193.王の覚醒(1)
《コンラート・ネーフェ》
月齢五日目。ヴェローニカがさらわれて五日が過ぎた。王都は建国祭を翌日に控えている。
例年であれば主のエーリヒは、主君ジークヴァルト・リーデルシュタイン伯爵の筆頭護衛騎士、そして侯爵令息として、他の騎士と交代で毎夜王城の夜会に参席するはずであった。それでも治療を担当しているフェリクスによれば、経過は良好とのこと。
ならばエーリヒが目覚めるまでにあらゆる手を打って置かなければと、コンラートは補佐官のテオバルト、ユリアンと策を練り、ジークヴァルト、ヴィンフリートとともにじりじりと焦燥に駆られながらも、地道に情報戦を繰り広げてきた。
コンラート達の作戦はこうだ。
まずは神殿の腐敗を暴き、脅威のカルト集団であることを王国民に知らしめる。やはり神を祀る神殿を相手にするには、正当性を示す必要があるからだ。世論を巻き込む作戦に出たのである。
事実、神殿が扱う法具は信者を洗脳するために使われている上に、吸魔の綱と隷属の首輪も高位貴族にすら危険なもの。そして神殿に逆らう者は異端者とし、地下監獄に閉じ込めて拷問するという圧制ぶり。
さらにエーリヒや諜報機関の行っていた調査から、神殿は併設された孤児院や救貧院、世間から打ち捨てられた貧民街への救済を謳いながら、実際にはそこから人をさらっていたと判明。街の住民達をさらう場合には、洗脳した信者を操って誘導させていた。
ではそうやって集めた者達をどうしていたのか。
集められた平民達は毒を効果的にかつ適切に扱うための実験台となっていた。その倫理に外れた実験は、のちに魔術刻印の追究へと向かう。
それを主導していたのは王妃の実家で国舅のハインミュラー公爵家。彼らは神殿や教会、奴隷商会を使って平民を拉致し、長年に渡り人体実験を繰り返してきたのだ。
神殿の暗殺部隊には魔術刻印が刻まれた者達もいたことから、これらはハインミュラーと神殿が平民の拉致と非道な実験に加担しているという証拠となる。
そして多くの行方不明者を出していたシュタールの事件では、捕縛した王族の縁戚である元代官を未だに正しく裁けてはいない。それは王室が関与を隠蔽しようとしているからではないか。
そういった情報を茶会や夜会を通じて社交界に、街では酒場の酔客や商人達に流した。
その結果、ようやく危機感を覚えた貴族達は、神殿やハインミュラーを庇う国王派と、これを機にハインミュラーを陥れたい貴族派とに分かれて対立。
市井では建国祭にも関わらず、龍神の末裔である王族を批難し、最近では神殿や教会から徐々に住民達の足が遠のき始めていた。
噂の拡散にはヴィンフリートの力が大いに役立った。
どうやら彼は神殿を頼ったことを後悔し、責任を感じているようだ。倒れたエーリヒを治療するには通常、神殿を頼るほかない。問題は重傷者の回復手段が神殿だけであり、その組織が異常な集団であるということ。
それに。後悔し、責任を感じているのは、コンラートも同じ…
ヴィンフリートの持つ大商団の人脈を使って、各都市にて商団員達が酒場や商売相手、客達を中心に噂を流すと、近年の拉致事件の多さによる不安から、それらの噂は王国内に想定以上の早さで広まっていった。
特にシュタールやプロイセ周辺の地域では、流した噂に相まって、グリューネヴァルトに好意的な噂も浸透しているようだ。
だがそんなことをしていた間に、ヴェローニカはいつの間にか王都から大神殿のある彼らの本拠地、神都アーベラインへと移されていた。
王都神殿の周囲を見張らせていたのだが、推測される移動手段は転移魔法陣。王都門を守るハインツの厳しい検問も徒労に帰してしまった。
それでも情報戦以外にも武力の備えも怠ってはいない。
襲撃の翌日、コンラートが侯爵夫妻と話した後に、ジークヴァルトは侯爵と魔術回線にて密談。かくして現在侯爵領では、いつでも動けるように竜騎軍を万全の態勢で待機させている。
本来であれば領地の竜騎軍は、魔獣対策と隣領ファーレンハイトの援軍要請など、有事のためのもの。だが侯爵は今後一切の援軍は、同じく辺境伯であるエーレルトに要請せよと通告した。ファーレンハイトに制裁として、明確な一線を引いたのだ。
