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35.神格の獣(1)

《リーンハルト・マイアー》




「おいおい、何やってんだ?あれ」

『まあまあ、黙って成り行きを見てみようよ、なーんか面白いことになりそうだからさぁ』


 左耳のイヤーカフ型通信魔導具から愉快そうな声が聞こえた。

 同僚であるディーター・ロンメルは少し嗜虐的な一面がある。普段は人懐っこく笑っていて気さくな雰囲気が女にも人気があるのだが、こと、このような任務となると……心から楽しんでいるフシがある。

 リーンハルトだってそれで任務が滞りなく済むのであれば問題はない、とは思ってはいるのだが。



『エーリヒ様の思惑通りだ。問題ない』

「え、そうなのか?」


 同じく通信具から聞こえた同僚のエリアス・ノイラートの発言にリーンハルト・マイアーは驚いた。

(思惑通りってどういうことなんだ?)


『やはり知らなかったか、リーンハルト。エーリヒ様は帰り際に、幌馬車の足回りに風魔法を仕掛けていた。俺も風属性だからな。なんとなくわかった。恐らくこの状況を見越していたのだろう。さすがはエーリヒ様だ…』

「まじか…」

(怖えぇ……マジであの人敵に回したくないわ。)




 リーンハルトはエーリヒほど賢い人間に会ったことはない。賢いというよりも、用意周到、冷酷無比。まあ確かに、それが仕える主で作戦立案者となれば頼もしい限りではある。


 そしてそれに加えてリーンハルトにはエーリヒに対してとある疑惑がある。

 今までの考察から彼はもしかしたら、あらゆる魔法適性があるのではないかということだ。



 一般的に高位貴族は高出力の元素魔法の行使を好む。だがエーリヒは逆に、高位貴族でありながら、そして多才な割に、あまり大っぴらに派手な魔法を使わない。

 つまり自己顕示欲の強い高位貴族達の中で、自分の属性を明らかにしていないのだ。それはそれで怪しいのではないかとリーンハルトは思うのである。



 以前それとなくエーリヒに聞いたことがある。

「エーリヒ様ってもしかして全元素魔法適性とか…」

 エーリヒはリーンハルトに笑顔を向けた。目が笑っていない。「黙れ」という無言の威圧を感じたリーンハルトである。

「あはは。冗談です。そんな訳ないですよね」と流すので精一杯だった。

 本当に冗談ではあった。全元素魔法適性など、おとぎ話もいい所だ。




 通常、魔法適性は主属性が一種類。それに補助魔法などを習得して多くても二、三種類と言われている。

 属性魔法の中でも氷、神聖、雷の上位魔法の適性者は珍しく、属性が異なる複数の使い手となると更に希少な存在だ。


 リーンハルトは水魔法の適性がある。それに加えて任務遂行に必要な補助魔法として、索敵魔法と身体強化も習得した。それには魔術刻印という、魔術回路や術式を身体に刻み込む、護衛騎士として底上げするためのからくりもあるのだが。


 ディーターは火魔法、エリアスは風魔法の適性だ。

 他にもそれぞれに多少身につけた補助魔法もあり、三人でエーリヒの護衛騎士として仕えているのだが、守るべき主が無類の強さを持ち、そして伯爵の筆頭護衛騎士であるために、護衛らしい仕事よりも密偵や諜報のような任務を多くこなしている。



 全員エーリヒの生家、グリューネヴァルト侯爵家の傘下のマイアー伯爵家、ノイラート子爵家とロンメル子爵家の出身だった。

 エーリヒに今、従者としてついているユリアンは下位貴族で魔力量が低く、適性魔法も攻撃系統ではないので、魔法や剣技よりも純粋に補佐官として仕えている男爵令息だ。




 リーンハルト達三人は今回陰ながら護衛として旅程についてきていた。

 なんせ、相対するのは上位魔獣シルバーフォックスだと聞いているからだ。


(戦闘にはならないだろうが念の為、とは言っても……シルバーフォックスか……ビビるよな。)



 エーリヒはこの旅で既に二種類の元素魔法を使っているのをリーンハルトは確認している。

 狼の魔獣を荼毘に付した火魔法。馬車の車軸を壊した風魔法だ。

 エリアスが言うには、エーリヒがいつもの大立ち回りで返り血を受けないのは、風魔法の応用なのではないかとのこと。

 もちろん恐ろしいので確認はしていない。



 小声でうっかりぼやくこともできない。エーリヒは地獄耳なのである。

(もしかしてそれも身体強化ではなく風魔法だろうか。いや、両方というのもありえるな…)

 返り血を防ぐような下らない……否、緻密な制御の風魔法が使えるのならば、ありえる話である。何せ戦闘しながらそんな馬鹿げた……否、繊細な魔法を使う余裕があるのである。


