46.荒城の月
《エーリヒ・グリューネヴァルト》
ここまでくると間違いない。あの王都近辺での落雷は、ヴェローニカが起こしたものだ。
問題は、その力は制御できるのかということ。
先刻のヴェローニカの歌声と雨はきっと連動している。あの光は恐らくヴェローニカの歌声に乗った魔力に反応した魔素だ。前例など知らないが、そう考えると腑に落ちる。
ではあの日の落雷は何に反応したものなのか。ヴェローニカの怒りか。それともあの、神に願ったという知らない言葉か。
先ほどの歌も知らない言葉で歌っていた。あれは恐らく異界の歌。ではやはり呪文のようなあの言葉も異界の言葉か。それがきっかけなのか。
エーリヒの頭に古代魔法の魔法陣が思い浮かんだ。
何故あれが現れたのだ。落雷に付随したものか。
今は指輪があるから以前と条件が異なるはず。
白夜なら、何かわかるのか。だがあの狐が素直に話すような気がしない。指輪の内側の文字も知っているのに話さないようだった。ヴェローニカにはあとで教えると言っていたから、何か……今は支障があるということなのか。
「ヴェローニカ」
昼食を終えて再び馬車に乗ってからもずっと物思いに耽っていたエーリヒが突然声をかけたことで、ヴェローニカは体をビクッと波立たせた。
眠気に襲われていたようだ。可哀想なことをしたか。
「は、はい」
「すまない。眠っていたか」
「いえ……なんですか?」
パチパチと瞬きをして目をこすりながら焦点を合わせてくる。
「あれは何を歌っていたのだ」
「え……あ、あれは…」
オロオロとしている。どう答えるべきかと戸惑っているようだ。
ここにはエーリヒとヴェローニカだけではない。異界の話になるのが困るのだろう。
「どういう意味の歌なのかを聞いている……だけですよ」
知らない内に言葉が乱れるようだ。自分は相当に困惑しているのか、とエーリヒは自らを省みる。
「あ、あれはですね。童謡なんです」
「童謡?わらべ唄ということですか?」
「はい。なんというか、春の陽気が心地良くて、手当り次第思い浮かぶ歌を歌いたくなってしまって…」
童謡か。神を讃えるような崇高な歌なのかと思ったのだが、違ったようだ。では歌詞の内容に意味はないのか。
「お嬢様の故郷の歌ですか?どういう内容の歌なのですか」
ヴェローニカの隣に座る侍女が尋ねると、ヴェローニカはそちらに屈託のない笑顔を向けた。
昨夜、あの白い狐にもあのような笑顔を向けていたな……と無意識のうちに考えていた。
いや……あれに向ける笑顔はまた少し違う。心から安心し、甘え、信頼している表情だった。
このところエーリヒはヴェローニカの泣き顔や困惑する顔ばかりしか見ていない気がする。
いや、待て。出会ってまだ数日しか経っていないのに、何を言っているのだ。
…滑稽だな。
「春の歌ですよ。例えば春の川が綺麗だとか、春の花が綺麗だとか、そういった自然を讃える歌です」
「自然を讃える……春の歌ですか?」
侍女は首を傾げている。そんなものはあっただろうかとでも考えているのだろう。
「あとでまた聴かせてください」
「え?」
ヴェローニカがこちらを向き、頬を染めた。
歌うのは恥ずかしいのか。
「とても綺麗な歌でした。また聴きたい」
「私も聴きたいです、お嬢様」
「で、でもあれは本当に子供の歌う歌なので」
とても皆さんにお聞かせするようなものでは……と狼狽えている。
動揺している姿がいつもの泰然とした姿ではなく、年相応で愛らしさを覚えた。
「先ほどエーリヒ様も、歌うなと…」
「そうでしたか…?」
エーリヒはわざと素知らぬ顔をした。侍女も微笑ましそうにヴェローニカを見ている。
ヴェローニカは少し頬を膨らませた。柔らかそうなほっぺだ。触りたくなる。
エーリヒは動きそうになった手をキュッと握った。
拗ねた顔をして彼女がふと窓の外に目を向けた。すると瞳が開かれて、輝く。それにつられてエーリヒも窓の外を見た。
窓の外に見えたのは夕暮れの古城だ。街道の脇に緩やかな丘があって、その高台の上にとある古城がある。所々崩れてはいるがその雄大な城は、沈みかけの夕日に照らされて赤く燃えるようだった。
燃える古城の肩には昨日も見た美しい月、満月が昇りかけている。
古城とは反対の西の空は真っ赤に染まり、中天に向かって徐々に藍色に変わっていく。その広大な空のグラデーションは、とても幻想的だった。
東にレーニ、西にソランか。
イヤーカフの魔導具に左手を触れる。
「ユリアン、街まであとどれくらいだ」
『はい。プロイセはすぐ近くです。もうそろそろ着きます』
「ではこの辺でしばらく停車だ」
『え?あ、はい』
次の街はプロイセというその昔栄華を誇った都だ。王都から以北はプロイセの地で、遥か昔は王国であったというが、その後ヴァイデンライヒに併合される。そして後の世に欲にくらんだ王家に目をつけられて、今から百五十年ほど前にここを治めていた元プロイセ王族であった公爵家は滅門した。
あの丘の上の古城がそのプロイセ城なのだろう。
この辺りは昔の古戦場跡だ。あの城の近くまで行って見せてやろうと思ったのだが、夕暮れの廃城などヴェローニカは怖がるだろうか。
「ヴェローニカ。怖くないならあの城を近くから見てみませんか」
「え……いいのですか?」
エーリヒの心配はどうやら杞憂だったようだ。だが魔獣の警戒もしなければならない。戦場跡は魔素よりも濃い瘴気が漂うと聞く。
馬車を降りたエーリヒは、護衛の一人から借りた馬にヴェローニカを乗せた。他の護衛達にはしばらくの待機と休息を命じる。
「グリューネヴァルト卿、他に護衛は…」
フォルカーが問いかける。
必要ないが、そういう訳にもいかないか。
「ではお前がついてこい」
「は」
馬を駆って丘を登るとすぐに古城が近づいてきて、前に座るヴェローニカの感嘆の声が聞こえた。久しぶりの彼女の明るい声だった。
「すごいですね、エーリヒ様。美しいです」
美しい?この、朽ちて壊れかけた古城が?
