表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
181/211

181.朔の夜の告白

1話目のようなちょっと精神的苦行の回ですので、後書きを久しぶりにいれました。


「ふふ……ふふふ…」

 疲れて早めに就寝したからか、ヴェローニカは夜半に目が覚めた。

 とても夢見が悪かった。ここ最近はずっと、こんなことはなかったのに。

 つい先ほどまで夢の中で翻弄されていた感情で、今もまだ涙が滲んでくる。しゃくりあげてきて胸が震えてしまう。


 前世でもこんな時があった。悲しくて、つらくて、苦しくてたまらないのに、何故か笑いが込み上げてきて止まらなくなるの。

 部屋の中は真っ暗で、今夜は月明かりもなかった。




『どうした、ヴェローニカ。……だいぶ心が乱れているようだな』

 暗闇の中、ツクヨミの声が聞こえた。

「…ごめんね。起こしちゃった?」

 ヴェローニカは慌てて涙を拭く。

 ここには私一人ではなかったと思い出した。

『…………』

「うるさいなら、私、ちょっとお庭を散歩してくるね…」

『いや、かまわん。……どうした。話してみろ』

 ベッドから下りようとすると彼女がそんな優しいことを言うから、少しくらいいいかなとも思うけれど……こんなこと、やはり話しづらい。



「…ツクヨミは、ずっと猫なの?…うーんと、人間だったこととかは、ないの?」

『ほう。不思議なことを聞くのだな。…人間か。…人間であったことはないが、人化して暮らしていたことはある』



 人化か。そのうち、白夜もできると言っていた。

 そうだ。白夜が迎えに来てくれるんだ。そうしたら、一緒にここを出よう。今度こそ白夜と旅に出るんだ。なんて幸せなことだろう。それに今はユリウスもいる。

 今回は、私はひとりじゃないんだ。

 あの白い毛皮のふわふわの感触を想うと、ようやく鼓動が落ち着いてくるのを感じた。


 私がいなくても、もう孤児院ならきっと大丈夫。孤児院の経営は福祉財団を起ち上げて、全ての売上をそこに投入すればいい。一緒にシュタールの路上生活者達の救貧院も作ろう。ヴィンフリートには面倒をかけてしまうだろうけれど……蒸留酒の売上で許してもらおうかな。

 ヴィンフリートの元に行かないのならきっと、エーリヒも今度は認めてくれるだろう。


 ヴェローニカはひと心地ついて、深呼吸をした。



「そうなんだ。…楽しかった?」

『ふむ。楽しいかどうかはわからんが、いろんなことがあったな。腹の立つことが多かったがな』

「ふふ…そう。でも、それでも人と暮らしていたのね。…物好きね、ツクヨミ」

『はは。…そうだな。吾らの中では物好きであろうな。人など吾らは見下しているか、眼中にもないからな』

「なんとなく、わかるわ。その気持ち」

『ふふ。…人間のそなたが言うのか』

「そうね…」




 私は人より他人に興味がなかった方だ、と気づいたのは、悪口を言う人は、そんなにその人に興味があるんだなと思ってからだ。

 私だってたまには言う。嫌なことをされたら愚痴りたくもなる。でも、それとは少し違うのだ。



 母親がいつもそうだった。父親の、親戚の、ご近所の、会社の愚痴をいつもいつも同じように繰り返す。吐き出すとすっきりするようだから、可哀想で初めはまともに聞いていたけれど、本当に毎日同じことを繰り返す。

 一度聞けば覚えてしまうのに、もうそれは聞いたよと言っても止めたりはしない。父親や親戚のことなら私も関わりがあるから、代わりに注意してあげようかと言うと、だめだと言う。

 波風を立てないため?それが人の世の処世術だから?でもそれじゃ何も関係改善されないじゃないか。そして母の愚痴も止まらない。



 学校の友達もそうだった。散々一緒にいる子の文句を言って、それを私が聞いてあげると、またその子のところに戻っていく。あの可愛い女の子のところに。

 皆、そこにいない人の悪口を言うようだから、私もいなくなったら言われているんだろうなと気づいた。



 思えば元彼もそうだ。仕事が大変だ、お前よりも忙しいと愚痴りつつ、浮気をする暇はある。

 そこには女よりも男の方が仕事の重要度が高いという差別感情が根底にある。どう考えても私の方が休日は少なかったのに、その余暇の全てを彼のためを想い、献身しないことに不満があったようだ。ならばその子と幸せなら私が離れようと何度もしたのに、その度に縋ってきて離してはくれないし、うまくいっているという訳でもなさそうなのにその子とも別れてくれない。

