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182.真夜中の襲撃(1)


『明け方の予定だったが、対象がバルコニーに出てきた。予定を早める。…始めるぞ』



リーーン……リーーン……


 深く寝静まった貴族街。無数に瞬く星空の下、辺りに純音が響いていく。闇に溶け込んだ影のような格好の男が魔導具の暗視スコープを覗いていると、小さな人影が二階のバルコニーで崩れ落ちていくのが見えた。

『開始…』




 黒い影が侯爵邸のあちこちに侵入していく。廊下に丸い玉を転がすと、そこから煙がもくもくと上がり、風の魔法陣が起動して、生じた煙が通路に広がっていく。一階、二階と通路にある夜間用の魔導灯が徐々に消えていく。



 数人がヴェローニカのいるバルコニーに侵入し、頭を押さえて蹲る彼女を捕らえて首輪をはめた。これさえはめれば、作戦は粗方成功だ。

 彼女の首の後ろには、魔法陣が浮かび上がっている。


 これは神殿の貴重な法具によるものだ。クリスティーネが帰り際にヴェローニカに触れたのはこのため。

 この魔法陣は、対となる法具の音波に反応して初めて起動する潜伏型であり、それまでは仕掛けられたことに気づくことはできない。法具の音色を聞いて魔法陣が起動すると、魔力の流れを阻害し、身体に変調をきたす。そして催眠状態へと移行する。


 高魔力保有者は魔力抵抗が高い。それはあらゆる魔法攻撃に対し、耐性が高いということ。だが彼女は今、隷属の首輪で魔力を吸い取られている。魔力を奪われれば、いくら高魔力の者でも魔力抵抗は弱まり、催眠や洗脳にもかかりやすくなる。

 これではもはや誰であろうと、魔力を練ることはできない。それが女神の力を持つ、魔素に護られた聖女であろうとも。




『第一目標は確保。他は第二、第三に向かえ。目撃者は速やかに殺せ』


 影の一人が通信魔術具で指示を出し、朦朧として蹲るヴェローニカを背負おうとすると、部屋から小さな黒い生き物が飛び出してきた。

 暗闇の中で注視すると、それは黒猫だった。「なんだこの娘の飼い猫か」と思った瞬間、『ギャァオオォウ!!』と猫とは到底思えない魔獣のような身の毛もよだつ咆哮を上げた。

 影達は一瞬その声に怯む。何か金縛りのような衝撃を受け、身体の自由を失った。



 上階によじ登っていた影達が数人落ちていく。その小さな生き物の猛き声は、闇に包まれた邸宅中に響き渡り、隠密行動をしていた暗殺部隊の影達の妨げとなってしまった。

 せっかく魔力遮断の衣服に身を包んで、索敵魔法に感知されないようにしているのに。これでは邸宅の使用人達が起き出してしまう。だが廊下に出て来れば、睡眠の魔導具が作動している。まだまだ暗殺部隊の有利は覆らない。




『うぬら…何者だ。その子をどこへ連れていく』



 気を持ち直し、硬直が解けたところだったが、今度はその黒猫が人の言葉を話し出した。

 こいつは子供だが聖女だ。すでに人外のものを飼っているとは、想定外だった。



『何をしている木偶!!早く来い!!ヴェローニカを奪われるぞ!!』



ガシャーン!!

 黒猫が叫ぶと同時に隣の部屋の窓が破られ、誰かがバルコニーに勢いよく飛び出してきてすぐ、そいつの手もとから何かが飛んできた。

 影達は咄嗟にヴェローニカを捕らえている指揮官を庇うように盾になる。立ちはだかった一人がそれを食らうと、「ぐあぁ!」と呻きながらその場に崩れ落ちた。隣のバルコニーに出てきた者の腕と、何かを食らって蹲った者とを、暗闇の中、赤々と光る綱が結んでいる。

 催眠や薬物により、痛覚も恐怖心も鈍らせているはずの暗殺部隊員が、呻きながら悶えている。催眠状態を覆すほどの苦痛なのか。



 窓を破って現れた人影のもう片方の手は、影の一人の首を掴んで引きずっていた。そちらの手元も赤い光を放っていて、引きずられた影は掴まれた首から血を滴らせてぐったりとしていた。もはや絶命しているか。

