24.エーリヒ先生の講義(2)
「結界石の影響で大気中の魔素が乱されることは言いましたね」
「はい」
はい、エーリヒ先生。
もう心の中ではエーリヒ先生とお呼びしよう。
「大気中の魔素が集まると天候にも影響が現れます。雨雲や雷雲を呼ぶのです」
「え?」
魔素は天候にも影響があるのか。
つまり王都の近くでは結界石の影響であんな雷雲を作るほど魔素は安定して集まらない。だから雷も落ちない。なのにあの日はあんなことが起こってフォルカーは慌てていたんだ。
なるほど。そういった作用で広範囲魔法も阻害してるってことかな。
「じゃあどうして…」
「さぁ。それを知りたいところなのですが。ヴェローニカはどう思いますか?」
ふふ…と妖艶な笑みを見せる。
いやいや、今初めてそんな事実を知ったのに、異常の理由がわかるわけがない。
「結界石よりも強い何かが働いたということですね…」
「そういうことです」
正面に座ったエーリヒと見つめ合う。
先ほどまで日射しに照らされていた明るい蜂蜜色が、いつの間にか落ち着いた亜麻色に変わっていた。馬車内が暗くなり始めていたようだ。
あれ?そう言えばマリエルがずっと静かだ。つまらない話だったかな。
私はふと隣のマリエルを振り返った。
「え?わ、私には、わかりません」
驚かせてしまったようである。
「あの、大気中の魔素は操作できるんでしょうか?」
私はまたエーリヒに向き直って尋ねてみた。
「ふむ。魔法は基本的に体内の魔素を魔力変換してから体外に具現化し、それを操ります。属性魔法の上位である氷、雷魔術師は、他の魔術師よりも一定空間の魔素に干渉することはできますが、それは限られた空間内だけです。その影響力は魔力量にも比例すると言われます。なのでこの大空の大気の魔素を操ることなど、通常はできませんね。しかも広範囲となると結界石の影響もありますし。ですが結界石の影響のないこの辺りではどうなのでしょうか。一定空間内ならまだしも大気全体となると操作自体どうやるのか見当もつきませんし。どれだけの魔力が必要になるのか……試したことすらありませんが。というか、考えたことすらありません」
「え?なんでですか?」
「普通にできないと思われているからでしょうね。魔力操作の鍛練をすれば体内の魔素や魔力は感じられるようになりますが、我々には大気に漂う魔素は見えませんから」
そういうものなのだろうか。常識的にということなら、もしかしたらそうなのかもしれない。
「本当に面白いことを考えつきますね」
「え?…そうでしょうか」
「ヴェローニカは着眼点や発想が面白い」
ああ、馬車の下を覗いていたことも含めてだろうか。
「それはなにも知らないからです」
「そうかもしれませんね。ですが、それだけだとも思えない」
これは知っている。珍獣扱いの目だな。
エーリヒこそ探究心や好奇心の塊と言えよう。だからこその知識量なのだろう。
「とにかく、通常では考えられない魔術的作用が働いた。そう考えるのが自然なのですが、その手がかりがあなたなのではないのかと、そう思ったのですよ、ヴェローニカ」
「え……私、ですか…?」
「落雷の後、あなたは気を失ってしまったそうですね」
「はい」
「あの場で気を失ったのは、あなただけなのです」
「え…?あの……フォルカーさんや、ロルフさんは?…他の子達は…」
エーリヒは微笑みながら私を見ている。
気を失ったのは、私だけ。フォルカーとロルフは私の近くにいたはずなのに。あの落雷でなんともなかったのか。逆にその方が不思議なのだが。
「そして倒れたあなたを中心にして、地面に魔法陣が描かれていたそうです」
「魔法陣…?」
魔法陣というのは、あの、魔法を発動するときによく漫画とかで出てくる紋様が入った円い幾何学的な図形のエフェクトだろうか。しかも地面上なら悪魔を召喚するような感じの。
魔法陣の真ん中に倒れた私。想像すると、本当に悪魔召喚にしか思えない。ヤバめな危険人物じゃん。だから隔離されてたのかなぁ……
初耳なことばかりで混乱してきた。
「私はその魔法陣を王立図書館で調べていたのですが、あれは古代魔法の魔法陣のようでした。全く同じ魔法陣が資料にあったわけではありませんが、その魔法陣には古代文字や紋様が入っていたのは確認しましたからね。ただ……解読までは難しそうです」
エーリヒは口元に手を当てて思案する。
王立図書館……古代魔法……古代文字…?