 一体、何なのだ……



 つまり誰も、()()なんて望んでいない。ただこの人達は、私を()()()にしたいだけ。それで自分を保ち、()()を保とうとしている。

 皆、自分さえ良ければそれでいいのだ。それでどんなに私の心が磨り減ろうとも、私の感情なんて後回し。誰も、何も思いやってなんかくれやしない。


 私はまるでゴミ箱のよう。

 あなたたちの愚痴と悪意で、毎日いっぱいになっていくの。




 それまで母は父に抑圧され、祖母にいびられて、可哀想で弱い人なのだと思っていた。だから私が守らなければならないと。

 でも思えば母親に、父親の暴力から守られたことなど一度もない。それどころか、あんなに父の文句を言っておきながら、殴られるようなことをするお前が悪いと言って憚らなかったし、感情で怒る母親にも殴られていた。


 それは“八つ当たり”なのだと幼心に知ってはいたけれど、大人になってやっと、この人達は自分勝手な人なんだなと気づいた。今となってはそれは客観的でごく自然な評価なのに、自分の親がそんな人だと思うのは気が引けて、考えないようにとでもしていたんだろうか。

 そもそも母親が選んで結婚したから、この最低な父親がいるのだ。嫌なら離婚すればいいだけのこと。




 自分にもしも子供がいたら、全力で守るはず。

 殴られたとしても、私なら絶対に子供を守る。理不尽な悪意や暴力から、守ってあげたい。

 例え子供が悪いことをしたのだとしても、子供とはそうやって学ぶものだ。まだ世界を知らなくて、未熟なのだから。だから何が悪かったのかを一緒に考えて、教え諭せばいい。親も子供も、初めは皆が初心者なのだから。




『そなたには、前世の記憶があるのだろう?…何か思い出したのか?』

「…知ってたのね」

『まあな。時折、異界の言葉を話していたではないか。昔は良くいたからな。前世持ちが。……吾らが稀にいたずらをしてな』

「いたずら……?」

『…そなたの記憶を引き出した者が、いたずらが目的だったとは言ってはいないぞ』

「うん。わかってる。…白夜は、違うの。きっと、私のためよ」

『ほう。何故そう思うのだ?』

「だって、感謝してるもの」

『そうなのか。……そんなに苦しんでいるのにか?』



 ツクヨミが尻尾を揺らしているような気配がした。私を心配しているのだろうか。やはり優しい子だ。


 昔、猫を飼っていたので、その猫を基準にツクヨミの感情をはかってしまう。猫の感情表現と一緒なのかはわからないが。

 あの子も私が泣いたり怒ったりすると、何故か敏感にそれをさとって寄ってきては、鳴いたり、すりすりとすり寄って慰めてくれた。




「私が苦しんでいるのは私のせいよ。私が前世で馬鹿な生き方しかできなかったから。だからなるべくそうならないように生きようと思うのだけれど。……“幼い時の性格は年をとっても変わらない”っていう意味のことわざがあってね。まさにその通りなの。困ったわね。このままじゃ、また繰り返すのね、きっと」


『何をだ?』

「……普通の人は、きっとね。誰かを好きになって、結婚して、子供を産んで、育てて……()()()()()()暮らしていくの。そうやってずっと生命いのちを未来に繋いでいくんだわ。人は世界の大事な歯車のひとつなの。…でも私はね、そうしなかったの。ずっとひとり。そしてひとりで終わりなの。一歩外に出れば、そこに人はたくさんいるのに、私は昔からいつもひとり。ふたりにもなれないし、何も生み出さない。世界の礎にはなれないの」