 隣部屋にはすでに他の暗殺部隊員が潜入し、今回の目標の一人である紫眼の男を襲撃していた。だが身柄の確保は失敗したようだ。



「あれは魔力を吸っているのか。あちらにも吸魔の魔導具が?……いや、呪術魔法が使えるのか?」



 突如、綱で魔力を吸われて呻いていた者がバァン!と爆散し、肉片と血飛沫が辺りに無惨に飛び散った。それを反射的に遮って目を逸らした隙に、隣のバルコニーから人影が飛んでくる。

 倒れたヴェローニカの側にいた指揮官が『やれ!』と指示を出すと、周りにいた影達が飛んできた人影に一斉に襲いかかった。


 魔法の光が夜空に色鮮やかに煌めいて、飛んできた人影を炎弾、風刃、水矢、氷槍と次々と襲ったが、それを彼は空中にて剣を振るって全てを薙ぎ払い、そのままの勢いで降下し、真正面の影を刺し貫いた。



 パリーン…と硝子が割れるような高音が夜の空に響く。

「ぐぅぅ…」

 それは影が展開した障壁魔法ごと刺し貫いた音だった。刺された影の背中からは、鋭い剣の切っ先が飛び出している。背中の傷口から鮮血がぼたぼたと長剣を伝って滴り落ちていき、淡く剣先が光を帯びた。どうやらその一振りは、高品質の魔素金属製の魔剣のようだ。

 魔素金属は血液に含まれた魔力を吸う。拍動するかのように仄かに明滅を繰り返すその光景はまるで、生き血をすするかのようだった。


 それを勢い良く抜き去りながら、死体をバルコニーの端に容赦なく転がした人影は、倒れたヴェローニカの側に屈んでいた影に、血が滴り淡く放光する剣先を狙い定めた。



『お前ら……ヴェローニカに何をした……』



 瞳がピジョンブラッドの如く不気味に闇に光り、殺気にみなぎった魔力が身体から立ち昇り、揺らめいている。

 その気配も声も鬼気迫る様相だったが、恐怖心を封じられ、闘争心を高められ、戦闘能力を上げられた暗殺部隊の影達は、怯みもせずに魔法を次々と赤眼の男に放つ。

 赤眼の男――ユリウスは、繰り出される魔法攻撃を無視して邪魔者を一人、また一人と魔剣で豪快に斬り捨てて、左手で掴み上げた影から魔力を吸い取っていく。




「くそ、あれが報告にあった瞳の色が変わる紫眼か。あれほど血のように真っ赤なのは火魔術師でもいないぞ。首輪をはめ損なったのか。…魔法攻撃を受け付けないのは何故だ。それだけ魔力が高いということなのか。それとも防具か何かの性能か」

「聖女が先です。お早く――」

 影の一人がそう言うと、また先ほどの猛獣のような咆哮を浴びて身体の自由が奪われた。動けなくなったところに小さな黒い猫が飛びかかってきて、影達は翻弄される。



「くそっ、なんなんだ、この猫は!」

 麻痺が解けて、また聖女を担ごうとすると今度はヒュッと何かが飛んできた。指揮官が慌てて短剣でそれを打ち払うと、金属がかち合うような高い音をたてて弾かれて、それはまた紫眼――今は怒りで紅に染まった瞳のユリウスの手元に紐状の何かがシュンと戻っていった。

 聖女を連れて立ち去る隙もない。



「ヴェローニカ様!…おのれ、神殿のクソ野郎共がぁっ!ヴェローニカ様を返せっ!!」

 部屋の中から女の声がして、水色の髪のポニーテールの女が現れ、魔剣を振るってきた。それを短剣で受けるとまた退路を断たれる。

「次から次へと……潜入班は何をやっているのだ!」

 女の攻撃をいなしながら苛立たしげに男が呻き、二階のバルコニーにさらなる応援を呼んだ。




◆◆◆◆◆◆




 外から微かに聞こえた金属音に、ディーターとエリアスは耳を澄ませた。

「なんか聞こえるよ、エリー」

「気を抜くな、ディーター。…外を見てくる」



 月のないその夜、エーリヒの寝室前の居室にて、護衛騎士の二人はソファーに座って夜番をしていた。

 昨夜は部屋の前の廊下にも警備を配置していたが、今夜はもうクリスティーネがいないため廊下には見張りはいなかった。もう大丈夫かとも思ったのだが、念の為エーリヒが目覚めるまではと警戒を続けていたのだ。



