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37.帰還報告

《リーンハルト・マイアー》




「ほんと、参ったよー。死ぬかと思ったよね、リーン?エリー?」

 ディーターはリーンハルトの隣で、ソファーの背もたれにくたっと体を預けてだらけている。

「おい、ディーター…」

 呆れてものも言えないとはこのことだろう。

(確かに死ぬかとは思ったが。)



「いい加減にしろ、ディーター。エーリヒ様の御前だぞ」

 テーブルの向かいのソファーに座ったエリアスは、主の前でだらけた言動をする同僚を戒める。

 エーリヒを崇めているエリアスには、ディーターの態度は理解できない。

「だってー。本当に死ぬかと思ったんですよ、エーリヒ様ー」

 ディーターはエリアスの注意にも全く改める気はないようだ。

 ユリアンも呆れた顔で見ているが、いつものことなので何も言わないようだ。皆に紅茶を出してから、自分もエリアスの隣に腰を下ろした。


「そうか。良かったな」

「え…?」

 上座に座るエーリヒの無関心な一言に動揺するディーター。

「なんだディーター。生き残らなくて良かったのか?」

 エーリヒが視線を手元から上げてディーターを見つめ、微笑を浮かべる。

「いえ!生き残れて良かったであります!」

 ようやくディーターがシャキッと姿勢を正す。

 我が主エーリヒの精神干渉魔法……否、笑顔の威圧が効いたようだ。



 ディーターは主に対して非礼が過ぎる。

 だがエーリヒは仕事ができればそれでよいと思っているのか、ディーターの態度に関してあまりとやかく言わない。

 ディーターもこのような内輪の席以外では一応従者らしい態度を取るため、外聞的には特に問題にはならないのだが。それでも限度はあるだろう。


 だが魔獣達の王シルバーフォックスという脅威に晒されて、安全地帯に帰還できた今は気が緩んでしまったのだろう。と、リーンハルトは思うことにする。

 あれだけの数の魔獣達を従えていたのだ。今思い出しても、敵意を向けられなくて本当に良かった。



 エーリヒは先ほどからシルバーフォックスに託された装身具を見ているようだ。

 透明な石がはめ込まれた意匠の凝った銀色の指輪だ。ついている石はどうやら魔晶石らしく、魔力が空の水晶だ。


「ヴェローニカに渡せ、と?」

「はい。…魔術具でしょうか?」

 エーリヒに問われ、リーンハルトは答えた。

「そのようだ。私の魔力には反応しないが」

 エーリヒは自分の指にはめてみる。



 魔術具の装身具の場合、その者の魔力に反応し、サイズが変わってピタリと指にフィットするよう細工が施されているものだが、その指輪はサイズ変更もしなければ、ついている魔晶石も何の変化も見せない。

 これではただの装身具としても使えないだろう。身に着けることも売ることもできなかったのかもしれない。

 指輪の内側には何か文字が刻んであるが、古代魔術語に長けるエーリヒでも読めないらしい。もしかしたら数ある古代文字の類かもしれないとエーリヒは言った。



「これをあの男が持っていたのか。出会った当時の幼いヴェローニカから奪ったに違いない」

「でしょうね」

 リーンハルトはエーリヒに同意し、エリアスとディーターも頷いた。


「可哀想にヴェローニカちゃん。あんな奴が育ての親だなんて。母親も……酷い言い草だったよね。…でもさ、あの子絶対美人になるよね?…今何歳だっけ?あと十年、いや七、八年後くらいかなぁ、成人して結婚できるの……すごいモテそう」


「ディーター…」

 珍しくエーリヒの笑顔が消え、声がワントーン冷えたことにディーターだけでなく、この宿の一室にいる従者達が皆驚き、一斉に姿勢を正した。

「はい。申し訳ありません、エーリヒ様」



「…シルバーフォックスはヴェローニカに会う気はないのか?これを渡したということは、ヴェローニカを我々に託すということだと思うのだが……何か言ってはいなかったか」

 エーリヒは気を取り直してリーンハルトに問う。

「申し訳ありません。会話できるような状況ではなく…」

「そうか…」

「ただ、村人達に対する怒りは感じました。あの子にとっての害は排除するという明確な意思表示でした。あの子が生きるために村を残しておいたのにと、言っていましたから」

「…………」

 エーリヒは外した指輪をしばらく無言で眺めていた。


「ヴェローニカには……どう伝えるべきか…」



 彼女はシルバーフォックスを探しにここまでやって来た。明朝にはクルゼの村に向かう予定だ。だが、彼女が探していたシルバーフォックスはここ、グレーデンより手前の街道で姿を現した。そしてクルゼの村人達を全員殺した。魔獣を使役して。


