42.葛藤
エーリヒの馬にまた同乗させてもらい、軽く駆けて街の門が見えてくると、門の外側に馬を連れた黒い服装の者達が佇んでいた。
「エーリヒ様!」
こちらを視認すると急いで馬に乗り、駆けてくる。
「エーリヒ様、ご無事ですか」
馬が三頭掛けてきて、先頭の一人がすぐに馬を降りてエーリヒに問いかける。
きっとエーリヒが言っていた陰から護衛をしてくれていたエーリヒの部下達だろう。皆、帯剣している。
「心配しすぎだ、エリアス。何事もなかった」
ブー。いいえ。もう少しで二人の喧嘩が勃発するところでしたよ。嘘はいけませんよ、エーリヒ様。
「シルバーフォックスには会えましたか?」
もう一人が馬を降りて話しかけてくる。
門前の篝火が当たって、彼が青色の瞳をしているのが見えた。
初めに話しかけてきたエリアスという人はリュディガーのような緑眼で、二人目に声をかけてきた人は碧眼。最後に来た一人はハインツのような赤みがかったオレンジ、緋色のようだ。
瞳がカラフルなので、三人は魔法適性の高い貴族なのだろう。だが髪色は今のエーリヒのように闇色だった。もしかしたらこの人達も魔術具の指輪で髪色を変えているのかもしれない。
「ああ。ちゃんと会えた」
エーリヒの元に駆けつけた二人はほっとした様子を見せた。だが最後のもう一人、緋色の瞳の男性は、焚かれている篝火のような瞳で私をじっと見つめている。その瞳からは悪感情というよりは好奇心が窺えるが、そんなに見つめられるとなんだか居心地が悪い。
するとエーリヒが私の肩を支えた。無意識に彼の視線を避けようと身動きしていたようだ。
「ディーター……ヴェローニカが怖がっている」
エーリヒが少し低い声を出した。
「え。も、申し訳ありません」
ディーターと呼ばれた緋色の瞳の男性は、シャキッと姿勢を正した。
青い瞳の男性が苦笑する。
「…エーリヒ様、お嬢さんをこちらにどうぞ。乗せて行きます」
部下としては当然の提案だろう。知らない人と同乗するのは気が引けるが、仕方がないことだ。エーリヒは侯爵令息なのだから。
青い瞳の男性の提案に、私はエーリヒを見上げた。
「無用だ。この子は私の娘になる。お前達も態度を改めろ」
「「は…?」」
「え?」
「なんだ、リーンハルト。不服か」
「いえ、まさか…」
自分の馬に乗せ換えると提案してきた青い瞳の男性、リーンハルトが狼狽えている。
当然だ。急にどこかの子供を娘にすると言われてもね。言われた当の本人もびっくりしていますよ。
エーリヒは事態を飲み込めないでいる部下達を後目に、そのまま馬を門の方へと歩かせ始めた。
◆◆◆◆◆◆
養女になるということは、エーリヒが私の義理の父親になるということだ。
こんなに若くてイケメンなパパ。
…本当にこの人の子供だったら、どんなに良かっただろうか。
「降りますよ、ヴェローニカ」
「はい」
「エーリヒ様」
エリアスが一足早く馬を降りて、エーリヒから私を預かろうと手を差し伸べてきた。
「良い」
エーリヒはそれを断り、私を抱き上げて一緒に馬を降りた。丁寧に頭にフードを被せ直してくれる。
「エーリヒ様、自分で歩きます」
「…この方が早い」
エーリヒはそのまま宿に入って行く。エーリヒにしがみつきながら、彼の部下達が馬を厩舎へ連れて行く者と付き従う者に別れていくのを見つめる。
すぐ後ろを歩くエリアスの緑の瞳と目が合った。だがすぐに逸らされる。
リュディガーと同じ緑色の瞳なのに、随分と印象が違う。やはりあれは、リュディガーの人柄が滲み出た萌黄色だったのだろう。エリアスの瞳は夏の力強く生い茂る深緑の緑だ。
この目は見たことがある。ジークヴァルトの側近である黒髪の補佐官、ヴィクターと同じ目だ。