 エリアスがバルコニーの方へ向かおうすると、『ギャァオオォウ!!』と猛獣の咆哮が響き渡った。

 一瞬、ビリッと衝撃が身体に走ったが、近くではなかったからかすぐに強張りは解けて、エリアスはそのままバルコニーに急ぐと、そこには正体不明の黒い影が這うように数人上ってきていた。


「ディーター!侵入者だ!寝室の防御陣を起動しろ!リーンハルトも呼べ!」

「ええ!?」

 ディーターが居室内を動く気配を背中で感じながら、エリアスは腰の魔剣をすらりと抜いた。

 バルコニーにはすでに二人の影がある。その奥を見ると、まだ上がってくるようだ。



「コンラート、起きてるか?エーリヒ様の部屋に外から侵入者だ。下でも戦闘が始まっている。俺もこれから戦闘に入る。切るぞ」

 左腕の通信魔術具で一方的にコンラートに話しかけて通信を切った。



(敵は何人だ?)


 エリアスは覚えたての索敵をかけるが反応はない。習熟度が甘いせいではない。これだけ近くで視認できる距離にいるのに、無反応なはずがない。


(魔力遮断の魔導具か。珍しいものを使う。)


 そんな高級な魔導具の用意があるならば、こいつらはどこか大きな組織の特殊部隊。このタイミングでの襲撃ならば答えは決まっている。神殿の暗殺部隊だ。


(こいつらの狙いはエーリヒ様か。昏睡状態の今なら殺れるとでも?神官共め。ふざけた真似を…)



 影の一人が音もなく迫ってきた。

 初撃を魔剣でいなしたが、すぐに怒涛の乱撃を繰り出してくる。素早い短剣さばきだ。

 至近距離での打ち合いは不利。エリアスは剣撃を受けながら、風刃で牽制する。相手が距離をとると、すかさずもう一人が「ウォーターアロー」と唱えて水矢を打ち込んできた。それを魔剣で打ち消して、お返しに風刃を放つ。それを食らって血を吹き出しながら一人が吹き飛び、バルコニーから落ちたが、もう一人には避けられた。

 そこへまた一人バルコニーに敵が上がってくる。もっと来ていたようだが、先ほどの猛獣のような雄叫びを食らって数人が落ちたようだ。



(敵の数がわからない。魔力がもたないかもしれない。もっと有効的に魔法を使わないと…)


 エリアスは気を引き締め直し、向かってきた敵の攻撃を躱して斬り捨てた。




◆◆◆




 ディーターはエリアスの指示に従うため、寝室を開けてエーリヒの様子を見る。まだそこには誰もいなかったが、奥の窓からバルコニーに人影が見えた。エリアスが応戦を始めたようだ。素早く寝室の鍵を閉めて、魔法陣を起動させる。


 主人の寝室には、外部からの魔法攻撃と許可のない者の侵入を防ぐ結界魔法陣が組み込まれている。いわゆるパニックルームだ。そしてこれは三階にある二つの主寝室であるコネクティングルームにだけにエーリヒが施したものであり、魔法陣を起動すると隣の夫人の寝室も同じ仕様によって守られる。エーリヒはこの機能でヴェローニカを守るつもりでいたのだ。

 だが今夜ヴェローニカは、三階の寝室にはいない。



(くそ!全部あの女のせいだ!あの女に追い出されたせいで……本当なら、これでヴェローニカ様も守れるはずだったのに。…さっきのあの声は黒猫の声か。ならあっちはユリウス様がいるから、大丈夫だよな?)



