194.王の覚醒(2)
《エーリヒ・グリューネヴァルト》
昏睡の最中、何度か夢をみた。
恐らく彼女だったのだと思う。
今までにも幾度か感じた甘い花のような微睡みたくなる香り。思いやりが伝わる優しい触れ方。透き通るような心地良い歌声。
だがそれもしばらくはなくなり、再び体が重くなって、凍えるほどの寒気と芯が抉られるような苦痛が襲う。
ようやく体の軋みが軽くなってきた頃、久方ぶりに彼女の気配を感じた。以前よりも濃い香りと陽だまりのような存在感。疼くようだった全身の痛みも、何故かふわりと和らいでいく。
『エーリヒ様…』
案じる声が艷やかに大人びて聴こえた。すると、暗闇の中に、光と色が広がった。
視えたのは、月光を思わせる銀の髪と吸い込まれるように清らかな青銀の瞳。
『良かった…』
安堵の吐息を漏らして微笑む美しい女性がそこにいた。それは幼い子供などではなく、目を奪われるほど美しく成長したヴェローニカだった。
彼女がこれほど成長するほど、私は眠っていたのか…?それとも、まだ夢をみているのか?
倫理に反している。
そう強く思ったからなのだろうか。そんな彼女が視えたのは。
あの馬車の旅の間、ヴェローニカは些細な疑問を抱いては楽しそうに質問し、それにエーリヒが解説をしてやると、彼女は瞳を輝かせて聞いていた。
答えても答えてもまた質問が返ってくるし、聞いているだけではなく、時として自分の考察も話したりする。その内容が意外に新たな視点でもあり興味深く、出会ったばかりのみなしごの彼女を、エーリヒはとても賢い少女だと感心した。
――エーリヒ様、この世界に神様は本当にいるのですか?
話に夢中になった彼女に、突然名前を呼ばれた。
いつも了承も得ずに無遠慮に人の名前を呼ぶ女達には不快感しかなかったが、それがなかった。当然、子供だからだろうと思った。
――人殺しは、罪でしょう?
それまでの好奇心に満ちた様子とは一変し、そう語る彼女の青銀の瞳は年に似合わず揺るぎなく、冷え冷えとした光を帯びていた。
――でも罪悪感があっては鈍るのです。成し遂げられないのです。…それでは誰も守れない。
あどけない姿と声なのに、並々ならぬ覚悟を感じた。
――あの男が生きることで、罪のない子供達がこの先も苦しみ、死ぬのなら……あんなやつらは死ねばいい。
彼女はさらに声を低くする。
正直、その雰囲気に呑まれた。心を鷲掴みにされたのだ。こんな、年端もいかない可憐な少女の言動に。
目が離せなかった。胸が高鳴った。
きっとあの時から、君に初めて会ったあの日から。君は私の中で、特別な存在になっていた。
そんな彼女は、たまに意味のわからないことを呟く。
――ああ、でもレーザーメスとはもともとあまり血が出ませんでしたね…
――レーザー銃のようにも使えそう…
――こうやって切っ先を離れた敵に照準を合わせて……光をピュンて放つんです。
突拍子もない発想をひらめいて、君は朗らかに笑う。とても楽しそうに。それが意外に的を射ている。
――私は知りたいのです。もうエーリヒ様のような人には出会えないかもしれませんから。
あの時、君は澄んだ瞳で真っ直ぐに私を見つめた。
吸い込まれそうな、不思議な色の瞳。ジークヴァルトの見慣れた蒼穹の瞳とは似ているようでいて、どこか違う。
それは凪いだ湖面の水鏡。彼女の瞳を通して、自分の深層と向き合っているような。
凛としていて静やかなその瞳を、今も覚えている。
そんな大人びた君は時折、とびきりの笑顔で無邪気に殺し文句を言う。
――一期一会と、言うのだそうですよ?
