20.君の名前(2)
「そなたはあの夜……人を殺したな」
「え…」
ジークヴァルトの言葉に、隣に座っていたリュディガーが驚きの声を漏らす。それまでジークヴァルトを見ていたリュディガーが、こちらをゆっくりと見た気配がした。春の芽吹きのような優しい萌黄色の瞳が驚愕に見開かれている。
「はい」
私はジークヴァルトをしっかりと見つめ返して、返事をした。
覚悟なら、あの夜にしたのだから。
「ふ……全く臆さぬとは。本当に恐れ入る」
ジークヴァルトはわずかに顔を歪めて笑った。
「状況はフォルカーから聞いた。そなたを責めようとは思ってはおらん。そなたが殺さずとも、どうせ配下が殺していた。もしくは捉えたのちに罪を明らかにし、処しただろう。どちらにせよ、そやつは死を免れなかった」
ジークヴァルトはテーブルに肘をつき、白い手袋をはめた指を組んだ。一つひとつの所作が美しくて見惚れてしまう。殺しの話をしているとは思えない。
「はい…」
責められるのかと思ったが、そうではないらしい。じゃあ、一体何なのだろう。
「そなたは大人に不信感があるようだとフォルカーから聞いた。そうなのか?」
「…はい。一概に全てとは言いませんが、その通りです」
「ふむ……何か理由でもあるのか」
この質問には前世が関わる。だから詳しくは言えないが…
「育った環境のせい……とでも言いましょうか」
「なるほどな。…では、我らに対しては敵意は持っていないと思っても、良いかな」
「…ええ。もちろんです……今のところは」
「え…」
またリュディガーの驚きの声が小さく聞こえた。
「ははっ、今のところは、か」
ジークヴァルトは声をあげて笑う。それに対して控えた側近達がわずかに動揺しているようだ。不愉快な表情をした者もちらほらいる。
ふふっとジークヴァルトはおかしそうに拳で口を押さえた。
「ところでヴェローニカ」
「はい」
「刺したときに何か言っていたと聞いたのだが、何を言ったのだ?…覚えているか?」
「刺したときに…?」
何を言ったか…?
口元を押さえて思い出してみる。
あのときは子供の力で短剣がちゃんと刺さって良かったと思って……良く切れるって言ったな。あとは……未来永劫苦しみ抜け、と言った覚えがある。
だって許せなかったんだもの。
ヤバいな、私。いくら苛立っていたからといって、バーサーカーだわ。そして中二発言だった。そうか、フォルカーがあれを全部聞いていたのか……
私はハインツの後ろに立つフォルカーを恨みがましい思いで見つめた。するとフォルカーがその視線に気づいて、あからさまに苦い顔をした。
「そのような目で見てやるな」
ジークヴァルトの声にはっとする。
「フォルカーは私の問いには答えねばならない立場だ。……君もな」
「…………」
ああ……うん。そういう感じね。
身分制度的にはそうなのだろう。この世界では。
「だが、君を擁護もしていたのだぞ。君の行為は正当防衛で、君はそれまで身を挺して子供達を守っていたのだと」
ふうん。そうなんだ。
フォルカーは気まずそうな顔をしている。
「それで?…何を言ったか思い出したか?」
「何故、そんなことを知りたいのですか?フォルカーさんから聞いたのではないのですか?」
私の黒歴史発言を自らバラせとは。あんまりです。私に被虐性向はないのである。
「フォルカーが聞き取れなかったようだ。まるで呪文のようだったと」
呪文…。ああ……あれか。あれは日本語で言ったから。まさか聞かれているとは。
「どうした」
「……いえ」
もし言ったらどうなるのだろう。なんだかヤバい実験対象とかにはならないだろうか。
「何故言わない。その様子だと思い出したのだろう?」
「いえ。忘れました。頭に血が上っていましたし」
「何?」
ジークヴァルトの声に尖りが混じった。
「ヴェローニカ、閣下の質問には素直に答えよ」
ハインツが低い声を出した。
これは威嚇ととれるだろう。先ほどまでの和やかな雰囲気はもう消え失せて、この人達が、これが貴族なのだと思った。
ああ、はいはい。
貴族様には従えと。私の意思など考慮しないやつですね。そういう方向性ならば教えてあげないことにします。決定です。
「……ただ、私の希望をいろいろと言ったまでです。神様へのお願いですよ。たくさん言ったので具体的に何を指すのかはわかりませんが、早口で言ったのでそれが呪文のように聞こえたのではないのでしょうか」
