188.帰郷
『ああ…これは…』
夏も近づき、だいぶ日が長くなった。
ツクヨミは暮れたばかりのまだ薄明るい空の下、崩れ落ちた城郭を見上げる。闇の使者とも呼ばれる翼手目の小型魔獣が不気味に薄暮の空を横切った。
その城の崩壊跡は年月とともに風化したのもあるが、もとは王家の束ねる宮廷魔術師による高威力の攻撃魔法を受けて破壊された跡だ。
火魔法の高温によって石壁がどろどろに溶けて流れ出し、氷魔法にさらされ急激に冷却されてガラス化している箇所もある。ところどころに風魔法で切り刻まれたような跡も見られた。
『確かに魔素が濃いな。場所によっては瘴気とも呼べるほどだ。おかげで街の近くにしては魔獣が棲み着いているようだな』
「少し留守にしただけでこうも魔獣がうろつくとは…気に食わん…」
『では憂さ晴らしでもすれば良い。今のその体は魔獣からでも魔力を吸えるのだろ?闇魔術と相性がいいようだ。…あの子の影響だろう』
「闇魔術…?呪術魔法のことか?」
『今はそう呼ぶのか。…ふむ。魔素が薄くなったからな。全ての魔法、魔術はかつてより衰微した』
「待て。吸魔はこの体の機能ではないのか?魔法なのか?」
『そのどちらでもあるだろう。傀儡が魔素金属であることと、あの子の血が特別であること、そなたが人間ではないこと。それらの複合的影響からだ』
「私は風魔法しか使えんのかと思っていたのだが…」
『それは生前の肉体の話だろう。魔素を作る肉体がない今、何の適性影響を受けるのだ。それはただの執心に過ぎん。未練とも言うな』
「…なるほどな…」
ユリウスはそこではたと思い当たる。フェリクスに言われた言葉を。
――人とは違うからか視え方がちょっと不思議で……風属性のようですけど、魔素の色味がそれだけじゃないんですよね……普通に考えるとこれは他の属性魔法も使えるってことなのかも…――
「となると、…他の魔法も使えるのか?」
『…吾の言う事を聞いていなかったのか?使えんとしたら、それはそなたの思い込みだ』
「…………」
目から鱗が落ちる思いだった。
ツクヨミはそんなユリウスを眺めながら、かすかに笑みを浮かべる。
『さて。吾はまずは魔素補給だな』
「む?…別行動か?」
『なんだ。お守りが必要か?』
「ふっ……それはこっちのセリフだ」
ツクヨミとユリウスは互いに不敵に笑い合う。
『そうか……ではな』
ツクヨミが猫の身軽さでプロイセ城の敷地内に入っていった。
「さあて。じゃあ久しぶりに、魔獣狩りといくか」
それまでの焦燥だけではなく期待に胸が騒ぐのを感じながら、ユリウスは懐かしい古巣に足を踏み入れた。
◆◆◆◆◆◆
《ユリウス・レーニシュ=プロイセ》
一晩かけてプロイセ城に巣食っていた目につく魔獣を粗方掃討したユリウスは、魔獣から剥いだ素材を売るためにプロイセの街を訪れてみた。大量に狩り過ぎて、牙や爪など変質しない素材は今のところ城に置いたままだ。
ちなみに門は通らずに外郭を飛び越えて入っている。税を取られるのはまだしも、門では身分を調べられる。そんな煩わしいことは、この身となっては御免だ。
持ち込んだ魔獣素材を売り払った昼下り、建国祭の祝祭準備に沸き立つ街の中心部に向かうと、いつかヴェローニカと馬車から見た広場の噴水があった。泉の中にはソランとレーニが寄り添う彫像がある。ヴェローニカが微笑みながらあれを見ていたなと思い出す。
もうだいぶ魔力は回復した。それにツクヨミに言われた他の属性魔法も試してみた。得手不得手があるのか、それともこれがその単なる思い込みによるものということなのか。熟達するにはまだまだだが、確かに他の魔法も使うことができるようだ。
自分だけでもヴェローニカを救出に向かうべきか。
だがツクヨミがいた方がヴェローニカを探し回らないで済むだろう。闇雲に捜索して、また多勢の敵に囲まれると、無駄に魔力が削られる。広範囲魔法を使えば蹴散らすのは早いのだが、魔力が枯渇することも考慮しなければならない。あそこは吸魔石の真下なのだから。
