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51.春の夜の夢(1)


 美しい満月の晩に、なんとなく物悲しい気持ちになって歌をうたったら、体の回りに光の粒が集まってきた。それを見て、今度は嬉しくなってしまって。月夜を宇宙を飛んで歌をうたう、そんな歌をうたったら、本当に体が浮いて空を飛んだ。

 初めはうまく飛べなくて、ふわふわとその場を浮いて。コツをつかんだら、庭園の上を飛んでいた。

 虹色の光に包まれて。夢みたいなひととき。


 でも傍から見たら、暗闇の中、淡い光に包まれてふわふわと宙を漂うなんて、これは幽霊か何かに見えるのではないか。と思ったけれど。

 まあ、いっか。

 好きな歌を好きなだけ歌って空を飛ぶなんて、最高だ。


 でもこの歌って、愛の歌なんだ。

 歌っていて、そう思った。

 皆、この世に生まれて、誰かの愛を待っているのね…


挿絵(By みてみん)


 そのうち、歌っていなくても空を飛べるようになって、滑るように飛んでいたら、いつの間にか街の外まで辿り着いていた。



 白夜はどこにいるのかな。

 白夜に会いたい。

 あのふわふわな毛並みを抱きしめて眠りたい。

 そう思ったら、ふと何か寂しさを感じて、呼ばれるようにそこへ向かう。

 寂しい。そして、切ない。胸がギュッと苦しくなるほどに切実な気持ち。



 そこは、夕方に見た、あの朽ちた古城だった。




 月の光を浴びて暗闇の中、高台に浮かび上がる古城の影は、どこかで見たような光景だった。

 ああ。私の好きなモン・サン・ミシェル。一度は本物を見てみたいと思っていた。尖塔の上のミカエル像。

 城の上方に近づいてみたが、ここには、そういうのはないみたい。

 でもこの古城からは何かを感じる。もしかしたら、ここに白夜がいるのだろうか。

 ふわふわと古城を一回りしていると、城の奥の方に何かの気配を感じる。私は迷わずそこへ向かった。



 壁が崩れた所を見つけて中に入ると、そこは玉座の間と言えるような天井高く広い空間だった。

 一番奥が階段状に高くなり、その最上段に古い玉座がぽつんと安置されているのが、崩れた天井から降り注ぐ月明かりに照らされて見えた。その光景に何故か胸を締めつけられる。

 栄華を誇った時代には、荘厳な雰囲気だったのだろう。玉座の背後には、ひび割れた壁に美しいステンドグラスが残されていて、月光がその彩りを浮き上がらせている。



「綺麗…」

 ステンドグラスをぼんやりと眺めて呟いた。静かな夜に、やけに自分の声が響いて聞こえて、この空間の広さと虚しさを同時に感じた。




『誰だ…』



 白夜がしゃべった時のように、どこからか聞こえる不思議な感覚がした。でもその声は白夜じゃない。

 ぼうっと玉座の近くに光が浮かんだ。青白い光が徐々に細長く、大きくなって、それは人型に変わる。


 …幽霊、かな。

 でも不思議と怖くない。なんだかとても寂しくて、悲しい気持ちになる。さっき感じたのは、この人の気配だったのかな。



「こんばんは」

 この世界に生まれてから今までの、常識とは異なる不思議な事の連続で、度胸がついたのだろうか。前世の国だったら廃墟巡りなんておどろおどろしくて絶対にやらないけれど、洋風古城ならばやってみたいのは何故だろう。


『そなたはなんだ…?精霊……いや、人間か…?人間にしては不可思議な気配だが……人間が何故空を飛んでいる…』

「えーと……それは……なんででしょう?」




 そう言われれば何故空を飛んだのだろう。飛びたかったから?

 それは確かに前世から漠然とある憧れ。鳥のように自由に空を飛べたらいいだろうなって。


 でも、自由とは得てして良いことばかりじゃなかったりする。

 誰に指図されることもないけれど、その代わりに数多ある選択に責任を負い、自己判断で危険を回避しなければならない。その選択による失敗は、誰のせいにもできない。

 人生において大事な選択を誤り、挫折すると、傷つき苦しんで、もう取り戻せないのに、何故そうしてしまったのかと思い悩む。もう失敗したくないと思うようになる。そう思うともう、何もできなくなる。

 動けなくなる。

 自由が怖くなる。



 憧憬を抱かずにはいられない空だって、決して安全じゃない。

 陸にも空にも海にも、そこには必ず強者は存在する。それは自然界でも人間界でも同じ。生きとし生けるものは皆、弱肉強食の世界で己の無力さを痛感し、そのちっぽけな生を強者の傲慢により翻弄されるのだ。