私はわざとにっこり笑顔の仮面をする。子供だから大人げなくてもいいのだ。
「神への願い…?」
ジークヴァルトが眉をわずかにしかめた。わざとらしい笑顔が癇に障ったようだ。
「具体的には何と言ったのだ?」
ハインツがまたジークヴァルトの言葉に付け加えてきた。
「…天はいつも我々を見ていると言ったのです。…ゆえに罪人は逃れることなどできない、地獄に堕ちろ、と」
微笑みながら言ってやった。そう思っていたのは間違いない。そしてあの言葉の意味もそんなような意味だ。
ジークヴァルトがフォルカーを見た。フォルカーは難しい顔をしている。
「どうなのだ、フォルカー」
「…いえ、私には、よく聞き取れなかったので……よくわかりません。申し訳ありません」
「…………」
ジークヴァルトは少し不愉快そうだ。私が誤魔化しているのがわかるのだろう。
私の気持ちも一気にすんとしてしまった。
強制されることは嫌いだ。リスクヘッジをして何が悪い。まだ何の信用も生まれてはいないというのに。
…名前はつけてもらったか。
だが聞き取れなかったからという理由ならば、ただの興味本位でしかない。それに対してこちらは日本語を話したら、前世の記憶があることまで話さなければいけない。それではこちらが不利となる。
身分制度のあるこの世界で珍種として貴族に捕まったら、この身はどうなるかわからない。何の保証もないのに、口を割るわけがないだろ。
しばらく茶会の席には沈黙が落ちた。
こんなとき、何かが通ったって向こうでは言ったりしたような。ここは美しい庭園だから、花の妖精とかだったらいいな。
よく沈黙が怖いと聞くけれど、私は別に怖いとは思わない。沈黙は沈黙として楽しめばいいではないか。何故ずっと間を埋めなければと思うのだろう。
ここの貴族達が沈黙が苦手だとする過半数派ならばちょうど良い。気まずい思いでもすればよいのだ。
向かいに座っているハインツやフォルカーの表情がぎこちないのが見て取れる。恐らくジークヴァルトの機嫌を窺っているのだろう。そしてハインツが少し強い視線で私を見てくる。
……知るか……
私は大人達から視線を逸らして庭の花を眺めた。蝶々が飛んでいる。さっきからずっと鳥のさえずりも聞こえていた。
目を閉じると、風が流れ、草木がそよぐ優しい音がする。
せっかくこんなに素敵な庭園にいるのに。
力を持った者はいつも弱者を従わせようとする。それに対していつの時も逆らう大人げない私も私だが。
「ニカ。君といたシルバーフォックスは魔法は使わなかったのかい?」
しばらく目を閉じて風を感じていると、リュディガーの優しい声が聞こえて、目を開けて彼を見た。
優しい萌黄色の瞳が私を見つめている。
そうきたか。
「…………」
確かに彼には人の毒気を抜く才能がある。
彼らはまるで北風と太陽だな。
まあいい。
白夜が魔法を使う。と聞いて、白夜と初めて会った日に前世の記憶が蘇ったことを思い出した。
でもあれは、皆の言う魔法とは別物だろう。
「…いえ。狩りをするときは普通に牙で仕留めていたと思います。……でもほとんど知らない内に獲物を持ってきてくれていたので」
そう言えば私にくれる獲物はいつも傷があまりなかったな。どうやって仕留めてきていたのだろう。牙以外で仕留めていたかなんて、考えたこともなかった。
「表立っては魔法を見たことはなかったんだね」
「はい」
リュディガーに頷いてみせた。
「あ、でも…」
「なんだい?」
リュディガーの新緑色の瞳が優しく細められる。その春の木漏れ陽のような柔らかく綺麗な瞳に一瞬見惚れてしまったくらいだった。
これは、癒やされるな……
「…………」
「ヴェローニカ。話を続けよ」
ジークヴァルトの声が聞こえて我に返った。
「あ、はい。えっと……」
なんだっけ。
まんまと毒気を抜かれ過ぎである。
「白夜といる時は不思議なほど、周りの獲物に気づかれないんです。私がいるから多少音や気配がバレやすいはずなんですが。……何度か村人が私達の近くまで来て見つかりそうになったことがあったんですが、全然こちらに気づかなくて。あの時は運が良かったとほっとしたんですが、今考えるとやっぱり不自然だったかなと」
「それは、幻術、精神系の幻惑魔法かもしれないね」
「そのようだな」
「ほう。魔獣が幻術を使うのか。精神系に強いとすると戦うのには厄介だな」
厄介だと言いながらハインツが腕を組みつつ面白そうに笑う。
というか、戦う気なの?白夜と?