惹かれます。その調べ物にご一緒したい。
「紋様を断片的に読み取ったところ、“雷”や“神”、“罰”や“審判”といったものを意味するようでした」
「古代魔法……というのは、ジークヴァルト様にもお聞きしました。今は失われた、威力が神がかった魔法だって」
「そうです。それこそ神代のことですよ。言い伝えによると、神や神獣、精霊が行使する魔法です」
神代……神……
「エーリヒ様、この世界に神様は本当にいるのですか?」
「…………」
エーリヒは軽く目を見開いた。
はわ?…この反応は…?…食い気味に質問しすぎてしまったか。
しばらく馬車が街道を走行する音が、やけにはっきり聞こえた。
あ……というか、エーリヒ様と呼んでしまった。マリエルやフォルカーでさえグリューネヴァルト卿と呼んでいるのに。
どうしよう、興奮しすぎた……ファーストネームで呼んでいいとは言われていない。これは貴族的にはNGだろう。
「あ、あの、ごめんなさい。勝手にお名前を呼んでしまいました」
あわわ。どうしよう。
「ふっ…。構いません。そう呼んでいただいて結構ですよ。私には爵位もありませんし。…騎士号は持ちますが。仕える主君がいますので。同じ主に仕える者達は皆、私を名前で呼んでいます。…少し驚きはしましたが」
可笑しそうに拳で口元を押さえて笑っている。
「は、はい…」
「ふふ…。警戒心が解けたのでしたら聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「え?……はい」
警戒心…。確かに。
「あなたが呪文のような言葉を発したという、あれです。昨日は話していただけなかったようですので」
「…ああ…」
それで知りたかったのか。
エーリヒはにこやかにこちらを見つめている。
「…でもあれは別に魔法の呪文なんかじゃ…」
「何が関係するのか、全くわかりませんからね。参考までに、ですよ。古代魔法の研究に役立つかもしれません。純粋な興味です」
と、言われても……困ったな。
「…………」
「話せない何か理由があるのですか?」
「本当にあれは神様へのお願いだったんです。悪い事をしたら天罰が下るようにと。神様はいつも私達を見ているんだと……私は思っていると言うか……そう、思いたい」
「…ええ……そうですね」
「あの……別に駄々をこねて話したくないのではありません」
「では、他に理由が?」
穏やかな亜麻色の瞳だ。悪気はないのだとわかる。それでも……相手は、この王国の特権階級、貴族だ。
「だって……余計な事を言ってしまったら、あなた方にとって、私なんて取るに足らない存在ですから」
私の命なんてすぐに刈り取れる。それが貴族で、身分社会というものだ。
「なるほど。身の安全ですね。当然でしょう。……では、それは私が保証します」
「保証……ですか…?」
「ええ。信用できませんか?」
エーリヒは笑顔で見守っているようだ。先を促されているのを感じる。
昨日は質問には答えろと強要された。でも今は……この人は本当に興味深いと思って聞いているのだろうということが、ここまで話してきてわかる。
できれば……悪気のない、その子供のような好奇心を、満たしてあげたいな。
「私は……あの人達が許せなかった。あのまま生かしておいたら、きっとまたどこかで子供達をさらって、汚い大人達に売りつける。何の覚悟もなく人を傷つけ、殺す。害悪以外の何者でもない。……だから、生かしておいてはならない。そう自分を奮い立たせる必要があったのです。…罪を犯す覚悟を持つために…」
「罪を犯す覚悟、ですか?」
「人殺しは、罪でしょう?」
「左様ですね」
「お嬢様…」
隣からマリエルの心配そうな声が聞こえた。私はそちらをちらりと見た。その目には純粋な心配だけで、軽蔑や嫌悪は見えない。それに少しほっとした。
いや、嫌悪されても仕方がないことを私はしたのだ。まだ覚悟が甘い。
「でも罪悪感があっては鈍るのです。成し遂げられないのです。…それでは誰も守れない」
「……そのとおりですね」
エーリヒの亜麻色の瞳には、嘲笑も軽蔑も、そういった一切の悪感情は見られなかった。
私の身近にいた大人達とは、違う。
先ほどまでの仮面のようににこやかな笑顔でもなく、ただ静かに風のない湖面のような、含みのない凪いでいる穏やかな笑み。ただ見守るかのような柔らかな表情だった。
私は目を閉じて一つ大きく息を吸った。静かに息を吐きながら、ゆっくりとまた目を開ける。
「あの男が生きることで、罪のない子供達がこの先も苦しみ、死ぬのなら……あんなやつらは死ねばいい」
冷たい声で言ってやると、隣からごくっと息を飲む気配がした。
「《天網恢恢疎にして漏らさず》」
エーリヒは常に湛えていた微笑を消した。マリエルは驚きに目を見開いている。
「それは……?どういう意味ですか?……どこの言葉――」
「天の網はあまねく世界に張り巡らされていて、その網の目は粗いように見えても決して悪人を漏らすことはない……という意味です」
「天の網……天罰……神の審判か」
話を聞きながらエーリヒは呟く。
「天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある。誰がその罪を見ていなくとも、自分と神は知っている。ならばこの世は“自業自得”であるべきだ」
「…………」
だが突然、少し呆けたようだったエーリヒの表情が真剣なものに変わった。彼を包む雰囲気がガラリと変わる。
え?何?
一瞬で、話してしまったことを後悔した。冷や水を浴びせられたかのように。やはり貴族など信用するのではなかった、と。
エーリヒがふいに左耳に手を触れた。
「数は?」
エーリヒ先生、楽しそう。
きっとヴェローニカの前世の知識を話してあげれば喜びそうです。