かといって魔力補充しながら戦えば、疲労の感じないこの体は延々と戦ってはいられるが、ぐずぐずしていればまたあの吸魔の魔導具を出されるだろう。
次にあれを出されたらどうするか、ユリウスは何度も頭の中でシミュレーションしていた。次は決してやられまいと。
「とにかく魔力だ。吸魔石とあの魔導具さえなければ、今すぐにでも行けるのだが…」
ヴェローニカが催眠状態に陥り、眷属の繋がりが弱まって、一度この傀儡の体を離れたことで完全にヴェローニカとの血の契約からなる繋がりが断たれてしまった。それが今、こんなにも心細い。
「あの…」
泉の縁に座って水面の揺らめきを眺めながら物思いに耽っていると、誰かに声をかけられた。
このマリオネットの容姿は目立つから、フードを被っていたのだが、暖かな季節にこのような外套は逆に目立ったか。
今までの服は破れた上に血まみれになってしまったため、一度侯爵邸で着替えてきた。それも昨夜一晩中魔獣を駆除して血生臭くなり、プロイセ城の宝物庫にあった新たな衣装に着替えた。ところが仕立てが良すぎて、外套なしでは平民の街では目立ってしまう。
(あとで平民の服を買って着替えた方が良さそうだ。)
こういう時のために換金したのだから。
ちなみに着替えた時に感じたが、体が本当に人間に近づいてきている。初めから人間らしい皮膚感など素晴らしい技術ではあったが、一度目の吸血で体温調節が可能になり、今では脱いだ肉体も人形の違和感はない。成人男性の裸体そのものだ。ヴェローニカの血とともに爪まで取り込んだからだろうか。この体の進化に舌を巻く思いだ。
ただの手刀が魔素金属の形態変化で業物の武器にすらなるのだから、皮膚の質感の擬態などお手の物なのかもしれない。
声をかけてきたのは男だった。この街に入ってからというもの、あちこちから若い女の視線を感じてはいたのでナンパかと思ったユリウスは、少し拍子抜けしてしまった。
「……なんだ」
「あの……と、とても美しいですね」
「……?」
(なんだ?やはり軟派なのか。)
「えーと、その…」
「なんだ。はっきり言え。ちなみに私には大切な人がいる。その手の話ならお断りだぞ」
「え?…い、いや!そうじゃ、なくて…」
「…ではなんだ」
男は慌てた素振りで赤くなった。
髪は暗い茶色で一般的な平民。体格は小柄な、まだ若い青年だ。
「そ、その、もし良かったら家まで来てくれませんか?」
「……は?」
ますます意味がわからない。色恋の話ではないのなら、何故急に家になど誘うのだ。
「ああ!えーと、そうじゃなくて、えーと…」
「とりあえず落ち着け」
「はい…。えーと、実は…」
◆◆◆
「アダム、どこほっつき歩いてた?また泉に行ってたのか?」
店の奥から頑固そうな年寄りの声が聞こえて、誰かが出てきた。
「全くお前はすぐ店番さぼりおって……ん?なんだ?客か?」
「おじいちゃん、ただいま。僕ちょっとこの人をスケッチするから。店番しながらやるからさ。いいでしょ?」
「そなたが人形師か?」
ユリウスが奥の工房から出てきたアダムの祖父に声をかけると、おかまいなしに怪訝そうな顔を見せた。白髪頭の割に活力のありそうな職人気質の風体をしている。
先刻広場の泉にて、落ち着きを取り戻した青年の話を聞いてみると、彼はこの街の職人で、人形作りをしているようだった。ユリウスがあまりにも美しいので、人形のモデルとしてスケッチをさせて欲しいらしい。
彼はたまに泉に来てはソランとレーニ像を眺めたり、通る人々を観察したりして、次の作品への意欲を養うのだが、ソランとレーニに負けず劣らず彫像のような美しい男が泉にいたため、ついうっかり声をかけてしまったと。
「人形師か」
「いえ、僕は人形師ではないのです。ただの本当の人形を作るのですよ。今は傀儡は需要がなくなりましたからね」
「そうか。それは人形師とは呼ばないのか」
