウスが口を開いた。とても穏やかな声だ。


「ヴェローニカ、本当に後悔はしていない。……いや、正直に言うと……確かに人間であればと思うことがない訳ではないのだが……そうではなくて…」


 ユリウスは赤紫色の瞳をそわそわと揺らして、言葉を探している。傷ついているのは自分なのに、とても優しさに溢れた行為だと思った。



 まだ出会って間もないが、ユリウスは思ったことは比較的率直に言葉にするような、貴族としては珍しいタイプだと思う。でもそのユリウスが、今は言い淀んでいる。

 これは相手を傷つけまいとしているからだ。自分の性分を曲げてでも、言葉を選ぼうとしてくれている。

 それはとても優しい思いやりだ。

 言葉が時には刃になることを、きっと彼は知っているのだ。

 優しい人だな。あそこで出会ったのがユリウスで良かった。



「人は全てにおいて感情を割り切るなんてできないと思うのです。だからユリウスが少しでも未練があったり、後悔したり、迷ったりするのは当然のことです。…ユリウスは悪くありません。だから……そんな顔をしないでください」


 これは、魅せられた幻覚なのかもしれない。けれど、きっと本当のユリウスも今、困った表情をしているだろう。



「…………」

 ユリウスは目を瞬かせてこちらを見た。


「私にはユリウスの命に責任があります。私がユリウスをこのようにしたんですから。…私はあなたの主になりました。私の命がある限り、その生も死もちゃんと責任をとろうと思っています」


「…………」

 ユリウスは目を見張ってこちらを見つめている。そしてしばらく見つめて、微笑んだように見えた。それは声が柔らかかったから、施された魔法の幻覚がそう見せるのだろうか。


「そうか…。そなたはそういう人だったな」

「…ユリウス?」

「いや、すまない。なんでもないよ」

 そう言ってユリウスは私を正面から抱きしめた。



 感触は硬めで体温は感じない。だが心地良い……

 この感覚は、私の血を分けたからなのだろうか。


 人に触れられるのが苦手なはずなのに。こんなこと、私の中ではあり得ないことだ。

 本当に不思議だ。

 それとも、人の身体ではないからなのか。体温を感じないから忌避感がないの?


 そうだ、白夜も人ではない。

 昔も、黒猫のあの子を抱きしめて、その額や頬にキスをするのに躊躇うことなどなかった。あれを人を相手には同じ事などできないし、やろうとも思わない。


 人ではないから、安心するのだろうか…?

 人ではないから、素直に甘えても平気だと感じるのだろうか?

 だとしたら、私は本当に天邪鬼だな。


 本当はそれを望んでいるということだから。



 人はそれを、“愛”と呼ぶ。



「ユリウスは……白夜みたいに、安心します」

「…そうか……白夜か…」

「白夜と別れて心細かったので、嬉しいです。…ついてきてくれて、ありがとうございます。ユリウス…」

「…白夜は、そなたにとって、本当に特別なのだな…」

「ええ。もちろんです」

「そうか」

「あの子は私にとって、光なの。闇の中の、光…」


 この世界で助けてくれたのは、白夜だけ。

 ううん、ずっと、私は一人ぼっちだった。あの世界でも。誰も私を助けてはくれなかった。だから、強くならなきゃいけなかった。なんでも自分ひとりでできなきゃ、生きていけないから。



「光か……育った村から離れて、しばらく二人で暮らしていたと聞いた」

「はい。それまではずっと、一人でした。毎日毎日言われた通りに仕事をして、皆に殴られて、役立たずだとか、穀潰しだとか言われて。いつもお腹がすいていて、痛くて、寒くて、寂しくて。でも誰も助けてくれなくて。羊を抱いて、眠るんです」


「…っ…」

 急にユリウスがギュッと抱きしめてきて、少し苦しいくらいだった。

「ごめんなさい。暗い話でしたね」

「違う。…そうじゃない」

「…じゃあ、もう少し、いいですか?」

「ああ。…聞かせてくれ」


 どうしてだろう。初めて会った人なのに、ユリウスの優しさに甘えてしまうのは。



「山に行った時に、白夜に出会いました。まだとても小さくて可愛らしい猫のような白い狐でした。その時に、前世の記憶が蘇ったんです。あまりにも情報過多だったからなのか、不快な記憶ばかりだったからなのか、すごく気持ち悪くなって、吐いて、頭が痛くて、そのまま倒れたの」


