5.深夜の神様論(悪魔の証明)
寝心地の悪い硬い床の上で寝返りを打つ。寝具一枚ない床板の上で眠るのには、まだ寒さが骨身に染みる季節だ。床板から伝わる冷気に痛みさえ感じる。
食事の後はまた手首を縛られて、硬い床に寝転がったり、壁に寄りかかったりして、子供達は馬車の中で休んでいた。
夜はまだ肌寒くて蹲ったり、兄弟姉妹達は寄り添い合ったりして暖をとる。包まる掛布すらないが、外で寝転がるよりはまだマシだろうと思うしかない。
私は小さな凍える身体を丸めて、生まれ落ちたこの知らない世界についてぼんやりと考えていた。
この世界には、神様はいるのだろうか?
以前の世界では神様なんて存在は、感じる機会はなかった。
神社仏閣は好んで訪ねたが、空気が澄んでる気がするなとか、清々しい気分だなとかは感じたりはするし、実際に神霊的なものは見えなくても蔑ろにするつもりは毛頭なかった。
どちらかと言えば、神様を敬う気持ちはある方だ。
神様はいるとは断言はできないけれど、会ったことがないからと言って、いないとも言えないだろう。
それは“悪魔の証明”というもの。
神様を論ずるのに悪魔の証明と言うのも可笑しな話だが。
あの世界での神とは、残念ながらもう殆どが商業的な意味合いであったと思う。
人生の艱難に寄り添うふりをして、宗教はつけ入る隙を窺う。
今その身に降りかかる不幸は、己の業のせい。
現世に生まれ落ちたことで生じる痛みに苦しむ信者を集め、救いを提示し、お布施を募る。
念仏を唱え寄進をすれば、極楽浄土にいけるのだと。
献金にて免罪符を得れば、死後の煉獄からは解放され、楽園への道が開かれる。
あるいは欲望は悪と断じ、資産を搾り取るために物欲も全て捨てさせる。
欲の一切を捨てれば競争も諍いもないかもしれないが、発展も成長も種の保存さえ不可能で、生命は停滞するというのに。
傷ついた弱い心を巧みに操られれば、そんなことにすら疑問にも思わなくなる。
かと思えば世界には、“神の教え”だとして信じる神に背く者、別の神を崇める者達は排除、迫害するような過激で強硬なものもある。
神の名のもとに戦争し、虐殺する行為を肯定し、武力を行使するなど、本来の神の在り方に矛盾してはいないか。
神とはそれほどに狭量か。
まるで人間のようだな。
それは一体誰のための神なのか。
そもそも人間の必要とする神とは、それぞれの心に宿る支えのようなものなのではないのか。
人は脆く弱い生き物だ。
個人の力なんて、ささやかで微々たるもの。生きるうちに一体幾度、己の無力に打ちのめされて嘆くことだろうか。
誰かを救えず、自分すら救えないで、どうしようもなく力ある者からの救済を願う。
だがそう都合良く、ことは運ばないもの。
そんな時はただ神に祈り、縋るしかないのだ。
だから、人には神の存在が必要なのだ。
天地創造の神。全知全能の神。
そのようなものがいたら、このような理不尽な世の中がまかり通るわけがない。
せっかくの全知全能を持て余し過ぎだ。
怠慢で無責任が過ぎる。
“神は死んだ”と言いたくもなる。
昔から祖国では自然に神が宿ると考えられてきた。
森羅万象には神が宿ると。
私にはそれが一番しっくりくる。
自然の恵みに感謝し、天災を畏れ、敬う。
間に人が入るから“意”を曲げられる。
“教え”の解釈を曲げられる。
誰かの思惑、利害が入り込む。
ならばそれぞれの心に、畏れと感謝を祈れば良い。
その祈りの声は、神に直接届くものでも、返されるものでもない。
信じる者が救われるとは限らない。
見返りを望むものでもない。
誰かに救われるとしたら、それは自身が過去に積み上げてきた人徳によるもの。
過去の己の情けが巡り巡ってきたもの。
願いが叶うとしたら、自分の行動と努力の結果なのだ。
それでも君は信じてくれるのか?
もしも救われないのだとしても、己の中の信じる正しさを貫いてゆけるのかと。
貫いてくれるのかと。
そう正直に問うべきなのだ。
それをせずに耳触りのいい言葉を使って人を集めるのは、己の利益のため以外に何があるというのか。
不敬と言われようが、そんなものはただの詐欺に過ぎない。
畢竟、あれらは権力を求め、金を求め、権威を求める。そのための資本主義的で作為的な神だ。
隠された悪意に知らぬ間に、孤独な心が、罪悪感が、神を敬う信心が、操られてはならない。
では、この世界の神様は?
