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53.望み(1)

《エーリヒ・グリューネヴァルト》




 早朝、マリエルがヴェローニカの部屋を訪れたとき、部屋の前にはきちんと護衛が待機していた。すっかり安心して、いつもどおりに朝の準備のため入室すると、部屋にはどこにもヴェローニカの姿はない。慌てたマリエルは部屋の前にいた護衛に尋ねるが、部屋からは出ていないと言う。

 もう一度部屋へ入ると、バルコニーへ続く窓は開いていた。そこでバルコニーへ急いで出ると、柵の手前には椅子が置いてある。もしかして落ちたのかと、柵の下を覗いてみたが、そのような様子もなかった。

 マリエルは急いでエーリヒに報告した。




「どういうことだ」

「「申し訳ございません」」

「どういうことだと聞いている。さらわれたのなら見張りがいて、何故気づかない。…何のためにお前達はいるのだ…」

 エーリヒが苛立ちを抑え込もうとしているような声で尋ねるが、並んだ護衛達は誰も答えられない。

「もういい。とにかく情報を集めろ」

「「は!」」



 ヴェローニカがいなくなった部屋の状況を聞いて、エーリヒはすぐさま彼女の部屋へ向かった。

 部屋の中は荒らされてはいない。バルコニーには聞いた通りに椅子が柵の前にあって、下を覗いても下生えには落ちたような形跡もなかった。では、あとはバルコニーからさらわれた。これしか考えられない。


 すぐにでも探しに出たいが、何の手掛かりもなければ、この敷地内なのか街の中なのか、それとも既に街を出ているのか、どこを探せば良いのか見当もつかない。



 関わっているのはこの館の人間が一番可能性が高いが、ここの領主は王太子の勢力だ。このように疑われやすい状況で犯行に及ぶものだろうかという疑問が残る。確証もなく下手に騒いで、事を大きくするのもいただけない。それとも昨夜のあてつけなのか。いや、それでも主君を敵に回すには割りに合わない。


 だがあの状況で拉致以外に何があるというのか。

 拉致だとすれば目的はなんだ。何故子供をさらう。容姿が原因なのか。また奴隷商か。アードラー商会以外にも奴隷を扱う商会はある。

 まさか、報復か。どこかからヴェローニカの情報が漏れた?



 そこまで考えて、エーリヒは大きく深呼吸した。

 …冷静にならなければ。


 それでも、あるいは、と、エーリヒは館の中を歩き、敷地内を歩き、探知魔法を巡らせた。

 ヴェローニカの魔力の反応なら、きっとわかる。




「一体どうなされたのですか?このように歩き回られて。もうすぐ朝食がご用意できますが…」

 館を出て敷地を歩いていると、ここの執事らしき者が慌てたようにエーリヒのあとをついてくる。

「少し散歩をしているだけですよ」

 執事の様子からは疚しさは感じられない。ただただ困惑しているだけのようだ。



 なるべく遠く隅々まで、探知魔法を展開する。建物内、敷地の端々、地下空間。今のところは何もかからない。この屋敷内にはもういないのか。


「ユリアン、フォルカー、この敷地内にはいないようだ。彼女の魔力反応は見当たらない。私は街を探す。お前達は情報を集めて、何かあれば連絡しろ」

『はい』

『は』

 イヤーカフの魔導具で連絡し、エーリヒは厩舎へと向かった。




 探知魔法で探りながら、馬でメイン通りを駆ける。路地裏まで網を張り巡らせるように丁寧に、かつ素早く、もっと広範囲に。建物の中、上階、地下。平面だけじゃなく立体で探知する。

 もうほとんど街の中は探し終わった。となるとすでに街の外に連れ出されているのか。



 探知魔法に集中している途中で、イヤーカフの魔導具から声が聞こえる。

『グリューネヴァルト卿、個人回線を使います。少し気になるお話が…』


 普段は同じタイプの魔導具を使っている者達全員に向けて話すのだが、フォルカーがエーリヒ用の個人回線を使っている。

 エーリヒは手綱を引き、馬を止めて情報に集中しようとする。



「どうした」

 イヤーカフに触れてフォルカーに応えた。

『その、昨夜、庭園を光の妖精が飛んでいたと、館の使用人達が話していて』

「…光の妖精…?」

 こんなときに何の話だ。


『幽霊が飛んでたと馬鹿げたことを言う者もいるのですが、数人の目撃者がいるようなんです。それから、この世のものとは思えない美しい妖精の歌声が聴こえた、と。何の歌かはわからなかったようです。初めて聞く歌だったと』