思わずハインツを見て目を見張ると、
「いやいや……そなたの白夜と戦うと言っているのではないぞ」
…本当に?やはり気を許してはいけないな。
なんとなくハインツは戦闘狂に見える。
「幻術が使えるとなると、ますます心配は少ないのではないか、ヴェローニカ」
「そうですね」
ジークヴァルトの言うとおりだ。
幻術というのは精神系統の魔法だと説明していた。名称からして隠密行動を取りやすいということだろう。
「人間達にはそう簡単には見つからないだろう。自らの意思で現れない限りな」
また意味深なことを言うものだ。
でも、さっき私が言ったことも本当だ。白夜が辺り構わず暴れ回るようなことをするなんて想像がつかない。それ程に本当に賢くて優しい子なのだ。
今もふわふわな白い尾を嬉しそうに振って私を見つめる白夜が脳裏に浮かぶ。
元気かな、白夜……
「…私にとっては白夜は神様のようなものなのです…」
「神…?」
「人は苦しい時に神様に縋るでしょう?私を助けてくれたのはこの世で白夜だけ。白夜が暴れるのなら、それは神の怒りに触れたのです」
「…………」
皆がなんとも言えない顔で見合わせている。
またしても中二発言だったか。
でもさっきから白夜が魔獣だとか言って勝手に危険視しているから。このまま討伐対象として認識されるのは嫌なのだ。
ふわっと頭を撫でられて顔を上げた。
「ニカが白夜を大事に思っているのはよくわかったよ。だからそんな顔しないで」
リュディガーが微笑んだ。
なんとなく目元が熱くなる。
でも本当に以前の世界では白狐は神の使いだったのだから、何も間違ってはいないのだ。
「神、か。家族ではなく」
ジークヴァルトが呟いた。
「…家族は、私にはよくわかりませんから」
家族、とか、絆、とか。私は昔から苦手な言葉で、あまり使いたくない。考えたくもない。
「あ、クライスラー卿」
「む?」
「遅れましたが、私達を保護してくださってありがとうございました」
私は子爵に頭を下げた。
「この世で私を助けてくれたのは白夜だけですが、子爵は私と子供達皆をここに匿ってくれました。お礼を申し上げます」
本当は立って頭を下げるべきところだが、いかんせん一度椅子から立つとまたよじ登らなければならないからな。
「いや。ここは確かに私の屋敷だが、そなた達をここに迎えたのは閣下の指示だ。謝意は閣下に示すとよい」
やっぱりそうなんだ。
「ありがとうございます、リーデルシュタイン伯爵閣下」
しばらく沈黙の中、頭を下げてから姿勢を正すと、皆が私を見ていた。少しきょとんとしているようにも見える。
もしかしてお辞儀じゃ謝意が伝わらないのかも。カーテシーとかかな。
「…ジークヴァルトだ」
「…え?」
「ジークヴァルトでよい。許す」
え…でも…
私はハインツとリュディガーを恐る恐る見た。
二人は少し苦笑気味に見える。
「閣下がそれでよいのでしたら」
「私のことはリュディガーでいいよ、ニカ」
フレンドリー過ぎない?皆様。
ああそうか。もしかしてこれが幼女……少女効果かな。素敵な状態異常ですね。
子供には優しくというのは私は共感するけれど、側近達は大丈夫だろうか。なんとなく御三方の後ろに控えている側近達を見回した。少し驚きが見えるが敵意はないようで何よりだ。
だがふと刺すような視線を感じてそちらを見ると、見覚えのある黒髪の男性と目が合った。
先程ここから離れたジークヴァルトの側近が戻ってきていたようだ。ジークヴァルトの少し後ろに控えている。
黒髪眼鏡の執事タイプだ。しかもやはり美形だ。貴族は皆美形が多い。それにとても仕事ができそうだ。補佐官だろうか。これは萌える。
「ん?ヴィクター、戻ったのか。代わりで良いと言ったぞ」
「は。指示は出しましたので問題ありません」
「そうか。いつ出発できる?」
「明朝には」
「ふむ。配下の他にも護衛として誰か付けようと思うが……私もハインツもリュディガーも行けないからな」
「やはりダメですか…」
ハインツは悔しそうだ。
ヴィクターが少し目を見張ったようだ。さもあろう。伯爵の身分を持つ自分の主が庶民の里帰りについて行くなどと。お戯れもいいところだ。
「エーリヒをつけるか。調べ物も終わった事だろうしな」
「エーリヒ卿なら実力も魔獣の知識もおありでしょうし、冷静な判断もできるでしょう。申し分ありませんね」
ハインツが頷きながら納得の声をあげた。その実力を認めている人のようだ。
「しかし、エーリヒ卿はジークヴァルト様の筆頭護衛騎士ですが……」
ヴィクターが動揺の声をあげたが……
「他にも優秀な護衛騎士はいる。なあ、ギルベルト」
「は」
後ろに控えていた朱色の髪の護衛騎士に声をかけたジークヴァルトにすげなく制されてしまった。
ヴィクターは私をチラリと見る。
その黒曜の瞳になんとなく敵意を感じる。
そうだよね。面白くないよね。
でも私が口を挟んでも意見は変わらないだろうし、僭越と思われるのが関の山だ。余計なことは言わないでおこう。
私は目の前にあったお菓子に手を伸ばした。
ギルベルト。ちらっとしか出てきませんでした。
朱色の髪なのでハインツと同じく火魔術師ですね。
それより何より、リュディガー様が癒やしです。




