59.紫紺色の麗人
《フォルカー》
「ん?そなたは先ほどもいたな」
古城から合流した紫髪の貴族らしき若い男が部屋から出てきて、扉前で待機していたフォルカーに声をかけてきた。
この男の正体はよくわからないが、紫眼とはこの王国では希少な瞳の色だと聞いたことがある。神話に出てくる初代王に仕えた使徒達の風貌だ。使徒とは、この王国の高位貴族、今で言う公爵や侯爵、辺境伯らの祖先である。
そもそも平民でこのような美貌を持った者はいない。色気のある紫紺色の髪と瞳があまりに中性的な麗しさで、どこかリーデルシュタイン伯爵の美しさに通ずるものがある。身なりも話し方も態度も身のこなしも、全て庶民の感じがしない。生まれながらの支配者のような、権力者の持つそれだ。
「はい。護衛のフォルカーです」
「そうか。ここは私がいるからもう良い」
「いえ、そういう訳にはいきません。グリューネヴァルト卿の命令がありますから」
「グリューネヴァルト…?ああ、エーリヒか」
男は思案気な様子だ。腕を組んで顎に指をかける仕草がなんとも妖艶に美しい男だ。この見慣れない紫の髪と瞳のせいもあるだろうか。
「そもそもこれはなんの旅だ?どこへ向かっている?」
「それは…」
フォルカーはこれがヴェローニカが白夜に会いたいと言い出したことから始まった旅で、目的のシルバーフォックスには会えたので王都に戻るところだと告げた。
「すると、姫のための一行ということか」
この男は何故かヴェローニカを姫と呼ぶが、フォルカーはそこにつっこむ気はない。
なんだかこの男は面倒そうだ。エーリヒの従者である貴族のユリアンに対し、躊躇いなく敵意を見せていた。
だが……思えば確かにヴェローニカのための一団だ。本当に平民の娘と伯爵らが思っているのなら、あり得ない待遇だった。
(養子縁組などとも言っていたし。初めからそのつもりでいたのかもしれない。)
初めはフォルカーも、シルバーフォックスという伝説の魔獣と敵対はせずとも捜索するために集められた一団なのだから、過剰戦力だなどとは微塵も思ってはいなかったのだが、そう言われれば他の護衛達はシルバーフォックスの話など聞いていなかったのだから、ヴェローニカ一人を送るのにこの護衛の数は不思議に思ったことだろう。その上、貴族や侍女まで同行しているのだから。
国境沿いの山裾まで行くのなら、念の為に必要な戦力と思ってはいたようだが。結果として、現在山際には魔獣が増えているために、特に不自然さはない。
「ある程度白夜からは聞いたが……姫は平民として育ったのか?」
白夜とは、シルバーフォックスの名前だったな。あんな恐ろしい魔獣と平然と会話するこの男とエーリヒは、貴族だからなのか、同じような強さを持っているからなのか。フォルカーには到底想像もつかない。
「…どの程度話していいのか、私には判断がつかないのですが…」
「全て話してもかまわない。私はヴェローニカに忠誠を誓った身だ。生涯を共にする」
「生涯……ですか…?」
「…難しいな…。白夜と同じような立場だと思えば良い」
「ああ……なるほど」
(いや、あの白夜とかいう魔獣もどういう存在なのかよくわからないのだが。)
「私が初めてあったのは……もう一週間以上前になりますか…」
フォルカーはヴェローニカが山裾の村に住んでいて、捨て子のようだったことや、そこではまともな養育を受けられずに村全体で虐待されていたらしいこと。その後家出をしてシルバーフォックスとしばらく山で暮らしていたこと。だが村人に捕まって奴隷として売られ、王都に来るところで出会ったことを話した。
「虐待に、奴隷か…」
男の声が静かに怒りを滲ませているのがわかった。
「それをそなた達に救われたのだな」
「正確には、私達の主がその奴隷商を取り締まる作戦上で、たまたま救えたようです」
「そうか。姫を救ってくれて感謝する」
「いえっ…」
貴族に畏まって礼を言われて、フォルカーは狼狽える。
「あの子は私達が救ったというよりも、自分でやってのけたというか…」
「ほう…」
あのときのことをうまく説明できそうにない。
しかもフォルカーは、一度ヴェローニカを見捨てようとも考えたのだ。奴隷商のアンスガーがヴェローニカを連れてあの場を逃げてくれれば、他の子供達が助かると。
それを思い出すと今でも苦い気持ちになる。
ところがどうだ。いざ近づいてみれば、あの子は子供らしからぬ狂気に満ちた声で笑っていた。あれを聞いたときには鳥肌が立った。そして自分の耳を疑った。この笑い声が、あの可憐な笑みを見せていた幼い少女のものなのかと。