――“一生に一度限りの出会い”という意味です。
その笑顔を、守りたい…
いつの間にか、そう心に刻まれていたに違いない。自分も知らないうちに。
村の長に怒鳴られながら乱暴に腕を捕まれて、彼女が怯えた表情を見せた時、らしくなく自分でも持て余すほどの殺意を抱いた。
だが彼女は怯えながらも、奴に立ち向かっていった。
口元を上品に袖で押さえつつ、哀れむように村長を見つめる。
完全に煽っている。
小さくか弱いばかりと思っていたが、意外な狡猾さを見せられて、胸が騒いだ。
しかしその後の発言を聞いて、彼女が村長に歯向かったのは、幼女を買った変態貴族だと私を嘲弄していた村人達に腹を立てたからだったのだと思った。
――何が育てた恩だ。“寝言は寝て言え”っての。
そう彼女は小さく呟いた。
愛らしい少女らしからぬ捨て台詞に、思わず吹き出してしまった。彼女は聞こえてはいないと思ったのだろうが。
一体どこからそのようなユニークな表現を思いつくのか。その時は知らなかったが、それはまた彼女の世界では常識的な言葉なのだろうか。
最高に愉快だと思った。
だが抱き上げた彼女は少し震えていた。
今まで虐待を受けていた大人に反抗するという、彼女が振り絞った勇気に改めて気づいて、胸が苦しくなった。
あの夜、彼女が生まれ変わった存在だと知った。
小さな肩を震わせて泣いているのを前にして、思わず抱きしめてしまったのは、庇護欲なのだと思っていた。だが同時に、彼女は決して見た目のような子供ではないのだと知った。
彼女の涙を止める術を持たずに歯痒くなって、養女の話をしたのは、彼女を傍に置きたくなったから。
泣いている彼女を無性に守りたくなった。
「家族が怖い」と言う彼女を、どうしてもこの手で守りたかった。もう誰にも傷つけさせない、泣かせたりしない。できるのなら、自分が家族になって、彼女を安心させてあげたいと。
それなのに、白夜に見せる無垢な笑顔に苛立ちを覚えた。泰然としていた彼女が手放しで甘えるのを初めて見て、動揺し、嫉妬したのだ。
あれを自分にも、いや、自分だけに向けて欲しいと、あの時確かに望んだはずなのに。それに気づくのは遅かった。
違う、本当は気づいていた。
ただ、認められなかったのだ。
全ては彼女が幼い見た目だったから。
自分は彼女を保護すべき大人の立場だったから。
彼女を守るために。
彼女が安心できる居場所を作るために。
そう自分に言い聞かせて、ずっと王位簒奪のための準備に明け暮れた。
本当は毎日会いたかった。
彼女が微笑んで、楽しそうに話す姿をただ眺めていたかった。旅をしたあの日々のように。
…違う。それだけじゃない。
嬉しくても、悲しくても、他人の痛みでさえも、自分のことのように心を痛める涙もろい君が流す涙を、いつでも拭える距離にいたい。
自分の知らないところで、もう泣いて欲しくない。
君を慰めるのは、他の誰でもなく、自分でありたい。
君の隣にいたい。
君の、特別になりたい。
でもそれはできない。
倫理に反することだ。
私は彼女に惹かれている。
そう公言するには、今はまだ早過ぎて、素直になんてなれなかった。
なれる訳がない。
だから会えなかった。この見知らぬ感情が、もっと大きくなるのが怖かったのだ。
だが…
――ふふ。エーリヒ。お前もそんなに感情的になれるんだね。少し感動したよ。
――万全か。…なるほど。それで最近忙しくしているんだね。だがそれを相手は待っていてくれるだろうか。