 でも、空を飛べたら……重力という茨のしがらみを振り切って、ここじゃない何処かへ……


 そう、ここじゃなければいいの。何処か遠くへ。私という()()()を誰も知らない所へ。ずっと、そう思っていた。

 ならば行けばいいじゃない。

 もうここには私を縛り、決めつけ、押さえつけるものなんてないのだから。

 あとはもう、()()()()という、自分で作った見えない鎖だけ。




「きっと、今夜が満月だから」

『……何……?』

「月が綺麗な夜だったからですよ」

『何を、言っているのだ』

「ほら、見てください。綺麗な満月。…空を飛びたくなるでしょう?」

 崩れた天井から、綺麗な円い満月を見上げて、ふふっと笑った。

『…………』

 どうやら幽霊さんは呆れていらっしゃるようだ。


「そちらに行ってもいいですか?」

『…そなたは私が怖くはないのか』

「私も傍から見れば、幽霊ですよ」



 するとさっきまで寂しく、もの悲しかった雰囲気が、ふわりと楽しそうな空気に変わった。笑っているようだ。

 笑顔はいい。見ているこっちも幸せになる。

 こういう時はいつも思う。想いは共鳴すると。

 だから、好意には好意を示したい。

 優しさには優しさを。逆もまた然り。


『では、好きにしろ』

 許しを得た私は、光の人の方に飛んで近づいていった。



 傍まで行くと、その姿は白っぽい鎧とマントをまとった若く美しい男性だった。

 騎士だろうか。まるでエーリヒやジークヴァルトのように美しい人だ。この国の貴族は本当に美しい人が多い。


『そなたは子供か?だが大人にも見える。どちらにせよ、美しいな』

 美しい、とな。


「ありがとう……そんな風に言われたのは初めて」

『そうなのか…』

 そうだよ。だから言われ慣れてなくてちょっと照れる。この人の話し方は率直な印象を受けるの。嘘とか、言わなそうな、そんな感じがするから。



「あなたは一人でここにいるの?」

『ああ。皆はもう眠りについた』

「あなたは、眠らないの?」

『私は……ここを守らねば。城を荒らしに来る者達がいる。魔獣も追い払わねば。そうせねば、ここは今以上に荒れ果てる。この城で……無念の討ち死にをした仲間達の眠りを妨げる者は許さぬ』

 今度は空気が怒りに満ちる。ピリピリと肌に刺さるような感覚。




 ここはプロイセ城。旧城下町がこの丘の下にある。

 今は価値ある建物群の一部が観光地化し、お城に近い崩壊した旧市街地はスラムのように放置されているようだ。


 この地は昔、戦で滅びたのだと、先ほどエーリヒから聞いた。今のプロイセはその生き残りがまた新たにプロイセ城の近くに新街道を切り拓き、その街道沿いに作った街なのだと。

 つまりこの人は、その戦で亡くなった人。お城にいるということは、籠城戦だったのだろう。



「私の故郷も城下町なの。昔、ご先祖様達が故郷を守るために戦って、…そして破れたの。今はお城は復元されているけど、当時は籠城戦をして、砲撃でボロボロになったんだって。立派なお城を見る度にそれを思うと、当時の人達は無念だったろうなって悲しい気持ちになった」


 このお城を守って戦で亡くなったと聞くと、前世の故郷を思い出す。ご先祖様達が戦で土地を、城を、民を、主君を守り、籠城戦の末に、破れた。悲しい歴史。

 この人も、そうなのかな。



『そうなのか…』

「……一人でここにいるのは、寂しいでしょ?」

『…………』


 怒りの空気が和らいでいくのを感じた。

 こんな廃墟で一人きりなんて、どんなに強がっても寂しくないはずがない。

 自分が生きていた思い出のある場所。大切な人達と過ごしたこの場所には、もう誰もいないのに。



「ここを荒らす人達を許せないあなたの優しい気持ちはわかるよ。でもね……それはあなたの幸せを犠牲にしてまで、あなたがずっとここで寂しさと闘ってまで、することなのかな…」

『…………』


 下手をすると彼を怒らせてしまうかもしれないとは思ったけれど、言わずにはいられなかった。

 こんな寂しい場所で、この人だけ孤独に耐えて、死んでもなお皆を、思い出を守っているなんて。



「この世に不変な物なんてないの。飛花落葉。美しく咲いた花もそのうち散ってしまうし、青々とした葉もやがては枯れてしまう。どんなに大切でもいつかは全て壊れるし、朽ちるの。立派だったこのお城だって。…あなたの愛した人達は、悲しいけれどもうここにはいないの。だから、大丈夫だよ、もう生まれ変わっても。皆、来世であなたを待ってる」



 ゆっくりと時間をかけて、押し付けにならないようにこの世の理を説く。

 諸行無常、有為転変というあれだ。


 この世にある全ては移り変わっていくという儚さを、彼はまだ受け止められていない。

 その頑なさは執着だ。だからまだこうやって成仏できずに、理を歪めてまでここに存在し続けている。でもそれは、彼が誠実で優しいからこそだ。


 誠実で優しい人が馬鹿を見る世の中なんて、間違っている。

 誠意は正しく報われるべきだ。



 すると、空気がまた変わった。なんだか、胸が苦しい。泣きそうになる。

 これはこの人の感情なのかな。



『そなたの……そなたの名前を教えてくれ』

「…ヴェローニカ」

 最近つけてもらったばかりの名前だけど。前世の名前よりも気に入っている。だって、ちゃんと“私”を見て、それが似合うとつけてくれた名前だから。


『ヴェローニカ…』

 また空気が変わる。心がほんわかしたような気持ちだ。あたたかい。

『ヴェローニカ。私はユリウスだ』

「…ユリウス…」


 ユリウスのために何かしてあげたい。ここでずっと一人ぼっちなんて、寂しすぎる。彼はもう死んでいるのだもの。未練がなくならない限り、きっとこの地に囚われたままなのだ。

