49.プロイセの夜(1)
「お嬢様。黙ってお部屋を出てはいけませんからね」
部屋を出ていくマリエルに念を押されてしまったので、私は今バルコニーから大人しく満月を見ている。
「むーん」
どうにかして部屋から出られないものか。
今夜は満月。眼下にはまた、こんなにも素敵な庭園があるというのに。
月の光に照らされて、庭園の緑や花々が美しい。魔導灯でライトアップもされている。春の夜の柔らかな空気。それだけでも散策したくなる。あの花はなんだろう…
暮れなずむ中、歴史を感じさせる洋風古城を堪能して、プロイセに着き宿屋に向かうと、プロイセの領主から館へのお誘いを受けた。
エーリヒは一度断ったのだが、先方が是非にと譲らず、今こうしてクライスラー子爵邸並の立派な庭園を有する、プロイセ領主ハイネマン伯爵の館にお邪魔している。
ちなみに余談だが、領土名と家門名が違うのは、この地は元々小国だったらしいのだが、ヴァイデンライヒ王国と併合して姻戚関係となり、由緒ある王家は公爵家となったのだが。長い歴史ののちに領主が代わったためだ。そういった経緯を持つ領土も王国各地にあるらしい。
それはさておき、特に家紋付きの派手な馬車に乗っている訳でもないので、恐らくこれはお忍び旅のはずなのだが、プロイセに入る門での身分確認で知れ渡ったのか。貴族の情報網は侮れない。
エーリヒが侯爵令息だからなのか、リーデルシュタイン伯爵の側近だからなのか。どちらにせよ、お近づきになろうということなのだろう。多分。
今頃エーリヒ達は領主と豪華な晩餐だ。
私は今日はフォルカー達と使用人枠として夕飯を頂いた。
その後部屋に戻ってからは暇なので、ちょっとだけでも庭園にでも行けないかと、カチャリと部屋の扉を開けてみたのだが…
「お?なんだ、嬢ちゃん。どこに行く?」
扉の外にはしっかりと見張りがいた。昨日の前科があるからか。
「ケヴィンさん、散歩に行きたいんです…」
「うーん。でもなぁ……今日は出歩かせるなってグリューネヴァルト卿には言われてるし」
そうなのか。危険があるのかな。エーリヒやリーデルシュタイン伯爵にとって、ここがどういう派閥の貴族なのかわからないし。
「マリエルさんは?」
「あの子は旅の仕入れがあるらしいぞ。フォルカーが荷物持ちについて行ったよ」
そうか。マリエルも平民とはいっても本当はいいとこの令嬢だから、エーリヒやユリアンと晩餐か、もしくは給仕のお手伝いなのかと思ったけれど、身分を隠しているから晩餐の場には安易に出られないのかもしれないな。
という訳で、こうしてバルコニーで一人月見をしているのである。
それにしても、お城、良かったな。
世界遺産みたいに管理しているわけではないだろうから壊れて朽ちてはいたけれど、とても大きくて立派な城構えで、暮れていく夕焼けと円く満ちて煌々と輝く月明かりに照らされて、所々城壁が大きく欠けた姿に寂寞たる物悲しさが漂い、過ぎ去った歴史を感じさせる佇まいだった。隆盛を極めた時代には、きっと壮大なお城だったのだろうと。
「月が、綺麗ですね…」
バルコニーの柵の上に座って、柱に体を預けて高く昇った丸い月を眺める。
もしも私がエーリヒの隣りにいても見劣りしないような、妙齢の見目麗しい貴族令嬢だったら、あんな風に馬に同乗させてもらって、月を眺めながら言われたら、きっとときめいてしまう。
でも現実は、私は出自もわからないただの子供だ。
この柵に上るのにも、バルコニーに置いてある椅子を使った。柵に上らなければ、夜空の月も、月下の庭園も満足に眺められない。
柱に掴まりながら、短い足をプラプラさせてみた。
体は子供で心がそれに引っ張られるときもあれば、大人の気持ちのときもあるから、なんだかもやもやする。
なまじ、大人の心があるから困惑するのだ。私はまだ、こんなに子供。頼れる大人に憧れるのは、当たり前。
それに、そもそもこれらは私のものじゃない。
いい思い出ができた。
そう思うのに、やはり煩悩とは度し難い。
私は眺めていた月から視線を下げ、自分の格好を見下ろす。
綺麗な洋服、美味しい料理、あたたかい布団。その上、エーリヒのような頼れる男性の優しさとぬくもり。秘密の、共有。
私には、過分だ。
失いたくないと思ってはいけない。
元からなかった物なのだから。