――お前は言い寄る女の対処法しか知らない。自分で追い掛けたことがないからだよ。
機を見るに敏なヴィンフリートは昔から優しげに微笑みつつ、何かと的確に痛い所をついてくる。
恐らくヴィンフリートは、全てに気づいていたのだ。
それはヴィンフリートだけではないのだろう。エーリヒの大兄、ハルトヴィヒも。
歳の離れた兄二人は昔からエーリヒに優しかった。だがエーリヒにはその優しさが歯痒かった。後ろめたさがあった。
自分は兄達とは、違う。不義の子なのだと。
父と母の、苦しみの元なのだと。
彼らの優しさのお陰で、エーリヒは“家族が怖い”とは思ったことはない。だが、どこかで、自分だけは本当の家族ではないのだと、思っていた。
だからこの隠蔽魔法のように自分の心を覆い、秘密を隠して仮面を着けた。
そうしている内にそれは熟達して、いつしかそれが自分になった。
貴族社会は格式高く、気品を求める割に煩雑で、常に雑音は絶えない。
身分の高さや能力があることに対する嫉妬。なのに金髪ではないことに対する侮蔑。打算的な恋情。色欲的な視線。そしてまたそれを妬んだ視線に、当てつけられる劣等感。
だがそんな雑音には耳を塞げばそれでいい。目を閉じ、耳を塞ぎ、そして差し障りのないように穏やかに微笑み、心を閉じる。
それでもたまに寄せられる不躾な言動は、威圧を込めた笑みで黙らせれば、根が脆弱な奴らは目を逸らす。
そうやってずっと感情と痛覚を鈍らせて、退屈で平坦な毎日を、代わり映えのない凪いだ世界の中で生きてきた。
そんな私の前に、彼女はある日突然現れた。
衝撃的だった。
妖精のような愛らしい姿で天使のように微笑みながら、混じり気のない己の信念を刃のように突き立てる。
そして真っ直ぐな曇りなき青銀の瞳は、稀有な程に偽りない率直な言葉とともに、心の底までを見透かすように見つめ、抉ってくる。
それは麻痺していた私の心に何かを投じ、それまで静かで穏やかだったはずの世界は波立ち、その波紋がどこまでも広がっていく。
自分を乱される苛立ちと、それを壊されることへの愉悦とが混じり合って困惑する。
自分でも理解できない。ただ覆っていた仮面が、次第に綻んでいくのを感じる。
それなのに。覚られないよう、私はまた隠そうとしていた。
それが自分だったから。
こんな風に彼女を失ってから、もう隠し切れないと気づかされるとは。
情けなくも彼女を奪われてから、もっと早く己の望みに向き合うべきだったと後悔するとは。
否、後悔などしている場合ではない。
必ず彼女を取り戻す。
全てはそれからだ。
必ず、ヴェローニカを…
◆◆◆◆◆◆
《コンラート・ネーフェ》
『コンラート。私はヴェローニカを迎えに行く。神殿には先触れを出しておけ』
集まった者達から現在の状況を確認したエーリヒは決断を下す。
「今から、ですか?…先触れとは?」
『ヴェローニカは私の婚約者となる予定だった。それを拉致したのだ。侯爵家としての正式な抗議……いや、警告だ。私自ら婚約者を迎えに行くと伝えろ』
「まさか……正面から、行くのですか?」
ヴェローニカを婚約者という名の被後見人に。という話題は以前から出ていた。好奇の目も覚悟の上でのことだ。ならばただの身分不詳の子供を返せというよりは、もう“婚約者”と銘打った方が良いのはコンラートにもわかる。だからそのことに驚きはないが。問題は…
(今から何の準備もなく向かうおつもりなのか。しかも先触れをして?)