「…………」

 ユリウスは抱きしめながら私の頭を、背中を優しくなでてくれた。

「今はもう大丈夫ですよ、ユリウス」

「ああ。…でも……いいんだ…」

 なんだかその優しさがくすぐったくて、ふふっと笑ってしまう。



「あの夜は苦しかったけれど、ずっと傍にあの子がいてくれたの。だから、白夜って名付けたの」

「ヴェローニカが名付けたのか」

「うん。白夜はあの頃はまだ普通の子狐だったから、話したりなんてしなかったし」

「なんで白夜なんだ?」

「白夜は私の世界を照らしてくれる光だと思ったから。白夜は一日中空が明るい夜のことだから」

「そうなのか」

「ユリウスは知らない?」と、ユリウスの腕の中から彼を見上げた。


「この世界ではないのかな。前の世界では、北国の方で太陽が一日中沈まない日があるの。真夜中も空が少し明るいのよ。それが白夜」

「太陽が沈まないのか……不思議だな」

「でも動いてはいるのよ」

「そうか……つまり、ヴェローニカにとっては、白夜は闇を照らす希望の光ってことなんだな」

 ユリウスの言葉に頷く。

 そう、白夜は私の闇の中の光。

「その白夜のように安心できる存在になれるのなら、光栄だな」

 しばらくそのままユリウスと抱きしめ合う。優しい時間が流れていた。



「ユリウス」

「ん?」

「色が変わる瞳はこの世界では珍しいですか?隠さなければならない?」

「…そうだな。聞いたことはない。人には不気味に思われるだろうな」

 静かな声でユリウスは言った。そのことに私は驚いてユリウスを見上げた。

「こんなに綺麗なのに?」

 するとユリウスも驚いてこちらを見た。

 二人でしばらく目を丸くする。もう今は、真っ赤なルビーのような瞳だった。

 そして可笑しくなって二人で笑った。



「あはは……そなたにとっては綺麗なのか」

「ふふ。綺麗ですよ、まるでアレキサンドライトみたい」

「…アレキ…サンドライト…?」

「私の世界での宝石の名前です。アレキサンドライトは昼は深緑、夜は赤紫に変わるんですよ」

「それは……不思議な宝石だな。何故色が変わるのだ?」

「それは光の波長が……えーっと。太陽光と室内灯の光の種類が違うからですよ。当たる光によって色が変わるなんて、ユリウスの瞳みたいでしょ?」

「…そうか…」

「でもユリウスは普段は紫で、同じように光か何かのきっかけで赤くなるみたい。アレキサンドライトよりはそんなに目立たない変化だから、きっとそんなに悪目立ちはしませんよ」