養子縁組をすると言われても、元からの家族じゃない限り、この罪悪感は消えたりはしないのだろう。
そう言えば、エーリヒ様は結婚しているのだろうか。
「ふふっ」
考えないなんて、馬鹿だな。結婚していたら、ますます私なんて邪魔になる。
婚約者がいても、恋人がいても、私なんか、邪魔になる。
「そうだね。やっぱり、だめだよね」
本当のエーリヒの姿は、月の光よりも美しく輝いて存在感を示していた。髪も、瞳も、金色にキラキラと輝いて、眩しかった。
本当の姿と自分の力を隠さなければ生きてこれなかった。なんて、どんな気持ちなのだろう。
私がいることで、エーリヒ様に危険が及ぶことはないのかな。
月の光に、手を伸ばす。
思ったよりも、小さな手のひら。
「あなたは、月よりも、綺麗…」
なんでここで生きてるのかな、私。
どうして、ここにいるの。
前世でもよく考えたけれど、何の意味もなかった。だからまた、意味なんてないのかな。
月の綺麗な夜。古城。春。
これは、あれだな。
『《春 高楼の 花の宴…》』
悲しい歌なのに、歌をうたい出すとなんだか周りが明るくなってきた。
なんだろう?蛍かな?…違うな。
そう言えば昼間歌っていた時、体が光ってるとか言われたような。これかな。ふふ。綺麗。
じゃあ、次は月夜を飛ぶ歌だ。
こんなに綺麗な月夜の空を飛べたなら、どんなに素敵だろうか。
歌っているとまた虹色の光に包まれて、やがてふわりと、身体が空に浮かぶ。初めての浮遊感。
すごい。異世界、不思議。
◆◆◆◆◆◆
領主の館の大広間の晩餐の場では、プロイセ領主のご機嫌な笑い声が響く。
食卓には贅沢な食材を使った豪勢な料理と、貴重な年代物の果実酒が並ぶ。
席に並ぶのは領主夫妻、その息子と娘達、それに侯爵令息のエーリヒとその補佐官である男爵令息のユリアンだ。
「いやぁしかし、このような歴史しか取り柄のない寂れた都においでになるとは。リーデルシュタイン伯爵の最側近であるグリューネヴァルト卿が、一体何の御用があったので?」
「いえ。最近魔獣が増えてきていますので、調査の一環ですよ」
「ほう。それは……旅人からここ数日、魔獣被害の話があると門の守衛から報告が上がっていましたが、やはり魔獣が増えておりましたか?」
「そのようですね」
「なるほど。…春になって山を下りてきたのでしょう。用心せねばなりませんな」
プロイセ領主は果実酒のグラスを掴み上げて傾けた。ゴクリゴクリと呑み干して、その空になったグラスを掲げて見せる。
「どうですかな。良い果実酒が手に入ったので、是非とも卿にも試していただきたい」
「ええ。……素晴らしいですね」
エーリヒは果実酒を口に含み、涼しげに微笑む。
領主の豪快な飲み方と比べ、優雅にグラスを揺らして香りを愉しみ、繊細にステムを摘んで味わうエーリヒの様子に、向かいに座った領主の娘達が頬を染めてうっとりとその麗しい笑顔に見惚れている。
「私の娘達もそろそろ婚約者を決めなければならない年頃でして。グリューネヴァルト卿のような将来有望で有能な方なら、何の憂いもないのですが……いかがですかな。身内贔屓とは思うのですが、なかなか美しいとは思いませんか」
「…左様ですね」
娘達が嬉しそうに微笑む。
「グリューネヴァルト卿は、婚約者はいらっしゃらないのでしょう?」
「ええ。今は必要性を感じません」
「必要性……ですか?いや、しかし、グリューネヴァルト卿のような方でしたら、お申し込みが多くて決めかねていらっしゃるのでしょうな。是非とも我が娘達もご検討いただきたい。ははは」
エーリヒは綺麗に微笑むばかりだ。その笑顔に令嬢方はまたときめくが、隣に座るユリアンは主エーリヒの華やかな笑顔の裏の真意に冷や汗をかく思いである。
晩餐での話題は主にエーリヒの主君、リーデルシュタイン伯爵ジークヴァルトについてである。それとジークヴァルトとエーリヒが独身であり、かつ二人とも婚約者が決まっていないことについて。
こちらが別の話題を振っても、結局帰るのはそこである。
エーリヒにとっては面倒以外の何物でもない話題であった。
前回もそうですが、だいたい何の歌を歌っているのかはバレバレなのでしょうね。
はじめの曲の方は著作権保護期間が過ぎているようなので大丈夫でしょう。タイトルにまで入れてしまいました…