そもそもファーレンハイトはそうすべきだったのだ。全てはグリューネヴァルトの善意によるものだったのだから。
竜騎軍。
竜とは主に王国の南方に棲息し、龍神アプトの眷属と考えられている強暴な魔獣である。
鱗は硬く体躯は強靭で、飛膜の翼を持ち、その巨体に反し大空を自在に舞う。鋭い爪と牙を持ち、頑強な尻尾で敵を薙ぎ払い、成体ともなるとブレス魔法も使う、恐ろしくも猛々しく美しい魔獣。それが大陸最強とも言われる魔獣、竜である。
竜のような上位魔獣には知性があり、ともすれば交流も困難ではあるが不可能ではない。その可能性を上げるために、各領地で管理している竜の巣で卵から孵して育てる。
それでも下手な騎士では竜に舐められてしまい、従わせることなどできない。狩りで生け捕った野生の竜なら、なおさらである。
竜はその背に乗せる乗り手を、自らの意志で選ぶのだ。
魔獣を騎獣としたり、飼い馴らしたりする場合、多くは魔法で洗脳する手段をとる。だが竜にはそれが通用しない。保有する魔力量と魔法への抵抗が高いと考えられている。
それでも卵や幼竜の密猟は絶えない。そのため竜の巣は厳しく管理、保護され、その権限を持つ領地や軍は限られている。
中でもグリューネヴァルト侯爵領の竜騎軍は、武勇の誉れ高く有名だ。広大な領内には他領よりも多くの竜の巣と棲息地帯があるため保有する竜も多く、領内の魔獣討伐や隣領ファーレンハイト辺境伯領での頻発する国境紛争に援軍として参戦する機会が多いからである。
侯爵はその竜騎軍を動かすつもりでいるのだ。
竜騎軍が許しもなく自領を離れれば、間違いなく王室は制裁へと動く。その上でと言うのであれば、ジークヴァルトは神殿だけではなく、コンスタンティン王の王位の転覆を本気で成そうとしているのだとコンラートには思えた。そしてその企みに、侯爵も乗ったのだと。
だからこそ、コンラートは奔走する。あの日誓ったように、自分にできるやり方で。
それはさておき、実は王家は個人的には別として、軍としては竜を所持してはいない。王家の持つ領地の多くは結界石や吸魔石を設置している大規模都市であるため、魔素の乱れや希薄さを竜が忌避するからだ。
だからといって王家所有の辺境の領地で、軍事利用するためにまとまった数の竜を養い、維持するのには無理がある。竜に乗れるほど勇猛な騎士は王都の騎士団で抱えていたいし、施設や維持費も馬鹿にならない。
さすれば竜騎軍を王家が動かしたい場合、各領地の軍に要請、強制すればよい。そのための法が整備されている。辺境領地が防衛のために竜騎軍を保有し、動かすことの見返りに、王家はそれを呼び寄せることができるのだ。
その強制力が最も効果的に発揮されるのは、姻戚関係である。
王室は竜騎軍を手にするため、グリューネヴァルト侯爵家と姻戚関係になることを長らく望んではいたが、今は適当な者がいなかった。
グリューネヴァルトには王家に娶れる令嬢もおらず、唯一エーリヒと合う年齢の第一王女アドルフィーナはジークヴァルトに首ったけである。
しかしジークヴァルトを獲れるのであれば、もれなく部下のエーリヒもついてくるため、王も特に強制や干渉はしていないのだと周囲には思われていた。
だが実のところ、王には懸念があったのだ。侯爵夫人オリーヴィアとの過去である。それ故、王はグリューネヴァルトの報復を密かに恐れていた。
そしてそれはコンラート達も知らないことであったのだ。
これまでは…
「ヴィンフリート様からの情報によると、王国各地で噂は順調に広まっている。行方不明者の多かった領地では、シュタールのように領主も共謀していたのではないかと暴動が起きる寸前だという。建国祭どころではないらしい」
「アーベラインでも大神殿に噂の真偽を問い合わせる者達が増えていると、配下から報告があったぞ」
発言したのは、シュレーゲル家の護衛のカルステンと伯爵の諜報部隊を指揮するギルベルトだ。