『父上は神殿を訴えたのだろう?であれば私もそれに準じよう。ただし私は待つ気はない。故に先方にはしっかりと伝えておけ。“妨げるもの、立ちはだかるものは全て壊し、殺す。死にたくなければ我が婚約者を速やかに返し、私の邪魔はするな”とな。…警告後も邪魔をするのならば、“死にたい”ということだ。望み通りにしてやろう』
「…エーリヒ様。それでは正式訪問だとしても、神殿は強硬な態度に出るでしょう。また暗殺部隊を出してくるかもしれません。やはり、危険です。…こう言ってはなんですが、ヴェローニカ様に今すぐの危険はありません。もう少し、冷静になってから…」
『であればなおさら、神殿が襲撃の犯人だと明白になるではないか。奴らは未だ認めてはいないのだろう?あらを探す手間も省けるというものだ』
神殿の主力部隊である神殿騎士に、暗部である暗殺部隊。それらを有する神殿勢力を相手にそれでは、宣戦布告をするようなものだ。そんな警告を出したとて、向こうは素直にヴェローニカを返さないだろう。それどころか、守りを固めて待ち構えるに違いない。
要するにエーリヒはこれから、大神殿を相手に戦争をしに行こうというのだ。
神都大神殿の大聖堂前広場は、あの夜のように血の海になるだろう。ひょっとしたら、それ以上に…
コンラートは黄金色の魔力漲るエーリヒを見つめる。
コンラートでもこれなのだ。この目を疑うような神々しい姿が、紫眼のフェリクスにはどのように視えているのか。
それでもコンラートはエーリヒの執事である。エーリヒがどんなに人を超越した力を持とうと、主人を案じる気持ちはなくなりはしない。
神殿が使用した魔導具についてはすでに伝えた。だが他にも何か未知の魔導具や法具もあるかもしれない。
エーリヒを見くびる訳ではないが、相手はこの王国を牛耳る神殿の本拠地、大神殿だ。いくら何でもただで済むとは思えない。しかもつい今しがた、昏睡から目覚めたばかりだというのに。
「エーリヒ様。それについてはお話があるのですが…」
『なんだ』
金色の瞳を向けられると思わず身が竦むのは、魔力によるものなのか。その眼をまともに見つめ返すこともできない。威圧感がこれまでの比ではない。
「はい。補佐官達と相談したのですが、今後の反撃行為を正当化させるため、現在、貴族や王国民達に情報操作を行っているところです。神殿が異常な思考を持つ団体で、洗脳をする手段があり、誰の身にも脅威であることや、ハインミュラーの人体実験についてもその裏には王室がいることを示唆し、すでに庶民達にも噂はだいぶ浸透しています。このまま世論が動けば、神殿だけではなく王室、そして現国王の非難は免れないでしょう」
『情報操作?』
「そうです。そして、…国王の弾劾裁判に持ち込むつもりです」
コンラートは同じ席についている、いつもは王城のエーリヒの執務室にいる補佐官のテオバルトとユリアンに視線を向けた。ヴィンフリートの情報操作に加えて、二人には国王弾劾の根回しを行ってもらっていたのだ。
エーリヒとコンラートの視線を受けたテオバルトは頷き、進言する。
「はい、エーリヒ様。いくらこちらに義があろうと、やはり名分も問われます。このまま神殿に怒りのまま乗り込んで虐殺などしたら、一気に世論はエーリヒ様を悪と見做しますから」
テオバルトは今後の展開について説明を続けた。
この王国において国王を弾劾するには、五大公爵家の過半数の三家を動かす必要がある。まずは筆頭、リーデルシュタイン家の承認。
次に公爵家の一つであるハインミュラー家も国王とともに訴追対象であるため特例となり、代わりとなる侯爵位三家からの弾劾案の承認。グリューネヴァルト、エルメンライヒ、アイクシュテットの侯爵家門だ。
最後に、五つの公爵家のうち、ハインミュラー、ケンプフェルト、フロイデンタールの三家は、現王、王太子と姻戚関係であるため、あとは残りの一家、ゴルトベルク公爵家の承認を得られれば、正式に裁判は可能となる。そうなれば世論を味方に、国王をその座から引きずり降ろすことができる。その際には、神殿と教会、ハインミュラー家門の罪も同時に暴かれ、断罪することができるだろう。
しかも今は建国祭で他国の要人も集まっている。彼らを前に責任追及から逃れる事は不可能だ。
例え内憂を国外に晒すことになろうとも、竜騎軍を呼び寄せ、その健在ぶりを示せば、この機に王国を攻め落とそうなどという気も起きないはず。グリューネヴァルトの精練された竜騎軍は、遠い南の領地からでも半日もあれば王都までたどり着く。その機動力までも、周辺諸国には存分に知らしめてやればいい。
そして現在の直系王族を退け、次期国王にはジークヴァルトが就くのだろうと思っていたのだが…
コンラートはエーリヒを見つめた。
