27.あなたは何者?
エルベンの街に入る前に馬車が停車した。外を覗き見ると、門番と何か話をしているようだ。やはり街に入るには、素通りという訳にはいかないようだ。
しばらくしてゆるやかに馬車が動き出して街の中に入る。辺りは暗くなって人通りは少ないが、初めて街を見た私はキョロキョロと通りを眺めた。
「何か珍しいものでもありましたか?」
隣に座っていたマリエルが声をかけてきた。
「はい。初めて街を見ました」
「そう言えば王都では外に出られませんでしたからね。ご案内できれば良かったのですが」
「うろちょろできないのはわかっていましたから、大丈夫です。王都を出るときに少し街並みを見れましたし」
そう言うと、マリエルは優しく微笑んだ。
馬車が停車し、御者が扉をノックした。
「エーリヒ様。宿に着きました。開けてよろしいですか?」
「ああ」
すると馬車の扉が開いた。御者かと思ったが服装が平民ではない。御者の隣に座っていた人だ。
エーリヒが先に馬車を降りて、外から手を差し出してきた。
「ヴェローニカ、来なさい」
私は言われた通りに立ち上がり、一度マリエルを振り返ると無言で頷いていた。
扉に向かうと手を取られたが、足元が暗く、ステップはあるが足を踏み出すのがちょっと怖い。
するとエーリヒが私を抱き上げた。
「わっ」
軽々と体が浮いて、慌ててエーリヒにしがみつくと、ふわりと彼から良い香りが漂う。香水のような、上品な香りだ。アロマなどが好きだった私にとって、ずっとしがみついていたいと思ってしまうくらい心地良い、安心感のある香りだ。
「さっきも降りづらそうにしていましたからね」
休憩時のことだろうか。あの時は明るかったから、地面にえいやって勢いよく飛び降りたんだった。
「面倒ですからこのまま行きましょう」
「え?」
エーリヒは御者にマリエルの補助を頼んで、私を抱いたまま従者とともに宿に向かう。私が着ていたローブに付いたフードを頭に被せながら。
宿の人達が私達を驚いた顔で見ている。きっとエーリヒを見ているのだろう。
エーリヒの髪色や瞳の色は淡い亜麻色といっても、光の当たり具合によっては金髪金眼にも見える容姿の上に華美ではないが品のある身なりで、ひと目で貴族とわかっただろうから。
宿屋側が終始慌てた様子でチェックインを済ませて、私達は部屋に向かった。手続きは先ほど馬車の扉を開けてくれた従者がしてくれた。エーリヒの従者だろうか。
「ヴェローニカを頼む」
「はい」
部屋の前で私を下ろすと、マリエルに私を預けてエーリヒは別の部屋に向かっていった。
そうか。宿は一緒の部屋じゃないよね。貴族だし。
マリエルは恐らくこういうときのためについてきてくれたのだ。でも別にマリエルがわざわざ私といなくても、フォルカー達と一緒の部屋でも大丈夫なのに。子供なんだし。
「ごめんなさい、マリエルさん。私のためにわざわざついてきてくれて」
「お嬢様は気を遣いすぎですよ。私はお嬢様と旅ができて楽しいです」
さ、入りましょう。とマリエルは部屋の扉を開けた。
しばらく部屋でマリエルと二人で世間話をしていると、先ほどの従者が現れてエーリヒの部屋で夕食を取ろうとのお誘いを受けた。
やはりこの人はエーリヒの従者だったらしい。
彼はユリアンと名乗った。エーリヒよりは暗めの榛色の髪と瞳で、柔和な印象の若い補佐官だ。
早速マリエルと共にエーリヒの部屋へと向かう。
この宿屋で最上級の部屋かと思っていたが、どうやら違うようだ。私達の部屋のすぐ隣である。しかも私とマリエルの部屋よりも階段に近い。普通要人などの部屋は最上階とか最奥とかではないのだろうか。
上階は満室だったのかな?