侯爵邸の広間では、いつもの面子での会議が開かれていた。
集められた護衛官達を束ねるカルステンとギルベルトの他には、魔術師団のフェリクス、エーリヒの護衛騎士達にヴェローニカの侍女達、そしてエーリヒの補佐官のテオバルトとユリアンが席に並ぶ。
各地の噂の浸透具合や貴族達の反応、諜報部隊に監視させている王都神殿と神都アーベラインの大神殿の状況などをコンラートは確認する。
建国祭に参席する他国の使節団が到着したことで、王室は不名誉な事態への隠蔽工作に走り、各地の不穏な動きにも対処が後手後手になっているようだ。
(これならテオバルトの方の交渉も期待できるはずだ。)
「王都平民区の商店街ですが、流した噂以上に襲撃の件についても広まっていて、拉致されたのがヴェローニカ様ではないかという噂が流れていました。ヴェローニカ様は彼らの前ではニカと名乗っていたはずなのですが、すでにお名前も知られていて。商店街の者達は皆、ヴェローニカ様の恩恵を受けているので。…心配する声が、多く聞かれました」
ヘリガの言に、商店街を警邏した侍女達は表情を暗くする。
「…そうか…」
広間に重い空気が漂い始めたその時、突如、コンラートの頭の中に威厳のある声が響いた。
『コンラート』
「!」
コンラートはビクッと身体を波立たせてから、自分の左腕のバングル型通信魔術具を確認した。
「……?」
何の反応もない。
『返事をしろ、コンラート』
「は、はい!」
喫驚し、ガタンと席を立ち上がって返事をすると、集まっていた面々も驚いて、会議を取り仕切っていたコンラートを見上げる。
「「…………」」
その異様な雰囲気にそれまでの話し合いを中断して、広間はシンと静まり返った。
『ヴェローニカはどこだ』
「……エーリヒ…様……」
『ヴェローニカは、どこに行った』
それは感情を抑えた静かな声だった。
この邸宅にヴェローニカがいないと、確信している。要するにエーリヒはすでに確認したのだ。それは目覚めて初めて確認することが、ヴェローニカの安否だったということ。恐らく今エーリヒは、彼女の意志でここを離れたのだと思っているのだろう。
コンラートは良心の呵責に苛まれる。
「申し訳ございません!…ヴェローニカ、様は…」
会議の場で何の前触れもなく一人立ち上がったコンラートが、緊張の面持ちで胸に手を当て、誰かに向かって真摯に謝罪するのを、その場の皆が目を見張り、息を潜めて見守る。
『…兄上のところか』
「…違います」
『何?…では、どこだ?ユリウスも、猫もいないではないか。まさか……白夜が、迎えに来たのか?……ん?ギルベルト?…なんだ?お前達、そこで何をしている…?』
それまでの悄然とした声が変わる。
「エーリヒ様……実は、ヴェローニカ様は……拉致、されました。申し訳ございません!全て、私の責任です」
コンラートは胸に手を当てたまま、無念そうに目を閉じる。
『…拉致…だと?…………誰だ……アレクシオスか……それとも……エリーザベトか…』
エーリヒの声が低くなった。その声からはすでに怒気が漏れ出ている。
「いいえ。……神殿です」
コンラートは静かに目を開け、悲痛な表情で眉を寄せた。
広間に集まった者達には、エーリヒの声は聞こえてはいない。だがコンラートの様子を見て、先ほどから会話している相手を察していた。どういう手段で会話しているのかはわからないが、三階の寝室で眠っていたはずの彼が目覚めたようだ、と。
『ヴェローニカが聖女だと知ってか』
「そのようです」
コンラートは緊張していた。だがエーリヒの怒りを受け止める覚悟はできている。
それよりもまずはこれまでの経緯と現状を伝えて、少しでも冷静に行動してもらわなければならない。怒りのままに飛び出して、無闇に神殿に乗り込むようなことだけは阻止しなければ。
「エーリヒ様。これまでの経緯と現在の状況について全てご説明致しますので、今からそちらへお伺い致します」
『神殿にはいないぞ、コンラート』
「え?」
(まさか、今の間に神殿まで探知魔法で探ったのか。そんなことができるのか?そんな広範囲に?)
