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29.エルベンでの噂(2)

《フォルカー》




(昨日。)

 ごくっとフォルカーはつばを飲み込む。

 ここから目的地の山の麓までは馬車で一日。だが村人達が逃げてくるのに馬も何もなかっただろうから、数日はかかるだろう。魔獣が山から下りてきたのは、時期的にヴェローニカが山からいなくなった頃とも言える。これは偶然なのか。



「なんで急に山から魔獣が下りてきたんでしょう」

 ロルフも不思議そうに首をひねる。

 シルバーフォックスの話は、傭兵の中ではまだフォルカーしか知らない。未確認の不確かな情報ではあるし、国内にそのような強力な魔獣がいる事自体、今だに半信半疑である。

 判断は全てエーリヒに任されている。敵になる事はないと思いたいが。



「冬眠から覚めたって話でもないんだろ?だったら普通に考えると山に強い奴が現れたってことじゃねぇのか?そいつから逃げてきたとかな」

 ケヴィンが何気なく口にした言葉に、周りのおっさん達が恐怖の感情を顔に出したのがわかった。



「ケヴィン」

 フォルカーに窘められて、ケヴィンはバツの悪そうな顔をする。

「そうなのか?」

「あんたら傭兵ならそういうの詳しいんだろ?」

 おっさんがケヴィンに聞いてきた。ケヴィンはフォルカーを見る。

 ただの推測で悪戯に住人達を怖がらせることにもなりそうだが仕方がない。フォルカーはケヴィンの視線に頷く。



「去年は違ったのか?」

 ケヴィンはさっきよりは配慮して話しているようだ。

「ああ。ここ数年は本当に魔獣を街の近くでは見かけなくなった。そりゃ離れたとこではいただろうが」

「数年前からゲーアノルト山脈周辺の魔獣討伐作戦が行われていないのは聞いてる」

 フォルカーが言うと、

「ああ、そうなんだ。明らかに魔獣が減ってきてた」

「これからもずっとそうだと思ってたんだがな」

 おっさん達は顔を見合わせて頷いている。


「うーん。それが急に山から魔獣が下りてきたってなると、強い奴に追われてきたってより、それまで魔獣を支配してた奴が死んだってことも考えられるか…」

「え?」

 おっさん達がケヴィンを見る。



「例えばだよ。その強い魔獣が他の魔獣を間引いてたとしたら、それがいなくなったら増えるだろう?強い魔獣がどっかから来たから魔獣達が移動して山から下りてきたって可能性もまあ、あるだろうけど、それじゃ昔はいた魔獣がここ数年少なくなってた理由に合わないし。だったら数年前からいた強い魔獣がいなくなったって考える方がしっくりくるんじゃないか?」

 ケヴィンの意見に皆が納得の表情を見せた。



 シルバーフォックスがいなくなった、のか?



 ヴェローニカを探しに山を下りて、周りの魔獣達の統制がきかなくなったのだとしたら。

 魔獣達はシルバーフォックスには近づかない。とすると魔獣の多い場所にはシルバーフォックスはいないということになる。

 だが話によるとシルバーフォックスは、幻術で身を隠せるらしい。それでは人の街で情報を集めるのも見つけるのも困難だ。

 そして王都の側には結界石の影響で近づかないだろう。シルバーフォックスはヴェローニカをますます見つけられない。



 今はどの辺りを彷徨っているのか。



 クルゼの村人達がヴェローニカを端金でアードラー商会に奴隷として売ったせいで、村が壊滅するとは。奴らも思ってもみなかったことだろう。


(皮肉なもんだな。)