 クリスティーネが「私達は家族になる」と嬉しそうに言った時、胸が苦しくなった。やはり私の苦しみは、そこなのだと思った。



 “家族”という言葉で思い浮かぶのは、大好きだった友達の家族。


 毎年子供達の誕生日会に呼ばれて、しばらく前から悩んで買った誕生日プレゼントを手に、遊びに行った。

 毎回、ひとりひとりに大きなホールケーキを用意して、そこには“誕生日おめでとう〇〇ちゃん”と書かれていた。

 ご馳走に、プレゼントに、皆でおめでとうって歌って、祝って、写真や動画を撮る。



 そんなの、初めてだった。何度見ても、何度一緒に過ごしても、慣れなかった。

 こんなに素敵な時間なのに、こんなに居心地が悪いのは、私が場違いだからなのだと、ある時気づいた。


 初めは珍しくて、幸せそうで、可愛くて、そんな皆と一緒にいられて嬉しくて。自分もその家族になったようで楽しかったから、勘違いしていた。

 「私はここの家族じゃない」って、何度も思い知らされた。



 そのうち彼らを見ていると、訳がわからないほどにつらくてつらくて耐えられなくなってきて、そんな自分が醜く思えた。

 子供を見ているのがつらくなったの。

 自分と比べてしまうから。

 私にはなかった幸せが、何故この子達にはあるの?って、羨ましくなってしまう自分が嫌だった。


 兄は母に、弟は祖父母に溺愛されていたのに。

 私は……どうして?

 どうして誰も、愛してくれないの?




「でも私ね、ひとりは嫌いではないの。ひとりは楽だった。気持ちが合わない誰かといるのは、煩わしかったから」




 買い物中にお菓子をねだって駄々をこねる子供。

 あんなこと、したことない。

 うちはお金が大変だったから、あんな風に何かを欲しいなんて小さい頃に言ったことはない。

 だからか、彼にも上手に甘えられなくて、何度も白けられた。


 誕生日も何ももらわない。私の誕生日なんて一週間前の兄の誕生日にやったことになって終わりだった。

 彼も私の誕生日は覚えないし、そんなものかと思った。今さらまともに祝われたいとも思わなかった。



 クリスマスだってサンタなんか信じる余地もなかった。他の子供は信じてるんだと知ったのは、友達の子供を見てからだ。きっとそういうのは、親が守るんだ。子供の夢を。


 お年玉を入れた通帳は父が使ってしまった。

 学校で必要な経費も、話すのが申し訳なかったくらいだ。「誰に養われていると思ってるんだ」と、怒鳴るといつも言うから。



 学生の本分は勉強だと周りが言うから、褒められたくて頑張ったのに、一度だって褒めてくれたことなんかない。

 一位をとったら、逆に不機嫌になった。「何を偉そうに」と侮蔑の目を向けられる。そもそも「勉強しろ」なんて、親に言われたことはない。他の親は、言うらしい。


 「女は大学など行く必要はない」父はいつも私にそう言っていたからか、抗う気は失せていた。先生に勧められた大学推薦枠も、親に相談する前に辞退した。けだし両親の言葉とは、呪いや暗示となるもののようだ。兄は立派に、大学院まで出たというのに。

 余計な支出を厭っていた両親も、兄にはそれなりにお金をかけていた。そのお陰なのか、兄弟のうち、結婚し、子孫を残したのは兄だけだ。それはまともに育ったのは兄だけだと言うことなのか。

 世間一般には、そう見られていたのだろうな。



 もう家族という言葉には諦念しかなかった。そういう人達じゃないんだ。他所の家庭とはまるで違った。

 そんなだったから。

 私は子供達に嫉妬していた。最低だ。

 自分を哀れんで生きている。度し難い。


 こんな気持ちで、子供なんか産めるわけがない。




「飼っていた猫だけいれば、それで幸せだったの。すごくその子を愛してた。でも、その子が死んで、何もかもに絶望した。そして孤独死したみたい。…さっき、夢で見て、それを思い出したの」


『……それを繰り返したくないと、いうことか?』

 ヴェローニカは首を振る。

「ううん。別にいいの。ひとりでも。だって……なんて言えばいいのかな。……うーん。私、多分、普通にできないの。皆みたいに。それに、私にはあのこがいたのよ。とっても可愛い子だったの」


『ふ……そうか』

「うん。すごく、可愛い子だったの。何故か、私にしか懐かなくてね。だから私はあの子を置いては死ねなかった。あの子のために。私がいなくなったら、あの子は生きていけないから。あの子はきっと、私が子供を産まなかったから、私のところに猫の姿になって来てくれたのよ」