きっとヴィクターとエリアスは主を心配しているのだろう。私のせいで、何かが狂うことを。
彼らはこの国の貴族だ。言わば特権階級。
そして私は孤児で、奴隷だったのだから。
たかが銀髪であるだけでそんな私を養女になどと、受け入れられる訳がない。
それに、また白夜がエーリヒに何か無理を言うかもしれない。
「エーリヒ様。私、やっぱり、白夜が迎えに来るまで孤児院に行きます」
部屋の前でマリエルに預けられた時に、私はそう言っていた。
既に踵を返しかけていたエーリヒが動きを止め、振り返って私を見下ろした。
目を逸らしてはいけない。涙ぐんでもいけない。これが本当に、私の望みなんだとわからせなければならない。
知らず識らず握りしめていた手に力が入る。
「何故……今そのようなことを?…白夜も私に預けると言っていたではないですか」
私を見下ろすエーリヒが眉を寄せた。
「それが分相応と言うものです」
「ヴェローニカ……あなたは…」
眉をひそめたエーリヒは何かを言おうとしたが、諦めたのか、次の言葉はため息へと変わる。
「今日はもう遅い。話は後です。とりあえずもう寝なさい」
エーリヒはマリエルに目配せしてから、エリアスを連れて自分の部屋へと戻って行った。
◆◆◆◆◆◆
「お嬢様。グリューネヴァルト卿と何かあったのですか?」
部屋に入ると、マリエルが私の寝支度を手伝い始める。
「マリエルさん。私は孤児です。お嬢様ではありません。それに貴族なのはマリエルさんの方です。謙る必要はありません」
「…………」
マリエルは黙って私を見つめた。それから手元の物を片付けてから、ベッドに座る私の隣にかけた。
「どうしてそのように思うのですか?」
「そのようにとは?」
「私が貴族だと」
「違うのですか?」
マリエルは困ったように微笑んだ。
「本当に貴族ではありませんよ?私はクライスラー子爵邸の使用人です」
「奉公に出ているのですか?」
「いいえ。…私は準男爵家の嫡女でしたが、父の後妻に家を乗っ取られたのです」
「…………」
「準男爵位とは厳密には貴族ではなく平民なのです。だから裕福ではありましたが、どちらにせよ私は平民なのですよ」
「そうなのですか…」
マリエルは貴族ではなかったのか。それでもやはり良家のお嬢様であることには変わりない。立ち居振る舞いに平民とは違う気品がある。
「元々は祖父が商売で成り上がり、一代で準男爵位を賜りました。ですが、祖父も母も亡くなった後、第二夫人だった継母の力が強くなり、その実家の援助で準男爵家は更に栄えました。継母には自分が産んだ子供達がいて、継母と父にとって、もう亡くなった母の子である私と弟は、邪魔になったのです」
マリエルは、娘の政略結婚を企んだ父親によって、男爵への陞爵と引き換えに年老いたロリコン貴族に嫁がされそうになり、遠出をした際に馬車の事故死を装って家を棄てた。その時に、冷遇されていた弟も一緒に死んだことにして連れ出したと言った。
偽装工作には亡き祖父の部下を頼り、クライスラー子爵に拾われ、弟も今は子爵に仕えているらしい。
「継母の実家はアードラー商会と言って、お嬢様がやっつけてくれた商会なんですよ。違法奴隷の他にも今回密輸品もあったみたいで、運んでいた荷物は全て差し押さえられたそうです。でも有力な後ろ盾があるようで、いつもなかなか追い込むことができないのです。それでも今回のことは多大な痛手であったようですよ」
「私がやっつけたというより、伯爵と子爵がやっつけてくれたんですよ」
「それもそうなのですが……いいえ。やはりお嬢様がやっつけてくれたのです」
首を振って、微笑む。もしかしたらその思い込みでマリエルは私に親切にしてくれるのだろうか。