「そうだな」

 先ほどとは違って心から安心したような声だ。良かった。ほっとした。




コンコン

 思いの外近くでノック音が響いて、そちらを二人で振り返った。部屋の入口にはいつの間にかエーリヒが立っている。部屋の壁をノックしたようだ。


「…………」

 いつからそこにいたんだろう。全く気づかなかった。気配を消すのが上手なんだな。

 そしてなんだかエーリヒの目が怖い。あんなにいつも爽やかな笑顔で物腰柔らかで紳士的だったのに、今日はずっと笑顔を見ていない。まるで別人のようだ。



「エーリヒ……気配を消して勝手に部屋に入るな」

「ここはヴェローニカの部屋だ。貴様の部屋は別に取っている。そちらへ行け」

「いや、私はここで良い」

「ふざけるな」

「ヴェローニカもそれで良いだろう?」

「私は別にどこでもいいです。フォルカーさん達と一緒でもいいし。そもそも今まで家畜小屋とか洞窟とかで寝ていたし…」

「…………」


 するとエーリヒとユリウスがこちらを見た。

「ヴェローニカ、それは…」

「今はもう違う」

 エーリヒは目元を押さえ、ユリウスは私を凝視した。二人は少し憤慨気味だ。

 ユリウスがため息をつきながら私を抱え直すように腰を抱き寄せる。

 そう言えばいつの間にか抱えられていた。



「重いですか?」

 私は膝の上から退けようとすると、

「いや、重くない」

と、ひしと捕まえられる。ユリウスの膝の上に跨るような格好でぴたりと抱き寄せられた。

 すると、部屋の空気が変わった気がした。まるでエアコンを入れたみたいに、ひやっとした風がきた気がする。


 ユリウスがまたため息をついた。

「話があるなら座れば良い」

「貴様はいつまでそうしているつもりだ」

「そうして…?ああ……そうだな。…生涯かな。私はヴェローニカの眷属になったからな。主人の側に侍るのは当然のことだ」

「…………」



 どうしてそんなに怒っているのだろう。父性愛にでも目覚めたのだろうか。でもユリウスは私の眷属で、しかも体はマリオネット。その上私はただのお子様。エーリヒが怒る要素が見当たらない。

 傍から見たらみっともないということか。でも人前ではするつもりはない。大丈夫。



「エーリヒ様。今日は早めにお休みになってくださいね」

「何故だ」

「今日は私のせいでとても疲れたお顔をなさっています。顔色があまり良くないです。私に何かできればいいのですけれど、何もできないので」


 エーリヒがじっと私を見つめる。そして笑みを浮かべた。でもそれはいつもの優しい微笑みではなくて、見たことがないような笑顔。目が笑っていないというか。


「そうだな。ヴェローニカのせいでとても疲れた」


 ドキッとした。エーリヒがそのような直接的な批判をするとは思わなかったから。

 一瞬で、私はエーリヒに甘えていたんだと自覚した。冷や汗をかくような気持ちになって身体が強張り、自然と視線が落ちていく。



「エーリヒ、お前――」

 ユリウスの咎める声に被せて、エーリヒは続ける。

「だから代わりに私のお願いを聞いてくれ、ヴェローニカ」


「え?……は、はい。どうぞ」

 じっとエーリヒは私をみつめている。

「では…。まずは、そいつから離れなさい」

「え?」

「はっ」

 ユリウスが呆れた声を出した。


 一瞬虚を衝かれた。

 なんだかよくはわからないけれど、エーリヒのお願いを叶えよう。

 私はユリウスからそっと離れた。ユリウスも仕方なく離してくれる。



「こちらへおいで」

 そう言って、エーリヒはしゃがみ込んで腕を広げた。

 えーっと……とりあえず言うとおりにしておこうかな。私のせいで不機嫌なようだし。


 立ち上がってエーリヒのもとへ行くと、腕を引き寄せられていつものように難なくすっと抱き上げる。

「エーリヒ様……大丈夫ですか?」

 まだ怒っているのだろうか。疲れた顔色だ。胸がぎゅっとして、その目元に触れた。

 するとふいにエーリヒは踵を返して部屋を出る。

「え?エーリヒ様?」


 部屋の外にいたフォルカーもぎょっとしてこちらを見ている。今日も見張りをつけていたらしい。

 戸惑いの声を上げてもエーリヒの歩みは止まらない。そのままエーリヒの部屋まで着いて中に入ると、ユリアンとマリエルがいた。

「下がれ」

 一言伝えると二人は素直に敬礼して部屋をあとにする。

 そしてエーリヒは私を抱いたまま部屋の奥の寝室まで進んだ。




 寝室の真ん中に大きなベッドがある。天蓋付きだ。そこに私をゆっくりと下ろした。とても優しい手つきだった。怒っているわけではないのだろうか。

 そして自分もベッドに上がり、仰向けに横たわる。


 これは……どうすれば。


「何か話をしてくれ」

「話、ですか?」

「歌でもいい。……いや、歌がいいな。歌ってくれ、ヴェローニカ」

「そうすればエーリヒ様の疲れがとれますか?」

「どうだろう。疲れがとれるかはわからないが、気分は良くなる」

「じゃあ、子守唄ですね」

 するとようやくエーリヒがふふっと笑った。

「子守唄か……子供ではないのだが……まあ、いいだろう」


 私はエーリヒが早く体調が良くなるように、そして幸せになるようにと、願いを込めて歌を歌った。




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