4.不遜な少女(2)
どうしよう。また泣き始めちゃった。
暗い馬車の中で子供達がぐずっている。
仕方がない。確かに限界だ。
朝からこの馬車に乗せられて、もう日も暮れてしまった時間帯。しかも辺りからは煮炊きの匂いが漂っているのだ。今日一日飲まず食わずでこのまま寝ろと言うのか。お漏らしをしてしまった子さえいるというのに。
「皆、外に食事をお願いしてみるから、こっちの奥の方へ移動してくれる?」
子供達がこちらを窺う気配がする。
「そんなこと、お前にできるのかよ」
男の子の声が聞こえた。
恐らく小さな女の子と一緒にいる、この中では体の大きめな男の子だ。
いわゆるガキ大将タイプ。
「じゃああなたがやる?」
「えっ…」
「さぁ早く。私が話すから皆は後ろに下がってて」
自分達の中で体の大きな男の子が言い包められて、皆はやっと素直に従い出した。
皆を馬車の奥に移動させてから自分だけ扉に向かい、ノックしてみた。
コンコンコン
すると近くに見張りがいたのか、さほど時間も置かずに返事が返ってくる。
「どうした?」
知らないおじさんの声だ。さっきの横暴な男じゃないことに幾分かほっとした。
「すみません。皆お腹が空いているのです。余ったものでいいので分けてもらえませんか?」
「……」
文句を言われるかと思ったが、何やら誰かと相談している。ちゃんと検討してくれているらしい。
「ちょっと待ってろ」と言われ、馬車の側を離れる気配がした。
しばらく待つと、ざわざわと喧騒が近づいてくる。苛立ちを含んだ聞き覚えのある濁声が聞こえた。やはりあいつがこの商団のリーダーらしい。
ああ、もう、面倒くさい。…だがここは覚悟を決めねば。
ふぅと深呼吸をして心を落ち着ける。
ガチャガチャ…
錠を外され、再び扉が開かれた。
「おい!何が食いもんだ!てめーら奴隷がまともに食える訳がねーだろーが!」
扉が開くと同時に勢いのある濁声が撒き散らされて、子供達がまた悲鳴を上げる。
だが男の勢いはすぐに打ち消された。
「?!」
男は目を見開いてこちらを見ている。
いつものように威圧的な態度で挑んだ弱い相手がにこやかに微笑んで出迎えたので、またしても面食らったようだった。
「お前か…」
「いくら奴隷でも、泣き腫らして暗い顔をしている者よりも、きちんと食事を与えて健康的な者の方が商品価値は上がると思うのですが、いかがでしょうか?」
「あぁ?」
「もちろん贅沢は言いません。鍋の底に余ったもので良いのです。このまま明日には王都に着くのですから、後は余ったら捨てるばかりなのではありませんか?」
明日には王都に着くというのは、外でおじさん達が話していたのが聞こえたからわかることだった。王都郊外は王都からの警備兵が巡回していて治安が良いとも言っていた。つまりあまり騒ぎを起こしたくない地域ということだ。
「な、…おま――」
「お腹が空いたままでは皆眠れません。このまま朝までずっと泣き続けてしまいますよ?明日になっても泣き止まないかも…」
困ったように縛られた手で口元押さえ、小首を傾げて見せた。何せ自分はロシア系美少女なのだ。存分にそれを活用しなければ。
相手はぐうの音も出ないというのはこのことだと言わんばかりの顔だ。
わなわなしている様子の男から目を逸らし、隣にいた気の弱そうな、もとい、少しは話の通じそうな男ににこっと微笑んで見せる。
無邪気さを意識した笑顔の意訳は当然、「おい、そこのお前、なんか口添えをしろ」である。
「あ、あの、アンスガーさん。さっき煮炊きをしたやつならまだ余ってますよ」
よし。ナイスだぞ、モブ部下A君。
「…そんなの…明日の朝にでも食えばいいだろうが!」
部下に声をかけられて我に返ったらしい。
「は、はぁ…」
ええ?…もうちょっと頑張れよモブA。
仕方なく縛られた手で口元を覆ったまま憂い気に見えるように、
「朝まで取っておくのもいいのですが、こんなに煮炊きの匂いがするんですよ。とっておくと寝てるうちに獣が寄ってくるかもしれませんよね?」
怖いわ…と怯えてみせた。
ちょっとやり過ぎ感も否めないが、今更である。
「チッ……口の減らねぇガキだな。…しょうがねぇ。捨てる分ならくれてやれ。…けど、今回だけだぞ」
アンスガーと呼ばれた男は隣の部下に顎をしゃくって指示した。
当然だ。お前よりもずっと人生の先輩なんだよ。…ガキはお前の方なんだからな。
「ありがとうございます」
にこり。
二言はないな。覆すなよ。