アードラー商会の悪事を追っていたクライスラー子爵とマリエルの祖父の部下に縁があって、雇われることになったのか。
なかなかハードな人生だな、マリエルも。そのまま育てば裕福な家庭の令嬢だったはずなのに。
復讐とか、考えているのだろうか。というか、正当な跡継ぎはマリエルの弟なのだろうから、このままでいいはずがない。
なんとか伯爵と子爵には頑張ってもらって、マリエルとその弟に準男爵家を取り戻してもらいたいな。
「お嬢様はご自分がどんなにすごいのか、ご存知ないのですね」
「…そんなことはありません。私はただたまたま銀髪に産まれただけの、何の力もない子供です。ただ見た目が珍しいので皆がちやほやしてくれるだけです」
「ふふふ。確かにお嬢様はとても可愛らしいです。天使か妖精かと私も思います。もっといろんなドレスで着飾らせたいです。グリューネヴァルト卿も、きっとハインツ様やリーデルシュタイン伯爵様までもが、お嬢様の愛らしさにはメロメロでいらっしゃるでしょうね」
メロメロ…。美少女による状態異常かな。天使や妖精などと、大袈裟である。
「ですが。それだけではありませんよ」
マリエルは優しく微笑んだ。
「お嬢様はとても聡明です。ただの子供な訳がありません」
むーん。確かにこんなに減らず口では、ただの子供ではなく不気味な子供である。
「先ほど、孤児院に行くと仰っていたのは本当ですか?」
「…孤児なので、他に思いつかなくて。本当は白夜と旅に出ようと思っていたのですが。白夜も私のことが心配なようです」
「心配…?その白い狐の白夜には会えたのですか?」
「会えました。ちゃんと元気でした。しかも少し成長してて、言葉をしゃべるようになったんです」
「ええ?!」
マリエルが驚いて目を見張った。
「本当にシルバーフォックスだったということですか?シルバーフォックスはしゃべるんですか?」
「さぁ…?白夜はその辺のシルバーフォックスと一緒にするなと言っていましたけど。神獣らしいです」
「神獣…」
「でもまだ私と一緒にいられないって言われて……まだ人間の生活ができないからって。人化できたら会いに来ると言ってました」
「人化?!そ、そのような事が?」
またマリエルが驚いた声を上げる。
「でもずっと白夜と山で暮らしていたんです。それは確かに人間の暮らしの方が快適ですけど、白夜と一緒に山で狩りをして暮らすのも……食事は味気ないですけど…」
また、あの目を思い出した。私はここに望まれていないと感じる。
エーリヒは優しい。
人目を引く端整な容姿にいつも綺麗な笑みを浮かべていて、初めはそれが胡散臭くて少し苦手だと思っていた。でも今は、彼の優しさと聡明さがわかる。そして彼の煩悶が。
あの笑みは貴族としての彼の仮面だ。秘密を守るための、自分を守るための仮面なのだ。
彼の秘密を知った今は、よくわかる。
彼と一緒にいると、とても居心地がいい。そして彼はいろんなことを教えてくれる。私の細かな疑問にも、何も厭わずに答えてくれる。一緒に暮らせたらきっと楽しいだろう。
でも、だからこそ怖いのだ。
私は、幸せが怖い。それを失うのが。
いつもそうだった。
幸せはいつも、私から離れていくの。
それを失いたくないと気づいた時に。
まるでそれが決まっていたかのように。
「やっぱり白夜について行けば良かった…」
「お嬢様…?」
白夜は私のことを当分は見守っていると言っていた。ならばどこか近くでまだ私を見ているということだ。
でもこのまま王都に入ったら、白夜は王都の中には入って来ない。人化できるようになるまでは、白夜に会えないんだ。
それは、いつ頃になるのだろうか。
「マリエルさん、私やっぱり……白夜のところに帰ります」