住んでいた集落では、特に神を崇めている様子はなかった。あの土地特有の土着的な信仰対象も聞いたことはない。
神に感謝し祈るなどと、そんな殊勝な心がけを持っているような者達でもなかったのだが。
平気で子供を捕まえて売るくらいだし。
住んでいた山を下りた大きな街では、毎年建国祭があるというのは聞いたことがある。この国の初代王が神格化されているらしい。
ローマ帝国のようなものだな。
だが、私にはこの記憶がある。
それはこの世界の神様による恩恵なのではないのだろうか。もしくはミスなのかもしれないが。
そう言えば前世では白狐……狐は神様の使いだったはず。この記憶は神様の恩恵だと思っていたけれど、もしかして白夜が神様の使いだったのかな?
もう、白夜には会えないのに…
白夜にはお別れも言えなかったな。
今頃、心配してはいないだろうか。
急に白夜が恋しくなり、縛られている両手が一層冷たく感じられて、息を吹きかけた。
記憶を取り戻してからはずっと一緒だった。
寒い冬も白夜の住む洞穴で、村から盗んだ藁を敷き詰めた寝床で二人で丸まって眠った。
一緒に暮らすうちに白夜はどんどん大きくなって、初めは小さな猫のようだったのに、今では私よりも大きくなった。それにまるで言葉を理解しているかのように賢い子だった。
私は元々、生物無生物問わず、愛着があるものには日頃から話しかける方だったから、もしも言葉がわかるなら、白夜にはちゃんと伝わっていたと思う。
さすが異世界。元の世界の狐とは違うらしい。
白夜を抱きしめるとふんわりとしていて、もふもふで温かくて、とてもいい匂いがした。そしてとても懐いてくれていた。なでるといつも嬉しそうにしっぽを揺らして。そこはちょっと犬に似ている。
あの子がいるからずっと寂しくなんてなかった。不安なんて感じずにいられた。
ずっとあの子に支えられていたんだ。
白夜は真夜中でも照らされる薄明かり。
沈まない太陽。
絶望という暗闇の中の淡い光。
きっとそういうのが、私にとっての神様。
でも、もういない。
この世界にも神様がいてくれないのだとしたら、私は今、何に縋れば良いのだろう。
助けて欲しい時に救いがないなんて、散々経験済みだ。そんなことはわかっている。
けれど、まだ幼いこの身体ではなおさら、この子達を救うことなんてできないではないか。
だから今は、神に縋りたい。
ううん、だめだ。これじゃ。
今の状況を嘆くだけなんて、以前と一緒だ。何の解決にもならない。
無い物ねだりで不平を言うなんて、何の意味もないことだ。そんな無意味なことをする暇があるなら考えないと。
ここでは奴隷は合法だ。
でもじゃあ、なんであいつはあんなに“騒ぐな”と怒っていたのか?
ただ耳障りなだけじゃないはず。あいつは“関所を通るから静かにしろ”と言った。それは調べられたくないことがあるからだ。
ここにいる子供達の大半はさらわれてきた。つまり人さらいは違法。
そりゃそうだよね。さすがに誘拐はアウトだろう。
関所があるなら、王都に入る時にも何らかの検問があるはず。でもこんなに荷馬車を連ねる大規模な商団だ。力もあるだろう。関所や王都門に協力者がいると思った方がいい。
それでも王都の門で、検問待ちの一般の庶民達の前で騒いだらどうなるだろうか。
王都に着くのは恐らく明日の昼間のうちだ。この世界の地理は……いや、地理も不案内なので、王都までの距離はわからないが、寄り道をしなければ暗くなる前には着くのだろう。
王都門での検問。その時が勝負。
門番、旅人、王都の民。どれだけ味方につけられるか。どれだけ同情を、関心を買えるかにかかっている。
大丈夫、やれる。
この子達を、きっと助けてみせる。
◇◇◇◇◇◇
…………
ふと、何か聞こえた気がして意識が浮上した。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
肌寒くて、思わずぶるっと身体が震えた。凍える身体をさすりながら、目を薄く開いても馬車の中は真っ暗だった。
…キン…
やはり何か、遠くで聞こえる。
瞬きを繰り返し、寝ぼけていた意識を改めて集中する。
「…しゅう!…て…しゅうだー!…」
金属がかち合う音と人が向こうで叫ぶ声、不安を掻き立てる音。
てきしゅう…?敵襲?