「…………」


『その妖精だか幽霊だかの光は、しばらく歌いながら庭園を飛び回って、その後屋敷を出て、街の外の方へ飛んでいったと。光っていたから遠くまでよく見えたと言っていて』


「それが……ヴェローニカだと言いたいのか」


『いや……そういう訳ではないのですが……昨日、川で歌っていたあの子が光っていたので、なんとなく、気になって』



 そんな馬鹿な。そう思いながらも、エーリヒは馬の腹を蹴る。街の門へ向かって逸る思いで馬を駆った。





 プロイセを出て、どこへ向かった。どこへ行けばいいんだ。


 馬鹿げているとは思いながらも、どこかで確信していた。その光の妖精は、ヴェローニカだと。


 空を飛ぶ?何のおとぎ話だ。そんな魔法などないぞ。聞いたこともない。


 エーリヒは街の門を出てしばらく馬を走らせてから、ゆっくりと手綱を引いた。馬が嘶いて街道上で緩やかに止まる。



 ああ…。どうしろというのだ……



 エーリヒは息を切らせて顔をしかめながら、胸を押さえて服を握りしめた。首元を緩めてひと息ついて、そして天を仰ぐ。


 眩しい日射しに目を細める。早朝からヴェローニカを探し回って、もうすっかり東の空には朝日が高く昇っている。

 ひどい気分だ。急激な魔力の使い過ぎか。



 エーリヒはこれほど気が滅入るのも魔力の消耗が激しいせいかと思い至り、意識して深呼吸を繰り返す。

 この短時間でプロイセの街中全てを探知魔法にかけて、平面だけでなく立体的に本当に隅々まで細やかに探したのだ。魔力が尽きても仕方がない。むしろ常人には真似などできないことだった。



「どこだ、ヴェローニカ……どこへ、行った…」



 ヴェローニカにつけている侍女に、彼女が白夜に会いたがっている、帰りたがっているようだと聞いていた。



 それほどまでに、嫌なのか。ここに……私の傍にいるのが……



 だが、さらわれたのではなく、出ていったのが自分の意思なら、危険は少ないだろう。

 それだけが、幸いだった。


 途方に暮れながらも思い出すのは、昨日二人で見た月下の古城。

 エーリヒは呼吸を落ち着けると、またゆっくりと馬を走らせる。その道程も探知魔法は忘れない。

 そこにいるとは限らない。だが、他には何も思い浮かばない。とりあえず思い当たる可能性を排除していけばいい。そんなつもりで昨日見たプロイセ城へと向かう。





 丘を登ると、すでに高く昇った朝日が照らすプロイセ城がそびえ立つ。夕暮れの古城とはまた違う雰囲気だ。


 これだけ荒んだ場所なのに、辺りに魔獣の気配はなく、乗ってきた馬を木に繋げる。

 高台にそびえ立つ崩れかけた城壁へ近づいて行くにつれ、足元に石畳の名残があるが、所々割れた場所からはびっしりと雑草が生えていて、放置された年月を思わせる。

 緩やかな幅の広い階段状の石畳が折り返すように続いて、その道をショートカットして飛び越え進んでいくと城門へと続く石橋が見えてきたが、それは途中で崩れ落ちていた。


 道は下へも続いているが、強化した脚力でそれをゆうに飛び越えて、城内を探知魔法で探る。

 奥に、反応があった。これは……ヴェローニカか?だが、同じ場所に大きな反応がある。

 白夜と一緒なのか。他にも何かがいるようだが、よくわからない。知らない魔力だ。



 ヴェローニカを見つけてほっとしたはずなのに、胸の奥が何か煮え切らない。


 エーリヒは城内に足を踏み入れる。近くには魔獣の反応はないが、朽ちて所々崩れているため足場や頭上に注意しながら進んで行く。

 ヴェローニカが一緒にいるのが白夜なら、安心なのだが。もう一つの反応も侮れない魔力のようだ。

 そう言えば昨夜あの辺りには、何か大きな魔力反応があったはずなのだが。今は感じられないということは、白夜が排除したのかもしれない。



 もうこの距離ではイヤーカフ型通信魔導具の弱い魔術回線は街まで届かない。それにプロイセの外郭には王都ほどの物ではないが結界石も設置されていて、微弱な魔力は阻害されるのだ。