『ふふ……悪か…』
本当に悪のような含み笑いをエーリヒがしたのを見て、その場の面々が固まる。
『私は別に構わない。悪だろうと神だろうと……邪魔なものは全て消すと決めたのだ。それだけのことを奴らはした。報いは受けさせねば。“全ての罪人はすべからく、苦しみ抜いて死ぬべき”…と、彼女も言っていただろう?』
「…………」
エーリヒの覇気に誰も口を挟むことなどできない。
『弾劾裁判など生温い。コンスタンティンもハインミュラーも、そんなに死にたいのなら殺してやればいい。そして私が王となれば良いのだろう?私が王となり、新たな法となれば良いのだ。身分を笠に着た無能どもなどいらぬ。有用ならば地位を与え、見晴らしが悪いなら均せば良い。王国から張りぼての貴族がいなくなろうが、神殿や教会が無くなろうが、私は一向に困らん。彼女を脅かすもの、彼女が罪と定めたものは、私が全て排除する。…それで万事解決だ』
(確かに…その通りではあるが…)
非情な発言に会議室はシンと静まり返った。まるで現実味のない内容だが、この方ならばやりかねないのではないかと、皆が感じたのだ。この王の覇気に晒され続けて。
「エーリヒ」
ギルベルトがいつものような口調でエーリヒを呼んだ。膨大な魔力の圧の中にありながら、まるで普段通りに護衛騎士の同僚であるエーリヒに声をかける。いつも通り、眉をしかめながら。
「「…………」」
だが周囲はそれをひやひやしながら見守っていた。
「いい加減、そろそろ頭を冷やせ。お前が今起きたばかりでいろんな話を聞かされて混乱しているのも、頭にきているのもわかる。だが……お前はそのヴェローニカとやらと、これから生きていく気なのだろ?違うのか?」
『…………』
酷薄な黄金色の瞳をギルベルトに向けながら、エーリヒはそれを黙って聞いている。
「お前がそのように悪となった姿をその子に見せられるのか。その子がそんなお前を受け入れると思うのか。…もう少し冷静になって、自分の部下の話も聞いたらどうだ」
『……そうか』
ぼそりと呟いた。口元を押さえ、ぼんやりとどこか遠くを見ながら。
「……そうだな。これでは、ヴェローニカが心配するか」
するとエーリヒの怒りの魔力が少し収まって、声も普段の声に戻ったようだ。
(おお……ギルベルト卿…!)
呼吸が確実に楽になったからか、皆がギルベルトを尊敬の眼差しで仰ぎ見ている。だがコンラートはそれよりも、エーリヒに冷静さを取り戻させてくれたことに心から感謝した。
(エーリヒ様が冷静になってくれれば、あとは何も心配はない。誰よりも優秀な方なのだから。)
「あ…」
ようやく緩んだ雰囲気の中、コンラートの声に皆が反応した。エーリヒもこちらを見ている。
コンラートは大事なことを忘れていた。恐らくこれが全ての元凶なのだ。それをエーリヒに伝えなければ。
せっかく怒りが収まったところではあったのだが。そして伝えたところで……どうすることもできないのだが。しかし言わない訳にもいくまい。
何故、彼女がああなったのかについて。
(また……お怒りになるだろうか…)
気が重い。
「エーリヒ様、あの、こちらで少しお話が…」
覚悟を決めて、コンラートは左腕のバングル型通信魔術具を示した。だがエーリヒは起きたばかりで魔術具をつけてはいない。
「何の話だ。そこで話せ」
「え……と…」
コンラートは周りを見回す。エーリヒの部下の護衛騎士と侍女は知っているからいいが、外部の者、ギルベルトとフェリクス、カルステンにはあまり聞かれたくはない話だ。だが、エーリヒがいいと言うのなら……いいのだろうか。
「その……実は、今までお話する機会を逸していたのですが。…ヴェローニカ様がエーリヒ様に距離を置かれたことに関して、心当たりがあります…」
「……何?」
険のある声。
「実は…」
「待て、コンラート」
すかさず制止の手があがった。
「は、はい」
「…私は構わないが、ヴェローニカには支障があるのかもしれない。こちらへ来て話せ」
側に寄れとエーリヒが手招きをした。
◆◆◆◆◆◆
《ディーター・ロンメル》
(コンラート。あれ、ついに話すんだ。)
ディーターはドギマギしながら、エーリヒとコンラートが二人で話している様子を見守る。
二人の会話は一切聞こえてはこないので、またエーリヒが盗聴防止の魔法操作でもしているのだろう。
(やばい……俺、絶対怒られる。あんな化け物じみた魔力のエーリヒ様に怒られたら、俺、死んじゃわない?…てか、あれ何?金髪金眼に金色の魔力って、王様じゃんか!え?エーリヒ様、王様になんの?やばくね?…あれ?でもなんでエーリヒ様は金髪金眼なわけ?ヴァイデンライヒとどんな関係があんの?候爵家って、過去に王族が降嫁してたとか?)
