55.望み(3)
《エーリヒ・グリューネヴァルト》
「それにしても、白夜の言っていたとおり姫の血は魔力の純度が高いな。姫の周りにも良質な魔素が集まっている。昨夜は満月だったからさらに魔術的効果が高まって、うまくいったと白夜が言っていた。この体に馴染むには今少しそなたの血と魔素が必要なのだが……すまない」
「そう、なんだ……でも、本当に良かったの?」
「ああ。後悔はない」
ヴェローニカとユリウスは互いを見つめ合う。
エーリヒの胸には微かに疎外感が広がったが、それを素直に認めることができなかった。
「姫には悪いがこれからも定期的に血をもらえれば、姫の魔力と私の魔力がこの体に馴染み、さらに耐久性は上がって強靭になり、かつもっと人らしくなれると言っていたぞ」
「人らしく…?」
「今はあまり表情が動かないだろう?」
ユリウスが自分の顔に触れた。
「…もっと自然になるの?」
「そうらしい。より人間に近づけるようだ。…そのうち食事もできて魔力変換できるようになるとか白夜は言っていた。そうなれば魔素が薄い王都でも大丈夫だろうと。これ自体が魔物だからな。…人間というより、無機物から有機体になるとか……そのようなことを…」
「そうなんだ!すごい…」
「姫には白夜の言う意味がわかるのか?」
「早く言うと、鉱物である魔素金属が変化して、生物になるって白夜は言いたいのだと思う」
「…何のことだ」
エーリヒが二人の会話に口を挟んだ。ヴェローニカはエーリヒを見たあとユリウスを見上げる。答えをユリウスに委ねたようだ。
「お前には、私は何に見えるんだ?」
「何…とは?」
「人間に見えるのか?」
「…?何を言っている…」
ユリウスの奇妙な問いに、訝しく眉をひそめた。
「そうか。ならば街に入ってもさほど問題はなさそうだな。さすがプロイセの最高技術だ」
ユリウスは満足げだ。
こいつは何を言っているのだ。
そう言えば話していると、何か顔……特に口元が、注視してもどことなくぼやけるような違和感を覚える。
「…幻術がかかっているのか?」
「ほう。良くわかったな。そなたは優秀らしい」
「どういうことだ?」
「これはマリオネットだ。傀儡使い用のな。その中に入ったのだ」
腹立たしさからあまりユリウスを視界に入れないようにしていたこともあって、そんなことにはエーリヒは全く気づかなかった。それが本当ならば、精巧すぎる人形だ。
「それが……マリオネットだと?…プロイセの最高技術とは……そんなものが、この城に?」
見れば座っているユリウスの脇に長剣が置かれていて、その一振りも見事な業物のようだった。恐らく魔剣だろう。
昔の戦争によって、プロイセの全ての宝は王家に奪われたと当然の如く思っていたのだが、そうではなかったらしい。
このような精巧な傀儡を、エーリヒは見たことがなかった。
現在では傀儡使い自体が珍しい存在なので傀儡の技術が進んでいないことも想像はつくが、今から百五十年以上も昔の時代にそれだけの技術がプロイセにはあったということだ。
王国正史では旧プロイセには反乱分子が集まり、プロイセこそ正統なる神の一族であり、この地の王だと民を扇動、旧レーニシュ=プロイセ王国の復興と独立を目論んで、その技術で武器を大量に生産していると判明し、反逆罪で王家に制裁されたとされている。
だが市井の噂では、旧プロイセには優秀な技術者、職人が集まって独自の文化を築いていたために、王家にその富と技術を狙われたと言われている。そして神の一族だというその血を妬んだのだと。
戦利品は王家の宝物庫に納められたと聞いているが、技術者達はどうなったのだろうか。
これが本当にプロイセの技術で造られたマリオネットならば、実に惜しいことだ。そして、時代の権力者のなんと愚かなことか。
「ははっ…」
乾いた笑い声を漏らしたエーリヒを不審そうにユリウスは見たが、ふと、そうだ。と思い出す。
「ヴェローニカ。エーリヒが話があるとずっと待っていたのだ。朝からずっと姫を探していたようだぞ。何も言わずに出てきたのか?」
「あ…。ごめんなさい、エーリヒ様。ちゃんと戻るつもりだったの」
「…では、戻ろう、ヴェローニカ。怒ってはいない。皆、心配している」
ヴェローニカはゆっくり瞳をキョロキョロと彷徨わせた。
「……白夜は?」
また、白夜を探しているのか。
「白夜は腹ごしらえだと言っていた。姫の分の食事はエーリヒの部下が持ってきてくれるらしい」
「え?…ありがとうございます」