 エーリヒは左腕のバングルに魔力を流し、ユリアンにヴェローニカを見つけたかもしれないことを伝え、待機を命じる。




 逸る気持ちで薄暗い古城の内部を暗視能力を使って進み、時折通路が崩れて通れない場所は身体強化で飛び越えながら、目的の魔力が待つ城の奥部へと最短距離でたどり着いた。

 幅の広い長い廊下の先の、大きく壁がくり抜かれたように見えるその奥は、玉座の間のような広い空間。この城の謁見の間だった。



 開け放たれた入り口から足を踏み入れたすぐの所に倒れた二枚の大扉は、分厚い金属製の立派な物のようだが、装飾が潰れ見事にひしゃげて大破している。そしてすぐ側に転がった太い破城槌。

「…………」


 破城槌で壊したとなると、これは魔素金属製の大扉か。これだけの大きな両開きの扉が、貴重な魔素金属製とは。よく盗まれもせずに残っていたものだ。それにこれだけ廃墟と化した場所なのに、魔獣の一匹すら気配もないとは。あまりに不自然だ。



 広間の中心には落ちた大きな魔導シャンデリアの残骸が散らばる。さらにその奥を臨むと、崩れた天井の隙間から日光が射し込んでいて、その眩しさに視界が一瞬眩んだ。

 階段状に高くなった城主が座する最高段、色鮮やかなステンドグラスを背にした大きな玉座の手前に、陽光を浴びた誰かが座り込んでいる。

 そしてその隣に蹲っていた大きな白銀の獣が、ゆるりと立ち上がった。



『ようやく来たか』


「白夜……ヴェローニカは…」



 白夜の隣にいる者を確認する。紫の長髪を結わえた人形のように美しい若い男だ。しかも何やら不穏な魔力の量と質だ。鮮やかな紫色の髪は珍しい。その色はこの王国では、黄金の次に尊き色だからだ。

 男は貴族のような風体で、その身にまとった白い衣装も金糸の刺繍が見事な素晴らしい仕立てであり、一見すると高位貴族だ。そしてその男が見つめる腕の中には、薄い夜着を着たヴェローニカが目を閉じ、横たわっていた。

 あんな薄着で外へ出て…



「その男は誰だ、白夜」

 薄暗い城内の冷えた空気で張り詰めた謁見の間に、エーリヒの殺伐とした声が響く。


『これは新たにこの子の眷属となった者だ』

「眷属…?」

『それよりも、何故ヴェローニカは夜にこんなところまで来たのだ。お前に預けておいたはずだが』

 それはつまり、白夜も知らないということか。


「それはこちらが聞きたい。突然いなくなって探していたのだ。…お前に会いたかったのではないか…?」

 何故か認めたくないような気持ちに駆られた。

『そうか…』

 白夜はふわりと尻尾を揺らす。



『ならばもう良い。ヴェローニカは我らで育てる』


「なんだと?」

『人化には未だ至らぬ俺一人では満足な人間の暮らしをさせてやれないかと思っていたが、ユリウスがいれば人間の街にも入れるようになる。この子が成長するための必要最低限の物資は調達できるだろう』

 ユリウス……あの男の名か。



「勝手が過ぎるのではないか。ヴェローニカはもう私の娘だ」


『まだ縁組はしていないだろう。そちらもその方が都合がいいはず。この子はお前達の手に余る。今回の件でも良くわかったはずだ』

 エーリヒは強く手を握りしめる。

「ヴェローニカは……それでいいと…?」

『まだそんな話はしていない。だが俺が説明すれば納得するだろう。先ほども俺と共にいたいと言っていた』



 エーリヒが説得しても、なかなかヴェローニカは養子縁組を良しとしない。だが、白夜なら、悩みもしないのか。

 強張っていた体が一気に弛緩した。




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