アンスガーがチッと悔しまぎれにまた舌打ちしながら立ち去ろうとする。
自然に舌打ちする人、嫌いなんだよね。
「あ、それと」
「あ?まだあんのか」
踵を返しかけたのを一旦止めてこちらを射殺せんばかりに睨むが、残念ながらそんなものは前世で見慣れている。
要は気構えの問題だ。こういう奴らは平気でこういう態度をとるものなのだと。奴らにとって、これは呼吸と同じだ。気にしてやる必要などない。
そうそう、あいつもよくそんな顔をしていた。視線だけで人を殺しそうな睨み方。
こういう人種はよほど相手を屈服させたいらしい。本当に狭量な奴らである。
「はい。皆に用を足させてください。馬車を汚してしまって申し訳ないですから。ずっとそのままだと匂いが染みついてしまいますよね」
「……」
アンスガーが馬車内に視線を走らせたのがわかった。匂いに気づいたのかどうか、顔を顰めた。
いやいや、生理現象だよ。仕方ないよね。お前が脅したせいでもあるし。
トイレ休憩も食事もないのがここの奴隷のスタンダードなのかよ。地位向上を訴えたい。
顔を顰めたまま隣にいた者に再び顎くいで指示を出して、最後にもう一度私を振り返る。
じとっとした目に“憎たらしい”と感情が出ている。
それはこちらも同じだが、そんなことはおくびにも出さない。私は相変わらずの爽やかな笑顔で対応だ。ロシア系美少女で本当によかった。
勿論、「もう用はないのでお帰りください」が意訳である。
おい、だから舌打ちするなよ。
◇◇◇
アンスガー達がいなくなり、要望通りに縄付きでトイレに行かせてもらったり馬車内を綺麗にしたりした後、馬車の中に簡単な食事が運ばれてきた。
食べやすいように手首の縄も解いてもらえた。
絶望の中にわずかな希望を見つけたように、皆の泣き腫らした目に笑顔が浮かぶ。
「お姉ちゃん、ありがとう」
馬車内にランタンを入れてもらったので、隣にいる小さな女の子の可愛らしい笑顔がよく見えた。
「うん」
私は思わずその子の頭を撫でると、嬉しそうに破顔した。
“可愛いは正義”だとはよく言ったものだ。
「お前、やるじゃないか」
ん?なんだ?ツンデレ発言か?
女の子のさらに隣には、さっきつっかかってきた男の子がいた。歳は十才は超えているだろう。この子の兄だろうか。いつも傍にいる。
まあ確かにこんなに可愛い妹がいたらシスコンにもなる。許してやろう。
「お姉ちゃん」
ツンデレ兄妹――ちなみに兄がツンで妹がデレの役割分担制――とは逆隣に可愛らしい姉妹が座ってきた。道中、ずっと目の前に座っていた姉妹だ。
「ありがとうね。あたし、ミーナ。この子はリーナよ」
姉のミーナが妹のリーナを撫でながら紹介してくれた。ミーナは私よりもお姉さんで、妹のリーナは私よりも幼いようだ。
「お姉ちゃん、すごいね」
リーナはスープの入った器を抱えてキラキラした笑顔で見上げてくる。
うん。文句なく可愛い。
微笑み返しはしたが素直には喜べない。
こんなに喜んでくれたのは嬉しいけれど、このままだと明日には王都に着いて奴隷として売られるのだ。根本的な問題は解決できていない。
こんなに小さな、仲の良い兄妹や姉妹、他の幼い子供達も、何の罪もないのにこんな扱いを受けるなんて、この世界も理不尽極まりない。
「お姉ちゃんの名前は?」
「え?」
「そーね。名前を教えて」
ミーナとリーナが聞いてくる。隣に座って食べていた兄妹も聞き耳を立てているようだ。
名前か…
「好きに呼んでいいよ」
「え?なんで?」
「名前がないの」
「「え?」」
一瞬理解できなかったのか聞き返されたけれど、その後シンとした。
小さな女の子達は意味がわからないという顔をして首を傾げているが、姉のミーナとツン役の男の子は顔を強張らせていた。
「気にしないで。そんなに大したことじゃないから」
「……」
そう言っても気にするよね。困ったな。ほんとに自分的には気にしてないんだけど。
あいつらにつけられたような名前を名乗るより、ない方が遥かにマシなんだよ。
前世でも私の名前をつけたのは親じゃなかった。勿論、祖父母でも親戚でもない。当然、親の恩人でも仲人でもない。
祖母が傾倒していた宗教というやつだ。
そんな名前が嫌いだったから、ない方が遥かにマシ。
「これから自由につけていいってことだよ」と、戸惑う子供達に心から微笑んでみせた。
《5.深夜の神様論(悪魔の証明) へ続く》
主人公には名前がありませんでした。今はまだ…
画像は、ツン兄の妹ちゃんかな。