 だがそれはエーリヒより受けていた命令とも合致するものでもあった。できれば魔獣に襲わせた方が良いという指示はあったが、村人の皆殺しはあの時点で決まっていて、三人は確実にその目的が完遂されるように見張り、見届けるためにあの場にいたのだ。そしてそれはヴェローニカには知らせるつもりはなかっただろう。


 エーリヒが何のために村人達の排除を決めたのかは実はよくわからない。ただ村全体で彼女を虐待していたから、というだけではない気がする。

 エーリヒとはそういう全ての損益を計算した上で実行する人間だと今まで仕えてきて知っている。

 それとも今回は感情で動いたのだろうか。先ほどのように。



「ずっと村人達をつけていたのでしょうね、シルバーフォックスは。彼女が奴隷として売られたことを知っていました。彼女の行方を探るために後をつけて、村人達の会話から知ったのかもしれません。…初めから居場所を知っていたら、村から村人達が逃げ出す隙さえ与えずに殺し、すぐにでも王都に来ていたのではないかと…」


「うむ…」

 エーリヒがリーンハルトの発言に同意した。

「つまり、ヴェローニカを見つけ、もう村人の後をつける必要はなくなったから殺したのだな」

「そうなると思います」

「ではシルバーフォックスは今我らを監視しているのだろうか」



 エーリヒはリーンハルト達を見た。その疑問にまた、冷や汗を感じる。

「考えたくはないですが……ありえますね…」

 緊張からか、乾いた声が出た。

「ではヴェローニカの前に現れるだろうか。その意志があれば」

「そうでしょうね」

 リーンハルトは同意し、エリアス、ディーター、ユリアンも頷いた。


 エーリヒは窓の外を眺める。

 つられるように従者達も窓の外を見た。

 辺りは暗くなり始めていた。夕暮れ時だ。魔獣の動きも活発になってくる。



「ヴェローニカをつれて、少し散歩でもするか」

「今からですか?」

 驚いたのはエリアスだけじゃない。散歩というのはおそらく街中をという意味ではない。

 街の外をぶらついて、シルバーフォックスが接触してくるか確かめるということだ。


 ヴェローニカがいることで、シルバーフォックスからは敵意を向けられないだろうとは思うのだが、それはあくまで推測だ。

 何より、先ほどのあの緊張感をまた味わうのは勘弁願いたい。それほどの暴力的な、圧倒的な魔力の塊だったのだ。



「うぇー…」

 ディーターが小声で唸る。気持ちはよくわかる。リーンハルトも同じ思いだ。だが。

「ディーター」

 リーンハルトはディーターの背中を叩いた。


「ディーターは来なくてよい」

「え?」

「何なら誰もついて来なくてよい」

「「それは…」」

 リーンハルトとエリアスは同時に諌めようとした。二人顔を見合わせて、リーンハルトはエリアスに任せた。



「それは、なりません」

「誰がついて来ようとたいして変わらん」

「それは確かに……そうなのですが。そういう問題ではありません、エーリヒ様」

「エリアスは堅いな」

「…………」

「私は今、ヴェローニカを口説いている最中でな」

「え?」

 ディーターがぎょっとして目を見張った。周りの皆もそうである。


「二人きりなら色よい返事がもらえるかもしれない……かと期待しているのだが……難しいだろうか?なぁ、ユリアン」

 エーリヒは黒い革手袋をはめた指を唇に当てて、悩まし気な表情でユリアンをチラリと流し見る。

 それに合わせて皆がユリアンを見るが、皆と同じく唖然としているところだった。



 しばらくするとユリアンははっとした顔をした。

「あ……ああ…。はぁ……あのことですか…」

 ユリアンは拍子抜けな表情だ。

 何だろう。当たり前だが思っていたこととは違いそうで、ホッとしたようなつまらないような変な気分だ。

「どうでしょうね……彼女もエーリヒ様を信頼しているようには見受けられますが……どのような秘密かにもよるのではないでしょうか」


「ふむ……それはそうだな」

「え?…え?…え?」

 ディーターが混乱しているようだ。きっとディーターの頭の中では、エーリヒがヴェローニカを口説いている最中云々……で、思考が止まっている。



「だがユリアンは不思議には思わないか?どう考えればあれの辻褄が合うというのか……興味が尽きない」

「まあ……そうですね。それはその通りです」

 エーリヒとユリアンが互いに笑い合っている。


 なんだか仲間外れな思いだ。

 リーンハルトはまだヴェローニカと話したことがないので、何について二人が意思疎通しているのか皆目見当もつかなかった。




次は月夜のお散歩。

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