2.不遜な少女(1)
「おい、てめーら!静かにしやがれ!」
膝を抱えて物思いに耽っていると、突然ドカンッと馬車の側面から強い衝撃を受けてガタンと馬車が揺れた。
キャアア!!
子供達が恐怖の叫び声をあげる。大人の威圧的な怒鳴り声、子供達の叫び声、馬車の中は一気に恐怖が伝播して、音割れしたマイクが鳴るように狭い馬車を子供達の悲鳴が満たした。
アイツだな。と思った。
この馬車に乗ってから、道中何度も子供達を無闇に威嚇していた、大柄で粗暴な風体の男がいた。そうすることでしか自分の威勢と優位性を保てない矮小な部類の人間だ。
どこにでもいるんだな、そういう輩は。本当にうんざりする。
そうこうしている内に馬車の前の方が騒がしくなり、ヒヒンと馬の嘶きとともに馬車が徐行して停まった。
悪い予感がする。
子供達もそれを覚ってか、暗闇の中さらに泣き叫び始めた。
馬車の外側を回り込むように地面を踏みしめて歩く音がして、前から後ろの方へと見えない足音が移動するのを皆が自然と恐怖の目で追う。
ガチャガチャ……ガチャン
馬車の外側の錠が外され、扉が軋みながら外開きに開いた。
開いた扉の隙間から松明の灯りが射し込み、その前に大柄で真っ黒な人影が現れた。その顔は逆光でよく見えない。
「おらぁ!いつまでも騒いでんじゃねぇ!」
キャアァァ!!
扉の近くにいた子達は慌てて後ずさろうとするが、両手首は身体の前で縛られていてうまく身動きが取れないでいた。
怒鳴った男は扉近くで恐怖に座り込んでいた一人の男の子を掴んで引き摺り、その太い腕を男の子の首に当てる動作をする。
男の無骨な手には、松明の火の光で刃を鈍く光らせた短剣が握られていた。
「うわぁぁ!」
捕まった男の子が悲鳴をあげ、他の子達は泣き叫びながらも馬車の奥の方へ走ったり這いずったりして逃げてくる。
一気に私の周りは子供達でぎゅうぎゅうになり、馬車はわずかに傾いた。
「そろそろ関所を通るんだ。静かにできないなら見せしめに一人や二人くらい殺したっていいんだぞ」
低く唸るようなその脅しの言葉に皆叫びたいのを必死に我慢して、口を押さえて声にならない叫び声をあげている。
だが、小さい子達はそうはいかない。
すぐ目の前の恐怖に声の限りに泣き叫んでいた。
近くにいる子は縛られた両手で、泣き叫ぶその子の口を懸命に塞ごうとしているようだが、うまくいかない。
「やかましいって言ってんだろがっ!おい、そこのお前!その泣いてる奴を連れて来い!」
「ひっ」
「早くしろ!コイツを殺すぞ」
「うわぁぁん!」
火のついたように子供達は泣き喚く。
こんなのは悪手のはずだ。更に恐怖と混乱に陥るだけなのに。それに奴隷は商品だ。そんなに簡単に殺せるはずがない。それともこいつにはその権限があるというの?それだけこの奴隷商の中枢にいる人間なの?