そしてその後のアンスガーとのやりとりだ。
大の大人でも怖気づくような大柄で粗暴な雰囲気を撒き散らした奴隷商の男を前にして、あんな風に堂々と自分の意見を言うとは。しかもその口調はまるで子供なんかじゃあない。大人達に対する明確な敵意を剥き出しにしていた。その声音も子供とは思えない威圧感を放っていた。
まずいと思った。いくら彼女の銀髪に奴隷としての価値があろうと、あまりにも無謀で愚かな行為だ。割って入らねば、と。
だが彼女はフォルカーの焦りを余所にアンスガーに近づいていって、あろう事か煽り、懐に入って、その腰にあった短剣を奪い取り、そしてその胸を刺した。それも一度その短剣を引き抜き、わざと出血をさせてから、再び今度は首の正面へ。
確実に、必ず殺すという覚悟を感じた。
そしてそれを成し遂げた少女は、殺した男の血を浴びて、真っ赤に濡れていた。
確かにそうでもしなければ、やられていたのは彼女であり、子供達だろう。だが、しかし……
あれが初めての殺しとは思えないほどに鮮やかで、躊躇いがなかった。
フォルカーは傭兵を生業としている以上、いつかは殺人は避けられないと思って生きていた。
だがフォルカーでさえ、護衛任務で初めて人を殺した時は、まずはその覚悟を決めるまでが思い切れず、そして殺した後は吐き気や震えが止まらず、夜も眠れなかった。今でも夢に見ることがあるくらいだ。
人を殺すとは、そんな簡単なことではない。
逆に、子供だからなのか。
子供は残酷だと言われることがある。それは罪も道義も知らないからだと。
確かに子供にはそういう面もあるだろう。でもそれは、彼女には当てはまらない気がした。
「どうした。ヴェローニカの武勇伝が聞きたいのだが」
武勇伝、か。どの程度を想像しているのだろうか。
フォルカーは、ははは…と乾いた声で笑った。
確かに、平民なんかじゃあないな。一体彼女は何者なのだろうか。
思い出すのは、今朝聞いた昨夜の光の妖精騒動と、昨日の河原での光に包まれたヴェローニカの姿。
まさかとは思いつつ光の妖精騒動についてエーリヒに報告した後、ヴェローニカを都外まで探しに行ったエーリヒが見つけ出すことができた。
それはつまり。
「えーと…。彼女は自分の身を盾にしてでも、他の奴隷となって囚われていた子供達を守っていましたよ。奴隷商にとって自分の見た目は価値があるとわかっていてやっていたようです。彼女がいなければ、何人かの子供達は殺されていたと……そう思います」
それは本当にそう思う。
「そうか。…姫らしいな」
男は誇らしいと言いたげだった。声から受ける印象にしては、少し表情が硬いようにも思えるが。
「あの…」
「ん?」
「彼女には、何か特別な力でもあるのでしょうか」
「…何故そう思う」
男の口調までが硬くなったのを感じた。警戒している。
「実は……あの日、急に雷雲が巻き起こって……雷が落ちたのです。しかも、彼女に」
「なに?ヴェローニカに当たったのか」
「実際に直撃したのかどうかはよくわかりませんが……当たったのかも、しれません…。でも彼女は……あのとおり、全く無傷でしたので」
フォルカーには魔法陣のこと、奴隷商側の人間達が消えたことは、さすがに話せない。話さねば何もわかりはしないのだが、それを判断するのはフォルカーじゃないだろう。
「あそこは王都の近くで結界石の影響下でした。なのにいきなり雷雲が押し寄せてきて雷が落ちた。どうも、腑に落ちなくて」
「…結界石か。…姫には関係ないかもな」
「え?」
関係ない?ヴェローニカが雷とは無関係ということか?それとも……彼女には結界石は通じない、ということか?
「それで?その後はどうなったのだ?」
「…えっと…」
「何か隠さねばならぬことか?エーリヒの許可がいるのか?」
「そう、ですね」
「ふむ……何か起きたのか。そのこと、ヴェローニカは?」
「グリューネヴァルト卿が話していなければ知りません。落雷のあとは、気を失っていましたから」
「そうか。ではエーリヒに聞こう」
「はい。そうしてください」
これで答えるかどうかはエーリヒが決めるだろう。
彼はその後もヴェローニカの話を聞きたがったので、フォルカーが彼女と話した内容などを交えてしばらく立ち話をしていると、中から侍女のマリエルが出てきた。ヴェローニカの湯浴みと着替えが終わったと報告を受けると、紫紺色の麗人はフォルカーに礼を言って、早々に部屋へと入っていった。
麗人とは女性を意味する言葉と思い、避けていたのですが、男性にも使うようです。