隣に座っていたリーンハルトをちらりと見ると、哀れみを感じる目と合う。彼も察しているらしい。ヘリガ達からも何やら視線を感じる。
リーンハルトがディーターの肩を優しく叩いた。
「はは…リーン…」
「まあ……庇ってはやるよ」
「うん…」
その奥に座っていたエリアスを見ると、恋する乙女のような眼差しでエーリヒに熱い視線を送っている。
「…………」
ディーターは呆れながら軽く息を吐いた。
(でも……やっぱりそうなのか。ヴェローニカ様は自分に暗示をかけてまで心を閉ざしたって言うし、その原因はエーリヒ様だって黒猫は言ってたし。)
金色の魔力を漂わせるエーリヒを眺めながら、ディーターは考える。
(つまり、ヴェローニカ様はエーリヒ様が……それにあの様子じゃ、エーリヒ様もヴェローニカ様に相当入れ込んでるな。…暗示かぁ。今まで全然ヴェローニカ様の気持ち、読めなかったもんなぁ。なんかやたらあっさりしてると思ったら。そっかぁ……エーリヒ様が好きなのかぁ…)
商店街で騒動があったあの日、ディーターはヴェローニカを連れて店の奥に隠れた。正確にはヴェローニカを抱き上げて連れていったのはユリウスだが。
――私は……あの家の娘では、ありませんよ、ディーター。
落ち込んでいたヴェローニカは寂しそうにそう言った。その何もかもを諦めたような、それでいて落ち着いた表情が、全く子供らしくなかった。
――おまえも私と同じ、捨て子なのですね…
一向に元いた場所に帰ろうとしない黒猫にそう優しく声をかけて、ぎゅっと抱きしめた彼女が本当に寂しそうで、可哀想で。
「いいじゃないですか、捨て子でも。これからはうちで幸せに暮らせば」
そうディーターはヴェローニカに言っていた。
本心だった。過去は変えられないから。ヴェローニカはこれから、侯爵邸の皆と一緒に幸せになればいいんだ。
「うちの奴らは皆、あなたが大好きですよ。俺、今回怪我してあそこにいて、よくわかりましたから」
そうディーターが慰めようとしても、彼女にはまるで響かなかった。
彼女の固く閉ざした心を優しく溶かして、その扉を開けてあげられるのは、一体誰なのだろうと。そいつがどうにも羨ましくなった。
(それが、エーリヒ様なのか…)
ディーターはまたため息をついていた。
リーンハルトが気の毒そうに背中を叩く。それがなんだかおかしくて、ディーターはふっと息を漏らすように笑った。
前回分は予約投稿を間違えてしまって焦りました…
午前中に予約しようと思ったのですが。
保存のつもりが投稿になってしまい、もうアクセスもついていたようだったので訂正削除するのも申し訳なく。
これからは気をつけます。
◆追記◆
画像はヴェローニカの成長した姿のイメージ
イメージなので、ちょっと違うこともあります…