「敵襲?」
がばっと起き上がる。皆は寝静まったままのようだ。
「皆!起きて!外で争いが起きてる!」
声をかけると衣擦れの音と不安気な声が聞こえ出す。
「皆、馬車の奥の方に移動して。また誰か開けるかもしれないから。何かあったら逃げる準備もしててね」
「なに?」「どうしたの」「怖いよ…」不安がりながらも子供達は馬車の奥の方に固まっていく。夕食を融通できた効果が発揮されている。
馬車の外側では騒ぎに気づいて声を掛け合い、狼狽え、走り出す乱れた足音がする。
扉の前の方に向かうと、誰かが近づいて来た。
「今度はなんだよ。何があったんだ」
「しっ。静かに」
人差し指を唇に当て、声をかけてきた男の子に注意を促す。
子供に不安になるなと言うのは難しいが、集団心理とは恐ろしい。なるべく怖がらせたくはないけれど…
「ヴィム兄…」
小さな女の子の声だ。さっきの兄妹の兄はヴィムというらしい。
「大丈夫だ、ロッテ」
やはりヴィムにとって何よりも大事なのは妹のロッテなのだな。微笑ましい兄妹愛だ。
「何が来たんだ?魔獣か?」
まじゅう…?え?魔獣?
「魔獣…って何?」
「お前、魔獣知らないのか?…ああ、お前んとこは魔獣が出ないとこなのか。都会だったんだな」
いや……辺境だったよ。山裾だよ。
「私が知らなかっただけかも」
「ああ、そうか。そうだな。お前俺より小さいもんな」
忘れてたけど。ぼそっとヴィムが呟いた。
「でもあれだけ護衛がいるんだから、魔獣が数匹くらい出てもすぐ退治できるだろ」
そうなんだ。魔獣か…。ファンタジーだな。
「あ、でも敵襲って聞こえたし、武器を交えるような金属音も聞こえたの。だから盗賊とかかもしれない」
「盗賊?」
ヴィムも耳を澄ませるように押し黙った。近くで聞こえる荒々しい声や足音に混じって、向こうで諍う声と金属がぶつかり合う高い音が聞こえる。
「…そうだな。魔獣じゃないのかも」
ヴィムの深刻そうな声が聞こえた。
私はしゃがみ込み、足元を探り始めた。
「何やってんだ?お前」
縛られた両手で靴の中を探り、フォークを取り出す。そのまま両手の縄の結び目にフォークの先を差し込んでみた。だが手元は暗くてよく見えないし、不自由な両手では上手く縄目に入らない。不器用にも何度も手首を刺してしまった。
「こっち来い」
見かねたヴィムが縛られた両手で私を掴み、唯一外の月明かりが射し込む馬車の奥の小窓の前へと引っ張っていくと、「貸せ」とフォークを奪い、器用に縄目を解いてくれた。
「こんなの隠してたのかよ」
さっきの食事の時に使用した木のカトラリーを靴に隠していたのだ。
なんでも使える物は使うものなのだよ、ツンデレ君。ふふん。(大人げない)
「俺のも」
ヴィムがフォークを渡して、手首を差し出してくる。周りの皆も私達のやり取りを見て色めき立つ。
「いいけど、皆は緩めるだけにして」
「なんでだよ」
ヴィムが声だけでなく、不機嫌そうに顔を顰めたのもここでは月明かりで見えた。
「もしかしたら扉を誰かが開けるかもしれないの。でもそれが味方とは限らないでしょ?縄を解いたのがバレたら、罰を受けるかもしれないから」
私の言葉に皆がたじろぎ、不安がるのがわかった。
「お前はいいのかよ」
「私はいいの」
「なんで…」
「私は大丈夫。なんとかできるから。でも、皆はダメ。あいつに殺されてもいいの?」
ヴィムが口をつぐんだ。
「ヴィムはロッテちゃんのことを考えて。何かあっても逃げられるように皆は縄を緩めておいて。私はあいつを言い包められる。あいつは私を殺せないの。この銀髪に高値がつくのがわかってるから」
ヴィムは不満そうにしながらも、黙って見つめている。覗き窓から射し込む月明かりに照らされて、銀髪と青銀の瞳が淡い光を纏う姿を。
私にはこの武器がある。だからきっと大丈夫。楽観しすぎかもしれないけれど。
それから皆で、すぐに解ける程度まで縄目を緩め始めた。
皆の縄を緩めることができた頃、馬車の扉の方に人が近づいて来る気配がした。
一人じゃない、複数だ。
子供達は息を飲んで扉を見つめる。
敵?味方?誰?
ガチャガチャガチャ…
忙しなく錠が外されるのが聞こえる。
ギィー…
軋む音を立てて今、扉が、開いた…
《6.未明の出来事 へ続く》
神様に縋りたい…
不安な主人公。
馬車の扉を開けたのは?
画像は、
①主人公
②ヴィム