それはもっとまずい。こんな短慮な人間が私達の生殺与奪の権利を握っているなんて。
恐怖に引きつった顔の男の子が命じられるままに泣き喚く小さい子を連れて行こうとする。
いやぁ!!と小さな子は必死で抵抗するが、体重が軽いために引き摺られようとしていた。
これは脅しじゃない。短慮だからでもあるだろうけれど、こいつはおそらく暴力を振るうことを、殺しを、愉しんでいる。そういう手合だ。
「待って!」
思わず声をあげていた。ここにいる全員の視線が集まる。
ドクンドクンと鼓動が高鳴る。
恐怖だろうか?それとも苛立ち?よくわからないがこの身体が興奮しているのはわかる。
落ち着け。冷静になれ。私は、大人なんだから。焦ってパニックになることにいいことなど何一つない。
自分の逸る鼓動と緊張を自制心で手懐けようとする。
「誰だ?出てこい」
ああ…もう。なんで出しゃばっちゃったかな。
でも仕方がない。ここは中身が大人な私がやるしかないじゃないか。腹を括れ。
私の周りの子供達が道を開けるように両脇に後ずさる。その様子を、モーセかよ。なんてどこか冷静につっこみを入れつつ、ゆっくりと前に進み出た。
縛られた両手で被っていたフードを外しながら入口の方へ向かうと、頬に久方ぶりの外気の気配と香りを感じる。こもっていた馬車内の汚物の匂いから、松明の燃える匂い、そして春先の風の香りへと変化する。
近づくにつれて松明の灯りで男の顔立ち、表情が見えてきた。
こいつか。外道らしい面構えだな。
深呼吸をひとつした。
まずはこの緊張を制する。
「ん?お前……金髪?…いや銀か?」
男は短剣を持った手を掴んでいた男の子の首から離し、その短剣でこちらへクイクイと手招きをした。
おいおい外道、その前にさ。
「その子を、離してあげてください」
この場に場違いなほどに柔らかににこやかに。この腹の底に燻る感情を声に乗せないように心掛けた。
「あ?…いいから来いって言ってんだろうが」
男は凄んできた。
だがさらににこりと綺麗に微笑んで返してあげた。
こっちはおっさんのそんな態度には慣れてんだよ。舐めんな。
「その子を先に離してあげてください。怖がってるから。…お願いします」
可愛いらしさを意識して微笑んで、縛られた手を胸の前で組み、首をついと傾げて見せた。
チッと男は舌打ちしながらも捕まえていた男の子を放り出すように放した。
押し飛ばされた男の子は前につんのめって倒れ、ううっと呻いていたが、特に怪我はないように見えた。
とりあえずほっとしたが、どうやら恐怖で動けないようだったので、縛られた両手を差し伸べて立たせてあげた。
「大丈夫?」
「…う、うん…」
その子を後ろへ行かせた後、大柄な男に向き合って少し近づいた。
そして、ここぞとばかりにまた綺麗に微笑んでみせた。
「ありがとう」
「?」
場の空気を読まぬお礼と笑顔に虚を衝かれたらしい男は目を見張り、きょとんとした顔を見せたが、しばらくして気を取り直したように、
「お前は高く売れそうだな」
とニヤリとした。
お前の笑顔は品がないな。
そんな感情が顔に出る前に、誰かが男の後ろから近づく気配がした。
「おい。そろそろ関所が通れなくなるぞ。急いだ方がいい」
「あ?…チッ、そうだな。急ぐか。おい、お前ら!もう騒ぐんじゃねーぞ。わかったな」
後ろから近づいてきた誰かに声をかけられた男は、馬車内に最後に脅しをかけ、扉を閉めさせた。
再び暗くなった馬車内で、子供達は息を殺すように安堵のため息をつく。
まだ声を殺しながらもしゃくりあげて涙を溢す小さな子達の頭を、縛り上げられた手で撫でてあげた。
とりあえず誰も傷つかなかったし、私の価値を認識させることはできただろう。今後また何かあっても多少は融通が利くかもしれない。
何も起こらなくて良かった……
けれど、このまま王都に着いたらもう逃げられないかもしれない。
これは王都に向かう奴隷商の馬車。商会に着いたら私達は監禁されるのだろう。そうなったらあとは売られるだけだ。その前に、なんとかしなければならない。何か、逃げる方法はないだろうか。
《3.不運な傭兵 へ続く》
とりあえず子供達は守れましたが、これからどうすれば良いのか。不安な主人公。
次回は「不運な傭兵」。
先ほど声をかけてくれた傭兵フォルカー目線のお話です。