「…ああ」
「…エーリヒ様…?」
「…ん?」
「どうかしましたか?」
「…………」
ヴェローニカの気遣う眼差しに、「なんでもない」と言えばいいだろうに、と。エーリヒは自嘲するような笑みを浮かべた。それをどう受け取ったのか、彼女は不安げな表情を浮かべる。
「ごめんなさい。また心配をかけてしまって。こんな所まで来てくださって……たくさん、探しましたよね…?」
「…ああ、探した。…焦ったよ……てっきり、さらわれたのかと」
「そ、そうですよね。ご、ごめんなさい!」
ヴェローニカは慌ててエーリヒに対して姿勢を正し、謝罪のお辞儀をするが、その行動の意味がわからないユリウスに抱き直され、「姫、余り動くな」と注意をされる。
いつからなのか、ずっと胸が鈍く痛んで苦味を感じている。だいぶ疲れているようだ。
魔力を使いすぎた。思考が散らばり、気を抜くと意識に靄がかかったようにぼんやりとする。集中できない。
エーリヒはこめかみを押さえて目を閉じる。頭痛さえ感じる気だるさに、自然と嘆息を漏らしていた。
……苛々する……
まとわりついて拭えない苛立ちと不可解な煩わしさから解放されたくて、何もかも、「もう、いい」……そう言いたくなっている。
その方が、楽だ。
……楽になれる……
だが……一時の感情でそれを言えば、もう、ヴェローニカには会えなくなるのか。
「エーリヒ様?」
「…………」
「エーリヒは余程心配していたのだろう。先ほどから感情の起伏が激しいのだ」
「え?」
「だが確かに黙っていなくなるのは心臓に悪い。本当にさらわれたのかと思ってずっと探していたのならなおさらだ。私だったら想像するだけで恐ろしい。そういうのは、これからは止めてくれよ、姫」
ユリウスはエーリヒの気持ちを代弁すると、ふぅとため息をついた。
「は、はい。反省しています」
「何故こんな所まで来たのだ?プロイセの都から来たのだろ?ずっと飛んできたのか?」
そうだ、そのことを忘れていた。
「えーと…」
ヴェローニカはバルコニーから飛び立つまでの経緯を語る。
庭園で散歩をさせれば、こんなことにはならなかったのか。いや……いつかはこんなことになったのだろうな。
「見張りを立てたのは、ヴェローニカの身を案じてのことだった」
「はい。わかっています。ごめんなさい」
「何もわかってなどいない。君は貴族の恐ろしさを知らないのだ」
あそこは王太子の勢力範囲なのだぞ。用心するに決まっている。だがそれを知っていて招待を受けた自分にも責任はある。
「…あのころ私がどんな目にあっていたか…」
「え?……何かあったんですか?エーリヒ様…」
ヴェローニカの手がエーリヒの服に触れて、きゅっと掴まれた。青白い顔で心配そうに瞳を揺らして。
その小さな手を見ながら、そう言えばあのときもそんなことをされたと思い出した。だが相手が違うとこんなにも胸に宿る感情が違うのか。
「…知りたいか?」
「は、はい。何があったんですか?大丈夫でしたか?」
普段なら、こんなことは言わない。だがこのときは何か思い知らせてやりたい気持ちが湧き上がってきていた。
「色仕掛けだ」
「え?」
ヴェローニカはきょとんとして、大きな玻璃のような瞳をぱちくりとさせた。
「護衛騎士らは全員別任務を与えて帰還させていたし、ユリアンはすでに部屋を下がっていたからな。部屋で一人でいたところ、領主の娘が押しかけてきて迫られた。わざとらしく躓いたふりなどして無遠慮に触れてくるし、断ってもしつこいし、薄着だから引き離すのも触れたことにされるだろうし……催淫効果のある香水も……あれは苦手なんだ…」
またあの時の煩わしさを思い出して、ついため息を漏らしていた。
「え……」
今度はようやく意味がわかったのか、青銀の瞳を見開く。それを見て、何かいたずら心のようなものが胸をくすぐったが、変な誤解をされても困るなとふと思う。
「もちろん、追い返した。あの香水は他の奴らには効くらしいが……私には合わないようだ。私は大抵の毒は効かない。解毒できるからな」
あんな不快な匂いは私にとって毒でしかない。
「あ……そう、なんですか…」
ヴェローニカはまた、きょとんとしているようだ。彼女にも状況は理解できただろうとは思うが、いまいち反応が薄いように思う。
意味がわからない訳ではないだろう……興味などない話題だったか。
何かまた、不思議な感覚に囚われた。