 でも成仏ってどうやるんだろう。

 …そうだ…



「白夜ー!!」

『な?!』

 空に向かって思いっきり叫んでみた。今なら届く気がする。多分、強く願えば、叶うはずなのだ。空を飛べた時のように。


 何故か私は、本当は知っていた気がする。前世でも。でも強く願ったことなんかなかった。初めから、どこか諦めていたから。人のためならまだしも、こんな自分のために願うなんて、烏滸がましいって。

 でも今は、ユリウスのためだから。



「白夜ー!!どこー!?」

 広い玉座の間に大声が響き渡る。夜の澄んだ空気に染み渡っていくように。


 反響が止んでしばらくするとシュルンと空気が揺らいで、大きな白銀の狐が現れた。白夜だ。



『なんだ、魔獣?…いや、神格の気配が…?』

 突然の白夜の登場にユリウスは身構えるが、何やらただならぬ気配を感じて狼狽えている。


『お前、こんな所で何をしているのだ。あの人間はどうした』


「そ、そんなことより。この人を成仏させたいの。どうしたらいいか、白夜はわかる?」

 白夜から、しらっとした雰囲気を感じた。呆れているようだ。

 むぅー。皆ひどいなぁ。



『それは、だいぶ強い未練が残っているようだな。ほとんど魔物化しているぞ』

「魔物?」

『ゴーストやファントムの類だ。妄執に囚われたアンデッドだな。この辺りの魔素や瘴気で生じたのだろう。戦場は魔素が濃くなるからな。体は朽ちているのか。ゾンビではないようだが』


「ゴースト?ファントム?ゾンビ…」

 ゾンビはダメでしょ。腐ってるよ。

 この人は騎士だから、騎士の幽霊はなんていうの?ゲームで見たのは首がないのしか思い出せないな……確か、デュラハンだったかな。



『ここは瘴気とも言えるほど魔素が濃いからな。もうしばらくすれば上位アンデッドのレイスにでもなるのではないか。何か生け贄や触媒のようなきっかけでも得ればもっと早く進化するのだが。一概にアンデッドと言っても進化によって千差万別だ』

 白夜はなんでも知っているな。エーリヒみたいに知識が広い。

「進化するの?」

『霊体のままだと不安定だからな。このまま魔素を吸収し続ければ、存在を強化できて魔力も増える。実体を得たりな。それが進化だ。数年でという訳にはいかんが。それまでは死体や人型があれば、それに憑依するのが過ごしやすいとは思うぞ。リビングデッドだな』


「でも……私は成仏したほうがいいと思うの」

『それはお前の以前の常識からの偏りだ。あの世界では魔素が薄かったからな。物質世界に存在を示したり干渉できるほど、思念体は容易には自己強化や維持ができない。よほどの執念がない限りはな。だがここでは魔物も立派に生命だぞ。存在進化するのだからな』

「そうなんだ…」

 だから魔素って何?原子?分子?ダークマター?しかもあそこにもあったんだね。



『じょうぶつ…?』

 初めて聞いた単語のように呟く声に、青白く光る騎士ユリウスを見た。

 成仏の概念について説明する。あれは仏教だから、わからないのかもしれない。

 とにかくこの世の未練をなくして輪廻に還るのだ。新たな生命に生まれ変わるのだ。


 ユリウスは戸惑いの表情をしている。不安と恐れと寂しさと迷い、それと少しの期待をなんとなく感じる。

 うん。まるで新興宗教の勧誘みたいだな。大丈夫。騙してなんかいないよ。



「白夜。この人を成仏させられる?」

『…まあ、こやつが納得できれば可能だろうが。良いのか?』

『待ってくれ。私は、まだやることがある』

「え…?まだここにいるつもりなの?」


 納得できなければ成仏できないのなら、この人は。これからもずっと一人でここにいるつもりなのかな。こんなに寂しくて悲しい気持ちでずっと。

 でもここで一人でいたら、きっと未練なんて消えない。自分の中だけで会話を繰り返しても、恨みが晴れることなんて、ないだろう。この人には、新たな風が必要だ。



『確かにここも心残りではあるが…』

 するとユリウスは徐ろに私の前に片膝をつき跪いて、右の手のひらを胸の、心臓の上に当てた。その見慣れない姿は、神にでも跪くかのように神聖で、恭しい。



『我が名はユリウス。ユリウス・レーニシュ=プロイセ。生前はこの地の騎士だった。これからはそなたに、ヴェローニカに仕えたい。そなたについて行きたい』


 ユリウスはそう言って、跪いたまま真摯な目で、私を見上げた。



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