 無事、結界魔法陣を起動させたディーターは居室からバルコニーの方へと急ぐ。その間も外からは怒鳴り声や下階で窓ガラスが割れる音が聞こえてくる。邸宅中で異変が起きている。


「リーン!起きて!敵襲だ!早くエーリヒ様んとこに来て!バルコニーに数人来てる!急いで!」



 交代制で護衛していたために今夜は休んでいたリーンハルトを通信魔術具で呼び出し、ディーターは複数を相手取っているエリアスに加勢するため、バルコニーに出た。




◆◆◆




 邸宅中に響き渡ったツクヨミの凄まじい咆哮により、大半の使用人達が目覚めた。


 王都の貴族街で一体何事かと慌てたリーンハルトの耳に、ガシャーンと窓が破られた音がどこからか聞こえて、寝ぼけた意識に異常事態だという現実感が湧いてきた。

 ディーターの連絡を受けて魔剣を握り廊下に出ると、そこは真っ暗闇ではあったが何やら煙が立ち込めていて、奥の暗闇に影が蠢いている。いつの間にか廊下の夜間用の魔導灯が全て消されていた。



 敵襲だ。リーンハルトの頭の中で警報が鳴り響く。

 だが急にめまいがしてきた。


(この煙を吸い込むのはヤバそうだ。)


 口元を覆い、水癒を体内に巡らせて、「睡眠薬だ!換気しろ!」と叫んで真っ先に手前の窓を破る。どこかで誰かが同じように窓を割り、風魔法で煙を外へ送り出し始めた。それを妨害するように黒い影が襲ってくる。


 リーンハルトは侵入者と応戦しながら、今いる二階から三階へと続く廊下を進む。




◆◆◆




「リーンハルト!大丈夫?」

「リオニーか?ああ、大丈夫だ」

 二階の踊り場で負傷者の治療をしていたリオニーは奥からやってきたリーンハルトを確認するが、特にふらついたりはしていないようだ。


(自分で解毒できたのね。最近水癒の習練頑張ってたものね。)


「エーリヒ様の所に行ってくる。ヴェローニカ様の方はどうだ?」

「ウルリカが番をしていたから、もういるはずよ。それにユリウス様もいるし」

「そうか。じゃあ、リオニーも気をつけろ」

「うん。しっかりね、リーンハルト。治療がいる時は呼んで」

 リーンハルトは返事をしながら三階の階段の方へ消えていった。



 この辺りの空気はだいぶ換気が済んで正常化しているが、まだ倒れている使用人もいた。皆を回復させて、早く侵入者を倒してもらわなければ。


「ああ……リオニー……眠い……頼む……」

「ほら、しっかりして!あんた達、いつも何のために鍛練してるのよ!」

 リオニーはまたふらついている人影を見つけて、神聖魔法を施すために近づいていった。




◆◆◆




(急がないと。ヴェローニカ様の下へ……)


 ヘリガは焦りながら暗い廊下を進む。



 起きたヘリガが廊下に出ると、充満していた睡眠薬を吸い込んでしまい、そこにいた侵入者を始末するのに手こずってしまった。

 途中会ったリオニーに睡眠薬で眩んでいた意識と怪我を回復してもらって、向かい側の棟のヴェローニカの泊まっている客室へと向かう。


 普段、来客に案内する客室は一階になっているが、ヴェローニカをセキュリティの低い一階へ滞在させる訳にはいかない。そしてクリスティーネを警戒していたせいで、現在ヴェローニカはこの廊下の一番奥の部屋にいた。



(あの女が帰った途端にこんなことが起こるなんて。……絶対にただではおかない。)


 リオニーは回復要員のため、今は怪我や状態異常で倒れている使用人達を治療して回っている。

 ウルリカは今夜はヴェローニカの部屋の前で待機していて、いち早く異変に気づいてヘリガに連絡してきた。だからもうヴェローニカの護衛につけたはず。



「…………」

 また一人黒い影が闇の中にゆらりと現れた。あと少し、もうすぐそこがヴェローニカの部屋なのに。


「全く……ここはグリューネヴァルト侯爵邸ですよ?覚悟はできているのでしょうね……神殿のゴミ虫めがっ!!」


 ヘリガは瞳に紅蓮の殺気をたぎらせて、手にした炎の魔剣を構えた。




◆◆◆




 邸宅のあちこちで各人が戦闘に突入する中、侯爵邸の使用人達の通信魔術具に連絡が入る。それは緊急連絡で、受信許可なしでも自動で魔術具から各人に声が届いた。



『皆様、コンラートです。ただいま侯爵邸は何者かの襲撃を受けています。相手は恐らく神殿の暗殺部隊。狙いは恐らくヴェローニカ様、エーリヒ様と思われます。皆様は何としてでも、ヴェローニカ様とエーリヒ様をお守りください。私は各方面に応援を要請します。では各々方、それまでご武運を』


 そこで通信は途切れた。




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