『…王都に、いない…?…ヴェローニカが…』
「え?…エーリヒ様…?」
(王都にいないって……まさか王都全体を探知魔法で――)
突然、ドン!と衝撃波のような地響きが鳴り、邸宅がぐらりと揺らいだ。
調度類がガタガタッと揺れて、広間にいた者達が慌ててバランスをとろうと立ち上がりかける。
「なんだ、今の揺れは!魔法攻撃か?!」
ギルベルトが眉間に険しいシワを刻んで窓辺を警戒する。
「まさか、神殿がまた?」
リーンハルトとエリアスが索敵をかける。ウルリカとヘリガが殺気立った。再び神殿が攻めてきたのかと身構えた矢先、皆が弾かれたように一斉に天井を振り仰いだ。
上からとてつもなく大きな魔力の圧を感じる。
「これは攻撃じゃありません!エーリヒ卿の部屋の方で膨大な魔力が視えます。…まさかこれ、エーリヒ卿の魔力ですか?」
フェリクスが天井を見上げながら狼狽している。
「金色だ……黄金色の、魔力……なんて力強くて、美しいんだ…」
紫眼のフェリクスには、エーリヒの魔力がここからでも見透せるようだ。
「王だ……真の王が目覚めたんだ……」
うわ言のようにフェリクスは呟いた。その瞳は熱に浮かされ、陶酔しているように見える。
「そうか……やっぱり、そうだったんだ!…彼は、ヴァイデンライヒの、再来なんだ…!」
(ヴァイデンライヒの再来?エーリヒ様が…?)
「あはは!やっぱりそうだ!僕は間違ってなんかなかった!」
興奮するフェリクスを、皆が呆然と見つめる。理解が追いつかない。
「フェリクス・ミュラー。お前、何を言っている……戯言はよせ!」
ギルベルトがフェリクスを凝視しながら、咎めるように言った。
魔素が視える彼が、エーリヒを真の王だと言った。ヴァイデンライヒの再来だと表現したのだ。それは王家に対する叛意ととられてもやむを得ない。
「戯言なんかじゃないよ、ギルベルト卿!僕はずっとエーリヒ卿を治療してた。ずっとエーリヒ卿を診てたんだ!エーリヒ卿の身体には、膨大な魔力が流れていた。魔力回路を回復させても、それをすぐにまた押し流して、壊してしまうほどの魔力なんだ。それが毎日毎日、どんどん増えていくんだ。治しても治しても、エーリヒ卿の魔力は増え続けて、力強く色鮮やかになっていく。体の隅々まで、芸術的で複雑な魔力回路が形成されていく。あんなの、視たことない。一体今までどうやって隠していたのか…」
ハハッ!とフェリクスは引きつるように笑う。よほど感情が昂っているようだ。
「大体、人の魔力なんて一色なんだよ?ギルベルト卿は赤に近いオレンジだ。君の瞳と同じ、火の魔素だよ。カルステン卿は緑。風の魔素」
フェリクスは笑みを浮かべながらギルベルトを視て、そしてカルステンを視る。その紫色の眼は興奮により、淡く魔力を灯していた。
「でも、エーリヒ卿は、風属性だと聞いてたけど……全然そんなんじゃあない。初めからエーリヒ卿の魔力は人とは違ってて、主属性が僕にもよくわからなかった。確かに少し風の魔素が強めだったけど……それにほら、あの日、ギルベルト卿も見ただろ?あの子を神聖魔法で治療してたじゃないか!あの聖女の子を。風魔術師にそんなことができると思う?しかも魔力制御が完璧だったんだよ!あんな神聖魔法、神官にも使えない。勿論、僕はできるけどね?…あの時、誰も何も言わなかったけど、やっぱりあれは普通じゃなかった…」
フェリクスはつらつらと興奮気味に話し続けていて、誰も口を挟めない。魔力の灯った紫色の瞳は美酒に酔いしれたような、すっかり心を奪われた様子だった。