部屋内ではエーリヒが一人テーブルについていた。フォルカー達はいないらしい。
隣には食事が用意されたワゴンがある。
この宿屋の一階に広めの食堂があったはず。フォルカー達はそちらか。やっぱり人目につかないように配慮しているのかもしれない。
席につくのをマリエルに補助してもらうと、ユリアンが給仕を始めたのでマリエルも手伝おうとするが、「君も座りなさい」とエーリヒが席を勧めた。
「…しかし…」
マリエルは戸惑っている。
「身分の上下は大切ですが、私は合理性も重要視していますので。ここには私しかいませんし、あなたはヴェローニカと共にいなくてはなりませんからね。別に食事を取る時間が無駄だ」
貴族という人種はまだよくわからないが、昨日会った貴族達や従者達の様子や前世の知識から考えるに、この人は貴族としては異端なように思える。
だが私にはとても尊敬できる考え方だ。
思えば煩わしいだろう子供の私の質問にも、きちんと丁寧な説明をしてくれていたのだし。
「エーリヒ様は徹底していますね。知識も豊富で考え方が革新的です。それに物凄く強いし。エーリヒ先生と呼びたいくらいです」
思わず口をついてしまった。
マリエルとユリアンが目を見張っている。そんなに問題発言だっただろうか。いまいち貴族との距離感がわからない。
身分制度がある世界では、こんな風に目下の身分からは話しかけてはいけないのかもしれない。子供だからと調子に乗ってはいけないということか。
そうだ。“様”か“卿”をつけなければならなかったのかな。
「ごめんなさい。失礼でしたか?」
エーリヒはふっと軽く吹き出しながら、
「いえ。しかし。先生ですか」
ふふっと可笑しそうに笑った。
「私にはヴェローニカの方が不思議で仕方ありません。私が先生と呼ばれる立場なら、研究対象にしたいところですね」
な、なんの研究を……
「例えば、ヴェローニカのクルゼでの生活を聞いたのですが……何故、あなたはそんなにも色々な知識があるのでしょう?」
エーリヒの微笑みが向けられる。もう見慣れたあの微笑みだ。
こ、これは。
「知識……など。エーリヒ様に比べたらどうということもありません。先ほどからエーリヒ様に教えていただいてばかりではありませんか」
笑顔でそこまで言い終えて、こくりと息を呑んだ。
「ええ、そうですね。私の言い方がよくありませんでしたか。知識……というより、教養と言うべきですね」
エーリヒは肉を切り終えたナイフを止め、手を休めるように皿から距離を置いた。手にしたナイフが部屋の明かりに煌めいて、やけに切れ味鋭く見える。
「あなたの言を鵜呑みにすれば、言葉すらままならないほどの環境であったはず。ところが……あなたのその頭と舌は随分とよく回るようです」
そ、それは……小賢しい頭と舌をそのナイフで切り落とすぞとも聞こえるのですが。
「カトラリーの使い方も良くできている」
あ……普通にナイフとフォークを使って食事をするのも変なのか……
私は握っているカトラリーに目を向けた。
ファミレスでバイトしていた時によく賄いで使っていたからかな。子供の手にはちょっと大きいけれど。
「私の魔剣についても何か未知の考察があるようでしたし、それに……先ほど教えてくれた呪文のような言葉と、その意味するところ……あなたはとても興味深い」
エーリヒの追求に知らず識らず、息を潜めてしまう。
「私は平民の暮らしや習慣はよくわかりませんが、ヴェローニカが特殊なのはよくわかります」
すると、エーリヒは笑顔をやめた。
「あなたが何者であるのか、教えてくれる気はありますか?ヴェローニカ」
“何者であるのか”か。
いつも胡散臭いほどに微かな微笑みを保っている人が真顔になると物凄く怖い。
怖い、が。
それと同時にエーリヒの美しさが際立ったのも感じた。目を逸らしたいはずなのに、逸らすことができない。まるで魅了魔法にでもかけられたかのようだ。
「…………」
視線を吸い寄せられるようにしてしばらく見つめ合ったあと、ふぅとエーリヒは吐息を漏らし、目を伏せた。憂いを帯びたようにも見えるその様子が、男性でありながら美しい。
「…考えてみると、ヴェローニカとは今日が初対面でした。どうやら焦り過ぎていたようです。…口説くには、まだ少し早かったでしょうか?」
そう言って綺麗に微笑み、果実酒のグラスのステムを摘み上げた。
「口説…?」
その言葉の意味に驚いて、つい取り乱してしまった。
一方でエーリヒは、摘み上げたグラスを優雅に傾ける。コクンコクンと動く伸びた首筋がどこか妖艶に思えてしまう。
彼は果実酒を飲み干すと、グラスを徐ろにテーブルに置いた。そして目を伏せたまま、再び悠然と食事を始める。その横でユリアンが主人の空いたグラスに慣れた手つきで紅色の果実酒を注いだ。その全てが流れるような所作で目を奪われてしまった。
いや、深い意味などないだろう。焦り過ぎである。
これは一応見逃してくれたということか。
だが気のせいか、少し寂しそうな眼をしていたようにも思えた。
しばらく無言で食事を続ける。
ここは話題を変えるべきか。
「…フォルカーさん達は下の食堂で食べているんでしょうか」
「フォルカーですか……護衛達は二手に分かれて食事兼情報収集をさせています」
「二手に…?」
「この宿屋の食堂と街の食堂ですよ」とエーリヒはいつものように微笑んだ。
本当に徹底している。
公爵の後継者の側近とは、かくも有能なのか。
私はお肉をカトラリーで切るエーリヒの美しい所作を眺めながら、感服していた。
今回の貴族はユリアンです。
優しそうな男爵令息。エーリヒの補佐官です。