「ええ。おじいちゃんは人形師なのですが。もうこの街でも最後の人形師になるかもしれませんね。他の人形師達は皆、店を畳むか、僕のように小さな玩具の人形作りに職を変えるかしてしまいましたから…」
少し陰りのある微笑みだった。
「祖父が人形師なのか?」
「ええ。はい。おじいちゃんは凄腕の人形師です」
今度は誇らしげに胸を張る。
「家に行けばお前の祖父に会えるのか?」
「ええ。…いますけど」
「では、行こう」
「え?本当ですか?」
そういう訳で、彼――アダムは嬉しそうにユリウスを家兼、店兼、工房に案内したのだ。
「なんだ?儂に何か用か」
「ああ。今の傀儡の技術が見たくてな。あれからどの程度喪失……いや、維持しているのか」
「なんだと?あんた、大層な物言いだな。…なんだ?貴族か?」
「え?…そうなんですか…?」
アダムは恐る恐る、祖父の方は不愉快そうにユリウスを見上げる。
「馬鹿たれ。こんな小綺麗な平民がいるか。この季節に外套なんか着てんだ。逆に目立つだろうが。なんでお前はわからん。…なんだ?今の時代に傀儡の注文か?眺めて楽しむのか?それとも冷やかしか」
「おじいちゃん!」
貴族と聞いてアダムはすっかりユリウスに気後れしてしまったようだ。
「職人気質とは困ったものだな。確かに店番は孫に任せた方が良さそうだ」
「何だって?」
「おじいちゃん、僕はこの人にモデルを頼んだだけなんだから、喧嘩を売るようなことは言わないでよ…」
「フン。貴族のくせに酔狂だな」
「もう、おじいちゃん!」
アダムは情けない声で祖父を諌める。
「最近の貴族の奴らは傀儡をわかってない。あんたも儂に美しい女の傀儡を作れなんて言うんじゃないだろうな」
「女の傀儡…?」
ユリウスの疑問を受け流して、人形師は不機嫌そうにぼやき始める。
「…ったく。この辺も最近は魔獣が出るようになった。傀儡があれば安全に戦えるっていうのに……いや、どーせあいつらじゃ操れもしねぇか」
「おじいちゃん…まさか、また断ったの?」
「当たり前だ!あの領主の野郎、女の傀儡を眺めるだけならまだしも、質感も改良しろとか言うんだぞ!だったら高品質の魔素金属でも手に入れろと領主の使いに言ってやったわ」
ガハハ…!と豪快に人形師は笑う。
その話が本当なら、領主に目をつけられていることだろう。アダムの顔色が悪いようだ。
「私はただ、今の傀儡の技術が見たいだけだ」
ユリウスの言葉に人形師はじとりとした視線をしばらく向ける。
「……傀儡なら奥にいくつかある。見ていくか?」
「そうか」
工房の方へ向かった人形師にユリウスはついていく。安堵の息を吐いて、アダムも二人についていった。
工房の奥には三体の大きな傀儡人形が立っていた。壁に吊るすように貼り付けてある。二体は成人男性の等身大で人間を模している。服を着せれば人間のように見えるものだ。もう一体はさらに一回り大きいもので、あまり容姿にこだわってかたどってはいないようだ。
他にも小さな子供サイズの傀儡や腕、脚などの部品がいくつか吊り下げられ、それらは台にも置かれている。
「ほう…」
「何かわかるのか?傀儡を持ってるのか?」
人形師が興味深そうに尋ねてきた。
「これに仕込み武器は付いてるのか?」
「なんだ。案外知ってるんだな。そうだ。これらは眺めるもんじゃあない。戦闘で操るもんだ」
人形師は目の前にある一体に手を伸ばして、腕のカラクリを操作して仕込み刀を出した。
「他にはどこに武器を付けている。どういった武器をつけた?」
「ほほう。おぬし、なかなか話せるじゃないか。見たいか?…まさか、おぬしは傀儡師なのか?」
人形師が今までとは違う、期待の目でユリウスを見ている。
「……いや」
口ごもったユリウスに、人形師の目は明らかに失望に変わった。
「…そうだろうな。今はもう傀儡師など流行らんからな」
「…すまないな。私はそういった細かい操作が昔から苦手でな。自分の体で戦うのが性に合っている。だから傀儡師には敬愛の念を持っていた」