「ヴェローニカには美しく見えるのですか?」
「はい。私の国のお城とは建築様式が異なるので、とても興味深いです。まるで世界遺産を見ているようです。昔はとても美しかったのでしょうね」
そういう意味か。
世界遺産とは?よくわからないが……それであのような瞳でこれを馬車から見ていたのだな。
「ヴェローニカの国の城とはどんなものなのですか?」
「うーん。口頭で説明するのは難しいですね……そもそも私の国は気候が違うので、このような石造りではなくて木造建築が多いのです。それに私の国のお城とは何百年も昔の戦国時代に戦争のために造られたもので、私がいた頃には時代が変わったので、もう誰かが住むためのものではないのです。戦国武将という……今で言う軍の将が、貴族のように領地を治めていた時代の昔の居城なんです。それを歴史の文化遺産として綺麗に補修して遺しているんですよ。敵の侵入を防ぐために石を高く組み上げた石垣を作って、その上に木と漆喰と瓦でできています。群雄割拠の時代のお城ですから、攻めにくいようにお城の周りには水堀や空堀などもあって。でも外国にはこういった様式もたくさん……」
先刻までは無口だった彼女が、楽しそうに目を輝かせてつらつらと流暢に話し始めて、情報の多さに少し面食らう。だがフォルカーが追いついてくると、ヴェローニカはぴたりと言葉を止めた。
「大丈夫ですよ。支障のある内容なら、風魔法で声があちらに漏れないようにできますから」
そう言うと、ヴェローニカが振り返って驚いた顔を見せ、そして本当に嬉しそうに破顔した。
このような笑顔は初めて見た気がして、胸に温かいものが灯る。
そして彼女が自分の国との違いについて語るのを聞いていた。
彼女の国ではしばらく戦争をしていないし、魔獣のような危険な生き物もいないらしい。自国で危険な獣は熊や猪、蛇くらいだと言っていた。
蛇も、王国の南方にいるような木の背丈ほどに大きくて人や家畜を丸呑みにするような巨大で恐ろしいものではなく、自国にいるのはせいぜい大きくても人の背丈くらいの長さで掴めるくらいの太さだという。
随分安全な国のようだ。
「満月ですね。とても大きいです」
ヴェローニカの声に空を見上げると、丸く満ちた月はいつもより明るさが増している。
寂れた古城だが、美しい月がよく似合う。まるでヴェローニカの髪色や瞳の色のような光だ。
「月が、綺麗ですね…」
思えばこんなふうに改めてゆったりと月を眺めるような機会などなくて、ぼんやりとそう呟いていたのだが、何やらヴェローニカは慌て出している。
「どうしたのですか、ヴェローニカ」
「い、いえ。なんでもありません」
ヴェローニカは両手で頬を覆って俯いていた。一体どうしたというのか。
フォルカーを振り返ると、フォルカーもヴェローニカの様子を不思議そうに見ているようだ。
ユリアンなどの貴族の従者であれば、ここは視線を逸らせるものだが。平民の彼にそれを求めるのは無理か。やはり連れてこない方が安心して話せたのだろうか。
もう少しヴェローニカと二人で話す時間を取らなければならない。まだ養子縁組の話は流れたままなのだ。だが馬車の中でするのも少し躊躇われる。
やはり、余計なことをしてくれたな。と、今頃王都に向けて駆け続けているであろう部下達を思った。
思いもかけずヴェローニカが楽しそうだったので、もう少しゆっくりと見ようと思っていたが、先ほどから探知魔法に反応がある。近距離には魔獣はいないようだが、城の奥には何かいるようだ。廃城の最奥に、何か強大な魔獣でも棲み着いたか。近づかなければ問題はない距離だが。
「大丈夫ですか。ヴェローニカ」
目の前の少女は幾度か深呼吸を繰り返して、コクンと頷いた。
エーリヒは馬首を巡らせて、魔獣の気配から遠ざかるようにゆっくりと動いた。城外へ出てこないのであれば、わざわざこちらから出向く必要もあるまい。
「では戻りましょうか。日も沈みましたし」
馬車の方向を見ると赤々としていた西の空が今はすっかり群青色に変わっていた。古城よりも沈む夕日を眺めれば良かったかとも思ったが。殊の外彼女は楽しんでいたようだし。
それに……
エーリヒは口元に笑みを浮かべた。
機会はまたある。と。
夕日に照らされる丘の上の古城とまだ低い満月。
風流です。
◆追記◆
画像はプロイセ城