『……なるほど。そういうことも、あるかもしれんな』



「…………」

 ヴェローニカはそこでぽろぽろと泣いた。笑顔のまま、声を押し殺して。

 悲しいからなのか、寂しいからなのか。会いたいからなのか。あの子は私に会いに生まれて来てくれたんだということを肯定されたからなのか。

 …それともやはり自分を哀れんでいるのか。

 本当に情けない。自分のために流す涙なんて、独り善がりだ。


 でも暗いから、見えないだろう。声を上げずに泣くのは慣れている。


 そのときのヴェローニカは、猫は夜目が利くということをすっかり失念していた。

 ひとつ、また深呼吸して、乱れた心を落ち着かせる。




「普通の幸せも知ってみたいけれど、多分、私には無理ね。愛が、よくわからないから。でもいいの。大丈夫よ、きっと。生きていれば、またあんな可愛い子に会えるわ」

『そこは、吾ではないのか?』

 それは少しからかうような声だった。気遣われているのを感じる。

「ふふ。……ツクヨミは、ずっと私といる訳じゃないでしょ?」

『何故そう思う』


「あなたは自由が好きそうだもの。…私は一緒にいたいけれど、私、好きな人を束縛はしない主義なの。自分がそうされたから、その煩わしさがわかるから。だから行きたいところに行っていいのよ、ツクヨミ。あなたにはもう、首輪はないのだから」

『……そうか』

「うん」

 ツクヨミはしばらく押し黙った。




 静かな夜だ。そして月のない夜だった。

 大きな窓から見える夜空には、星だけが輝いている。オーロラのように美しいガスの紗幕に包まれて、散らばったたくさんの宝石が大気の揺らぎで瞬いて見える。

 客室の広いベッドの上で、ヴェローニカとツクヨミはただ黙って窓の外を見上げていた。



『愛がわからないのか?』

「……そうね。愛が、欲しくてたまらないのか、厭い憎んでいるのか、よく、わからないの。憧れているような、気持ち悪いほど嫌悪しているような……本当に自分でもよくわからない」


 星が綺麗。

 だからきっと、このため息は、そのせい。この感傷は、そのせい。


「……きっと、両方なのね。だからすごく愛しても、すごくすごく愛おしくても、きっとすごく不安になって、いつかそこから逃げたくなるわ。…だったら、初めからない方がいいのよ。普通には、できないのなら。そんなの、私の恋人は、困ってしまうもの」



『…………』

 ツクヨミがまた沈黙した。

 ここで終わりにしようとヴェローニカは思った。もう十分に聞いてもらった。これ以上は、煩わせたくはない。

「ありがとう、聞いてくれて。もう、落ち着いたから、大丈夫。…おやすみ、ツクヨミ」

『そうか。…おやすみ、ヴェローニカ』

 ツクヨミがごそごそと蹲り直した気配がした。




 ヴェローニカは窓の外を再び見上げた。夜空には相変わらず星が瞬いている。

 この世界の星空はなんて美しいんだろう。それだけは明らかに前世を超えている。

 もう少し、見ていたいと思った。



 室内履きを履いてバルコニーに出た。心地良い風が銀髪をなでる。こんなに清々しく感じるのは、たくさん泣いたのと、ツクヨミが話を聞いてくれたからだろう。本当に、情けない話をしてしまった。


 星空を眺めていると、どこからか仏具のりんのような澄んだ金属音が聞こえてきた。

 あの音色は結構好きだった。あれを聞いていると心が静まるというか、無心になるというか、ぼうっとしてきて気が遠くなる。


 鈴の音というより、音叉おんさのような澄んだ音色が辺りを包んでいく。

 どこから聞こえるのだろうとヴェローニカは辺りを見回した。何度目かのそれが鳴った時、急にめまいがしてきて、身体の力が抜けていった。




お疲れ様でした。

読むのが大変だったかと思います。

のちにツクヨミがユリウスに、何故ヴェローニカはひとりなのかということを語るシーンがあるので、今日のところはお許しください。あらすじにあるあの理由です。


もしかしたら不可解かもしれないので説明を入れますと、ヴェローニカの魔力抵抗は無理な自己暗示により、今は下がっています。

そこにクリスティーネの使用した直接肌に触れる精神系の魔導具によって、魔素の守護をすり抜けて精神障壁に綻びが生じた状態です。

この回はその影響ですね。


『吸魔石』『隷属の首輪』『催眠の法具』は、プロイセから奪った様々な叡智や技術を発展させた大いなる業の産物。

ということで。

多少今後のネタバレも入りましたが、大変お疲れ様でした。ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