「そうか。まあ、それは珍しいことだな」
「今はそのようだな。昔はそうでもなかったのだがな…」
「なんだ、昔を知ってる風な口を利くんだな。若造が」
人形師がからからと大いに笑った。
「…若造か…」
最近、木偶だの何だのと言われ続け、さらにはあれだけ守ると大見得を切ったはずのヴェローニカを守れなかったユリウスには、職人の無礼な戯言も、然程も心は波立たなかった。
「おじいちゃん、失礼だよ!」
「そうだったな。貴族には失礼だったな」
慌てる孫をよそに笑いながら、人形師は他のカラクリもいじり始めた。
「魔素金属は扱わないのか?」
「魔素金属だと?」
人形師は驚いてユリウスを見上げる。
「…バカ言え。こんな寂れた工房で魔素金属なんて手に入るもんか」
悔しさが滲む声だ。
「昔は扱ったこともあるがな。儂の祖父の代ならまだ傀儡師もいた。ここも昔は結構流行りの店だったんだぞ」
「そうか。残念だ…」
何やら先ほどから、自分以上に気落ちして見えるユリウスの様子に人形師は不審がる。
「おぬし、自分で傀儡を使わないなら、なんで傀儡に興味を持つんだ」
「……今後のメンテナンスに役立つかと思ってな」
「今後のメンテナンス?」
ユリウスは二人の前に手を出した。人形師とアダムがそれを見つめる。その目の前で、ユリウスの爪がシャキンと数センチ伸びた。
「うおっ?」
「わ?!」
伸びた爪はただの爪ではなく、鋭利な刃物のような形状であり、油膜が張ったように虹色の光を帯びている。
「こ、こりゃ……まさか、魔素金属なのか?しかも見るからに上等なもんだ。虹色に光るなんて。余程の魔素量を取り込んでなきゃそんな色にはならない」
「え?…で、でも、身体から?どうやって?まさか、これ、義手なの?」
「…怖がらないで欲しいのだが…」
目を見張る二人に、ユリウスは指を揃えて手刀の形にした。それまでは確かに人間の手のひらだったものが、見る間に金属の質感を帯びて武器へと変わる。
「わぁ!」
「…………」
アダムはさらに悲鳴のように叫んだが、人形師はそれを黙って見つめた。目を剥き、凝視している。
「……こりゃ、一体……」
ユリウスは被っていたフードをそこで初めて外した。
「紫…………その、顔…」
「おじいちゃん…?どうしたの?」
「これは魔素金属でできているから、大概の破損は魔力さえあれば自動修復する。だがこれからはそれじゃ間に合わない場合もあるだろう。例えば四肢が外れたり、損失したりな。部品はまだあるのだが、何せ技術者がいないから、いざという時には心許ない」
「ちょっと待て……誰が操ってるんだ?誰がしゃべってる?傀儡師か?」
人形師は工房の入口を振り返る。そしてすぐさま走っていって、外をきょろきょろと見渡した。
「驚かせる気はなかったんだが。…そうだな。誰が操ってるかと思うだろうな」
「誰が操ってるかはあとでもいい!ちょっと見せてくれ!さっきのあれは形態変化だろ?まさか全部か?ほんとに全部魔素金属なのか?ブレードだけじゃないのか??」
急に人形師の顔つきが変わり駆け戻ってくると、今度はユリウスの体にベタベタと触りだした。
「どうなってんだこりゃ?どういった技術だ?」などとぶつくさ言いながら、ユリウスの体を調べ始める。
「おい。…あまり触るな」
以前もフェリクスにこんな反応をされたなとユリウスは思い出した。やはり男に身体をベタベタ触られるのは嫌悪感を抱く。いや、女ならいいという訳でもないが。
「なんだこの触り心地は?体温まであるのか?本当に金属か?まるっきり人間だぞ、こりゃあ!?」
「ちょっと、おじいちゃん!失礼だよ、貴族様に!」
「バカか、お前は!こいつは貴族じゃねぇ!…いや、持ち主は貴族だろうが……そうだ!持ち主!まさか、…持ち主は…」
「ん?」
そこで人形師は声を潜めた。
「持ち主は……レーニシュ=プロイセ公か?」
「え?」