(これはエーリヒ様の秘密に関することだ。このまま言わせておいていいのか?ヴェローニカ様は止めていた。それはエーリヒ様が自ら話すことだと。だが、これはもう、隠し切れることではない…)
外で待機していた護衛官達が数人、異変を感じて広間に現れた。ギルベルトとカルステンが再び外での待機を命じて、彼らの動揺を抑える。
そんな混乱の中で、コンラートは視線をまた天井へと移した。
コンラートにもわかる。こうしている今もひしひしと感じる。こんなにも大きな魔力の圧を。
エーリヒはもう、抑えるつもりがないのだ。
そして、今、それが……その圧倒的な魔力が上階から近づいてきている。
フェリクスが視線を天井から少しずつ下げて、壁の向こうを視ている。それは階段の方向だ。
(エーリヒ様が……ここに、来る…)
「ギルベルト卿。エーリヒ卿が、ここに来るよ。金色なんだ。彼には黄金色の魔力が流れている。…すごい……全属性って、こういうことなんだ…」
(全属性。つまり、初代王と同じ。…だが、何故だ?何故エーリヒ様がヴァイデンライヒと同じ魔力を?)
皆が異様な雰囲気に呑み込まれて、その場に立ち尽くしていた。その間にも、魔力の圧の根源が近づいてくるのを感じる。索敵魔法など使わなくても、ありありとわかるほどに。
そしてついに、広間の扉が開かれた。
そこには黄金色に揺らめく淡い光に包まれたエーリヒがいた。
今まで病床にあった彼は、髪も纏めず、着ていたシルクの寝衣を羽織った軽装のまま下りて来たらしい。
魔力に満ちた黄金色の髪と輝く金色の瞳は神々しく、前開きの寝衣から覗く素肌もうっすらと魔力の光を帯びて見える。憤りを内に秘めているのか、金の眼は冷たくこちらを見据えていた。
その姿を見た瞬間、まるで金縛りにあったように身体が強張る。一瞥されただけで、高位貴族の威圧にあったような感覚だった。魔力が濃すぎて息苦しい。
そんな中、誰かがすっと跪いた。そして、彼は言った。
「真なる王。万軍の主よ。フェリクス・ミュラー、我が王の覚醒をお慶び申し上げます」
それはフェリクスだった。
紫眼とは龍神アプトの化身であるヴァイデンライヒの眷属であり、使徒である。紫眼の彼は、エーリヒの姿を目にして、理屈ではなく悟ったのだ。彼は王なのだと。彼こそが王なのだと。戸惑いも疑問も全て雲散し、この王国の真なる支配者に、心から帰服したのだ。
コンラートもそれに続いた。エーリヒの護衛騎士のリーンハルト、エリアス、ディーター。侍女のヘリガ、リオニー、ウルリカ。そして補佐官のテオバルトにユリアンも。胸に手を当て、顔を伏せて恭しく跪き、それに続く。
カルステンも彼の放つ神威を前に膝をついた。
ギルベルトだけは、人を超越した魔力に跪きそうになるのを既のところで堪えていた。自分が真に跪くのは、ジークヴァルト唯一人。その信念と忠義心だけが、今は彼をそこに立たせていた。
だがこの魔力をギルベルトは以前にも感じたことがあった。ここまで圧倒的ではなかったが、あの時も驚異的な魔力を感じ、執務室を振り返って扉をノックした。その時中にいたのは、ジークヴァルトとアルブレヒト、そして思いがけず長い旅程となった任務から戻ったばかりのエーリヒだった。
ギルベルトのノック音を聞いて、アルブレヒトの焦った声が扉の向こうから聞こえたのを憶えている。
――問題ありません。待機していなさい。
ジークヴァルトの首席補佐官であり、乳兄弟でもあるアルブレヒトは、あの時扉前で警護待機していたギルベルトにそう命じた上で、執務室の扉に鍵をかけた。
つまりこれを、ジークヴァルトは知っている。己の主は、エーリヒが金髪金眼であると、神話の中の伝説の王なのだと知っているのだ。
――エーリヒ。いくらお前でもジークヴァルト様に対し、不敬が過ぎるぞ。