「ふはは!災難だったな、エーリヒ。催淫効果の香水か。それは幻覚の魔法でもかかったものだろうな。原料や製作者の魔力如何によって魅了される厄介なやつだ。まあ、昔からよくある話だな。私にも経験はある。エーリヒは高位貴族なのだろう?狙われたのだな。だがプロイセ製じゃなくて良かったな。そう簡単にはレジストできなかったかもしれんぞ。ははは!」
ユリウスは一人、可笑しそうに笑っている。その表情は人形であるためぎこちないが、人の気も知らずに声はとても楽しそうだ。
ユリウスが語るには、彼が生きていた頃にも貴族間では色仕掛けや夜這いなどはよくあった話らしい。そして魔法の香水も。
幻覚魔法の香水か。なるほど。だから効果が証明されていて、貴族がこぞって愛用するのか。
だがあんなものに、本来なら簡単に意識を奪われるとなると問題ではないのか。取り締まらなくてもいいのか?不愉快だな。
本当に昨夜は不愉快極まりない夜だった。
「晩餐も酷いものだった。ずっと主君と私の婚約話についてだ。あからさまに娘達を勧めてくる。話題を変えても戻してくるし、必要ないと言ってもなお。面倒な事この上ない」
ヴェローニカはニコリともせずユリウスを見上げている。可笑しそうに笑い続けるユリウスに対して、呆れたような雰囲気も感じる。何か少し冷めた目で引いているようにも見えなくもない。
本当に昨夜のことは、ただただ迷惑で面倒だったのだが、彼女には不快な話題だっただろうか。
「…やはり領主の館になど行くのではなかったな。余りにしつこいので断りにくかったのだが。王太子の勢力だからと気を遣いすぎた」
エーリヒはずっと言葉が砕けていることに途中から気づいてはいたが、もうこの際どうでもいい。
あまりにも倦怠感が酷い。余計なことは何も考えたくない気分だった。
「エーリヒ様」
「…ん?」
「エーリヒ様には、婚約者はいらっしゃいますか?」
「…いや?いない」
「では、結婚は?」
「ふっ。していない。婚約も、結婚も」
婚約者がいないと言っているのだから、結婚もしていないに決まっているだろう。おかしなことを言う。とエーリヒは思った。
「でも……恋人は、いますよね?」
「……何故だ?」
純粋に不思議に思ってそう尋ねたのだが、先に否定をすれば良かったか、と思う。
「私がエーリヒ様の養女になったら、きっとご迷惑をおかけすると思うんです。エーリヒ様の恋人さんが嫌がります。結婚もしていないのに、こんな娘がいるなんて」
「そんなことは気にしなくて良い」
「何故ですか?気にします。エーリヒ様の邪魔にはなりたくありません」
ヴェローニカは瞳を潤ませてエーリヒに詰め寄る。彼女の必死さに少し戸惑う。
「…だから、養子縁組はしたくないと?」
「…はい…」
――養子になったとしても、お前は本当の親なわけではない。無価値な自分が他人であるお前に頼ることに、罪悪感を感じているはずだ。だからお前から逃げるのだろう。
白夜が言っていたことが重なった。これがその罪悪感か。
――そんな自分が誰かに愛されるためにはそれ相応の対価が必要だと思っているようだ。
対価…。対価か。では逆に対価を求めれば、素直に応じるのか。
家族の愛には羨望はあるが、決して自分には与えられないもの、か……
そんな風に考える必要などないのに。
何故だ……?
一体誰が彼女をそんな風にしたのだ……
「それが私の望みなのだが、それではだめなのか、ヴェローニカ」
ヴェローニカは美しく煌めく青銀の瞳を見張ったあと、苦しそうに揺らした。
また、君は泣くのか……泣かせたい訳ではないのだが……
「エーリヒ様は……優しすぎます。それではだめなのです。私が、嫌なのです。エーリヒ様に迷惑をかけたくないの。エーリヒ様に頼る理由がありません。それに、もし私のせいでエーリヒ様に何かあったら…」
ヴェローニカはぽろぽろと涙をこぼす。
エーリヒは無意識に手を伸ばしていた。ヴェローニカの頬に流れる涙を指で拭う。白い小さな頬に触れた黒い革手袋。あまりにも彼女の肌は白く、そして繊細で薄かったことを思い出す。もう一度、今度は素手で彼女に触れた。柔らかな肌が傷つかないように、優しく。
「ヴェローニカはエーリヒが大切なのだな。それに……エーリヒに、嫌われたくないようだ」
ヴェローニカが「え?」というように涙をこぼしながら顔を上げ、きょとんとユリウスを見る。
そして次にエーリヒと目が合うと、頬を朱に染めて目を瞬き、恥じらって目を伏せる。
それは、愛おしくて思わず抱き竦めたくなるような表情だった。