 戦闘しながら。つまり、先日のグレイウルフとの一戦ではリーンハルトが推測できるだけでも、魔剣の出力を調整し、相手の返り血を風魔法で防ぎ、身体強化で腕力や脚力を上昇させ、同じく聴力と視力を強化、調整し、背後からの攻撃も把握できる索敵魔法……恐らくエーリヒの場合はその上位の探知魔法を常時展開させていて、考えられる限り一分の隙もない。

 もしかしたらそれ以上に訳のわからない魔法を駆使しているのかもしれないが、とにかく、彼はバケモノ……否、超人である。



(それに……以前飲んでた水。魔法で出したんじゃないかなと思ってるんだが。俺が出す前に飲んでたんだよな。)

 もしそうなら、水魔法まで適性があるということになる。火・風・水と三つの元素魔法を網羅しているとしたら、とんでもないことだ。


 実は水魔法で出す水は純水なので味が悪い。これを飲料水として出せるようになるのには、また地味にコツがいるのだ。

 リーンハルトには少し手間取ったが、エーリヒならば逆に器用にこなしたのだろうとさえ思う。



 そしてエーリヒと行動を共にしていると、自分達が苦労して使えるようになった補助魔法は、どうやら完璧に使いこなしているように思える。

 先にも言ったが索敵どころか、さらに上位の詳細情報がわかる探知も完璧にできる。身体強化も凄腕。


 さらにあの魔剣は普通の魔剣とは少し仕組みが違う。恐らく通常の魔剣よりも精密な魔力操作と出力維持のための魔力量が必要だ。そして何の属性魔剣なのかは未だによくわからない。

 なのにそこへ、ちょっとした出力の魔法しか見たことはないが、前述の通り全元素魔法まで扱うのである。


 正直、エーリヒほど魔法の扱いに長ける人間をリーンハルトは見たことがない。

 もしかしたらあの笑顔の威圧感は精神干渉魔法なのではないかとすら思えてきた。

(まさかの三元素の他に、特殊魔法の精神と呪術も使えたり……しないよな。)

 ……しないよな?




(そう言えば…)

「あれ、ダークウルフの死体転がしたまんまなのって…」

『もちろん、エーリヒ様の思惑通りだろう。じゃなかったら聴取の間にでも、昨日のように燃やしていたはずだ』

(おいおい。…まあ、俺達が手を下す必要がないということか。)

『ええ……嘘でしょ?』

 ディーターは不服そうである。


『やっぱ様子見止めてもう行っとこうよ』

『それは命令違反だ。おとなしく待機していろ、ディーター』

『なんでだよぅ。ねぇエリー』

『…………』


(エリー呼びは止めてやれ、ディーターよ。)

 かくいうリーンハルトもディーターにはリーンと呼ばれている。

(それに今回の任務はあんまり乗り気になれない。いや、命令は遂行するけれど。)




 急にざわりと寒気がした。


「な、なんだ…?」

『やばい気配がするね、リーン』

『静かにしろ』

 リーンハルトに続き、ディーター、エリアスが声を潜める。

 春の陽気に和んでいた空気が一変し、恐ろしい程に怖気がする。全身に鳥肌が立っているのがわかる。



『索敵に何か引っかかったか?リーンハルト』

「わからん、何も見えん。だが鳥肌がヤバい。周囲の魔力が高すぎて特定できないのかも…」

 自身も視線を忙しなく動かしながら、緊迫した声音のエリアスの問いにリーンハルトは答えた。

 いつもは軽口を叩くディーターも辺りをキョロキョロと視線を動かして緊張気味だ。


 ここはエルベンから続く草原を越えて、街道がちょうど林に入ったところで見通しが悪い。リーンハルト達には、身を隠してクルゼの村人達を監視できる好条件な場所ではあった。



「囲まれてるぞ、奴ら」

 魔獣の群れの気配がようやく索敵に引っかかった。徐々に幌馬車を包囲していく。だが村人達はこれだけ濃い魔力に包まれていながら気づいてはいない。

 どうやら先ほどまでの諍いは、いつの間にか揉み合いの喧嘩にまで発展していたようだ。これだけ興奮していては、当然気づくはずもない。




ウー…ガルル…

 狼の唸り声がこちらにも聞こえてきた。

 だが、狼の魔獣ごときでこれほどの怖気を感じるとは思えない。

 他にも何かがいる気がする。


「エリアス、ディーター、見えないが…」

『わかっている』

 エリアスにはリーンハルトの言いたいことがわかっているようだ。

「警戒を怠るなよ……きっとまだ何かいる」



ガガァッ

 狼よりもふた回りは大きいダークウルフが、離れた所で喧嘩を遠巻きに見物していた村人達の背中に襲いかかったのが見えた。




エーリヒの護衛騎士。

リーンハルト・マイアー伯爵令息。水。

エリアス・ノイラート子爵令息。風。

ディーター・ロンメル子爵令息。火。

ずーっと平民ばかりだったのに、貴族が増えてきました。

これからもっと増えます。

イヤーカフの通信魔導具で話す時の相手の声は『』にしています。

魔力の声とわかりづらいかな。

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