アダムが目を見開いて祖父を見た。
「まさか……ご領主様が生きのびてたのか?」
「……それはどういう意味だ」
ユリウスが警戒したのがわかったのか、人形師は態度を改めた。
「これは…儂の先祖が作った物のはずだ。プロイセ城に納めた傀儡の特徴を記した昔の記録がうちにある。紫の髪に紫の眼、美しい男女のマリオネットを領主様に納品したと。設計図も何度も見た。そうだ、見覚えのある顔だ。…これは先祖が作った至高の作品、“レーニシュ”だ」
「え……マリオネット…?」
アダムはまだ事態を飲み込めてはいないようだ。
「ってことは、“シュペーア”もあるのか?どこだ?持ってきているのか?ここに?…いや、持ってきてるんですか?」
「いや…」
ユリウスは人形師の様子に少し面食らう。
「待てよ。だが、あの戦争でプロイセの宝は全部王家に持ってかれたはずだ。てことは……あんた、まさか、王族なのか…?」
「王族?!」
「王族がプロイセに何の用だ!あんたに売るもんなんざ何一つねぇぞ!」
人形師の声が驚きから恨みがましいものへと変わる。ユリウスはその剣幕を前に、何から説明したら良いものかと少し悩んだ。
「そなたが信じるかどうかはわからんが……とりあえず早合点せずに私の話を聞いてくれ」
先ほど人形師はこの体を作ったのは人形師の先祖で、設計図も手元にあると言った。ならばこの者達は味方につけねばならない。
ユリウスは人形師とその孫に、自身の正体について説明を始めた。
「まずは……私の名前だが…」
ユリウスは名を名乗り、今までプロイセ城の亡霊として墓守をし、魔獣や盗賊などを排除して暮らしていたことを話した。
アダムは突然始まった突拍子もないユリウスの身の上話に目が点になり、人形師の方は最初訝しげに話を聞いていたが、ユリウスの体を操っている傀儡師が見当たらないことやマリオネットがあまりに設計図以上の進化を遂げていること、プロイセ城内部について詳しいことなどで、徐々にユリウスの話に理解を示していった。
「私は人間にとってはゴーストで、魔物だからな。恐れられても仕方はない。だができれば今後この体が破損した場合に、協力してもらえないかと考えてここに来た」
「…………」
アダムはまだ固まっている。
「つまりおぬしは……いや、あなた様はアウグスト・レーニシュ=プロイセ公爵様の弟君ということか。…なるほど。だから城の宝物庫を開けられるのか…」
「ああ、そうだ」
アダムは今だに目を見開いてユリウスを凝視していたが、突然人形師はその場に跪いた。平民のため、それはとても不格好ではあったが、十分に誠実さが感じられる態度であった。
「お、おじいちゃん…?」
「馬鹿たれが!領主様の弟君だぞ!頭を下げんか!」
「え?…あ」
慌ててアダムも人形師の隣に跪く。
「ああ…いや、立ってくれ。もう死んだ身だ。今は身分などないからな。信じてもらえただけでいい」
「しかし……そういうわけには…」
それでも跪いたままの二人に、ユリウスは困った顔をする。
「私をこの体に入れてくれた主は身分などにはこだわらない。であれば私も彼女に倣う」
「主?」
人形師に尋ねられてユリウスは少し考える。話すべきかどうかと。
「…シュタールの白い女の子の話は聞いたか?」
「シュタールの?…ああ…いや、はい」
「あれが今の私の主だ」
「…………」
するとまた二人はしばらく固まった。
「ええっ?!」
今回先に再起動したのはアダムの方が早かった。
「シュタールの女の子って、あの、神様の子っていう白い女の子のことですか?雷を呼んだとか、空を飛んだとか、罪人達を懲らしめたとかいう、あの…」
「ああ、そうだ。全て彼女がやったことだ。彼女が私をプロイセ城で見つけてくれた。そして私は彼女に従属を誓った。この体で血の契約を結び、眷属となったのだ」
「シュタールの神様……ほんとにいたんだ…」
呆然とアダムが呟く。
「彼女の血と魔力がこもっているから、通常のマリオネットよりも想定外の進化をしているのだと思う」