――ギルベルト……事情も知らぬのなら、黙っていろ。
あれはこういう意味だったか。とギルベルトは歯噛みし、そしてついに膝をついた。
『コンラート……ヴェローニカはどこだ。神殿に拉致されたとはどういうことだ。王都にヴェローニカはいないではないか。…揃いも揃ってこんな所で、何を悠長にしているのだ…』
今度は念話ではない。エーリヒの声は部屋の空気を伝わって聞こえている。だがその声には、身体が痺れ痛みを感じるほどに魔力が乗っている。怒りの感情が溢れて、ビリビリと肌に伝わってくる。
「っ……は。ヴェローニカ様は、ツクヨミ様の権能により、今は神都アーベラインの大神殿にいるとわかっております」
『ツクヨミの権能…?やはりあれは神獣の類か。…それで?まんまと奪われ、取り戻しもせずにここで何をしていた。…ヴェローニカは、無事なんだろうな?』
「はい。ヴェローニカ様は……以前よりは、待遇は改善されたと、ツクヨミ様は仰っていました」
『以前より…?どういうことだ』
「それが、拉致から数日は王都神殿の地下監獄で……治療もされずに鎖で繋がれていたようです。そしていつの間にか検問を強化していた王都を抜けられました。移動は一瞬のことで、ツクヨミ様によると、転移ではないかと。現在ヴェローニカ様は神殿の法具と呼ばれる魔導具により催眠状態にあるため、ツクヨミ様やユリウス様の声は届かず、さらには隷属の首輪も着けられ、魔術具の指輪も奪われているので、索敵魔法では所在を確認できませんでした。ですが神都には諜報部隊を潜入させ、大神殿を常に監視しております」
『神都、大神殿か。…治療…?怪我をしたのか?』
「連れ去られる際に、ヴェローニカ様が抵抗し……爪が、剥がれて。ですが今は治療されていると、ツクヨミ様がっ、…ゴホッゴホッ…」
魔力が一際濃くなって息苦しくなり、コンラートは跪いたまま胸元を掴んで咳き込んだ。他の者達も胸を押さえて堪えている。
『…今は、無事なのか?』
魔力が少し緩み、コンラートは細く息を吐いて整える。
「…はい」
『催眠状態に、隷属の首輪だと?それでは身体に苦痛を感じる状態なのかすら、わからんだろ』
「ツクヨミ様の権能は、印のあるヴェローニカ様の位置や状態、感情の把握ができるそうです。ですから…」
『そこまでわかっていて何故未だに取り戻せない!何をやっていたんだ!お前達は!』
エーリヒが声を荒げると、再び魔力が濃くなって押し潰されそうな威圧感を受ける。
「ぐぅっ…」
『……はぁ。…私は、どれくらい眠っていたんだ…』
ふと魔力の圧が薄れた。エーリヒは口惜しそうに顔を覆っている。感情の起伏で魔力が乱れるのを抑えようとしているために、こちらが受ける圧迫感に波があるようだ。
「…つきましては、今に至るまでの経緯を順を追ってご説明致します」
エーリヒを席に着かせたコンラートは、彼が倒れてから起こった出来事を時系列に沿って説明する。その間に、起きたばかりのエーリヒの髪や身なりを、緊張しながら侍女が整える。
エーリヒはコンラートの話を聞きながら、時に魔力を乱していたが、極力口を挟まないようにしているようだ。
クリスティーネがヴェローニカを部屋から追い出したと言った時には、炎の熱気に煽られたかのように一気に息苦しくなるほどだった。
エーリヒの怒りの具合が見て取れるとコンラートは思った。
新年、ようやく目覚めました。
フェリクス歓喜。
もう少し続きます。長いですがおつきあいください。
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