 話を聞きながらフォルカーは咀嚼したつまみをエールで流し込む。



「まあ俺達は早く王都の兵が魔獣討伐に来てくれることを祈るしかないな」

「このまま山脈の麓に行くってんなら、この先のグレーデンの方が逃げてきた奴らが多いだろうから、詳しい話も聞けるんじゃないか?」

 気をつけろよ、あんちゃん達と言うとおっさん達はまた日々の愚痴の話をし始めた。






「なるほど。では魔獣が目撃されだしたのはほんの数日前だと?」

「そのようです」


 宿に帰ってロルフとケヴィンを部屋に帰し、フォルカーがエーリヒの部屋に向かうと、すでに宿屋の食堂に行っていた者達が報告をしていたようだった。

 内容はやはり数日前から魔獣の目撃、襲撃の報告が多いということだった。宿の宿泊客達は不安がっていて、護衛の人数が少ない者達は魔獣の襲撃を恐れて旅程の変更を検討している者達が多いということだ。それで今この宿では、旅の足止めを食らっている宿泊客も多い。



「そちらはどうだ?」

 ソファーにかけて報告を受けていたエーリヒがフォルカーに視線を移した。

「こちらでも同じような内容でした。昨日辺りに山の麓に住んでいる村人達が、この街に逃げ込んできたようです」

「それは…?」

「はい。グレイウルフやダークウルフ、レッドベアなどの魔獣がゲーアノルト山脈から下りてきて、麓の村々はやられたそうです」


「え?じゃあ、クルゼも?」

 宿屋の食堂の方に行っていた傭兵が驚きの声をあげた。フォルカーはそれを受けて頷く。

「詳しいことはこの先のグレーデンの方が、逃げ込んだ者達が多いのではないかと」



 エーリヒは口元に手を当て報告を聞きながら思案している。いつも浮かべている微笑が今はない。

「それと、この辺でも子供達の拉致が多いようですが、今は魔獣の対応で街の自警団では捜索もままならないとのことでした」

「ふむ……そうか」




 報告が済んである程度情報が集まると、エーリヒはフォルカーを残して他の傭兵達を下がらせた。


「どう思う」

 エーリヒが鋭い視線をこちらに向けた。先ほどの戦闘を思うと怯んでしまいそうだ。

 いつもの穏やかな微笑は、あれはあれで得体のしれない不敵な感じがして苦手ではあったが、全くの真顔もあの強さを知った後では背筋が凍る思いがする。


「もしかしたら、シルバーフォックスは既に山を下りて移動しているかと」

「やはりそう思うか」



 エーリヒの手元、テーブルの上には周辺の地図が広げてある。

「だが、一度はクルゼに赴く必要はあるだろうな」

「大丈夫でしょうか?山に近づくと魔獣の数が…」

「…………」

 エーリヒならまた、問題ないと即答されるかと思ったが、違うらしい。

「まずはグレーデンまで行ってからだ」

「はい」


 エーリヒの言う通りだ。明日の昼には、次の街グレーデンに着くだろう。そしてグレーデンで昼食を取ってからまた進めば日が暮れるまでにはクルゼ周辺に着くのだろうが、まずはグレーデンで情報を集めてからでも今後の進退を決めるのに、もう今となっては遅くはないだろう。

 村はすでに壊滅してしまっているのだから。



「状況によっては私がヴェローニカを連れて行く。お前達はグレーデンで私達の帰りを待てばよい」

「「え?」」

 フォルカーと控えている従者が狼狽えた。

「エーリヒ様お一人で行かれるのですか?」

「ヴェローニカとだ」

 従者の問いに平然と答える。

(いやいやいや。そういう意味じゃ…)


 だがあれだけ強ければフォルカー達がついて行く方が足手まといになるような気もする。ヴェローニカだけなら守れると踏んでいるのだろう。



「エーリヒ様…」

 従者は主を心配した目でフォルカーを見た。恐らく助けを求めているのだろうが、フォルカーにできることはない。

「ユリアンよりもフォルカーの方が私の力量を信じているようだぞ」

 ふっとエーリヒは表情を緩めた。

「そういう訳ではありませんが……さすがにおひとりでは…」

 従者のユリアンは純粋に主が心配なのだろう。



「グリューネヴァルト卿の先程の戦いを見ましたからね。私達は足手まといになりかねません」

「それはなかなか自己評価が辛いとも思うが。まあ……、状況次第だ」

 エーリヒは再び不敵な笑みを浮かべた。




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