「なるほど…そんなことが…」
人形師が跪いたまま顎を掴んで唸った。
「あ、あの…ユリウス様。その白い女の子はほんとに神様の子なのですか?雷を呼んだり、空を飛ぶなんて…そんなこと…」
アダムは上目遣いでおずおずと尋ねる。
「神様の子か。どう解釈するかはそれぞれなのではないか。神が生んだのかといえばそうではないが。神に特別視されていると言えばそうなのかもしれない」
ユリウスはツクヨミが断言を避けるような回りくどい物言いをするのを思い出して、その気持ちが少しわかったような気がした。表でも裏でもなく、白でも黒でもない機微が、どこか正確に伝えられないような気になる。そしてそれすらも実は配慮なのだと。
「私はこれから主を、姫を助けに行かねばならない。彼女を助け出して無事に戻るつもりではあるが。何が起こるかはわからない。もし自動修復が不可能なほど破損した場合は、部品を持ち寄れば修復を頼めないだろうか。…それでも戻って来れたならだが…」
「助け出すって、何かあったんですか?」
今後協力してもらうことを考えて、ユリウスは事情を話すことにした。
ユリウスの主、ヴェローニカがエルーシア神国では聖女と呼ばれる存在であること。そのため神殿に拉致されたこと。神殿には暗殺部隊がいて、向こうには精神を洗脳する魔導具や、魔力を吸収し行動を阻害する魔導具があり、それらが今ヴェローニカを害していること。
今ユリウスは魔力補充のためにプロイセ城にやって来ていて、不在の間に増えた魔獣狩りをしていた。そして暗殺部隊との戦闘で破損した体が魔獣から奪った魔力で修復されたので、そろそろヴェローニカが囚われている王都神殿に向かおうとしているのだと。
「神殿が…そんなことを…?」
「奴らは昔から胡散臭かったと爺様からは聞いていた。プロイセの神聖魔術師が減ったのは奴らのせいだって話だからな」
寝耳に水であった神殿の常軌を逸した行いにアダムが狼狽えると、人形師の方は吐き捨てるように言った。
「そうだ。神殿とはそういう団体だ。関わらない方がいい。神官に触られると洗脳される魔法陣を仕掛けられるそうだ。…ヴェローニカはそれで拉致された。そなたらも気をつけることだな。知り合いにも教えてやれ。…ちなみに神殿は破壊するつもりだ」
「えっ?!」
「問題ないだろ、別に。奴らはヴェローニカに危害を加えた。この世に必要のない施設だ。そもそも信者を洗脳して集め、お布施を搾り取っているんだぞ。悪党だろうが」
「…そうですね…」
「あの夜の報復だ。あいつらには思い知らせてやらねば…」
「破壊するなんて簡単に言いますが…そんな火力にあてはあるんですかい?」
人形師に問われてユリウスも少し考える。
「火力か。…そうだな。魔力さえあれば疲れ知らずのこの体なら、いくらでも人は殺せるが、施設を破壊するとなると魔法でするしかない。…だが、あそこには吸魔石がある。あまり魔力の消耗が激しい上位魔法は使えない」
“いくらでも人は殺せる”と言い放ったユリウスにアダムはわずかに目を見張ったが、人形師の方は気にしてはいない。
「ユリウス様。今すぐに出発するんですかい?」
「いや、仲間がいてな。その者の準備も待っているところだ」
「よし、ちょっとお待ちください」
人形師は立ち上がった。
「おじいちゃん、どうするの?」
「どうするってお前、こんな話聞いたら黙ってられねぇだろうが。職人組合の奴らにも協力してもらうんだよ。あいつら、おもしれぇの作ってるからな」
「え?じゃあ、皆に話すの?」
「当たり前だろ。建国祭だからって知らずに神殿に出入りする街の者もいるんだ。神官の連中が危ねぇ奴らだってことは知らせなきゃならねぇ。それにシュタールの神様の子をさらわれちまったんだぞ。その子のおかげで子供や嫁が帰ってきた奴らはプロイセにもいるんだ。ちゃんと恩返ししねぇとな」
人形師はニヤリと意味ありげに笑った。